優柔不断、再び
お待たせいたしました。再開でございます。
目の前に振り下ろされる剣を受け止める。剣が交わり、視線が交錯する。背後からの気配を感じ、目の前の剣を全力で押し返す。押し返されてぐらついた腰を蹴りつけ、背後から迫っていた剣を弾き返す。体勢が崩れたところを剣の平で体を横殴りにする。もちろん、力加減はしている……つもりだ。
「次!」
俺は部下に叫んだ。
訓練場に横たわる部下たちを見下ろす。
第二師団を中隊に分け、交代で掛かり稽古をさせた結果、全員がぶっ倒れてしまった。一日続けば俺もさすがに息は荒い。それでもぶっ倒れるほどではない。倒れるほど訓練すればこのもやもやも消えるだろうと思っていたが、そこまで共に訓練できる相手がいなかった。部下の方が先に根を上げたので、今日はここまでとなった。
太陽は西の空に沈みかけていたが、俺はまだ体を動かし足りない。もっと自分を追い詰めたかった。何も考えられなくなるくらい、訓練に没頭したかった。訓練でなくてもいい。とにかく頭を真っ白にしたかった。
「おい」
首や額の汗をタオルで拭きながら息をついていると、背後から声をかけられた。振り返ったそこに、金色の髪を夕日で赤く染めた第一師団長のバン・キャラックが立っていた。
「部下をしごくのはいいが、一週間通しで掛かり稽古とはやりすぎじゃないのか?」
「俺は平気だ」
「お前は平気でも部下の身が持たん。いい加減にしろっ」
「じゃあ、お前が付き合え」
「お前の八つ当たりにか?」
俺はぐっと言葉を詰まらせた。
「お前の中の何がそうさせているかはしらんが、僕が付き合えば少しはましになるのか?」
言葉に目を伏せる。何かをしてこの気持ちがましになるなら何でもする。どんなことでも引き受ける。それがわからないから苦しいのだ。何をすればいいのかわからない。だから目の前の訓練に集中した。その結果、部下たちがこうなるとわかっていて。
「ちょっと来い」
バンが俺の襟首をつかむ。強引に立たされ向かった先は、鍛えの間だった。
鍛えの間は煉瓦で囲まれた円形の訓練場だ。扉を閉めればここは外部から閉鎖された空間となる。もちろん外から扉を開けることはできるが、閉まっている場合は緊急の事態がない限り開けないのが決まりだ。だから使うには連隊長以上の許可が必要となる。
壁に掛けられた剣をバンが投げて寄越す。訓練用の剣の刃は潰されていて、よほどのことがない限り死傷することはない。それを受け取って軽く振り腕になじませる。バンも剣を手にして真ん中に陣取ると構えた。
円形の空間は直径でいえば五メル(五メートル)ほど。せめぎ合いはできても、走ったり互いに距離をとったりはできない。まさしく、剣を打ち合わせるための場所だ。
「来い」
バンが正眼に構える。俺は剣先を下にして構えた。
剣を下から跳ね上げる。予測していたバンは俺の剣を弾き返した。どこを攻めても防がれる。力まず、優雅とさえいえる動きで俺の剣を防ぐ。攻める隙を見いだせず、攻撃の手が止まる。瞬間、バンが攻勢に出た。苛烈な攻撃に、防戦一方となる。防ぎきれない攻撃が皮膚を掠めて赤い痕を残した。
「お前の力はこんなものか!」
避けきれなかった攻撃が鎧越しに脇腹を襲う。刃は潰されていても、当たれば相当な衝撃がある。
「くっ」
呻いた横面を剣の腹で殴られる。
「今のお前が僕に勝てると思ってるのかっ。掛かってこい、バラク! 全力で来い」
よろめいて膝をついた俺をバンが見下ろす。
ああ、そうだ。今の俺では駄目だ。何もかもに集中できない。やろうとしても空回りするだけだ。それでも何かに没頭したかった。すべてを忘れるくらい。
俺は深く息を吸い、大きく吐き出した。
柄を握る手に力を込めて剣を構える。逆にバンは剣を下した。だらりと腕を下げ、腰を低くする。相手の技に対応するためのバンの得意技だ。微動だにせず、青い瞳からは殺気に似た光を放っている。
集中しろ。感情を押し殺せ。
心が静まっていく。何も考えられない。見えているのは目の前にいる男の姿だけ。静寂がその場を支配した。
つっと俺は滑るように動いた。同時に微動だにしなかったバンが動く。静から動へ。
俺の剣がバンに襲い掛かる。それをことごとく受け、払い、撥ね返してくる。剣が激突するたびに火花が散った。
剣技は互角。だが、俺はこの一週間、体を苛め抜いていた。それが足にきている。体勢が崩れた。砂に足を取られたのだ。バンの剣がうなりをあげて襲ってくる。それを眼前で受け止めた。渾身の力を込めて押し返す。今度はバンの体勢が崩れた。崩れた足元を蹴りつける。
すぐさま体勢を整えたバンが剣を突き出す。俺が剣を下から振るう。
俺の剣がバンの首元すれすれで止まり、バンの剣先が俺の眉間に突き立てられる寸前で止められる。
「…………」
「…………」
俺たちは互いに剣を引き、二人同時に地面に座り込んだ。荒い息を吐き出す。肩で息をしながらバンが俺を睨む。
「騎士に足技なんてないぞ」
「俺にはアリだ」
「チッ、馬鹿力が」
力は関係ないだろうと思いながら、返事をするのも億劫で俺は空気を求めて呼吸を繰り返した。全身から汗が滴っている。今すぐ服を脱いで水に飛び込みたい気分だ。
しばらく、男二人の息遣いだけが空間を支配する。
「それで?」
呼吸が落ち着いてきたところで、そう問われた。
「何がだ」
「何をそんなにイラついている。ミナ殿とうまくいっていないのか?」
呼吸をするのも忘れて、俺はバンを見つめた。こいつは俺の何を知っていてこんなことを問うてくるのか。
「で?」
再度問われて俺は口を開いた。
「うまくいっていた…………と思ったが、違うのかもしれない。訳がわからなくなった。俺はどうなっている? 俺は大丈夫なのか?」
「僕の目から見れば、大丈夫ではないな。まるで自分を痛めつけるみたいに訓練して、頭がどうかしたんじゃないかと思った」
「やはり俺の頭がおかしいのか!? どうすればいい。どうすれば治る?」
バンに詰め寄ったら邪険そうに手を払われた。
「少し落ち着け。何がどうなっているのかわからねば、判断のしようもないだろう」
俺は地面に再び座り込むと、この三週間に起きたことを思い返した。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
ミナ嬢からもらったクマのぬいぐるみが消えた。ベッドに置いてあったのに、どこにもなくなっていた。ベッドの下も、部屋の棚も、物入れも、机も、引き出しも部屋中探したがどこにもない。メイドや執事に聞いても知らないと言われた。俺の部屋に入るとすれば彼らくらいだ。その彼らが知らないのならどうしようもない。
消えてしまったクマのぬいぐるみ。ミナ嬢に繋がっていたいと言われて預かった小さな存在。それが消えた。
そもそも本当に存在したのだろうか。それすらもわからなくなった。
彼女の家に行って紅茶を飲んだあたりからの記憶が妙にぼんやりとしている。熱に浮かされたような状態だった。あれが本当だったのかと言われれば、断言でいない自分がいる。
紅茶を飲んで寝てしまったのではないだろうか。あそこからは夢で、本当など何一つないのではないだろうか。
ただ一つ真実があるとすれば、左手の怪我だけだ。この怪我だけがミナ嬢と過ごしたことを真実と教えてくれる。
一週間がたち、二週間がたち、ぬいぐるみが見つからないまま月日だけが流れた。
左手の傷は完全に塞がり、強く握っても痛みすらない。それがさらにあの事を曖昧にさせていく。傷が治ったら食事に誘ってほしいと言っていたミナ嬢。あれは現実だったのか、それとも俺が見た都合のいい夢か。
わからない。わからないから、あの顔合わせから三週間以上もたっているのに、いまだにミナ嬢に連絡すらできないでいる。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「馬鹿か、お前は」
バンが心底呆れたような声で言ってきた。俺は思わずバンを睨む。
「そんなぬいぐるみがあってもなくても関係ないだろう。さっさと食事に誘え」
「誘って迷惑だったらどうする?」
「その時はその時だ。もし、迷惑でなく待っていたとしたらどうする? 行動しなければどっちかなどわからんだろうが」
「誘っていいものだろうか?」
「優柔不断め。なぜ訓練の時みたいに即断即決できないんだ」
「訓練では即決しなければ終わる。それが戦であれば死ぬ」
「恋愛も同じだ。誘わなければそれで終わるぞ。終わらせていいのか?」
バンの言葉に俺は目を見開いた。
誘わなければ終わる。ミナ嬢との関係が。
冗談ではない。終わりになどさせたくない。
「だったら誘え。いいな? 今すぐ、今日帰ったらすぐに手紙を出せ」
うなずいてすぐさま腰を上げた。じっとしていられなかった。すぐにでも自宅に帰って手紙を書きたい。
汗を拭きつつ鍛えの間を二人で出る。外はすでに暗く、部下たちは帰った後だった。
と思ったら、食堂からにぎやかな声が聞こえてくる。俺はバンと顔を見合わせた。
「なんだ?」
言葉に俺は肩をすくめる。とっくに修練の時間を過ぎている。普段ならひっそりとして見張りの騎士くらいしかいない訓練場に、騎士たちの笑い声が響いている。
修練の時間を過ぎたからといって、訓練場からすぐさま帰らなければならないわけではない。しかし、いつもは誰もいない時間に、多くの騎士が残っていることに首をかしげる。
「行ってみるか」
食堂とはいえ、訓練場への酒の持ち込みは厳禁。まさかそんな馬鹿な奴はいないだろうが、そこはやはり責任ある師団長。念のため、見回りも含めて行ってみることにした。
疲れた体を引きずってたどり着いた食堂で見たのは、赤毛の騎士に赤い顔をして抱き着いているミナ嬢の姿だった。
バラク君の訓練風景を入れてみました。
私は、実は恋愛よりもこういったアクション系を書くのが好きなのです。思わず力が入って書き込んでしまいましたが、楽しんでいただけたら幸いです。
さて、他の男に抱きついているミナ嬢を見たバラク君。でもやっぱり彼は優柔不断です。
次話をご期待ください。