どうやら、ゆうしゃがやってくるそうです
「少し遅いですが、昼食はいかがですか?」
オレの引き起こした惨状の片付けをにこやかに買って出たシアだったが、それを断って手早く部屋を綺麗にした。雑巾を片手に一息ついていると、部屋の隅で見守っていた彼女がそんな誘いを口にした。
正直に空腹を主張する腹の虫を無視してもいいことはないので頷くと、先程以上の笑みを見せていそいそと外に出た。
「せっかくですので、わたしの家で食べましょう」
オレは頭を掻き、フィアに視線を送る。彼女は怪訝そうにオレを見返した。
「お前は来ないのか?」
「ボクが? 呼ばれてないのに押しかけるのは迷惑だろう」
「変なところで常識ぶるのな。てか、オレに声かけたように見えて、その実お前を誘いたがってるぞ、あの姫さんは」
指で指し示すと、タイミングよく振り返って大きく手を振ってきた。
「置いていっちゃいますよ、三人共!」
「だろ?」
魔王様は頭が痛いと言わんばかりに額に手を当て、ふるふると首を振った。
「わけがわからん」
「とにもかくにもそういう奴だよ、あの抜けた姫さんは」
「そういう奴、ね……」
今度はなぜかオレに微妙な視線を送ってくるが、意味がわからないので放置。頭を小突いてさっさと歩くように促した。
「さ、三人ってワシの入っておるのかの?」
オロオロとしているユーニス。
「とりあえず、オレの親父を呼んでも来ないことは身に染みてわかってるだろうから、十中八九あんたのことだろうな。よかったじゃないか、旨いご飯にありつけるぞ?」
「美味しいご飯? そ、それは大変に魅力的ですな!」
顔を輝かせる一つ目。顔というより、主に瞳が輝いているが。
シアとお付きのアニエスさんの先導で城に到着したが、彼女たちは中に入らず、城門の内周に沿って、庭を歩く。
「実を言うと、問答無用で飯に誘うつもりだっただろ」
オレがシアに耳打ちすると、彼女はクスクスと笑って、
「昼食はともかくとして、お茶には誘うつもりでした。お友達になりたいですからね」
「そうか」
屈託のない言葉にオレはそういうしかなかった。邪推の入り込む余地もなく、彼女は最初から魔王を敵視していない。いや、魔王に限らず魔族全体を、だ。だからこそ、魔王様であるフィアも何か感じるところがあって握手に応じたのであろう。
幼い頃から彼女を知る身ではあるが、そういう点では敵わないと感じる時もある。
「しかし、クレアさんもデルフィアさんに対して含むところがないのですね。お父様がかつての英雄だったというのに……」
「ああ、そうだな。てかさ、親父が英雄だったの聞いたのつい先日なんだよな。だから、今更知ったところでオレの態度が変わるわけでもないさ」
「ふふ……まったく、あなたらしいですね」
よくわからないが、なぜか納得された。
「なにを仲睦まじく話している?」
「なか――」
唐突な魔王の言葉に、シアは顔を赤くして絶句した。
「い、いえいえ、わたしなんてクレアさんの足元にも及ばぬ身。仲睦まじくなんてとんでもないです!」
「おいおい、仮にもこの島の領主が一市民の足元にも及ばないってどういう状態だよ……」
「え、あ、いや……それはですねぇ……」
顔を赤くしたまま、視線が泳ぐ。
「姫様、着きましたよ」
アニエスさんが話の流れを断ち切るように、タイミングよく目的に到着したことを告げた。シアは胸を撫で下ろして、やや取り繕った笑顔で池に張り出した東屋を指し示す。
「ここでいただきましょう」
「……景観の良いところではあるな」
急激な態度の変化に訝しむような目を向けていたが、いつまでもそうしていても埒があかないと思ったのであろうか。フィアは池に浮かぶ水草の咲かす可憐な花や池の周囲を取り囲むように生える木々の緑を映して染まる水面に血色の目を細めた。
「では、お食事をお持ちしますので、掛けてしばしお待ちを」
アニエスさんは一礼をして去っていき、残された一同はやや微妙な空気が漂う中、とりあえずは座ることにした。上座や下座を意識させない円形の卓が置かれ、その周囲に計六脚の丸太から直接削りだしたと覚しきどっしりした椅子が配置されていた。オレとシアが並び、その対面、シアの正面にフィアが座り、ユーニスもその隣にやや肩身が狭そうに腰掛けた。
「楽にしてくださいね」
微笑み、そう言われても、ユーニスは二つの意味でそうはできなさそうであった。第一に、仮にも主であるフィアこと魔王と同列の扱いであることに恐縮して。第二に、シアの可愛らしさにやや当てられているようであった。まあ、それは握手の時のやや過剰な反応からも伺えたが、食事の方がハードルが高いのかもしれない。オロオロとする態度を見かねた魔王が、
「えい」
と、首に手刀を打ち込むと、目を開けたまま静止した。
「えーと……」
オレを見るな。対応に困るだろ。
「せい」
足を伸ばして向こう脛を蹴飛ばすと、びくんと体が強張り、そして、踞って脛を抱えた。
「あ、すまん」
力加減を誤ったらしい。顔を上げた彼の目に涙が溜まっていた。
「い、いや……大丈夫じゃ」
痛みも引いてきたのか、体を起こすと、目を閉じて深呼吸。気持ちも落ち着いたのか、挙動不審はなりを潜め、やや肩身が狭そうにしながらも大人しくなった。
沈黙がやや重い。魔王は端から自分で話題を切り出そうともしないし、なぜか姫さんはモジモジして顔が赤いし、一つ目は場に飲まれてるし。
「ここは一つ――」
「やめとけ」
話題を提供しようとしたら、フィアの拒絶を含んだ声に出鼻をくじかれた。
「何も、無理に話をする必要はないだろ。第一、お前の言い出しそうな話題に不安を感じるからな」
「信用ないな」
「あると思ってたのか? この変人」
「この中で一番常識的な人間を捕まえて変人とはいかがなものか。なあ、シア?」
「あ、えーっと……」
「正直に答えてもいいと思うぞ、この場合」
困り顔のシアと冷ややかな目つきをオレに向けるフィア。人外二人に、この島の領主。どう考えたって、一番平凡な人間だろう?
「恐らく、という言葉も必要ないレベルで、お前の常識は大半の一般人にとって非常識と言えるだろうさ」
「例えばどの辺?」
「そうだな……」
付き合いの短い魔王が今までのオレの行動を振り返るように顎に手を当てて考え込む。官女が口を開く前に、
「飛び蹴りで勇者像の頭部を破壊することとか、ですかね?」
姫さんがそう告げ、魔王は柳眉を歪めた。
「したのか、こやつ。ああ、そういえば、この島の勇者像は珍妙な姿に変わり果てていたな。それが小僧、お前の仕業だったのか?」
「答える義務はない」
「ふん。その答えは是と取られてもおかしくないぞ」
「どうとでも。お前にとやかく言われる筋合いはないからな」
ふい、と他所を向く。
「いえいえ、わたしは言う筋合いが大ありですよ」
「…………」
無言で先を促すと、彼女は咳払いをし、
「第一に、破壊行為に対する罰。第二に、勇者協会に対する謝罪、もしくは秘匿。その是非を決める必要がありますので」
「おいおい、今になってそれを言い出すのか?」
「今になってこそ、なんですよ、実は」
憂鬱そうなため息。視線はふっと城壁を超えて海岸線。いや、それさえも超えて本土へと想いを馳せているようだ。
「もしかしなくても、来るのか?」
「ええ、いらっしゃいますよ。今のこの島に、最も来て欲しくない人たちが」
「マジか……」
驚くよりほかない。いや、しかし、これは遅いほうだろう。オレたちの話を聞くともなしに聞いている魔王様が、いや、魔王城が降臨してから早四年。それまでにここへたどり着かなかったことの方がむしろ異常なのかもしれない。
「おい、魔王様よ」
「なんだ、藪から棒に。来客なら、お前たちの仕事だろう?」
「なにを惚けたことを。来るのは、勇者協会に多額の金を払い、伝説の武器を引っさげてやってくる超人的と言われる勇者御一行だぞ?」
「!?」
流石に、というべきか、驚かざるを得なかったのだろう。目を見開き、唇を噛み締めた。それは隣の一つ目も同じで、ただでさえ大きい目が更に見開かれ、こぼれ落ちるのではないかと思うほど。
「いつ、だ?」
「早くて一週間後には。遅くても、二週はかからないでしょうね」
「逃げを打つ? いや、無駄だな。どうせすぐに追いつかれるし、魔王城を捨て置くなど愚の極み……」
「…………」
めんどくさいことになった。勇者像の破壊の責もさることながら、勇者が来るとなったら、魔王はもはやお荷物でしかない。
いや、待て。シアは最初に何か言ってなかったか? オレはそっと彼女を横目で見やり、そして、思い出した。彼女は言ったはずだ。魔王と友達になりたいと。それを額面通りに理解するのはバカのすることだ。つまるところ、彼女はこう言っている。魔王と、ひいては魔族と同盟を結ぶと。そうなれば、それはもはや国交の問題だ。勇者協会とは言え、一国家に対して荒い手には出られないはず。それだけで抑制になる。
後必要になるのは、勇者を返さないこと。指示を仰げないならば、勇者とて、無理は通せない。武力があっても、どうしようもない政治という別次元の戦い。
「正気か、シア?」
「なんのことです?」
涼しい顔でとぼけてくれる。見た目の可憐さに騙されることが多いし、多くの島民は考えすらしないだろうが、この島をこの年の少女が収めようと思うならば、どれだけ大変なのか、少し考えればわかることだ。本土にある大国の属国とは言え、この島はまさに切り離された孤島だ。加えて、肥沃な土地を多く有するが故に、資源的価値は限りなく高い。
「はん、とんだ女狐だな」
「いえいえ、わたしはただのか弱い女の子ですよ。だから、あなたが守ってくださいね?」
「いいとも。ああ、いいともさ。勇者? 武器ばっかり立派でも、オレに勝てると思うなんざ、何様のつもりだよってな」
「いや、おい、ちょっと待て。お前こそ何様のつもりだ?」
咎め、呆れる視線。
「勇者の武器は、そのまま使用者の力になる。それが理だ。それゆえの勇者制度だ。それに勝てると言うのか? 驕るのも大概にしておけ」
知らぬなら当然のセリフ。だから、オレは言う。
「知らないなら知るがいい。ただし、言葉でいくら語っても意味はない。だから、その目に焼き付けろ。クレア・イラトゥスの名とその力を」
ああ、とんでもないことになってきた。だがしかし、笑いがこみ上げて止まらない。忌々しい勇者に、勇者協会に一泡吹かせられる。
傍から見れば悪人だろうさ。だが、オレはこの時を心の奥底で待ち望んでいた。
魔王の抱く願いとは裏腹に、周囲は目まぐるしく動き始めていた。