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8:高貴なる血脈

 アステルライヒには、二人目の王子が存在する――


 ニーナは、自分の耳を疑った。

 国王ラーヴェンスブルグ公フランツにとって、嫡子と呼び得る男児は、ヴィルヘルムただ一人ではなかったのか。


「第二王子の御名前は、ヴィルフリートと申されるそうだ」


 ヒューベルトは、淡々とした口振りで言った。


「ヴィルフリート殿下は、現在このヘルネに身を伏せておいでらしい。それで、俺が公爵閣下よりこの任務を拝命し、殿下のお迎えに上がったのだ」


 ヒューベルトが語るところによると、第二王子ヴィルフリートに関する情報は、神聖ザルヴァ教団の司祭から密告されたものだったそうだ。

 ただし第二王子は、王妃アーデルハイトが鬼籍に入ったあと、国王フランツが異なる女性とのあいだにもうけた一児であるという。


 今日、司教座聖堂を預かる高位聖職者には、王国議会でのアステルライヒ新王即位に際し、承認手続きの典礼を司る人物も存在する。

 教団内で、そうした持ち場に近い人間であれば、なるほど公で知られていない王室の内情に通じていたとしても、おかしくはない。


「もっとも、当初に伝え聞いたところでは、殿下が明確にヘルネに居られるということではなく、『レムシャイト郡に属する市町村のどこか』らしいという、いささか曖昧な話だったのだがな……。そこから、この町と特定するまでは、それなりに骨が折れた」


 この若い騎士は、これまで頼りない手掛かりを元に、ゼントリンガー公爵から下命された任務を、単独で遂行してきたのだった。

 この数ヶ月間、ヒューベルトはビンゲン=ホルツハーケン州の郡部レムシャイトに属する、主立った町を歩いて回っていたらしい。

 ガルミッシュ、ターレ――そして、ヘルネ。


「この町は、とにかく長閑で、王国の政情とも割り合い距離がある。エルベガルドに近いから、不穏な土地だと誤解されることもあるが、むしろそれゆえ王族が逗留するような場所とも疑われ難い。恰好の隠れ家だ」


「でも、殿下が殊更ご自分の所在をお隠しになられているのは、なぜでしょう?」


 ニーナは、率直にたずねた。


「たとえ、前王妃様のご子息でないにしろ、国王陛下の血縁でらっしゃるなら、日陰に身を置く故があるとも思えませんけど……」


 神聖ザルヴァ教団の教義では、基本的に一夫一婦制を奨励している。

 アステルライヒでも国教だから、その方針に背くような行為を、王侯貴族の権力者があえて大っぴらに表明するような真似はしない。

 とはいえ、翻ってみれば、正妻とは別に愛妾を置く貴族など、珍しくはないのが世の実体だ。

 非嫡出子でさえ、家督を継ぐのは不可能でも、他の名家へ養子に出て、爵位と領地を譲り受けるといった選択もあるはずだった。また、貴族の次男には、聖職の道へ入り、血筋で世俗との繋がりを利用しつつ、教会権力の座を窺う者も多かった。


 第二王子に関しては、出生が王妃の他界後であるから、これは別の女性に産ませたといっても、後妻の子とみれば庶出にはあたらない。そこに、後ろ暗い点はないのである。

 しかし一方で、現王に再婚の事実があったなどという話も、これまで対外的にはまったく公表されていない。それゆえ、正統な世継ぎとして、世間の承認を得るにあたっては、むしろ別の慣習的規範的な問題が持ち上がりかねない懸念はあるのだが……


 果たしてヒューベルトは、ニーナの質問に対し、やや遠いところから説明をはじめた。


「国王陛下には、上にお二人の兄君が居られた。君も承知のことかと思うが」


「ええ、存じております。カール前王陛下と、ルドルフ卿ですね」


 ニーナは、ちょっと控え目に姿勢を正してうなずいた。

 現王フランツは、元々三人兄弟の末弟だったのだ。

 長兄のカール前王は、先代のラーヴェンスブルグ公爵でもある。

 次兄のルドルフは、前ミッテンヴァルト公爵であった。

 ……だが、二人の兄は、いずれもすでに故人となっている。


 文武に通じ、清廉な人柄で知られたカールは、しかし若くして病床に臥した。不治の病魔に侵され、嫡子をもうけることなく他界してしまった。

 一方のルドルフは、頑健な武人だったけれども、鹿狩りの最中に、馬が峻険な崖の上で足場を踏み外して転落し、そのまま事故死した。


「――このうち、ミッテンヴァルト公の事故死が、実はご自身の過失によるものではなかった、という風聞が以前からあるのだ。これも、君は聞き及んでいるか」


 ヒューベルトの持ち出した黒い噂は、ニーナならずとも、王国内ではよく知られるところだ。

 ミッテンヴァルト公ルドルフの暗殺説。

 質実剛健が鎧を着て歩いているようだったルドルフは、決して不条理を甘受しない正義漢であった。

 しかし、その気質が、かえって一部の古い利権を貪る貴族から嫌われ、次期国王として即位することを、阻まれたのではないか。帝国貴族が企てた陰謀だ、という憶測まであった。

 そうした真偽不明の言説が、ルドルフの死を不審がる人々のあいだで、幾度となく囁き交わされてきた。

 ルドルフは、嫡子を死産で亡くしている。ミッテンヴァルト公爵家は、ルドルフの妻の実家・フィンダイゼン侯爵家から、彼女の甥を迎えて継がせることとなった。


「ヒューベルトさんは、あの風聞を事実だとお考えなんですか?」


「正直を言えば、俺にはわからん。だが、少なくとも事実だったと信用した人物は居られた。……それが、現王フランツ陛下さ」


 ヒューベルトは、嘆息交じりに言った。


 次兄ルドルフと対照的に、末弟だったフランツは、柔和で争い事を好まない性格の人物だった。元々、王位や権力にも全くといってよいほど頓着なく、むしろ欲得に塗れた醜い世界を嫌って、他の王侯貴族と距離を置こうとしていたほどだ。

 ところが、逆にフランツの敬遠した貴族たちにとっては、権力欲に乏しく、惰弱とも思える三兄弟の末弟は、皮肉にも御しやすい手合いと見えたのかもしれない。


 とにかく、こうしてフランツは、アステルライヒの王冠を戴くことになった。


「残念ながら、アステルライヒには、既得権益を守るために、自分たちに都合のいい統治者を王座に据え置こうと、常々策動している輩がいる。それはたしかだろう」


 ヒューベルトは、かぶりを振りつつ、


「亡くなったヴィルヘルム殿下は、フランツ陛下が即位の折、五歳で在らせられた。そのときから、すでに次の世継ぎと目されておられていた。だが――」


「戴冠後、内縁の女性とのあいだに、密かに弟君がお生まれになった。それで、国王陛下は、兄弟が居られると、いずれ何らかの(いさか)いの火種になる……そうお考えになられたと?」


 ニーナが引き取って続けると、ヒューベルトは静かに首肯した。


「陛下は、初めから『アステルライヒに第二王子はいない』ものとし、ご兄弟を引き離した。これで、王位継承権を巡る諍いは、もう次の代では起こらない――ご子息の将来を思えばこそだろう」


 ヒューベルトは、考え深げに言った。


 国王の子として生まれ、権力に近い世界で生きること。

 それが、必ずしも幸せとは限らない。

 おそらく、現王フランツは、自分の兄を見て、そう考えていたのではあるまいか。

 そうした国王の思慮を、ヒューベルトの見解は示唆している。

 そして、ヴィルフリートは王家を離れ、市井に下った――


 ニーナにも、それはまったく理解できないわけではなかった。

 つまり、子の幸福を願う、親の心だ。

 一国の王座にある統治者であっても、父親であることを辞められるわけではない。



「けれども、お世継ぎとなられるはずのヴィルヘルム殿下は、先の戦でお亡くなりになってしまわれた……」


 ニーナは、思案するような素振りをみせつつ、


「それで、これまで行方知れずだったヴィルフリート殿下をお捜しなのですか」


 ヴィルヘルム亡き今、フランツが王位を退けば、他にラーヴェンスブルグ公爵家に王位継承権を有する男子はない。

 あくまで、現王家たるラーヴェンスブルグの血統に固執するなら、第二王子の存在を無視することはできないだろう。


「その通りだ。しかし、事情はいま少し、複雑な要因を伴っている」


 ヒューベルトは、やや硬い面持ちになった。


「ヴィルヘルム殿下が逝去なされ、現在公式に王位継承権の最高位にあらせられる人物がどなたか、君にはわかるか?」


「……いえ、そう言われると……」


 ニーナは、返答に詰まって、少し口籠もる。

 ヒューベルトは、彼女の反応を予想通りと看取したらしかった。


「このままであれば、アステルライヒの次期国王は、ローテンベルガー公爵家の長子、アルブレヒトさまだ」


「まさか。アルブレヒトさまは、まだ幼子(おさなご)ではありませんか」


 ローテンベルガー公爵家は、先々代の国王ループレヒトの弟・シュテフォンが領主を務めた名門貴族だ。ラーヴェンスブルグ公爵家と最も近しい血縁で、たしかに家柄には不足ない。

 けれども、ローテンベルガー公エドムントは、先年天然痘で倒れ、還らぬ人となった。その嫡子たるアルブレヒトは、いまだ四歳の誕生日を迎えていない。

 現在ローテンベルガー家は、アルブレヒトが成人し、正式に家督を世襲するまでのあいだ、未亡人のゲルトルーデが取り仕切っている。

 ヒューベルトは、いつものしかつめらしい態度でうなずいた。


「現王フランツ陛下は、もちろん御壮健でいらっしゃる。だが、すでに齢五〇代半ばを過ぎておいでなのも事実だ」


 健康的な生活を送る貴族でも、六〇歳を超えて生きる者はあまり多くない。

 仮に、戦や疫病の流行もなく、フランツがあと五年生きたとして、アルブレヒトはまだ一〇歳未満である。

 国王即位にあたっても、おそらく実母のゲルトルーデが後見人として立つことになるだろう。


「アルブレヒトさまが戴冠なさるとすれば、それによって王国宰相を拝命するのではないかと、専ら有力視されている人物がいる」


 ヒューベルトの目が、不意に強い光をはらんだ。


「――それが、レムシャイト伯ルーファスさ」


「ルーファス卿が?」


 ニーナは、あの怪しげな若い伯爵を思い出しながら、ヒューベルトに問い返した。つい先日、市場で声を掛けられたときの嫌悪感が、彼女の脳裏に蘇る。


「伯爵の叔母は、エドムント卿の実母にあたる。つまり、現レムシャイト伯と現ローテンベルガー公は、従兄弟同士だったというわけだ」


「なるほど……」


 ニーナは、目の前の騎士が指摘しようとする点について、正確に把握した。

 アルブレヒトが即位すれば、次期王国宰相の座をルーファスが射止める。

 しかも、アルブレヒトは、少なくとも戴冠時にまだ右も左もわからぬ少年なのだ。

 野心ある貴族が王を傀儡(かいらい)として、一国の実権を掌握するには、格好の条件が揃う。

 ヒューベルトとしては、それを是としない、ということなのだろう……無論、彼をこの任務に当たらせているゼントリンガー公爵も。


 そうした最中、行方不明の第二王子の存在が浮上した。

 今、ラーヴェンスブルグ家直系の血族たる男子を迎え入れることができれば、王位継承権の最高位は入れ替わる。

 アルブレヒトを、次期国王に据えなくともよくなるのだ。


「ところが、ルーファスはとにかく抜け目のない男だ。ヴィルヘルム殿下に弟君がおられた事実についても、我々が知るより先に、どこからか情報を得ていたらしい」


 ヒューベルトは、苦々しげに言った。


「実は、あの男は、どういう経緯かはわからないが、すでにヴィルフリート殿下と接触しているのではないかと見られている。そして殿下は、言葉巧みに懐柔されてしまったのではないかと」


「それは、いったいなぜですか」


「話が最初に戻るが、それこそ第二王子が現在ヘルネに身を隠しておいでだからさ」


 ヒューベルトは、前のめり気味だった身体を引いて、椅子に腰掛けなおした。


「たぶんルーファスは、ヴィルフリート殿下に適当なことを吹き込んで丸め込み、自分の領地で(かくま)おうとしているのだろう。そうすれば、後々どのようにでも立ち回れる」


 王国の権力中枢に近い上流貴族には、おそらくルーファスやゼントリンガー公爵の他にも、第二王子の存在に気付いている者が、僅かながら存在している。

 そうした人物の中には、ヴィルフリートが次期国王となることを歓迎しない者もいるはずだ、とヒューベルトは言う。

 少なくとも、ローテンベルガー公爵家の人間は、アルブレヒトの即位が取り消されることで、新王家に成り損ねる――その一族に、「ヴィルフリートさえいなければ」と考える人間があったとしても、決しておかしくはないだろう。


 こうした手合いから、ルーファスはヴィルフリート殿下を庇護するかに見せ掛け、王家に恩を売り付けようとしているのではないか。

 ヒューベルトは、そのように見ているらしかった。


「また、直接的な利得には結び付かなくとも、ヴィルフリート殿下の存在が知れれば、第二王子の王位継承に反感を抱く勢力もあり得る」


「……それは、どういった人たちですか?」


「ノルトシュタイン帝国だ」


 ヒューベルトは、いっそう重たい口調で言った。


「国王フランツ陛下即位後、ほどなく亡くなられた王妃アーデルハイト陛下は、元々帝国皇族ヴァレンツォレルン公爵家のお生まれだ。ヴィルヘルム殿下は、二つの国の血を引いておられたのだからな」


 もし、第一王子ヴィルヘルムが存命で、次期国王の椅子に座っていたとしたら。

 ノルトシュタイン帝国は、遠からぬ将来、アステルライヒ王室に一定の影響力を持ち得ていたかもしれない。

 だが、いまやその機会は失われた。

 ヴィルヘルムの討伐軍参加による戦死は、両国間に大きな影を落としていたのだ。

 前王妃と第一王子という、帝国所縁(ゆかり)の王族が相次いで死去し、後妻の子の第二王子ヴィルフリートが代わって即位する。

 帝国側としては、あまり心楽しむ絵図とは思えなかった。

 いっそ、帝国はラーヴェンスブルグ家が断絶し、アルブレヒトが戴冠することを望むかもしれぬ。

 未成年の国王を、周囲の大人が一見盛り立てようとしているかに見えて、おそらく水面下では陰湿な権力闘争を繰り広げる――そういうアステルライヒの未来だ。

 国境を接する仮想敵国として見れば、そちらの方が明らかに(くみ)し易い。

 ルドルフの死に際しても、帝国には暗殺関与の一説があっただけに、まったくあり得ないと言い切れなかった。



「こういう仮定は、不謹慎かもしれませんが――」


 ニーナは、浅く息を吐き出しつつ、


「それが事実ならば、もし殿下が暗殺されるなりしたところで、少しもルーファス卿は困りませんよね。そのときは堂々と、アルブレヒトさまを次期国王として立てたのちに、宰相の座を得ればよいわけですから」


「まさに、その点が問題なのだ」


 ヒューベルトは、やや沈痛そうな面持ちになった。


「ルーファスの立場というのは、客観的に見て全く信用に足りない。本人がどのように言い繕おうとも、動かし難い厳然たる事実だ。――俺の主君たるゼントリンガー公は、そこを重く見ておられる」


「……すでにルーファス卿が、自らの手で、ヴィルフリート殿下を亡き者としている、そういう(おそ)れはありませんか?」


「もちろん、その仮定もまったく無視したわけではない」


 ヒューベルトは、燭台の炎を、両目で鋭く睨み付けている。


「だが、もしそうであれば、そもそもゼントリンガー公のところに情報が寄せられる以前の段階で、ルーファスにヴィルフリート殿下殺害を躊躇する理由はないはずだ。それに、そのやり方は、真実が露見したときの危険が大きすぎる」


 第二王子の殺害ともなれば、一国の歴史をも揺るがす悪逆だ。爵位を持つ上流貴族とはいえ、ルーファスは現状では、一郡部の伯爵に過ぎない。単なる地方統治者一人が抱えるには、たぶん手に余る機密だろう。

 これを隠蔽し続けるのは、悪事の質からいって、かなり困難に思われた。


 また、一計を案じ、暗殺を実行した上で、他者に罪業を擦り付けるとすればどうか。

 その手段に訴えるのであれば、初めからヴィルフリートを、あえて自分の領地へ招き入れたりはするまい。


「ヴィルフリート殿下と、アルブレヒトさま。……いずれにしろルーファスは、どちらに転んでも自分が甘い利権の汁を吸えるよう、身勝手な叙事詩(サーガ)の筋書きを用意するために、きっとあれこれと画策しているのさ」


 そして今は、ルーファスも時節を見極めようとしているのだろう、とヒューベルトは、さらに付け加えて言った。

 まず、ヴィルフリートの存在を明るみに出すとしても、実父たる国王フランツの同意を得ることなくしては、理に反する。また、第二王子の擁立にあたって、他の上流貴族の賛同を取り付けることも、不可欠に違いない。

 そういった根回しには、利害の調整を含め、相応の時間を要するものだ。


 もし、なし崩し的に事を運ぼうとすれば――

 たぶんその先には、無益で、より大きな血の争いが待っている。

 それが、ヒューベルトの見立てだった。


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