両親
本日投稿する予定ではなかったのですが、ブックマークが1000件を超えていたのを見て、思わず書き上げてしまいました。
登録してくださった方、読みに来てくださった方、お気に入りに私を入れてくださっている方。本当にありがとうございます。皆様が読んでくれているお陰でここまで続けることができました。皆様に見ていただきたいと、主人公たちが背中を押されて私の脳内で暴れています。
まだ頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
砦攻略に必要なのは経験。だが、あれは作戦の話であって、俺とミナ嬢の話ではない。バンの言っていたことも一理ある。経験を積めば、どんなことにも対処できるようになることもわかる。だからといって、婚約者がいる身でありながら花街へ行けというのはどうなんだ。
俺は憮然とした表情をしながら、馬車の窓から見える街並みを眺めていた。二頭立てのこの馬車はかなりしっかりした作りで、俺や親父殿が一緒に乗っても耐えられるようにしつらえている。中は広く高めに作られており、俺がシートに座っても天井まではまだ余裕がある。
ミナ嬢の家は俺の屋敷からは王城を挟んで反対側にある。大商人や下級の貴族たちが住むこの辺りには噴水を備えた庭や、趣向を凝らした庭園を誇る家が多くある。その中でも、それほど庭も広くもなく、屋敷とも呼びにくい小さ目の家屋のミナ嬢の家は目を引いた。王家御用達のドレスを扱う富豪の家とはとても思えない。執事もメイドもおらず、家族三人だけで住んでいるという。
門の前で馬車を止めさせ、開いている門を勝手にくぐる。本来は門番に声をかけるところだが、その門番もいないので仕方がない。しかし、門が開いているというのは随分と不用心だ。後でミナ嬢に言い聞かせておいたほうがいいのかもしれない。
丁寧に手入れされた庭を進む。確か庭師もいなかったはず。どうやって手入れしているんだ。
扉の前で深呼吸する。今日は初めてミナ嬢の両親に会うのだ。緊張もする。何しろ会ったこともない。
本当に俺たちのこの結婚の話は普通とはかけ離れている。結婚が決まっているのに、お互いに両家の両親の顔さえ知らないなんて。それでもミナ嬢の父上には感謝しなくてはならない。父上がこの話を親父殿に持ってこなければ、俺はミナ嬢に会うこともなく一生を独身で過ごしていたのかもしれない。もう今更一生を独身で過ごすなど考えられない。俺の将来にはミナ嬢が必要なのだ。
扉のノッカーを叩く。執事がいないのでは扉はなかなか開かないだろうと思っていたが、意外にすぐに開いた。
「は~い」
高い声とともに扉が開かれる。扉を開いてあらわれたのは金茶の髪を上部でまとめた美しいご婦人だった。
「あら、まあ。バラク様でいらっしゃいますか?」
「はい。初めてお目にかかります。バラク・アイヤスと申します」
「あら、どうもご丁寧に。私、ミナの母でレリア・エルディックです。さあさ、お上がりになって」
「はい。失礼いたします」
軽く頭を下げ、扉をくぐる。最初の時とはまた違う緊張感だ。顔合わせの時はミナ嬢に手を引かれるままにくぐった。
「もうすぐ来ると思うんですけれど」
レリア様が階上を見上げる。俺もつられて見上げた。階段の上にはまだミナ嬢の姿はない。
「やあ。バラク様ですな?」
横手から声をかけられて、俺は一気に緊張した。振り返ったそこには、灰色の髪に口ひげを蓄えた紳士。ミナ嬢の父上だろうことはすぐにわかった。俺はすぐさま騎士の礼をとった。
「バラク・アイヤスと申します。本日はミナお嬢様をお借りいたします」
「ベゼル・エルディックです。こうして会うのは初めてですな。噂通り、いや噂以上にたくましい」
握手を求められて応じたとき、ぐっと強く握られた。笑みを浮かべているのに、見上げてくる瞳が親父殿に似て厳しい光を発している。この方の眼鏡にかなわなければ、結婚を前提として持ってきたこの話もなくなるのかもしれない。俺は同じようにぐっと握り返し、その濃紺の瞳を見つめ返した。
「君のお父君から聞いた通りの御仁で安心した。ミナをよろしく頼みます」
眼鏡にかなったと思っていいのだろうか。安堵するとともに俺は気を引き締めた。この方の期待を裏切るようなことだけはするまいと心の中で誓う。大切なご息女を貰い受けるのだ。
「はい」
俺はしっかりともう一度手を握ってから離した。
「バラク様」
高い声が上から降ってきた。階段の上で笑っているミナ嬢を見上げて俺も唇を上げた。
「お待たせしました」
階段を急いで降りて、駆け寄ってくる。最近はそう思えなくなっていたが、背の高い夫妻の間に立つと、やはり小さな子供に見えてしまう。豊かな黒髪を背中に流して、薄い紫のワンピース姿の上から白の上着を羽織っている。
今日も可愛らしい。
「では、行ってきます。お父様、お母様」
「気をつけてな」
「はい」
玄関のドアを開いてミナ嬢をエスコートする。俺は二人を振り返って頭を下げる。にこやかなレリア様と、やはりどこか厳しい表情をしたベゼル様に見送られて、俺はミナ嬢の手を取って庭を歩いた。
「馬車!? 今日は馬車で来たんですか?」
門の前に止めていた馬車を見てミナ嬢が興奮したように声を上げた。
「俺の屋敷までは遠い。歩いている間に夜になってしまうからな」
御者がドアを開け、乗り降りしやすいように足置きを手前に置いた。ミナ嬢を先に中に導き、俺は足置きをのけて中に入り込んだ。
ミナ嬢の向かい側に腰を下ろすと、すぐに動き始めた。
「馬車なんて久しぶりです」
ミナ嬢は頬を紅潮させながら、内装のあちこちに視線をやっている。楽しそうな様子に、馬車で来てよかったと息をつく。
「あ!」
思いついたように口にして、ミナ嬢は俺のほうに向いて座りなおした。
「今日はお誘いいただき、ありがとうございます」
「いや。こちらこそ、誘いを受けてくれて嬉しい。自宅だからそんな大したもてなしはできないかもしれないが」
「とんでもないです。楽しみにしてたんですよ。でも、ちょっとだけ心配事が」
とたんに声を落としてミナ嬢が言う。
「何だ?」
「行儀作法とか、一応はできるんですけど不安で。毎日の食事は家族三人だから、あまりそういうの気にしてなくて。大丈夫かなって」
そんなことかと俺は大きく息を吐いた。
「行儀作法か。俺もできない」
「え!?」
「騎士団に入った時に覚えさせられたが、家ではしたことがないな。親父殿は気にする人ではないし、母上殿も平民の出だからあまり気にしていない。だから、俺も気にしない」
城での会食ではともかく、家でそんな堅苦しいことをしたことがない。元来、親父殿は傭兵だ。傭兵の中で行儀作法がいいやつなどいない。フォークを片手に、時には手掴みで料理を奪い合うようにして食べる。親父殿の友人にはそういったやつが多い。自宅に招いて食べるときは、大皿に乗った肉をフォークで奪い合って食べた。
「バラク様って、本当に規格外なんですね」
そんなことを話したら、ミナ嬢は感心したような呆れたような顔をしていた。
「これで安心したか?」
「はい」
ミナ嬢は笑みを浮かべてうなずいた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「父のマダレイ。こちらは母のリリアです」
食堂で待っていた親父殿と母上殿をミナ嬢に紹介する。
「ミナ・エルディックと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
ミナ嬢がスカートをつまんで膝を軽く曲げて挨拶する。母上殿は、もう耐えられないという表情でミナ嬢を抱き締めた。
「かわいいっ。なんてかわいらしいの! お人形さん? お人形さんね」
ミナ嬢を上から下まで眺め、頭を撫でたり背中を擦ったりしたい放題だ。ミナ嬢は顔を赤くして母上殿のされるがままになっている。
「リリア、それくらいにしなさい。ミナ殿が困っておられる」
見かねて親父殿が声をかけた。
「あら、ごめんなさい。本当にかわいかったから思わず、ね? ほら、うちって武骨ものが多いでしょ。可愛いものに飢えてるの」
母上殿はそれでもまだミナ嬢の頭をなでている。
親父殿が、母上殿をエスコートして席につく。そういえば、ミナ嬢には母上殿の足について話していなかった。目を向けると、眉を下げて母上殿を見ている。まるで自分が怪我を負った時のような痛々しい顔をして。
ミナ嬢のこういった表情は前にも見ている。俺の左手の傷の手当をしていた時にも、自分が傷ついたかのような泣きそうな顔をしていた。彼女は人の痛みがわかる人だ。人の心の痛みをわかってくれる人だ。
きっと彼女なら、母上殿のことも俺のことも受け入れてくれるだろう。話す時期が近いのかもしれない。それでもそのことを話せば、彼女はきっとまた泣く。自分が傷ついたような顔をして。それが話すことを躊躇わせている。
もう少しだけ。もうしばらくの間だけでいい。彼女の屈託のない明るい笑顔だけを見ていたい。
「ミナ嬢」
俺は彼女の背に手を添えた。黒い瞳が俺を見上げる。悲しそうな瞳に気づいていないふりをして俺が笑みを浮かべると、彼女もいつもの屈託のない笑みを見せてくれた。
始終和やかな雰囲気で食事は進んだ。特に母上殿はミナ嬢を気に入って、ずっと笑顔で話している。ミナ嬢もそれに笑顔で応える。親父殿がそれを目を細めて見守り、俺はそれに満足していつも通り旺盛な食欲をみせた。
食後に紅茶が出てきた。ミナ嬢が自宅から持ってきた紅茶をいつの間にかメイドに渡していたらしい。
俺は少し不安になる。以前ミナ嬢の家で飲ませてもらった紅茶を飲んだあたりから、記憶がぼんやりしているところがある。俺の体は紅茶に適していないのではないだろうか。これを飲んでまた記憶があいまいになったらどうしよう。しかし飲まずにいるのは失礼だ。
甘い花の香りがする紅茶に、母上殿はことのほか喜んだ。俺はやはり紅茶を一気に飲み干してしまった。ミナ嬢と母上殿は少しずつ飲んでは楽しそうに話している。俺は空になったカップを見下ろした。ふと見れば、同じように空になったカップを見下ろしている親父殿がいた。
俺は間違いなくこの人の血を引き継いでいると思った。
「ミナさんは、年末の夜会に出席するの?」
突然、母上殿がそんなことをミナ嬢に聞いた。俺はカップから顔を上げる。
「いえ、私はそういう立場ではありませんので」
「どうして? バラクの婚約者でしょ?」
母上殿が首をかしげる。
俺は師団長として夜会に出席する予定だ。警護を兼ね合わせてはいるが、パートナーを連れていくことについて禁止されてはいない。
「ミナさんが出席するなら、私も出ようかしら」
「え?」
「母上殿!?」
俺は驚いて声を上げた。親父殿も目を見張って母上殿を見ている。
母上殿は足のこともあるため、もう長い間そういった夜会や舞踏会というものに出席していない。親父殿は国王の友人で元騎士団総指揮官という立場だったため、国王主催の夜会には必ず参加している。だが、いつも一人だ。母上殿はいつも屋敷で留守をしている。
「私は足が悪いし、やめておこうと思っていたんだけれど、ミナさんがいてくれるなら安心して出席することができるわ。駄目かしら?」
問われてミナ嬢は俺と親父殿に視線を送る。
「ミナ殿。勝手な願いだが、リリアのために出席してもらえないか? リリアは足のためにもうずいぶんとそういった場所に足を運んでいない。この年末の夜会くらいは出席させてやりたい」
親父殿が即座にミナ嬢に提案した。本当は二人で出席したいとずっと思っていたんだろう。親父殿は懇願の表情でミナ嬢を説き伏せにかかる。
俺もできれば母上殿には夜会に出席してもらいた。この間のバンの時の気配の件もある。警護の対象はできるだけ近く、そして固まってくれているほうが守りやすい。母上殿を守るには、この屋敷は城から離れすぎている。
ミナ嬢が俺に視線を寄越した。俺に否やがあろうはずがない。彼女にうなずいて見せる。
「では、両親に相談して、それからお返事ということでも構いませんか? おそらく大丈夫とは思うんですけど」
「そうね。ご両親とも相談しなきゃいけないものね。わかったわ。良い返事を待ってる」
母上はそう言いながらも、ドレスをどうしようとか髪型がと悩みはじめた。それを聞く親父殿の眼尻は見たこともないほど下がっている。
「こんなかわいい子が私の娘になるんだって、皆に自慢しなくちゃね」
母上殿の言葉に、俺は心底共感した。
俺の婚約者は、こんなに愛らしい人だと早く皆にふれ回りたい。
俺の婚約者なのだから手を出すな、と。
両親の話です。親に紹介するというのは本人は意外に平気なんですが、相手はものすごく緊張するものですよね。
ここでようやくミナの両親の名前が出てきました。控えめな二人なので、今後活躍するかどうかはわかりませんが。彼らを含めて主人公たちを見守っていただけると嬉しい限りです。




