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赦し

 息を飲んだのが自分だということにしばらく気が付かなかった。俺はロドスタの指にくっきりと残る歯型を凝視した。目を固くつむってもう一度見ても、それは消えることはない。


「参りました。まさか、こんな短時間でバレるとは思いもしませんでした。一番の誤算は貴方ですよ。ミナお嬢様」

 ロドスタがいつもの冷静沈着な声で話す。真横にいるミナに対して、敵意や害を与えるような感じは全くない。いつもの、いつも通り過ぎるロドスタに俺は拳を握りしめる。


 騙されていたとか裏切られたという怒りはない。あるのは虚脱と悲しみ。俺はロドスタを心から信頼していた。同じだけ信頼してもらっていると思っていた。そう思っていただけに心に穴が開いたようになった。

 そんな俺の膝をバンが軽く叩いた。視線を送れば、冷静な青い瞳とぶつかる。俺はその瞳を見て思い出す。ロドスタは何か弱みを握られているのかもしれないと。俺に嘘をつきながら、ミナを守っていると。

 俺はバンに一つうなずいて見せた。大丈夫だ。取り乱すようなことはしない。ロドスタの話をまず聞いてから。すべてはそれからだ。

 俺はすべての感情を押し殺して冷静さを保った。


「あなたがこんなに頭の良い方だと知っていれば、もっとほかの方法をとっていたかもしれません。あなたは襲撃者を恐れない。冷静な判断力とその度胸には驚かされました」

「ほかに言うことはないのか?」

 感情を押さえれば声が低くなることはわかっていたが、自分でも驚くほど低い声が漏れた。

「ありません。私を斬るというのならば、その剣を甘んじてこの身に受けましょう。ですが、黒幕がダイツだということは忘れないでください。奴だけは絶対に逃さぬよう、どうかお願いいたします」


 黒幕はダイツ。そこを念押ししてくることを見れば、バンの考えはやはり当たっているらしい。

 俺は立ち上がると剣を手に取った。斬るつもりなど毛頭ない。

 跪いた者の肩に抜き身の剣を置き、生涯の忠誠を誓わせる。王国騎士団として国王に仕えるときに行ったものだ。これは単なる形式化した儀式というものだけではなく、互いに命を預ける意味でも行う。仕える者は主に対して命を懸けて忠誠を誓う。主は仕える者にたいして疑念を抱かず自分の命を預ける。

 俺はバンに対してこれを受けている。だから今度は俺がロドスタに行う。ロドスタからの忠誠をもらい、俺がこれからもロドスタを心から信頼するという証として。


 柄に手をかけた。抜こうとした瞬間、斜め前に座っていたミナがテーブルに足をかけて飛び上がり、俺の頭に手刀を落とした。

 何度も言うが、ミナの手刀など俺にとっては痛みすら感じない程度のものだ。それでも何が起こったのか把握するのに時間がかかった。その数瞬の間に、ミナが着地の足を滑らせてテーブルの下に落ちた。


 派手な音を立ててミナが転ぶ。

「ちょっと! 反射神経のいい男が三人もいて、なんで私一人支えられないのよっ」

「いやいや、この緊張した場面であんなことされたら誰だって固まるだろう。君は本当に突拍子もないことをする」


 バンが慌ててミナに手を差し出した。どうすればいいかわからず、俺は剣の柄に手をかけたまま呆然とミナを見つめた。

 見れば立ち上がったミナが不満を全身で表して俺を睨みつけている。慌てて柄から手を放して俺はミナに手を伸ばした。


「バラク様。ここでハッキリさせておきたいことがあります」


 立ち上がってスカートの裾を整えながらミナが俺を見上げてくる。俺は感情を抑えた無表情のままミナを見下ろした。

「襲われたのはバラク様ですか、私ですか?」

「ミナだ」

 問われて即座に応える。彼女がなぜこんな当たり前のことを聞いてくるのかわからない。わからないけれど応えると、ミナはさらに鼻息を荒げて俺を見上げてきた。


「じゃあ、なぜ襲われていないバラク様がロドスタさんを裁こうとしているんですか。ロドスタさんもロドスタさんです。何勝手にバラク様に裁かれようとしてるんですかっ。ロドスタさんに怒っていいのは私だけです!」

 俺は目を開いた。

 裁く? 俺がロドスタを?

 ミナにはそう見えていたのか。


 そうだった。彼女は異世界からきたのだった。忠誠の儀式などしるはずもない。そのミナからすれば、剣を抜こうとした俺はロドスタを斬ろうとしているようにみえるのかもしれない。


 俺はミナからバンへと視線を流した。バンはこんな時でもおかしそうな笑みを浮かべて俺を見ている。俺のしようとしたことには気づいていたんだろうが、それ以上にミナの行動に呆れているようだ。


 本当に俺の婚約者には驚かされる。

 行動力がありすぎるのだろうが、その行動が突拍子もなくて度肝を抜かれる。今だって俺の剣を奪っておきながらその重さに耐えきれずに、裁かれるはずのロドスタに助けてもらっている。


 彼女の行動の意味は分からない。異世界の常識なのか、はたまた彼女の考えなのか。けれど一つだけ確かなことがある。

 ミナはロドスタを許そうとしている。


 周りが分からなくなって取り乱すほどおびえて、心の底からの恐怖を与えたロドスタすらも許そうとするミナ。一度心を許したものはどこまでも信用しようとするその姿勢は、人として尊敬に値する。そしてその尊敬に値する女性が自分の婚約者であることを誇りに思う。


 ロドスタはミナに三回手刀を落とされた。頭を垂れたままロドスタはいまだにミナからの裁きを待っている。俺はそれを見て笑みを浮かべた。ロドスタはまだ罰を待っているようだが、おそらくミナの裁きはあの手刀で終わりだ。


「はい、制裁終了! それよりも、これからのことを話さなくちゃ。夜は短いんだから、ちゃっちゃと話すわよっ」

「私を捕えてないんですか?」

 思った通りの言葉を口にしたミナにロドスタが驚いて顔を上げている。

「それで黒幕が捕まるならいいけど、ロドスタさんはトカゲの尻尾。簡単に見捨てられて黒幕まで手が届きません。だったらロドスタさんをたどって黒幕の一党丸ごと捕まえるのが一番いい。被害者の私がいいって言ってるんですから、いいですよね? バン様、バラク様」

 言葉に目を細めてうなずく。

 ロドスタはまだ納得していない顔をして俺を見上げてきた。ミナとロドスタが接触したのはほんの数回。彼女の心がまだわかっていないんだろう。行動力があって前向きで、誰よりも人のことを気遣える女性だ。俺はロドスタにもうなずいて見せた。


「ロドスタさん、これからは私たちに対して嘘をつくことは禁止します」

「私の言葉をまだ信じていただけるのですか?」

「信じるわよ、もちろん。だけどもし嘘をついたら、そのたびにキスするわよ」

「キス!?」

 言葉に俺は叫んだ。

 今尊敬に値する婚約者だと言ったのに、すでに心が折れそうだ。俺だってまだ数回しかしたことのないキスを、ロドスタにするのか!


「もちろん口にチューよ。私がロドスタさんにキスするのが嫌なら、バラク様がしっかりとロドスタさんを見張っててください。ロドスタさんも、バラク様に恨まれたくなかったら嘘はつかないこと。どんなにうまく嘘ついても私は見破る自信があります」


 彼女の心を分かっていないのは俺の方だったのかもしれない。突拍子もないことをするのはわかっていたが、婚約者の前でこんなに堂々とそんな宣言をするか!?

 ロドスタは俺を上目づかいに見てくる。俺はその目を上から睨みつけた。嘘をつくとかつかないとか、もうどうでもいい。もしミナがロドスタと口づけをかわしたら、その瞬間に俺は剣を抜きそうだ。


 もし嘘をついたらどうなるか、わかっているな?


 無言の圧力をロドスタにかけた。ロドスタの黒く見える瞳がわずかに開かれ、コクコクと慌ててうなずいている。

 俺はバンに促され、感情を押し殺しながらどうにかソファに腰を下ろした。その前にミナとロドスタが再び座る。

 ただでさえ横に座って距離が近いのに、ミナがロドスタの顔を下から覗き込む。正確には瞳を覗き込んでいるんだろう。わかってはいても俺はさらに目をすがめてロドスタを睨んだ。



「時間がないので、回りくどい質問はナシです。黒幕はダイツですね?」

「はい。仰る通りです」

「じゃあ、そのダイツに何をされたんです?」

「何、とは?」

「何か弱みを握られているか、誰かが人質になっている。ミナ殿はそう思っているんじゃないのかい?」

 俺はゆっくりと息を吐いて感情を整えた。今は嫉妬している場合ではなかったと思い直す。

「僕たちもそう考えている。君はアイヤス家に対して忠誠を誓っていたし、外から見てもそう思えた。その君が簡単に心変わりするとは思えない。何があった?」

 俺はまっすぐロドスタの瞳を見つめた。ロドスタもこちらを見ている。

「三か月前。ちょうど、バラク殿とミナお嬢様が初めてお会いになった翌日に、妻が失踪しました」


 俺は目を細める。奥方がいるのは知っていたし、ロドスタは愛妻家であることも知られていた。俺も当然知っていた。

 その奥方が失踪? それも三か月も前から。


「へ~、奥さんって美人? どんな人?」

「美人ですよ。金髪に茶色の瞳で……」

「待て待て。今その情報は必要ないだろう」

 話が別の方向に行きそうになって、俺はミナを止めた。このまま話していたら愛妻家のロドスタのことだ。朝まで奥方の話を聞かされそうだ。俺はロドスタに先を促した。


「陳腐な脅しです。誰にも言わず、こちらの要求を呑めというものです」

「なぜ相談しなかった? 俺が誰かに話すとでも思ったのか?」

「相手は名前こそ明かしませんでしたが、ダイツで間違いありません。王宮の奥深くに住む相手です。話したところで、手の届く相手ではありません。あなたの重荷になるだけだと思い、申し上げませんでした」


 俺は唇をかみしめる。

 三か月前。俺はミナと出会ったことで浮かれていた。彼女のことでいっぱいになる自分を戒めていたつもりだったが、ロドスタが自宅に帰っていないことに気づいていなかった。あの時ロドスタの異変に気づいていれば、何か変わっただろうか。いや、きっと何も変わらなかっただろう。

 俺は弱い。俺はまだ甘い。一番近くにいたはずなのに、ロドスタの心境の変化や些細なことにも気づかずにいた。



「どうして脅しているのがダイツだってわかったんです?」

「ある男が使いとしてやってきました。名乗りませんでしたが、見当は付きました。特徴を教えていただいてずいぶんと探し回りましたからね。バラク殿もご存知の男ですよ」


「! 髭面かっ」

 投げかけれらた視線の意図を知って俺は叫んだ。

 俺の事件の後、傭兵たちに手伝ってもらいながら町中を探させた。茶色い髪に赤い瞳をした男。焦げ茶色の髭面は今でも忘れはしない。


「町中を探しても見つからないわけだ。王宮の中はさすがに探しはしないからな」

 忘れるはずもない奴の風体を思い出して俺は服越しに胸の傷に手を当てた。また今回も奴が出張ってきた。奴を捕らえるためにも、ロドスタの協力が是が非でも必要になる。

 いや、逆か。接触してきたのが髭面だからこそ、ロドスタは奴の言葉に従ったのかもしれない。二十二年前、俺たちがどれほどの傷を負ったか知っているロドスタだからこそ、俺たちに捕える機会を与えてくれた。髭面をとらえることができる。その思いは俺の中で闘志となって体中を巡った。


「それで、ダイツは何を狙っている? ミナを襲ってダイツに何の得がある?」

「それは私にもわかりません。最初はバラク殿とミナお嬢様の関係を軽く報告しているだけでした。しかし先日、バラク殿にとってミナお嬢様がなくてはならない大切な方だと報告した途端、殺せと命じてきました」

「殺せ? 攫えの間違いではないのか?」

「いいえ。命を奪えと言われました。ですが、ミナお嬢様はバラク殿の大切な婚約者。私に殺せるはずがありません。ですから攫ってどこかに匿おうと思いました。パルオットも子供に使用するのは危険だと聞いていたので、ミナお嬢様には使えませんでした」

「どうして首を絞めたの?」

「それは………」

 言いよどんでロドスタがちらりと俺を見てきた。


「バラク殿が来たことは気配で察知しました。私にとってもバラク殿が来るのは想定外。かなり焦りました。ミナお嬢様を連れて逃げれば間違いなく追ってくる。パルオットを使って逃げようと思ったのはこの時です。ですが、バラク殿ならば薬など気にせず躊躇なく追ってくるだろうと思いました。ミナお嬢様を危機的状況に追い込んでからでなければ、あなたから逃げおおせる自信がありませんでした。なので致し方なく首を絞めました」

「嘘ついたわね!」

 ロドスタの言葉が言い終わる直前、ミナが立ち上がって叫んだ。即座にロドスタの顔を掴んだ。ミナの唇が触れる寸前でロドスタがミナの頭を抱えてそれを阻止する。

 思わず剣を掴んだ俺の手をバンが抑える。その顔には呆れたような笑みが浮かんでいる。


「申し訳ありません。嘘を申し上げました。訂正しますっ。ですから、どうかキスだけはご勘弁を」

「嘘ついたらキスするって言ったでしょ! それとも何? 私とのチューは嫌なの」

「冗談抜きでバラク殿に殺されます。罪を裁かれるならともかく、嫉妬で殺されたくはありません!」


 ロドスタが俺に視線を送る。俺はその視線を受けて目を細めた。バンが止めたから剣から手を離してはいるが、抜こうと思えばいつで抜ける。


「ミナ。ロドスタが嘘をついたのはわかった。放してやれ」

「なによ。チューの一つくらい、男なら受け取れっての」

「婚約者の立場が泣くからやめてくれ」

 片手で額を押さえて俺はミナに頼んだ。俺の言葉にようやくミナがロドスタから手を放し、ロドスタは心底安堵したように息を吐いて俺を見てきた。俺の顔に憤りがあるのを見つけて慌てて首を振る。


「それで、今の言葉のどこに嘘がある」

「最後の部分。致し方なく首を絞めたって言ったとき」

「あなたは本当に嘘を見抜けるんですね。あんなわずかな嘘がバレるとは思ってもいませんでした」

「ロドスタ、真実は?」

「え? ここでお話ししてもよろしいんですか?」

 ロドスタの目がミナに向く。その視線さえにさえも嫉妬の炎が吹き上がる。俺はロドスタに先を促した。


「当身ではすぐに気付きます。気道を数瞬ふさいで気絶すれば、しばらく目を覚ましません。気を失ったお嬢様を介抱しているうちに、あんなことやこんなことをして二人が結ばれるのではないかと」


 嫉妬も忘れて目を瞬いてロドスタを見つめた。

 うむ。あのことがなければ、騎士見習いの俺は砦を落とせなかったかもしれない。ロドスタのからかいを含んだいつも通りの瞳を見返し、俺はうなずいた。

「その点は感謝している」

「そこの怪獣、黙りなさい!」


 言いながらミナがロドスタの頭に手刀を叩き込んだ。ロドスタがミナを見下ろして笑う。


 そんなロドスタを見て俺はぐっと拳を握りしめた。

 俺の体に傷を刻んだ男がすぐそこにいる。俺の苦悩を知っていたはずのロドスタが奴に手を出さない理由は奥方のためだろう。愛する人が人質にされる辛さは、今の俺にはよく理解できた。すぐにでも助け出したかっただろう。不甲斐ない自分をどれほど責めただろうか。


 髭面をたどってダイツにたどり着いたとしても、王族を理由なく斬れば極刑にあう。王族に手を出せば、間違いなく執事として雇っているアイヤス家にも何かしらの罰が下るだろう。そこまで考えてロドスタは一人でも動けなかった。奥方を盾にとられながら、それでもミナを匿って彼女の命を助けようとしてくれたロドスタの忠誠心が痛いほど伝わった。




「とにかく、結局のところダイツ公王が悪いんじゃない。あいつを捕まえれば一件落着でしょ」

「どうやって捕まえる? あいつはいつも王宮にいて俺たちは手を出せないんだぞ」

 髭面だけをとらえても意味がないことはわかっている。髭面の後ろにいるはずの黒幕をとらえなければ、俺たちに本当の意味での平安は訪れない。


「髭面からの手紙は残してあります。ミナお嬢様の歯型という決定的証拠もそろっているのです。私を突き出せばいいのではありませんか」

「おそらく君が証言しても無駄だろう。叔父上につながる確証にはならない。知らぬ存ぜぬを通せば、髭面とて切られる」


 どうすればいい? ミナも奥方もそしてロドスタも助けたいと思うのは贅沢な願いなのだろうか。それでも、せめて手の届く範囲の人を守りたいのは、俺の昔からずっと変わらない思いだ。



「捕まえられるんじゃない?」

 ミナがパッと顔を上げてそう言った。俺は自分の眉間にしわが寄るのを止められなかった。気軽に言うが、王族は王宮の中だ。忍び込んでも必ず見つかる。王宮を守っているのは俺たち王国騎士団なのだ。その俺がいうのだから間違いない。見つかればたとえ騎士団長の婚約者だとしても罰せられる。


「忍び込む必要はないじゃない。だって、堂々と王宮に行ける理由があるもの」

 その言葉ではっとした。

「年末の夜会か!?」

 俺の言葉にミナが大きくうなずいた。







スランプで書けなくなって、別のサイトの別の小説を書いていたら、二年も開いてました(((・・;)


今更ながらにバラク視点投入。


今までの分も見直しを含め手直しをいれていきます。

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