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予感

 襲撃のあった三日後、騎士見習いの一人にロドスタへの伝言と手紙を預けた。今夜、アイヤス家にミナを伴ってきてほしいとの内容をしたためたものだ。

 あまり私用で見習いを使いたくはないが、俺からの個人的な指導を引き換えにして頼んだ。青ざめた顔をしていたのは嬉しさのあまりか、俺の指導がぶっ倒れるまで続けられることへの恐怖か。


 本来なら襲われたミナ本人に話すべき内容ではないだろう。だが、ミナは見かけに騙されやすいが、とても肝が据わっている。男であれば騎士見習いにしたいくらいだ。襲撃直後ならともかく、日にちがたてば卒倒するようなことにはならないだろう。

 話す内容は物騒なものだが、ミナに会えるのは正直に嬉しい。にやけそうになる頬を引き締め、彼女に傾きそうになる思考を無理やり戻した。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「お帰りなさい」

 アイヤス家の応接間にはすでにロドスタとミナの姿があった。笑みで迎えられて、こんな時でも頬が緩む。三日しかたっていないというのに、ミナの姿に胸が躍る。これから話す内容のことを思えばそんなことを考えている余裕はないが、それでも高鳴る胸の鼓動は抑えられない。


「顔がにやけてるぞ」

 後ろからバンが突っ込む。

 後ろから入ってきたのに、俺の顔色がわかるのか!? どんな千里眼だ。俺は少し憤慨しながらもソファに腰かけた。隣にバンが腰を下ろす。バンは騎士服ではなく、今日もゆったりとした貴族の服装だ。


「早速話がしたい」

 腰を下ろしたとたんにバンが口火を切った。ミナが途端に真剣な面持ちになる。ロドスタも姿勢を正した。俺もその一言で気持ちを切り替える。ロドスタに目をやると俺を見ていた。執事に火石を置くなと指示していた応接室は、暖炉の暖かい光で満ちている。暖炉の炎に照らされて、ロドスタの紺色の瞳がより一層深みを増している。その冷静な光をたたえた瞳に俺は自分の心を鎮めた。

 これから話される内容に、俺が冷静さをどこまで保てるか。



「では、私から」

 ロドスタが先に口を開いた。

「バン王子のご推察はバラク殿の手紙にて伺いました。私も王子の考えと同じです。今回使われた薬草であるパルオットはとても効能が高く、子供に使用すると昏睡に陥る可能性があります。ですので襲撃者はミナお嬢様に対しての使用を躊躇ったと考えられます」

「だが、襲撃者はミナ殿が反撃したら殺そうとした。それはどういうことだと思う?」

「それは私が考えました」

 バンの言葉にミナが手を挙げる。

「私という人質は本来生け捕りが望ましい。でも最悪死んでも構わないんじゃないかってことなんです」

「…………」

「それで考えたんですけど、バラク様を脅すためだったら私は生きていなきゃ意味がないですよね? 死んだら脅すも何もないですから。でも死んでいてもいい。つまり私はバラク様を脅すための道具として襲われたのではないんじゃないかと思ったんです」

「なるほど。人質の意味で襲われたのではないと?」

「はい。それでそこから私なりにいろいろ考えて………その、いろいろ考えて」

 ミナがそう言ったきり口を噤んだ。眉を下げてうつむく。


「すまない、ミナ殿。襲撃からまだ三日しかたっていない。心の傷を開くようなまねをして申し訳ない。だが、どうしても君の意見を聞いておきたくて」

 バンの言葉にミナが無言のまま首を振った。下唇を噛むさまが、昨日のバンの姿と重なる。ミナも考え抜いた末に一つの事実に行きついたのだろうか。考え方は別だったとしても、バンと同じ答えになったとしたら心中はさぞかし穏やかではないだろう。


 抱きしめたい思いにかられて、俺は咄嗟に目を閉じた。今はミナの話ではない。これからどうするべきか、どう動くべきかを話す場だ。俺は感情を押さえこんで目を開いた。


「ミナ殿がバラクの婚約者だから襲われたというのは間違いのない事実だと思う。だが、人質ではない。では何のためか。正直にここからは僕にも分らない。僕は犯人じゃないからね。だから、今ある事実から検証してみた」

「事実?」

 ロドスタが首をひねる。

「今確認できている事実は三つ。使われた薬がパルオットという特殊な薬草だった。襲撃者はミナ殿を眠らせずに攫おうとした。だが、ミナ殿の反撃にあい首を絞めてきた。そして襲撃者が手練れだったということ」

「…………」


「一つ目の事実が告げているのは呪い師が関与していたということだ。だが二つ目の事実に矛盾がある。攫おうとしたのに殺そうとしてきた。だからいろいろな可能性を考えてきていたんだが、今日ミナ殿を見てはっきりとわかった。襲撃者は本気でミナ殿を殺そうとはしていなかった」

「しかし、相手はミナお嬢様の首を絞めてきたんでしょう? 殺害目的以外に何があります?」

「意識を奪うつもりだったのかもしれない。どちらにしろ本気ではなかった。その証拠に、ミナ殿の首についていた指の痕は消えている。ああいった痣というのは十日ほど残る。だが今はきれいに消えている。つまり襲撃者が本気じゃなかったということだ」


「あの指の痕は、昨日の夜には消えていました」

 ミナが小さく発言する。バンはその言葉にうなずいて目を細めた。

 男が本気で女性の首を絞めにかかっていたとしたら、赤紫色の内出血の痕がしばらく残る。経験から言えば、痣というのはそう簡単には消えないものだ。少なくとも三日で回復するようなものではない。軽く締めていただけならば、指の痕だけは残るが内出血にまではならない。その場合は確かにすぐに消えてなくなる。


「さて、僕の考えで一番重要なのがこれから話す三つめの事実。襲撃者が手練れだったことだ。僕はこの事実から襲撃者が二人いたと考えた。一人は呪い師。見張りをパルオットで眠らせた。もしかしたら、呪い師は協力しただけで実際にはあの現場にはいなかった可能性もある。ただ、関わっていたことは間違いないだろう。そしてもう一人の襲撃者が手練れの戦士」

 一旦口を閉ざし、バンが俺の方を向く。

「バラク、襲撃者が君の攻撃を三度躱したというのは間違いないな?」

 俺は突然の質問に驚きながらもうなずく。俺の拳を避け、剣も奴に掠めることすらできなかった。風のようだと思ったことを今でもはっきり覚えている。


「国随一と言われるバラクの攻撃を、呪い師程度が躱せるとは思えない。だから襲撃者は二人だと思った。さらに、バラクの驚異的な筋力で振るわれる剣は速い。あの瞬発力のある攻撃を避けられる人間はそうそういない。だけど、僕はたった一人だけ心当たりがある」

「…………」



「バラクを子供の頃から指導し、導いてきたロドスタ・ユーノス。君だけだ」

 俺は掌に浮かんだ冷たい汗を握りこんだ。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 襲撃者が二人いるかもしれないと言われた翌日、俺は再びバンに呼び出された。そこでロドスタが襲撃者ではないかと吐露されて、俺は即座に否定した。


「馬鹿なことを言うな! ロドスタは俺が子供のころからずっと……」

「そうだ。ずっとお前の側にいた。だからこそ、ロドスタは僕ですら避けられないお前の攻撃を躱せる」

 襲撃者に振りかざした拳。本気で繰り出した剣も二度躱された。風のような捉えどころのない動き。俺の蹴りをいつも躱すロドスタの動きがそれに重なる。

 それでも俺は首を振った。

「俺の剣を躱せる傭兵は、ほかにいくらでもいる」

「バラク、お前の悪い癖だ。自分を過小評価しすぎなんだ。お前の剣は鋭く、速い。それに蹴りを混ぜた独特の攻撃法はとても巧みで躱しにくい。蹴りの回転力に剣の重さを利用して繰り出す高速の一撃。あれを躱せる自信のある奴は、騎士団はもとより傭兵の中にもいない。いるとすれば、ロドスタくらいだ」

 そんな馬鹿なと首を激しく振る。


 ロドスタのことは誰よりも知っている自信があった。常に冷静沈着で、俺にとっては剣の師であり兄のように頼れる存在だ。そのロドスタが、俺の婚約者であるミナを襲った本人だと言われて納得できるわけがない。

 だいたい、あいつは昔からダイツが黒幕だと言って憚らなかった。その黒幕とつながっているなどと、どうやっても考えられない。エルディック家にふた月も前から見張りをつけていたし、今回の件にしてもミナが呪い師と接触していることを忠告して来た。それに襲撃のある前日にエルディック家に執事として仕えると言ってきたのもあいつからだ。


 俺はあの夜の襲撃者のことを思い出しながら、それでも首を振る。ふとその瞳の色を思い出して俺はすぐに問いただした。

「襲撃者の瞳は黒かった。だがロドスタは紺色だ」

「火石ならともかく、暖炉の炎で確認したんだろう? 暖炉の炎に照らされた紺色の瞳は、間近でなければ限りなく黒に近い色になる」

「…………」

「それに、襲撃といってもミナ殿を殺める気などなかったんだろう。どういう経緯で襲ったのかは本人を問いただしてみなければわからないが、執事としてミナ殿の側にいる理由はわかる」

「襲うためか?」

「逆だ。自分以外の者がミナ殿を襲わないように監視するためだ。つまり、ロドスタが側にいる限りほかの襲撃者が現れることはない。ロドスタが側にいることで、ダイツの手の者からミナ殿を守っている」


「なぜそんなことがわかる」

「お前だってわかってるだろう? ロドスタがいれば何があっても大丈夫だと言ったのはお前だ。あいつが側にいてミナ殿に何かあれば、いくらお前でもロドスタを疑うだろうが。あいつはお前を裏切りながら、それでもミナ殿を守っている。だから僕は、ロドスタはダイツに何か弱みを握られていると思っている。あの忠義の塊が心変わりだけでお前とアイヤス家に剣を向けるとは到底思えない」


 俺は静かな声音で言われて、何も言えずに口をつぐんだ。見れば理路整然と話すバンの顔も歪んでいた。下唇をかんで、何かを耐えるように俺を見返している。

 この答えを導き出したバンも、相当悩んで考えて否定して、それでも否定しきれずに俺に話しているんだろう。


 できれば嘘であってほしかった。

「他に思い当る者はいなかったのか? 本当にあいつだけなのか?」

 俺は低い声でバンに再度問いかけた。否定してくれることを願ったが、バンは深く一度だけうなずいた。

 俺は膝の上の拳をぎゅっと握りしめた。

「先走るなよ、バラク。ミナ殿の意見も聞いておきたいし、ここで奴に逃げられるわけにはいかない。確証が得られるまでは、絶対に手を出すな」

「…………」

「僕の考えはあくまでも推測の域を出ない。確証はないんだ。それでも叔父上に繋がっているかもしれない人間をここまで来て逃がしたくはない。言い逃れができないような状況に追い込んで、その上で叔父上ともども捕える。その上で断罪するなら好きにすればいい」

「ミナの安全は?」

「さっきも言ったように、ロドスタがそばにいる限り安全だ。逆に、離れた時が一番危ない」


 俺は唾をごくりと飲み込んだ。

「ミナ殿とロドスタとお前の四人で話がしたい。それぞれあの事件で感じたことも思惑もあるだろうし、話をまとめる意味でも話し合いをする場を持つべきだ。できれば明日にでも」

 その意見には俺も賛成だ。次の襲撃がいつあるともしれない。何のためにダイツがミナを狙っているのかはわからないが、バンの言う通りだとすれば狙われていることだけは間違いない。


 俺はさらにきつく拳を握りしめた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ロドスタが小さく息をついて苦笑した。

「バン王子がそういう答えを持ってきたとは驚きです。いろいろな可能性と事実とを照らし合わせた結果の考えなのでしょう。バラク殿も同じ考えですか?」

「俺は………正直に分からない。お前じゃなければいいと、心の底から思う」

 俺はロドスタの瞳を見つめる。火石や太陽の元では紺色に見える瞳も、暖炉の炎を映している今は黒く見えた。


「それでは、ミナお嬢様はどう思われますか?」

「私は………」

 問われてミナが顔を上げた。

「私は、私を守ってくれると言ったロドスタさんを信じます」

 きっぱりとした口調でミナが告げる。

「それは良かった」

「けれど、それ以外のロドスタさんは嘘ばかりでした」

 言葉にロドスタが目を見開く。


「私は目を見ればその人が嘘をついているかどうかがわかります。ロドスタさんにいろいろと質問をぶつけましたけど、襲撃に関するものだけはすべて嘘でした」

「…………」

「もちろんそれだけで疑ったわけじゃありません。私は襲われたとき、あの男に口をふさがれました。その時にある匂いが男の手からしたんです」

「パルオットか?」

 俺の問いにミナは眉を下げて首を振った。


「クッキーです。アイヤス家で頂いたクッキーの甘い匂い。ロドスタさん自身に確認したら、あれは自分で焼いたものだとおっしゃいました。店で売っていないロドスタさんお手製のクッキーの匂いが、男の指からしたんです」

「まさかそれだけの理由で私を疑っているんですか?」

「クッキーの匂いは疑うきっかけでした。そこからいろいろ考えて、私を薬で眠らせなかった理由を探してみたら一つだけ思い当りました」

「なんだ?」

「バラク様が襲われた時と同じことが再現されているんだって思いました」


 俺は目を細める。

 今回の襲撃者が同一犯か、あるいは俺に対する何かの伝言めいたものか。そう思ったのは俺自身だ。そしてミナもその考えに行きついた。


「おそらく私は目撃者です。バラク様が来なければ、首を絞められて意識を失った私が再び意識を取り戻して見張りが眠らされていることに気付く。それを聞いた誰かがバラク様の事件と結びつける。首を絞めたのは私が襲われているんだと思い込ませるため。そして気を失わせるためでもある。だから力を抜いて首を絞めてきた。その上でダイツに疑いが向くように仕向けた。実際、ロドスタさんに襲撃者が誰かを聞いたときには、即座にダイツの手の者だろうと言ってきました」

「待ってください。あなたは首を絞められていたのでしょう? そんな時に相手が本気かどうかなんてわかるのですか?」

「最初はわかりませんでした。怖かったし、思い出したくなかったから。でも、次の日にロドスタさんの目を見ていて気づいた。私が反撃した時も、首を絞めてきたときも、声は怒っていたけど深い濃紺の瞳だけは冷静だった。たとえ演技で怒っていたとしても、瞳に表れる感情は隠せない。あの時見えていた感情は、罪悪感と謝罪」


 俺は目を細めてミナを見つめた。悲痛な表情の中に見える真剣な瞳。取り乱すほど震えていた少女は、もうどこにもいない。ここにはしっかりと前を見据えて冷静に行動する大人の女性がいた。


「ロドスタ」

 俺は努めて冷静に声をかける。俺がここで取り乱しては、バンやミナが自分の気持ちを押さえて冷静でいることが報われない。


「指を見せろ」

 俺はロドスタに手を差し出す。ミナの話では、あの晩襲撃者の指に噛みついたとのことだ。あの歯形は痣と違ってそう簡単に消えるものではない。現に俺の腕にはまだミナが噛みついた歯形が残っている。

「無実だというのなら、その白手袋をはずして見せてみろ」

 執事がする白手袋。訓練の時以外はずっとはめていたその手袋を外すことを促す。





 ロドスタはわずかに目を細める。それから自分の手袋に手をかけ、ゆっくりと外していった。長く細い指があらわになる。


 誰かの息を飲む音が聞こえた。






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