辺境伯、すねる
いつにも増して短いですが。
辺境伯公邸の執務室には緊張感がただよっていた。原因は、不機嫌なこの部屋の主ローランド辺境伯フィルである。
王都から静養に来たミリーの看病に妻(仮)のエリーがべったりくっついていて、かまってもらえずにご機嫌ナナメなのだ。
フィルに意見できる騎士団長と傭兵団の頭は、このところ連続している強盗団の調査で手一杯だ。エリーの代わりにと送り込まれた家令のサイモンが文官達の無言の訴えに、やれやれと口を開いた。
「手が止まってますよ、伯爵」
「あ”?ああ、サインしたぞ」
ほれと渡された書類の雑なサインを見て、サイモンはため息をついた。何事かと文官たちは2人に注目している。
「…もう少し身を入れて欲しいものですね。内容わかってますか?奥方がいない今はあなたに全部かかっているのですよ?」
「わかってるよ。北の村近くにがけ崩れがあったんだろ?許可与えたからさっさと補修作業の手配しろよ」
フィルがじろっと文官たちを見ると、皆さっと目をそらし、そそくさと自分の仕事に戻った。
「はあ、まったく。少年通り越して子どもですか、あなたは」
「ふん」
フィルは機嫌が悪いながらも辺境伯としての仕事を続けるのだった。
一方、エリーはミリーの看護にいとまがない。まるで生まれたばかりの仔猫をかまう母猫のようだ。
「まあ、ミリー。まだ起きてはだめよ」
「エリー、少しずつ動かないと、いつまでたっても治らないわ」
ベッドから降りようとすると押しとどめるエリーを、ミリーはやんわりと諭した。エリーは横の医師がうなずくのを見て、不承不承納得する。
エリーは心配性だと聖女ミリーは内心苦笑した。刺された傷は、神官たちにより直ちにふさがれた。だた、体の外に出てしまった血は元に戻せないので、静養するために辺境伯領に来たのだ。それをエリーはまだ傷がふさがっていない重症患者のように扱う。
旅の途中にエディーやフィルはもっとひどい傷を負ったこともあるのに。フィルは自分の目の届かないところで起きたことだから不安なのだと言っていたけれど。
フィルも限界みたいだし、そろそろ1人の時間も欲しいな~と思いはじめたミリーなのであった。
「おい、エリー。明日から少しずつ執務室に顔出せ」
その日の夕食の席で、フィルが唐突に言い出した。エリーの手が止まる。
「でもミリーが…」
「医者がそろそろ起きても良いと言ってたぞ。赤ん坊じゃないし1人でも大丈夫だろうが。侍女達もいるし。ミリー本人も自分のためにお前が辺境伯夫人としての仕事が出来ないと気にやんでるぞ」
「そう、ミリーが…。わかったわ」
ちょっと寂しそうにエリーはうなずいた。その様子にあせったフィルがかける言葉をさがす。
「…あ~、その、何だ。執務室の文官たちもお前を待ってるからな、喜ぶだろう」
「あら、喜んでくれるかしら?」
「お、おお」
「じゃあ、行かなくちゃね。お仕事、進んでるんでしょうね?」
「も、もちろん」
目を泳がすフィルに、エリーは仕方がないなぁと苦笑する。
側で控えていたサイモンとその妻は、(なんでそこで「自分が一番喜ぶ」って言わないんだ、このヘタレ伯爵!)と、心の中で叫んでいたとかいないとか。
ともあれ辺境伯のご機嫌は元に戻ったのであった。