辺境伯夫妻のお仕事
朝(ほぼ毎日)エリーがフィルをたたき起こし、辺境伯夫妻の1日は始まる。朝食を共にして、そのまま二人は屋敷の公的な部分にある執務室へと異動する。
本来なら辺境伯であるフィル一人の仕事であるが、前辺境伯が亡くなって半年、闘病生活を入れるとおよそ2年。最低限の書類は、文官が回していたが、後回しにされていた書類が山積みになっていたのを見て青ざめたフィル。それをエリーが見かねて手伝うことになったのであった。
魔術師長の元で鍛えられていたエリーは有能だった。書類を分類してフィルにサインさせ、文官に任せ、差し戻す。
「奥方さま、すごいです!」
「このくらいならかわいいものよ。魔術師長の仕事量は半端ないんだから」
エリーは遠い目をして、ため息をついた。そんなエリーを文官達が尊敬の眼差しで見る。
「おい、エリー!これはどうなってる?」
「え?ああ、これはねぇ」
フィルに呼ばれたエリーが書類を読み返していると、その横でフィルが文官達をじろりとにらむ。そんなに牽制しなくても。あわてて仕事に戻る文官達は、辺境伯は以外と心が狭いと思うのであった。
午前中いっぱい書類と格闘して昼食をとると、午後は別行動となる。
フィルは魔術師の塔に入るエリーと別れると、隣接する騎士団の鍛錬場に顔を出す。騎士団長が配属されたばかりの新人達をしごいていた。
辺境伯領に着いて騎士団との顔合わせをするとき、家柄を気にする貴族ばかりの騎士団なんて大丈夫かとエリーが心配したが、ここは北の国との最前線辺境伯領。かつてやりあって騎士団を辞めるきっかけになった残念な上司みたいなのは配属されない。貴族も平民も関係ない実力主義なのだ。辺境伯領にいたというだけで実力者と認められる脳筋にとっての楽園といえよう。
というわけで、フィルと騎士団との関係は非常に良好だ。更には、騎士団と傭兵団の関係も良好なのである。国を代表する実力の辺境伯領騎士団と大陸中に名だたる傭兵団。共に一目置く両団の顔合わせの挨拶は手合わせに変わり、さらには宴会へとなだれ込んだ。
酒が入って武器自慢・力自慢をしている騎士団と傭兵団の面々を見て、エリーは「これだから脳筋は」とあきれたものだった。
「お、ダンナ。奥方は?」
「魔術師の塔だ。どうだ、新人達は?」
騎士団長が、指導の手をとめて聞くのを、フィルはさらっと流す。副団長に後をまかせた団長がニヤニヤと近づいてきた。フィルもガッチリしているが、それに輪をかけていかつい。ついでに顔もだ。華奢でかわいい奥さんがなぜ彼と結婚したのかは、騎士団の謎とされている。
「ふん、まあ使えなくもないか」
「あんたが言うならかなり使えるってことだな」
「だといいがな。お、頭が来たぜ」
傭兵団の頭目グレンが手下をつれて、やってきた。騎士団員達は稽古の手を休めて挨拶をしている。
「おう、ダンナ、団長」
グレンと団長は、フィルを「ダンナ」と呼ぶ。もともとグレンは傭兵団の頭目だったフィルを頭と呼んでいたが、辺境伯になってはそうも呼べず、ダンナと呼ぶようになった。それをきいて団長も呼ぶようになったのである。
グレンがフィルと騎士団長と話し始めると、傭兵団と騎士団は混ざり合って、手合わせをし始めた。みなとても楽しそうである。
「で、ダンナ。奥方は?」
「…魔術師の塔だよ。何でみんなエリーのこと聞くんだ!?」
「え~、そりゃむさくるしいダンナと話すより、美人で魔術師副長の奥方と話してたほうがいいよなぁ」
「なぁ」
うなずきあう2人に、フィルはむっとする。
「俺も参加してくる!」
どすどすと去っていくフィルに二人はふきだした。
「いやあ、素直じゃないねぇ」
「青いねぇ」
鍛錬場に2人の笑い声が響き渡る。
一方、フィルと分かれたエリーは魔術師の塔を登る。塔は4階に分かれていて、1,2階が魔術師共用の部屋、3,4階が責任者であるエリーの部屋だ。
1階の扉を開けると、3名の女性と1人の老人がいた。いずれも傭兵団の魔術師で、実力は折り紙つき。エリーはこの4名と、週の半分魔術師としての仕事をしている。以前いた魔術師は高齢でエリーの着任と共に引退してしまったので、辺境伯夫人としての仕事もあるエリーは彼らに協力を頼んだのだった。
国境の結界の保持や特別な薬の作成など、魔術師の仕事は以外に多いのである。
辺境伯夫人としての活動はさすがのエリーも想像がつかなかった(フィルはあてにならないし)。一般的に貴族の夫人の活動といえば、お茶会だの舞踏会だのでの交流が主だが、ここは辺境伯領ローランド。あははおほほの交流なんてものはない。主に教会との連携や、学校や教育関連でのお付き合いが主となる。これは、貴族の付き合いが苦手なエリーにとっては幸いだった。今では、魔術師の仕事と同様に楽しんでいる。
今日の仕事は、解毒薬の作成だ。用意された材料の葉を確認して、作業をはじめる。辺境伯領に生えるこの葉は、他の地のものより大きく、成分の抽出が容易だ。女4人で、おしゃべりに花を咲かせながら次々と解毒薬を作っていく。それを聞きながら、老人がゆっくりと丁寧にビンに詰めていくのだ。
辺境伯領は今日も平和だ。