傷跡
あの事件の真相を親父の傭兵仲間の一人が話してくれたのは、ずいぶん経ってからだった。屋敷には手伝いと称して毎日傭兵仲間たちが来る。動けない母上に代わって洗濯や食事の支度といった細々なことから、見張りや警護までしてくれている。
母上に会うのは辛かったけれど決意して部屋に行った時、泣きながら謝ったら叩かれた。男が泣いて謝るなんて情けない、と。それから笑って抱きしめてくれた。
生きている。それだけでいいと言った親父の言葉が、身に染みた。
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「マダレイ殿を恨まないでください」
ベッドで身を起こせるくらいまで回復したとき、見舞いに来ていた傭兵から唐突に言われた。親父のかつての傭兵仲間で、傭兵団の中でも一、二を争っていたほど腕の立つ人だ。なのに妙に博識で礼儀正しい。名前はロドスタ。
「恨んでない。俺の不甲斐なさに憤っているだけだ」
「ハッ、その年で自分を不甲斐ないなどとは、恐れ入りますねえ」
「大切な人を守れなかった」
「命は守ったでしょう。十分です」
俺はロドスタを睨んだ。守ったんじゃない。大切な人を傷つけただけだ。
「俺がちゃんと訓練をしていたら、傷つけることはなかったかもしれない。俺があいつらの気配に気づけていれば、もしかしたら無事に逃げられたかもしれない。俺が悪いんだ。俺が鍛錬を怠ったせいで……」
「もし、とか、かもしれないという言葉は過去に使うべきではありませんね。いくら後悔したところで取り戻せるはずがない。その言葉は未来に使うべきなんです。ちゃんと訓練すれば強くなれるかもしれない。今は無理でも鍛錬を続ければ、もしかしたら気配を読めるようになるかも、という具合です」
言われた言葉に、うつむいたままギュッと拳を握る。
「君は、マダレイ殿によく似ていますね。マダレイ殿も戦時中はよくそんな顔をしてました」
「親父が?」
「ええ。騎士や傭兵の仲間が死んでいくことが耐えられない、あの時こうしていれば大切な人を守れたかもと、いつも言ってました」
「大切な人?」
「そう、大切な人です。仲間、友人、家族。皆大切で失いたくないものです。しかし、守れずに目の前で失っていく悲しみ。今の君なら少しはわかるでしょう?」
俺はうなずいた。
「終戦から十年。国内はまだ荒れています。それに王宮内もね。十年前、王位を譲り受けたのは和平に貢献し、戦争で活躍した弟。現国王には不出来な兄がいてね。こいつが今回の首謀者」
「じゃあ、捕まえればいいじゃないか」
「証拠がありません。今回、主犯を摑まえ損ねましたし、下っ端は何も知らないようでした。王族を証拠なしでは捕まえられません。たとえ現場で見たと言っても、捕まえなければ証拠にはならないんですよ。あるいは主犯の口から依頼者の名前が出ない限りはね」
「そんな!」
親父は捕まえられたかもしれない髭面よりも俺を助けた。俺を助けず、髭面を摑まえておけばっ。さらにギュッと拳を握る。証拠が欲しかっただろうに、親父はそれでも俺を助けることを選んだ。
「もともとそいつは裏からマダレイ殿にいろいろと悪さをしていましてね。今回の襲撃のずっと以前から総指揮官の地位を降りろと圧力をかけてきていた。家族を危険に晒すぞとの脅しもありました」
そういえば髭面がそんなことを言っていた。なぜそんなに地位が欲しいのかわからない。そんなものさっさとあげればいい。大切なものを危険に晒してまで、親父は地位が欲しいのか。
「誤解しないでください。マダレイ殿は地位も名誉も欲しがってません。総指揮官の地位を手放さないのには、ちゃんと理由があります」
「理由?」
「総指揮官はこの国の騎士全軍を預かる身。それは国王の権力と相当する。つまり、国王に反旗を翻すこともできるんです。しかも、常に王の側にいる立場から、王の暗殺だって可能になります。その地位を不出来な兄が狙っている」
「親父がその地位を手放したら?」
「兄に弟王が暗殺されるでしょうね。王位継承者の王子はまだ三歳。次の王は不出来な兄となる。マダレイ殿にとって、現国王は戦友であり親友です。わかりますか? マダレイ殿が自分の地位を守れば家族が危険に晒される。しかし、地位を捨てれば大切な友人を失う。どちらを取ることもできず、どちらを捨てることもできない」
「…………」
母上が言っていた、親父を信じてほしいって言葉の意味がようやく分かった。親父は襲撃があることを予測していたんだ。そしてたぶん母上も。だから俺を鍛えた。親父が城にいる間でも俺が母上を守れるようにと。なのに俺は鍛錬を怠った。
「地位ってのは、私のような傭兵にとってはただの言葉でしかないが、欲しい奴にとっては黄金に見えるらしい」
「俺は地位なんか欲しくない」
「それは違うんですよ、バラク君。地位というやつは確かに恐ろしいものです。欲しい奴は脅してでも手に入れようとする。しかし、地位は立場を作る。上の立場であれば、下に命令ができます。命令ができると色々と都合がいい。例えば私に命令して、この屋敷を見張らせるとか」
「見張り?」
「今まで何も起きなかったと思っているのですか? 君たちを狙ってきていたのは、何もあの晩だけじゃないんですよ。私の知る限り、月に一度は襲撃者が来ていましたね」
俺は目を瞬いた。門番の存在は知っていた。だけど、見張りがいるなんて一度も聞いたことがない。親父は、ちゃんと家族を守ろうとしてくれていたんだ。俺も親父にとって大切な家族だったんだ。
「あの晩は油断しました。向こうに呪い師がいましてね。薬であっさり自由を奪われた。なんとかマダレイ殿に伝えはしましたが、遅くなってしまった。君とリリア殿の傷は、私たちのせいでもある」
違うと俺は首を振る。親父の期待に応えられなかった俺が悪いんだ。家族という大切なものを守るために俺を鍛えてくれたのに、教えてくれていたのに応えられなかった。
「俺はやっぱり地位なんか欲しくない。偉い立場なんかいらない。自分を鍛えて、せめて目の前の大切な人を守れるようになりたい」
「う~ん、そうですねえ。地位というのはですね、バラク君。たとえて言うなら一振りの剣です。上になればなるほど剣は大きく厚くなる。大きな剣は皆を守ることが出来ます。しかし、しっかりと扱える体と心を持っていなければ、剣に振り回されるだけで味方さえ傷つけてしまいかねません。ですが、味方を傷つけるのが恐いからと言って小さな短剣で戦っていては、自分の身さえ守れない。地位、立場に見合った体と心を鍛えることが必要なのです」
「今の俺に必要なのは、体を鍛えることだ」
「まあ、今はそうでしょう。心の鍛錬はおいおいということで。で、どうです? 昼間に私と訓練するというのは?」
「ロドスタと?」
「ええ。もちろんタダではありませんよ。お給金はいただきます。そうですね。執事として雇っていただければ、ついでにあなたの鍛錬にも付き合いましょう。ああ、マダレイ殿とリリア殿には許可を頂いております。あとはあなただけです。いかがです?」
いかがも何も、俺に否やがあるはずがなかった。俺は苦笑してうなずいた。
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半年後には完全に傷が癒えた。だが、深く刻まれた顔と体の傷跡は残った。そして背中の火傷の痕も。俺が斬りつけた母上の背中の傷も残ってしまった。何とか歩けるものの、右足は引き摺って歩く。裸の俺を部屋中追い掛け回すこともできなくなった。背中のあいたドレスも着られなくなった。ダンスももう踊れない。
それでも母上は俺に笑いかけてくれた。俺が暗い顔をしていると悲しい顔をした。だから俺も笑った。
毎日のように来ていた傭兵仲間は、その内屋敷に住みつくようになった。腕の立つものは門番として、ロドスタは執事として、女性の傭兵はメイドとして。お陰で、三人で住んでいた屋敷が狭くなり、城下町の端から王城の近くに引っ越す羽目になった。
王城近くに引っ越しても、もう王様がお忍びで来ることはなくなった。
親父との朝夕の訓練もまた始めた。昼間はロドスタと体を鍛え剣の腕と技を磨く。やはり傭兵だったこともあって、騎士にはない戦い方を教えてくれる。
親父とロドスタの三人で、戦いの際は相手をどう確実に追い詰めていくか、軍隊であればどこを攻めて味方のどこを補強すればいいのかについて朝まで論議することもあった。お陰で騎士見習いになるころには、戦闘については相当な知識が俺にはあった。それに技術も。ただし、それ以外が全く駄目だったのは仕方がない。マナーや読み書き、計算は人並み以下だった。
もう一つ変わったことがある。呼び方だ。親父に逆らうつもりで始めたこの呼び方だったが、もう父上と呼ぶには俺は体格も外面も規格外になっていた。だから、ロドスタを真似て『殿』をつけるようにした。母上も同じようにつけてみたらロドスタに心底笑われたが、俺は気に入っているのでこれでいい。
俺は朝の訓練で騎士の礼を取る。
「おはようございます、親父殿。今日もよろしくお願いしますっ」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
4章、完結でございます。
さて、バラク君の話はいったんストップです。ミナの4章を投稿後、また同時投稿に戻れたらいいなと思っています。
5章についてはまた甘い展開と甘くない展開を考えてますので、待っていてくださるとうれしいです。




