砦と騎士
第三章、始まりでございます。
伏線をいろいろ用意しているので、最終形が見えてくる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、内緒でお願いします(笑
俺は机の前で便箋を睨みつけていた。
『ミナ・エルディック様』の文字だけが書かれた便箋。俺はそこから何をかけばいいのか悩んでいた。悩みすぎてペンを四本ほど握りしめて折ってしまった。インクの瓶を二回ほどこぼした。おかげで俺の机の上は悲惨なことになっている。
困り果て、その悲惨な机から避難させているモノを俺は見詰めた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
久しぶりに訓練を早めに切り上げて自宅に帰ってくることができた。
ミナ嬢が訓練場にきて俺の婚約者宣言をしてから三日目。婚約者宣言からは大変だった。あちこちから確認の手紙がきたり廊下で呼び止められて追求されたりした。おかげでこの三日間は団内での訓練がおろそかになっていた気がする。自宅での自主練を増やすべきかもしれない。
俺がミナ嬢との婚約を認めると、一斉に婚約をした部下たちの姿に思わず呆れたものだ。縦社会といってもそんなことを待つ必要はないのに。さっさとことをすませても、俺は何も思わないし罰を与えるつもりもない。
しかし、部下たちの気の長さには呆れるとともに感嘆を覚える。もし俺の上官が結婚しないせいでミナ嬢と婚約できないでいたとしたら、俺は上官を殴り飛ばすかもしれない。いや、意地でも上官の地位を手に入れて婚約までこぎつけるかもな。
ふっと俺は笑う。
バンとの約束以外では、地位など欲しいと思ったことはない。たった一つの心境の変化で、こんなにも状況が変わるものなのだな。
そう、状況は刻々と変わるものなのだ。けれど、俺とミナ嬢の状況は変わっていない。俺が手紙を出していないのが原因だが、その手紙をどう書けばいいかでずっと悩んでいる。
「はあ」
俺はため息をはいてペンを放り出して椅子にもたれかかった。無い知恵を絞ってもいい案は浮かばない。
そうしてぼうっとしていると、部屋の扉がノックされた。
「はい」
「入っていい?」
「母上殿!?」
てっきりメイドかと思ったら、母上殿の声が聞こえて俺は椅子を蹴倒して立ち上がった。慌てて扉に走り寄り扉を開いた。
緑のドレスをまとい、茶色の髪を上部でまとめた母上殿が扉の外にいた。母上殿が俺の部屋に来ることはほとんどない。一年に一度あるかないかくらいの頻度だ。
にこやかな笑顔を浮かべて俺を見上げる。
「どうしたんです? ここへ来るなんて珍しい」
「ちょっと渡したいものがあって」
母上殿はそう言いながらも何も渡してこようとはしない。俺は母上殿の手を取り、扉を大きく開けて部屋に招き入れた。母上殿は俺の手を取って右足を引きずるようにして部屋に入る。俺は右足が負担にならないように手をしっかりと握った。
椅子に座らせて、俺も向かいに腰掛ける。
ピンと伸びた背筋。緑のドレスから除く首元は細く、六十歳になろうかという年齢でも皺一つない。顔にはいつも優しい笑みが浮かび、幼少のころの俺はこの笑顔にいつも救われていた。
親父殿が戦争を終わらせようと決意するほど愛している女性だ。出会ってから四十年近くなるが、今でもその愛情は変わらない。
母上殿は右足が不自由だ。お年を召してからさらに悪化したため、親父殿は母上殿の側にいるために騎士団を退役したようなものだった。
母上殿のための人生。愛する人のために送る人生も悪くないのかもしれない。ミナ嬢と出会ってからはそんな考えも浮かぶようになった。
母上殿は足が悪いため、二階にある俺の部屋まで来ることは稀だった。
「少し前に見つけたんだけど、あまりにもかわいそうだったらか洗濯に出していたのよ」
母上殿は握っていた小さなものを俺の前に差し出した。
「ずっと渡そうと思っていたんだけれど、あなたったら家にも帰ってこないし、帰ってきても夜中だったり早朝に出て行ったり。渡す暇もないんだもの」
俺は手を差し出してそれを受け取る。受け取ったそれはもふもふしていた。その愛らしい姿に目を見開く。
手の中にあったのは、白いクマのぬいぐるみだった。
ぬいぐるみ誘拐の犯人は、母上殿だった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
血で汚れていた毛並みは洗濯されて元の白さを取り戻している。ボタンの目玉と首元にピンクのリボン。ミナ嬢から預かっていたクマのぬいぐるみ。
メイドや執事に聞いても知らないわけだ。まさか、俺の部屋に入ることなどないだろうと思っていたから母上殿には聞いていなかった。盲点といえば盲点だ。さらに、俺に渡す機会がなかったのは、俺が団内で自分を苛め抜いていたせいだ。訓練場の仮眠室で泊まることも多かったし、帰ってきても深夜だったり早朝には出ていったりしていた。
結局、俺が悪いのか。
それでもぬいぐるみが手元に戻ってきたことが嬉しい。離れていても、つながっていると思える。
そうだ。訓練の時もこいつを一緒に……いやいや、それはさすがにまずい。だがこの目玉のボタンくらいなら大丈夫か? しかし、ぬいぐるみとはいえ目玉を取るのはさすがに躊躇われる。では、リボンは?
俺はクマのぬいぐるみから首元のピンクのリボンを外した。細くて短いリボン。どこに結べば目立たず、かついつでも意識を向けられるだろう。
心臓に近い胸元はどうだろう? しかし俺の胸元でピンクのリボンが結んであったらバンが間違いなく茶々を入れてくる。剣は駄目だ。リボンが傷つけばミナ嬢まで傷ついてしまいそうで怖い。ベルトはどうだ?
俺は腰のベルトをはずした。バックルの部分にはちょうど紐を通せるような穴がいくつかあいている。ここに結んでおけば、リボン部分が見えることもないし、俺にしかわからないだろう。腹に手を当てれば、ミナ嬢とつながっていられる気がする。
これでいい。俺は満足してベルトを戻した。
よし、では手紙の続きだ。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
翌日、手紙を執事に預けた。ミナ嬢の家まで届けてもらうためだ。
食事に誘ったの四日後。本当はもっと早くにしたかったのだが、俺の都合がどうしてもつかず仕方なくその日になってしまった。
一日の訓練が終わり俺はバンの姿を探した。あいつに聞いておかなければならないことがある。俺は訓練場を探し回った。だが見つからず、足を向けたのは執務室だ。各師団長には雑務をこなすための個人的な部屋が訓練場に与えられている。俺はバンの部屋の扉を叩くようにノックして、返事を待たずに扉を開けた。
「お前なあ」
青い目を丸めたバンから、第一声に文句が入る。
「何のためのノックだと思ってる。返事くらい待てないのか」
「待てない」
「着替え中だったらどうする」
「お前の着換えを見てもどうということはないだろう」
「ミナ殿の部屋なら?」
問われて俺は口をパクパクとさせた。バンの言葉にミナ嬢の着換えをする姿が勝手に脳内に思い浮かび、慌ててその映像を掻き消す。女性の着替えを想像するなど、相手に対して失礼極まりない。
「別にいいだろう。婚約者なんだし」
俺の表情からすべてを察したのだろう、バンが呆れて首を振った。金の髪がさらさらと流れる。
「いや、駄目だ」
「チッ、石頭」
「そんなことより、教えろ」
俺はずいとバンに詰め寄った。間に執務机を挟んでバンを睨む。力が入っていたせいか、机をぐいぐい押してしまってバンを圧迫する。
「やめろ、馬鹿力! 僕を圧死させる気か」
机を押し返しながらバンが叫ぶ。俺は机から手を離した。押してるつもりは全くなかったのだが、自分で思っているよりも焦ってるようだ。
「で、何だ?」
「食事に誘った」
「それで?」
「どこに誘えばいい?」
「は?」
「場所を決めていない」
「いつだ」
「四日後」
バンが深い溜息を吐いた。
「四日後って、今は黄昏正刻(午後八時)だぞ。開いている店なんて飲み屋くらいしかない」
「飲み屋に連れていくつもりはない」
「そういうことを言ってるんじゃないっ。予約するにしても明日まで待たないとできないと言ってるんだ。そうすると残り三日。ほとんどの店の個室はもう埋まってる」
「個室でなければ駄目なのか?」
「バラク・アイヤス君。君のその巨体は市民を怖がらせると何度言ったらわかるんだ。店の迷惑になるから個室を選べ」
「では、どこの個室が開いてる」
「だから、個室など予約で埋まっていると言ってるだろう。明日一応確認してみるが、おそらく間に合わない。つまりお前の行ける店はない!」
俺は絶句した。
店がないと困る。ミナ嬢を誘っても意味がない。いやしかし、手紙は今朝執事に渡した。今日中にミナ嬢の手に渡っている。だが、店がない。
「どうすればいいっ!?」
俺は焦った。思わず机を拳で叩いたら、穴が開いた。
「お前!」
「すまん!」
どうすればいいかわからず右往左往する。部屋中のものを押し倒して回り、俺はバンに思いきり殴られて椅子に座らされた。
「とにかく落ち着け。これ以上物を壊されたらかなわない」
「う、うむ」
水を差し出されて一気に飲み干す。少しだけ落ち着いたような気がする。が、落ち着いている場合ではない。店がないのだ。
「で、どうすればいいと思う」
「家でいいんじゃないのか?」
「家?」
「そう。お前の自宅。父君と母君にも会わせられるし、一石二鳥」
俺は尊敬のまなざしでバンを見つめる。考えたこともなかったが、確かに自宅であれば両親にも会えるし、俺の育った環境を見てもらえれば俺という個人をもっとわかってもらえる。
「頭いいな」
「お前が馬鹿なんだ。そんな調子でキレ者と言われる日が本当に来るのか?」
「努力はする」
「努力ねえ。ま、ミナ殿は頭の回転が速そうだ。いろいろ教えてもらえば少しはマシになるかもな」
言っていてふと思いついたのか、バンが身を乗り出してきた。
「そういえば、ミナ殿は経験があるのか?」
「何の?」
「男と体を重ねたことがあるのかと聞いているんだ」
言葉に咄嗟にバンの胸ぐらをつかむ。青い瞳を間近から睨みつけた。
「お前、言っていいことと悪いことがあるぞ」
「阿呆か。重要なことだ。しかし、その様子だとなさそうだな。まあ、あの姿では当然か」
バンは俺の手を振りほどくと、椅子にもたれかかった。足を組んでこちらを睨みつける。ものすごく偉そうだ。確かに立場は偉いんだが。
「何がどう重要なんだ。返答次第では、お前を殴る」
言葉にバンは一つ大きなため息を吐いた。
「どうせお前も女性経験がないんだろう?」
「ないっ」
「偉そうに答えるな。二人とも経験なしで、うまくいく確率はかなり低い」
「知識はある」
バンはまた大きくため息を吐いた。
「そうだな、たとえ話で話そう。お前は知識はいっぱいあるが、まだ剣を握ったこともない騎士見習い以下の存在だ」
「俺は師団長……」
「たとえ話だ!」
叫ばれて俺は口をつぐんだ。青い瞳が本気で怒っているので、これ以上口をはさむのはやめておこう。
「それで?」
「彼女は、まだ一度も攻め入られたことのない堅牢な砦だ。お前には確かに砦を落とすための知識はある。だが、実際に戦ったこともないお前が、その堅牢な砦を落とすことが本当にできると思うか?」
腕を組んで考える。攻城戦にはいくつか戦法があるが、その戦法が通用するのは砦に取り付く前までだ。そこからはあらゆる知識とこれまでの経験をもとに、作戦を組み立て直しながら臨機応変に対応しなければならない。人伝で聞いたり本で得た知識と、実際に経験して得た知識とでは雲泥の差がある。一度も戦ったことのないようなものに攻城戦の指揮は任せられない。
「無理だ」
「では、砦を落とすにはどうすればいいと思う?」
「経験させる。戦い方の基本を叩きこんで、何度か経験させてから実践に向かわせる」
「うん。正解」
にっこり笑みを浮かべてバンがうなずく。俺は正解にたどり着いたことに満足し、椅子にもたれかかった。こんなこと、騎士団にいるものであれば誰だってたどり着く答えだ。
「…………」
「…………」
何の話をしていたのだったか?
バンがまた大きくため息を吐いた。
バンちゃんが話した『砦と騎士』
よくネット上で出てくる話なのですが、表現法を変えて載せてみました。この表現見たときの衝撃はすごかった。メチャ納得してしまった。
で、この物語を思いついたときに、絶対に入れてやりたいくだりだったので書けてうれしいです。
さて、この話は15話程度で終わる予定だったのですが、どうも終わらせてはもらえないようです。勝手に動き出した彼らに任せてみたいと思うので、主人公たちをやさしく見守っていただければ幸いです。




