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残酷描写あり。

苦手な方はご注意ください。





 深い眠りについていた。部屋の扉が開く音も、男が忍び寄る足音も俺には気付くことすらできなかった。

 突然、口元を覆われて俺は叫ぶこともできずにその手を掴んだ。


「大人しくしていろ。今のところ何もしやしねえよ」

 暗闇の中で俺の口元を手で覆う髭面が笑った。俺は目だけで部屋を見回した。部屋には髭面一人。腰には剣を差しているけど、抜いてはいない。押さえつけられたまま、枕の下に手を差し込み、そこにあった短剣で髭面に斬りつけた。感触的に傷は浅い。けれど手が離れた瞬間、俺はベッドから転がり出た。男の怒声を背中に受け、そのまま部屋から走り出る。


 俺が襲われたのだ。母上もそうなっていると考えられる。俺は同じ二階の両親の部屋に急いだ。いつもは親父がいるが、今日は母上一人だ。扉がわずかに開いている。嫌な考えが頭をよぎった。


 扉を蹴りつけるようにして両親の部屋に飛び込んだ。部屋へ入って目に映ったのは、男に組み敷かれている母上の姿だった。怒りで頭が真っ白になる。突進するようにして男の足に短剣を突き立てた。男が絶叫を上げる。その間に母上の手を引いて部屋を出た。



 母上を連れて階下に降りたそこに、もう一人男がいた。手には抜き身の剣を持っている。上からは髭面が鬼の形相で追ってくる。俺の手には短剣が一本。

 俺はリビングへ向かった。一階のリビングには大きな暖炉の横に庭へつながる窓がある。

「外へ!」

 闇に乗じれば、あるいは逃げ切れるかもしれない。振り返ったその目に母上に手を伸ばす男の姿が映った。俺は母上の手を引っ張り、同時に男に飛びかかった。短剣を突き出す。


『戦場に卑怯なんてものはない。卑怯と思っている時点で負けだ。負ければ死ぬ。お前が死ねば大切な者も死ぬ。死にたくなければ何でも使え』


 親父の叱咤が聞こえた気がした。そうだ。俺が死ねば母上も死ぬ。俺は渾身の力を込めて男の足に蹴りを叩き込んだ。

「ぐあっ」

 全く予測していなかった男がバランスを崩して倒れる。倒れた男の喉笛を短剣で切り裂いた。血が噴水のように噴き出す。血に濡れるのも気にせず男の手から剣をもぎ取った。


「バラク!」

 母上の叫びが聞こえた。肩越しに見えたのは髭面が剣を振り上げて迫ってくる姿。剣を構える。


 心臓が早鐘のように鳴っている。俺が剣を握ったのは一週間ぶりだった。親父との訓練も手を抜いていた。一人で訓練などするはずもなく、素振りも半年ほどしていない。しかも奪った剣は俺がいつも使っていた見習い用の剣ではない。幅広の、大人用の剣だ。

 両腕にその重さがのしかかる。


 髭面の剣が上から襲ってくる。俺はそれを受け止めた。重い一撃に指が痺れる。けど、剣を手放すことはできない。柄を握る指に力を込めた。


 剣を繰り出す。髭面の顔に余裕の表情はない。髭面の攻撃は重いが受け止められなくはない。剣の筋も見えていた。髭面は剣を受けながら暖炉を背にしてじりじりと引いた。


 勝てる!


 剣を下段に構えすくい上げるように振り上げる。髭面が笑ったように見えた。手を伸ばしてそこにあったものを引き寄せる。大人用の重い剣は、一度振り回すと俺の力では止めることはできない。俺はそれを下から切り裂いていた。


 暗闇の中に赤い血しぶきが上がった。


「母上っ!」


 俺の絶叫と母上の悲鳴が重なった。

 倒れてきた母上を夢中で支える。支えた背中にぬるりとした熱い感触があった。



 何をした。俺は何をしたっ。大切な母上に、唯一守りたいと思っていた人に俺は何をした!



「使えるものは何でも使え。傭兵の鉄則だ」

 髭面の声が振ってくる。

「この時期は火事が多い。動けないまま焼け死ね」

 髭面の持っていた剣を持ち上げる。


 俺は髭面に躍り掛かった。瞬間、お腹に強烈な蹴りが入った。受け身すらできず、背中から床に落ちる。

 息が詰まった。打ち付けた背中が痛い。胃を蹴りあげられたせいで吐き気が襲ってくる。頭はくらくらした。我慢できずに胃の中のものを吐き出した。


 吐きながら顔を上げると、髭面の顔に冷酷な笑みが浮かんでいた。

「やめろーっ!」

 俺は絶叫した。目の前で髭面の剣が母上の右足を床に縫い付けるように貫いた。



 俺の中で何かが壊れた気がした。

 再び剣を握る。俺は髭面に飛びかかった。

 勝てると思っていた。だが、髭面は本気ではなかった。雰囲気がガラッと変わっている。まるで体が倍に膨らんだように思えた。髭面の剣から容赦が消え、見えていた剣の筋が見えなくなった。見えない剣が左右から襲ってくる。

 そして――


 銀色の筋が俺の眼前を掠めた。


「うぁぁあああっっ!」

 あまりの熱さに俺は剣を落として顔を押さえてうずくまった。顔を押さえた指の間から血がとめどなく溢れた。


 痛い! 熱い! 鼻が、頬が熱い。俺は叫び続けた。


「お前が悪いんだぞ、下手に抵抗するから………、チィッ、もう来やがったか!」


 髭面は叫ぶと俺の腹に手を差し込んで抱え上げた。暖炉を背にして長い剣は捨て短剣を俺の喉元に突き付けた。同時に扉を蹴破って親父がリビングに飛び込んできた。


「……親父…」


 親父は足を貫かれて倒れている母上と、俺を抱える髭面、部屋の惨状を見て状況を理解した。


「息子を離せ」

「命令できる立場だと思ってるのか?」


 短剣の先端が俺の頬に当てられる。

「可愛そうになあ。あんたが最初から言うことを聞いていれば、息子の顔に傷もできなかったろうに」

「脅しには屈せぬ」

「息子が死んでも?」

 短剣の先端が脇腹に刺さる。痛みに俺は体を反らせた。短剣は脇腹から胸までを裂いた。急所を避け、死なない程度の傷がいくつも作られる。絶叫した。喉が潰れるかと思うほど。


「言うことを聞いた方がいいんじゃないか?」

「貴様の言葉を聞けば、息子を解放するのか?」

「それはできん相談だ。俺の逃げるための道具でもあるからな。だが、このままでは確実に息子が死ぬぞ。たかだか地位を捨てるだけ。簡単なことだろう」

 言葉に愕然とした。俺と母上がこんな目に合っているのは、親父の地位のせい。総指揮官という地位を親父が手放さないせいなのか。

 俺は痛みも忘れて親父を睨みつけた。けれど、目があった時ハッとした。

 いつも以上に厳しい光を宿した瞳。だけどその顔は苦渋に満ちていて、剣を握る手も肩も震えている。強く握りすぎて爪で傷つけたのか、握った左手からは血が流れていた。


「親父……」

 俺は呟く。


「もう一度言う。総指揮官の地位を降りろ」

「……断る」

 瞬間、顔の左側に焼きゴテがあてられたかと思ったほどの熱を感じた。左の視界が赤く染まる。俺は歯を食いしばって絶叫を飲み込んだ。血が流れすぎたのか意識が朦朧とする。


『お前が死ねば大切な者も死ぬ。死にたくなければ何でも使え。足でも体でも頭でも』


 天啓のように俺の頭に親父の言葉が蘇る。


 体中に傷がある。蹴られ時に骨も折れたかもしれない。気がおかしくなるほどの痛みだ。それでも俺は親父の瞳を見つめた。親父がわずかに目を開いた。


 お腹の前に回された髭面の腕を見るように前かがみになる。動くだけで気を失いそうな痛みが全身に走った。

 今気を失えば死ぬ。俺はいい。だけど、母上だけは、大切な母上だけは助けたい。今ならまだ間に合うかもしれない。大切な人を守るために、戦うんだ!


「おっと、死んだか?」

 後ろから声が聞こえた。伺うような気配。俺は瞬発的に上半身を跳ね上げた。うつむいていた髭面の鼻っ柱に俺の頭がぶつかった。髭面の手が離れる。


「……っのクソガキ!」

 満身創痍の、しかも子供の体では限界があった。胸ぐらをつかまれて投げつけられた。投げられた場所は暖炉。俺は背中から灰の中に落ちた。


「あああああぁぁぁぁぁ!」


 俺は今度こそ絶叫した。灰の中に残る熾火おきびが俺の背中を焼いた。髭面が即座に身を翻す。親父は髭面を追わず俺に駆けよった。窓を破る音が響いた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 俺が気づいたのは事件から四日経った一月一日。新しい年を迎えるこの日、親父の姿は城ではなく屋敷にあった。

 騎士団総指揮官として色々な式典や警護の任をすべて蹴って、俺の側についていてくれた。



 うつ伏せに寝かされた視界に、親父のゆがんだ顔が映った。眉をきつく寄せ、今にも泣きだしそうな姿。大きく強く厳しい父の、初めて見る顔だった。

「親父………」

 起きようとして全身に痛みが走った。顔や体、それに背中が引き攣れたように痛む。

「そのまま横になっていろ」

「母上は?」

「……生きている」

 勢い込んで聞いた問いに親父は静かに答えた。ほっと息が出た。が、すぐに思い直す。

「足は?」

 親父が言葉に詰まる。逸らされた視線が嫌な予感を増大させる。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

「教えてくれ、親父」

「歩けなくはない。だが、走ることはもうできないだろう」

「ダンスは?」

「……できない」

 親父の苦渋の表情に、俺は瞬きも忘れてその顔を見つめた。


 脳裏に母上の笑みが浮かぶ。

 着ていくドレスをいそいそと用意をしていた。夜会で親父とダンスを踊るのを楽しみにしていた。タオルをもって風呂上がりの俺を走って追いかけてきた。


 枕に顔をうずめた。傷が痛んだがどうでもよかった。涙が溢れた。頭に、そっと親父の固い手が触れる。その手は震えていた。

「生きている。それだけでいい。よく、戦ったな」


 涙がとめどなく溢れた。後悔ばかりが心を占めた。どんなに謝罪しても、どんなに泣いてももう戻らない時間。

「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい」

 俺は枕に顔をうずめながら声を限りに叫んだ。声が枯れて泣き疲れて眠るまで、俺はずっと謝り続けた。




 俺は強いと思っていた。平和なこの国で、俺の大切な人を傷つけるものはないと思っていた。鍛錬を怠った。訓練をサボった。その結果、守れなかった。

 大切にしたいと思っていた人を自らの手で傷つけ、その足の自由までをも奪われた。



 俺はたった一人の大切な人を守ることもできないほど、弱かった。







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