守るもの
少し真面目なお話です。
後々必要になってくる情報もあるので、読んでいただければ幸いです。
騎士には見習い期間がある。十二あるいは十三歳からの三年間だ。この間に育たなかったものは自警団に配属されたり、国元へ帰されたりする。この三年という期間は絶対で、どれほど腕がなくても、またどれほど腕があったとしても変わらない。貴族や平民という立場も関係なくだ。
俺が見習いを終え、騎士団に入ってから五年がたっていた。二十一になった俺は、幼少から親父殿によってしごかれていたこともあり、騎士団内ですぐにその力を認められた。大隊長に昇格し、士官の代わりに部下の指導をするする時もある。
俺にとって、正直に言えばこういった地位は邪魔でしかなった。昇格すればするほど雑務が増え、自身の修練時間が短くなっていく。一番下の者は雑用がほとんどではあるが、それは体を使う雑務が多く、結果体を鍛えることにつながるので文句はない。だが、地位が上がれば書類に目を通したり、報告書をまとめたりと体を使わない雑務が増える。どうせなら、ずっと下級でいるのが望ましい。しかし、そう言ってもいられない。
訓練場に与えられた大隊長の共同執務室で、俺はいくつかの書類に目を通していた。広い部屋には他にいくつか机があるが、今は俺しかいない。
手にある書類は、今日入団してくる新米騎士の情報を書き記したものだ。
見習い期間が終わり、正式に騎士として第二師団に配属されてくる新米騎士が三人、今日この訓練場に来ることになっている。噂によれば、毛色の変わったやつが一人いるとか。どれほどの腕なのか楽しみだ。
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正直に言えばなめていた。見習いを終えた新米騎士にここまで追い詰められるとは思っていなかった。俺は剣を構えなおして目の前の新米を見つめた。
背丈は普通。厚みも俺ほどにあるわけではない。金色の髪に青い瞳をした新米騎士は、相当な腕だった。
たとえて言うなら水だ。流れるような剣裁きをする。俺の誇る剛剣を流れるような動作で受け流す。絶妙な角度で受け、絶妙な呼吸で流す。そしていったん攻撃の手を止めると、烈火のような攻めが襲ってくる。それも的確に急所を突いてくる。素早さとばねを生かした戦法だ。
だが、まだ甘い。
俺は全力で新米を倒しにかかった。手を抜いていたわけではないが、全力で剣を振っていれば、こちらも相当な疲労を背負うことになるのでセーブしていただけだ。
たかだか十六歳の小坊主が、俺の全力を込めた剣を受け流すのは難しい。あっという間に勝負がついた。
「見事だった」
俺は地面に座り込んだ新米騎士に手を差し出した。荒い息をつきながらも、新米は俺の手を取って立ち上がる。
「俺は第二師団大隊長、バラク・アイヤス。お前は?」
「バン・キャラックです。あの、バラク大隊長」
「なんだ?」
「顔が怖い……」
このバンと名乗った奴こそが、毛色が違うと言われていた新米騎士だった。だが、ただ強いだけではなく、『毛色が違う』という本当の意味を知るのは、俺が第二師団長になった時だった。
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二十五歳で師団長になった。もともとの師団長は俺との試合に負けたことを機に、後輩の指導に専念することになった。蹴落としたみたいで後味が悪い。試合をするのはいいが、それで地位が上がるのは望ましくない。もう一度見習いから始めてもいいくらい、俺は自身の修練に明け暮れたかった。
バンは二十歳になり、かつての俺と同じ大隊長にまで昇格していた。騎士団内で俺の剛剣を捌けるのはバンだけだ。だから、立場を超えてよくバンとは二人だけで訓練をした。バンと試合して勝っても、俺の地位が上がるわけではない。だから力いっぱい剣を振るえた。それが楽しい。二人で訓練する時間が増え、騎士団を超えて個人としても町で遊んだり食事に行ったりと、ともに行動することが多くなった。
バンを親友と呼び始めたのはこのころだ。
「そんなに師団長が嫌か?」
雑務に追われていたある日、俺はバンに誘われて町の外まで来ていた。団内でないこの場所では、バンも上官である俺に対して敬語を使ったりはしない。
丘になっているそこは、王都から適度に離れていて俺たち以外に誰の姿もない。馬を木につないで草むらで寝転がっているときに、バンはそう聞いてきた。
「俺は自分が強くなっていくのが嬉しいんだ。部下の指導よりも、自分で体を動かしているほうが性にあっている」
「お前ほどの腕があれば、総司令にだってなれる。目指さないのか?」
「目指してどうする? 地位なんて面倒なだけだ。俺はできれば地位なんか関係ない立場でいたい」
「地位があれば、守れれるものも多くなる。より大勢の人が守れるようになる」
俺はその言葉に黙り込む。確かに上になればなるほどいろいろなことが見え、そして人に命令できる立場から多くのものを守れるようになる。けれど、同時に守れないものも見えてしまっていた。守るためにと手を広げれば、目の届かないところで零れ落ちるものも多くなる。それがたまらなく嫌だ。
「俺は………俺は自分の身と手の届く範囲を守れればいい。親父殿と母上殿。それから将来迎える妻や子供」
「その傷のせいか?」
バンが青い目を向けてくる。この傷の話はバンにだけはしていた。この傷が背負うものを。
顔の傷に触れ、俺は息を吐く。
「お前はどうなんだ。何を守りたい?」
「僕かい?」
問いにバンが自嘲気味に笑みを浮かべた。
「国」
「まんまだな。俺だってこの国を守るために騎士として腕を磨いて……」
「違う。そういう意味じゃない」
バンが首を振る。
「この国を守ることが僕の使命だと言ってるんだ。僕の……バン・ルーディファウスの」
俺は半身を起し、唖然としてバンを見つめた。
ルーディファウス。その名を名乗ることを許されているのは、この国の王族だけだ。この名を持つということは。
「お前……」
「バラク。僕は将来、僕の横に並び立つ存在を求めている。誠実で、頑強な男が。僕はお前が欲しい。僕とともに、この国を守ってもらいたい。現国王である父に、君の父君が並び立っているように」
俺は息を飲んだ。
親父殿が傭兵部隊の総大将をしていた時、騎士団総長として戦ったのが現国王である。戦争が終わって先王から王位を譲り受け、総指揮官の地位を親父殿に引き継がせた。
親父殿は現国王とともに戦った戦友であり、よき理解者であり、唯一喧嘩のできる相手で、王の近くには常にその姿がある。
だが――
俺はバンを睨みつけた。俺が背負うものを知っていてこの話をするのか、この男は。俺が受けたこの傷のことを知っていて。
「俺の妻や子供に、同じ傷をつけさせるつもりかっ」
「そんなこと、させはしない。お前が僕の守りたいものを守ってくれるなら、僕もお前が守りたいものを守る。全力をかけて。お前の傷も背負ってみせる」
俺はバンの胸ぐらを掴んで引き寄せた。無理やり合わせた青い瞳は、どこまでも澄んでいる。物怖じしないこの瞳が、今は憎い。
「傷を背負うと言ったな。では、お前も顔に傷でもつけてみるか? その綺麗な顔に」
言い捨てて俺はバンを突き放した。背を向け、大きく息を吐いて感情を落ち着ける。
好き好んで顔に傷など付けられるわけがない。しかし、俺が振り返って見たものは、短剣を顔に突き立てる寸前のバンだった。
咄嗟に短剣を払いのける。バンの手を弾かれた短剣が放物線を描いて離れた草むらに落ちた。
「馬鹿か、お前は!」
叫ぶとバンは目線を下げた。気落ちしたような肩に、それ以上何も言えなくなって再び隣に腰を下ろす。
「僕の立場は、僕から人を遠ざける。顔色を窺うような者を僕は必要としない」
「…………」
バンの言いたいこともわかる。地位が上がれば、その地位に取り入ろうとする輩も少なからず現れる。あるいはその地位を欲しがるものも。
騎士団内が完全な縦社会なのは、こういった事例があるからだ。現国王や王子であるバンがそうであるように、かつての王たちも戴冠する前は皆王国騎士団に所属していた。バンがこの国の王子だとしても、団内では上官の命令には逆らえない。逆に上官はたとえ王子だとしても特別扱いはしない。
団内で仲間と共に暮らして平民の生活を学び、民意を知る。そうして善き王を目指す。
団内にバンが王子だと知っているものは少ないだろう。それでも『毛色が違う』と言われていたくらいだ。全く知られていないわけではないはずだ。団内であっても、王子と知っていて取り入るものもいるかもしれない。
俺はどうだ?
内心、自問自答する。
俺はバンがこの国の王子だろうが平民だろうが関係ない。バンはバンだ。立場が変わろうが地位が変わろうが、俺の大切な親友であることに変わりはない。
大切な人たちを守る。それは俺が子供のころに心に決めた約束事であり目標だ。親友であるバンも、もちろん大切な人たちの中に入る。
お互いに守りたいものがある。一人では無理でも、二人ならば守れるだろうか。
「王宮内は地位や立場を欲するものが多い。相手を蹴落とし、脅してまで手に入れよとする者もいる。僕は父が羨ましい。王というの立場でも、信頼できる者がいつもそばにいる」
「………お前には俺がいる」
俺の言葉に、バンが驚いたように振り返った。
「本気で言ってくれてるのかい?」
「当たり前だ。こんなことを軽々しく言えるはずがない。相手がお前だから言うんだ」
俺はバンの瞳を正面からとらえた。俺の言葉に嘘はどこにもない。俺がバンの親友であることは一生変わらない。ならば、互いに背負うものを互いで背負おう。それがどんなに重いものでも。
「自分の守りたいものってのは、感情に振り回されて案外見えないものだ。だから、俺がお前の守りたいものを守ってやる。その代り、お前は俺の守りたいものを守れ。約束できるなら、俺がお前ごとこの国を守ってやる」
「もちろん! 僕の全力をかけて守る。お前も、お前の家族も」
「将来迎える妻と子供もだぞ?」
「当たり前だ!」
バンが満面の笑みで右手を差し出してくる。俺は微笑んでそれをしっかり握りしめた。
地位など必要ない。けれど、こいつの横に並び立つには必要なものなのかもしれない。目指すものはあったほうがいい。地位や名誉とは無縁の立場でいたいのも事実だが、俺なりに上を目指せばいい。たとえ降格したとしても、遠回りになったとしても、最終的にその地位につけばいい。
目指すのは、騎士団総指揮官。親父殿がついている要職だ。道のりは長い。
「ところで」
バンが少しだけ困った顔を見せた。
「?」
「そんな強面のお前に、嫁なんて来るのか?」
俺がバンを張り倒したのは言うまでもない。
バラク君の話が予想以上に長くなり、話を分けることにしました。なので、これに対応するミナの話はありません。
本日中に、もう一話更新します。そちらがミナの話に対応しています。