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19:道を辿れば(後)

 二六歳になり、王国黒騎士団千騎長の任に就いたクロイツナッハ候オルトウィーンは、冬枯れの季節の到来と共に、王都ラーヴェンスブルグを訪れた。

 王子ヴィルヘルムからの書簡で相談を受け、国王フランツとの面会に臨むことになっていたのだ。

 この日、王宮の議場に集められた数少ない人物は、皆ラーヴェンスブルグ王家と際立って縁故の深い関係にあり、かつ大公女レティーシアの秘密を知る者のみである。

 アステルライヒにも年の変わり目が押し迫り、室内は暖炉に薪をくべても、まだ肌寒い。窓の外に広がる世界では、天空から白い微細な結晶が、緩やかに地表へ舞い降りていた。


 レティーシアがシュマルカルデン大学を去り、景勝地ピルナの屋敷へと帰還してから、早二ヶ月以上が経過しようとしていた。

 学者になるという夢に破れ、傷心のまま日々を送る姫君を、今後どのような処遇で扱うべきかについて、再び検討の機会が持たれたのである。

 このまま、レティーシアをピルナに置いておくのは好ましくなかろう、というのが大方の見解であった。屋敷の近隣に居を構える住人には、彼女を幼少期から知る人間が少なくない。そうした人々のあいだでは、一度ピルナを出て行ったレティーシアが、なぜ四年経って急に戻ってきたのか、あれこれ憶測している者も居るというのだ。


 そもそも、彼女は子供の頃から、景勝地の屋敷で家族と別居し、乳母のニーナや幾人かの使用人たちと生活している。レティーシアが「どこかの上流貴族の私生児ではないか」という噂は、元々ピルナでまったく囁かれていないわけではなかった。

 そこへ今回の一件があって、また周囲の妙な注意を引きはじめていたのである。

 レティーシアの身柄を、可能な限り早めに、他の場所へ移した方が安全だという見立てがあった。


 ――それでは、秘匿された姫君を、いかなる土地で保護すべきか。


 これがまず、大きな議題となった。

 当然、オルトウィーンは、自分の領地で彼女の身柄を引き受けよう、と申し出た。

 けれども、場の出席者は熟慮の末、彼の提案に否定的な結論を示した。

 クロイツナッハ侯爵家は、ラーヴェンスブルグ公爵家と親しすぎるため、逆に秘密隠蔽の協力者として、嫌疑が掛かりやすい懸念を指摘されたのである。

 加えて、問題点は他にもあった。


「かの『神槍の黒騎士』の領地で暮らすならば、レティーシアの生命(いのち)自体は鉄壁の加護を得たも同然ではあるのだが――」


 国王フランツは、残念そうに息を吐いた。

 王子ヴィルヘルムが、あとを引き取って続けた。


「クロイツナッハは王国内でも、どちらかと言えば開けた土地柄だ。王都やゴアルスハウゼンほどではないにしろ、間諜の類が紛れ込んだとき、おいそれと異変の兆候を見抜くことが難しい。――レティーシアの正体が、知らぬ間に漏洩する恐れも、それだけ増す危険がある」


「では、姫君の秘密を守るのに、殿下はいかなる土地が望ましいとお考えですか」


 オルトウィーンは、ヴィルヘルムを眼差してたずねる。普段は同年輩の親友ゆえ、ずっと砕けた態度なのだが、公の議場では形式的な主従のやり取りで接するのが常であった。


「……ひとつ、心当たりがある」


 ヴィルヘルムは、少し思案してから言った。


「今日、ここには呼ばれていない男だが、レムシャイト伯爵家のルーファス卿に、彼の領内で適当な場所がないか、意見を聞いてみたい」


「――レムシャイト伯を頼るとは、また随分思い切った話に思われますが……」


 意外な名前を聞かされて、オルトウィーンもやや考え込んだ。国王フランツをはじめ、このとき議場に居合わせた他の人々も、皆互いに顔を見合わせた。

 聞けば、ヴィルヘルムとルーファスには、公式の場の他にも、書簡などによる私的な親交があるらしかった。


 さて、議論の趣旨に照らした候補として、レムシャイト伯爵領の土地柄自体は、なるほど適切に思われる。

 ビンゲン=ホルツハーケン州の一郡部であり、王国南部の風光明媚な一帯だ。東方民族との諍いが頻繁にある隣国エルベガルドと近いものの、そうそう戦火が波及することはあるまい。

 今回の会合に召集されていない領主の治める地域だけに、まさか王家の秘密が隠されているとは、容易に想像が付かないだろう。


 王都の催しなどで、オルトウィーンもルーファスとは一応面識がある。

 弁舌爽やかで、会話の端々から機知に富んだ雰囲気の漂う青年だった。だが一方で、中性的な、線の細い、いかにも文弱の貴公子然とした容姿が強く印象に残っている。また、やけに芝居がかった言動があって、掴みどころがなかった。

 年齢は、たしかオルトウィーンより二つ年少で、まだ二三、四歳のはずだった。


「果たして、レムシャイト伯ルーファスは信頼に足る人物なのか」


 改めて、ヴィルヘルムの推挙には、議場から妥当性を訝しむ声が上がった。

 この人選には、ルーファス本人の意思や資質とも、別の問題がある。

 レムシャイト伯爵家とローテンベルガー公爵家との関係性だ。

 ローテンベルガー公爵家は、先々代当主が故ループレヒト王の弟シュテファンで、選定公の地位を歴任する名門である。その血筋ゆえ、現当主エドムントは、王子ヴィルヘルムに次ぐ王位継承権第二位の人物であり、嫡子アルブレヒトもまだ乳児ながら継承権第三位にある。

 そして、エドムントの実母は、ルーファスの叔母にあたるのだった。


 将来、ラーヴェンスブルグ公爵家とローテンベルガー公爵家のあいだには、状況次第で王位を巡る利権の確執があり得なくはない。

 そのとき、ローテンベルガー公爵家と距離の近いルーファスの傍に、みすみすレティーシアを置いておくことに不安はないのか――という見立てであった。

 しかし、ヴィルヘルムは、この意見を一笑に付した。


「そういう相談は、私が万一死んだときにでもすればよい」


 王子の言葉は、いかにも当然だ。国王の嫡子が戴冠する未来を、わざわざこの時点で疑う理由はどこにもないのである。

 ましてや、ヴィルヘルムは、すでに文武に秀でた良将であった。

 これほどの人物が王位に就かずして、どうしてこの世を去ることなどあろうものか……


「だが、それ以前にルーファス卿は、私の期待を裏切るような人物ではないと思う」


「それは、どのような理由でございましょう」


 議場に出席していた貴族の問い掛けに、ヴィルヘルムは肩を竦めて答えた。


「何度か彼の為人(ひととなり)に触れ、確信を得たのだよ。――もっとも、ルーファス卿の場合は、忠誠が厚いというより、この国の現状をそれなりに気に入っていて、野心がないというべきかもしれぬが」


 ヴィルヘルムの人物評は、あくまで主観的な印象の域を出ていない。

 けれども、この王子は慧眼の士として、臣下に知られている。人と接するときの洞察は鋭く、長短見誤ることがなかった。



 それからも、さらに議論は交わされたものの、これといって他に望ましい提案はなされなかった。

 結局、大公女の身柄を隠匿する有力な候補地として、レムシャイト伯爵領が正式に検討される運びとなったのである。



     ○  ○  ○



 こうした舞台裏を経て、レムシャイト伯ルーファスは、後日密命で王都へ呼び寄せられた。

 王宮の議場には、オルトウィーンも同席した。若き美貌の伯爵の資質を、今一度じかに己の目で見て検分するつもりであった。


 室内へ通されると、ルーファスは恭しくフランツに頭を垂れ、芝居がかった台詞回しで挨拶を述べた。その所作は、まさしく典雅そのものだった。次いで、滑るような身のこなしで、長卓の末席に座す。あまりに整った振る舞いが、ルーファスの容姿と相俟って、余計に作り物めいていた。

 その有様を、つい呆気に取られて眺める者もあった。

 フランツは、ルーファスにわざわざレムシャイトから出向いてくれたことを(ねぎら)ったあと、早速召喚した本題について語った。


 この美貌の伯爵は、大公女レティーシアの存在について、ここで初めて知らされたはずだった。

 だが、主君の話を聞いているあいだ、ほとんどルーファスは驚きや戸惑いの表情を覗かせることはなかった。少なくとも、表面上は泰然とし、大きな感情の動きは誰にも看取できなかった。


「……なるほど。概ね、お話は承知致しました。レムシャイトでよろしければ、姫様の件は私がお引き受けしましょう」


 説明を一通り聞き終えても、ルーファスの物腰は変わらなかった。

 あるいは、事前にヴィルヘルムから多少内容を示唆されていたのかもしれぬ、とオルトウィーンは想像を巡らせた。


「頼まれてくれるか、ルーファス卿」


「はい、陛下。微力ながら、できる限り尽力させて頂く所存でございます」


 フランツの言葉に、ルーファスは少し目を伏せ、相変わらず優美な仕草で首肯した。


「差し当たって――姫様には、『ヘルネ』にお住い頂こうかと存じます」


 美貌の伯爵がその地名を持ち出すと、議場に居合わせた人々は、思わず互いに顔を見合わせた。

 王都では、あまり聞き慣れない土地であった。きっと王国北部が出身の貴族の中には、初めて聞いた者も居たに違いない。

 オルトウィーンは、かつてカーヴェンデル経由で隣国へ出向いたとき、それが王国南東部に位置する辺境の田舎町であることを、辛うじて記憶していた。


「我が所領ゆえ、自賛めいてしまう点はご容赦願いますが、ヘルネは良いところですよ。片田舎の不便はあるものの、自然が美しく、長閑な町です」


「大公女がお暮らしになるのに、適当な屋敷などはあるのか」


 困惑気味にたずねたのは、宰相モーリッツであった。数年前に前任のマンフレートが没したあと、国王より現職を拝命している。

 ルーファスは、しかし直接その質問には返答しようとしなかった。代わりに長卓の上座を眼差し、更なる献策をフランツに具申した。



「陛下。恐れながら、ヘルネで姫様には、平民として生活して頂いては如何でしょう」



 不意に、議場が大きくざわめいた。無理からぬ反応である。

 ルーファスの提案は、他の出席者たちにとって、これまで議論の想定にはなかった要素であった。


 非嫡出子には、ザルヴァ教団の教義に基づけば、家督を相続する資格がない。

 とはいえ、それでも上流貴族の私生児は、大抵実父から内々に一定の資産の授受があって、普通の平民より恵まれた生活を約束されるものである。

 それはまして、不義の子ではなく、本来なら後妻の産んだ大公女と目されるべきレティーシアであれば、ごく当然だと考えられていたのだ。


「……ルーファス卿。少し詳しく、その意図を聞かせてもらえないか」


 穏やかに問うたのは、ヴィルヘルムであった。

 ルーファスは再びうなずき、丁寧な語り口で持論を述べた。


「出すぎた意見と承知で申し上げますが――これまで、姫様の秘密がピルナの屋敷で保たれ続けてきたことは、私にはかなり幸運だったのではないかと推察されます」


 ピルナが秘匿に有効だった理由は、いくつか要因が挙げられるという。

 同地が王家の直轄領で、関係者の警戒がよく行き届いていたこと。

 景勝地ゆえ自然豊かで、そのぶん人口の密度が低く、噂話が必要以上に広く伝達する前に、自然と消滅しやすい場所だったこと。

 また、レティーシアの暮らしぶりは、貴重な書物に囲まれている以外は、かなり地味で、誰しもまさか彼女が国王の息女だと思いも寄らなかったことなど……


 ただ、いずれにしろ、今後はそうした要素も、あまり効果を期待できないだろう、とルーファスは考えているらしかった。

 この点は、現状を肌で実感しつつある議場の出席者たちも、同意せざるを得なかった。


「これから、姫様がピルナを離れ、他の土地で暮らすことになったとき――」


 ルーファスは、適度に身振りを交えつつ、流暢な語り口で、


「もし、そこで新たに屋敷を建てて住めば、近隣住人にはどのように思われるでしょうか。たぶん、高貴なお生まれである事実は、自ずから周囲に知れてしまうこと、まず疑いありません」


「だが、平民の生活と申しても、姫君にはどのように町へ溶け込んで頂けばよいのか……」


 オルトウィーンは、腕組みして低く唸った。


「その点に関しては、私にひとつ考えがあります、オルトウィーン卿」


 ルーファスが、その疑問へ即座に応じる。


「郡部で徴税を担当している巡回官吏を通じ、ヘルネの宿屋や商店で顔が利く人間に、住み込みで働ける場所を紹介させましょう。姫様にはそこで、下働き娘に身をやつして生活して頂くわけです。もちろん、どのような種類の仕事をお望みかは、一度ご本人から伺うべきかとは存じますが」


「――大公女を、下々の民と共に、町で働かせよと申すのか……」


 オルトウィーンは、やや掠れた声で、奥歯を強く噛んだ。

 他の列席した貴族たちの態度にも、様々な反応が入り乱れていた。沈痛そうな者、落ち着きなく周囲を目で何度も見回す者――あるいは、ルーファスの考えを妄言の類と断じ、失笑めいた表情を浮かべる者もあった。

 ルーファスの方策を、まったく解さぬオルトウィーンではない。

 貴族である身分を偽り、片田舎に隠れて暮らすなら、平民を装うのも致し方ないだろう。

 そして、徹底して平民らしく振る舞うのであれば、労働に従事して生活する方がより自然なのは、あえて議論するまでもない。ヘルネの平民には、おそらくシュマルカルデンのように、裕福な両親からの仕送りで暮らす学生はいないはずなのだ。



 騒然となった議場で、やがておもむろに上座から声が響いた。

 国王フランツの喉から発せられたものだ。その言葉を耳にして、長卓に着いていた人々は、反射的に息を呑み込んだ。


「ルーファス卿の見立てと献策、いかにも的を射ている」


 フランツは、真っ直ぐに顔を上げ、はっきりと告げた。


「余は、彼の案を容れようと思う。――レティーシアの処遇について、今後の仔細はレムシャイト伯に一任したい」


 一瞬、室内は、水を打ったような静寂に包まれた。

 その中で、フランツは不思議と安心したような面持ちを覗かせ、ヴィルヘルムは満足そうな微笑を浮かべていた。ルーファスは、取り澄ました様子で、深く椅子に腰掛けていた。


 それを見て、オルトウィーンは、この美貌の伯爵の提案が的確に、国王と王子の意向を汲んでいたことを悟った。

 きっとフランツは、常々レティーシアのことを心のどこかで、王侯貴族の腐敗した世界から、解放してやりたいと願っていたのではないか。

 無論、だからといって、これから平民として生きることが、本当に大公女の幸せにつながるのかどうかまでは、決して定かではなかろう。

 ただ、それでも過去の多くの経緯が、フランツやヴィルヘルムにとって、必ずしも王族の身分に執着することを、たぶん絶対の価値と見做していないであろうことは、たしかなように思われた。



「……いま少しご決断をお待ちください、陛下」


 しかし、オルトウィーンは、にわかに制止の声を上げた。

 ヴィルヘルムは、ルーファスをこの案件に推薦した手前、あまり否定的な注文を付け難い立場にある。それゆえ、自分が代わりにある程度、厳しい意見も述べねばならぬ――

 そういった思考が働いて、オルトウィーンは続けた。


「たしかにヘルネは、姫君の秘密を隠匿するのに適した土地かもしれません。ですが、不測の備えから言うと、やや心許なくはございませぬか」


 単純に町そのものの人口規模から言えば、ヘルネもピルナと大差ない。

 とはいえ、ラーヴェンスブルグ公爵領内にあって、王都やクロイツナッハと距離の近いピルナは、万一の事態に際しても、大公女の安全確保に即時対処が可能である。

 例えば、かつてレティーシアが密かに屋敷を抜け出し、行方が知れなくなった一件なども、あれが仮にヘルネで起きていたら、速やかに解決できていたかどうかは、わからない。


「いざとなれば、私の城から兵士を派遣しますし、ターレには南方警備兵も駐屯しておりますよ」


 ルーファスが、オルトウィーンの懸念に応じて答えた。


「ヘルネにも、有事の専門ではありませんが、町の治安に尽力している衛兵が三〇名以上居るはずです。そのうち何人かからは、巡回官吏を介して、定期的に地域の状況も報告を得ています」


「だが、そうした兵士に対しては、姫君の素性や物事がここに至った経緯を、詳しく周知させるわけにはいかないだろう。――だとすれば、黒騎士団や近衛騎士のような王家そのものに対する忠義を、常に彼らに期待できるかどうかは、どうもいささか疑わしい」


「……これはまた、千騎長殿は、随分と心配性でいらっしゃる」


 食い下がるオルトウィーンに対し、ルーファスは苦笑混じりで応じた。

 しかし、オルトウィーンとしては、過去に自分がヴィルヘルムから、個人的にレティーシアの庇護を頼まれた心情がある。ピルナへ帰還するまで、しばらく疎遠になっていたとはいえ、親友の異母妹たる大公女のことは、彼にとっても義理の妹に等しい存在と見做していた。

 その身に関わる相談となれば、いくら心を砕いても、充分とは感じられないのである。

 まったく、アステルライヒ最強の勇将らしからぬ一面であった。


「陛下。どうか、もしヘルネに不穏な気配を察知した折には――」


 オルトウィーンは、上座のフランツを眼差して、陳情した。


「クロイツナッハから、私や我が配下の者を、かの町へ事前に派遣する許可をお与えください。さすれば姫君の身の安全は、このオルトウィーンが一命に代えてもお守り致します」



     ○  ○  ○




 王都での極秘会合から年を跨いで数ヶ月が経った、神刻歴一〇二三年の春。

 一七歳のラーヴェンスブルグ公爵令嬢レティーシアは、王国南部の片田舎ヘルネへ向けて旅立った。


 うら若き大公女は、レムシャイト伯ルーファスの提案を伝えられたときも、何一つ拒否しようとする素振りは見せなかったという。

 もしかすると、この頃レティーシアは、王侯貴族の世界に強い嫌悪感を抱くようになっており、むしろ平民としての暮らしに新たな好奇心を刺激されていたのではないか――

 オルトウィーンは、姫君の態度を、そのような印象で推量していた。


 ルーファスを介して知らされたところによると、レティーシアの希望したヘルネでの仕事は、安宿の下働き娘であるらしかった。

 ならず者の旅人などと接する機会もある職業だから、オルトウィーンとしては、あまり積極的に賛成する気にはなれなかった。

 だが、宿屋は、まさしく巡回官吏が収穫期に出張所を開く場所でもある。町の行政機関とも接点があり、丁度紹介できる良い心当たりがあるというルーファスの説明を聞かされ、渋々納得した。


 レティーシアの住み込み先に内定したのは、「黄昏の白馬」亭という宿屋だった。

 幸いにして、ヘルネの衛兵の中には、ここへナスターシャという娘を下働きとして通い勤めさせている人物があった。

 この衛兵には、日頃世間話を装うなどして、それとなく自分の娘から宿の様子を聞き出すように指示しておくことが取り決められた。間接的ながら、それによって大公女身辺の状況把握に努める意図だ。

 報告によると、ナスターシャは控え目で、自分から人前で世間話などするような性格ではないが、聞き上手なところがあって、何かと町中や身の回りの人物の噂話に詳しいという。この目的に利用するには、あつらえ向きの少女であった。



「オルトウィーン卿にも、これなら多少はご安心頂けるでしょうか」


 ルーファスは、王国が誇る千騎長に、相手の機嫌を窺うような口振りで訊いてきた。

 この美貌の伯爵からすると、オルトウィーンは「我が国最強の騎士である以上に、最高の大公女至上主義者」ということになるらしい。

 その評価は、オルトウィーンにとって、いささか不本意なものであった。

 彼の配慮は、純粋に王国騎士たる者の、姫君に対するごく当然の忠誠の結果なのだ。少なくとも、オルトウィーン自身はそう考えている。


「……ひとまず悪くない、とは言っておこう」


 だから、オルトウィーンは、にこりともせずに答えた。

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