はこにわのしまの、おひめさま。
「…………」
グレンのその沈黙と視線は静観か呆れか。まあ、この惨状を目にすれば、呆れたくなる気持ちもわからなくもない。
場所は小僧、ことクレアの家で、しかし、今や色彩鮮やかに一面が染まっている。色彩のもとはこの時期に手に入る種々様々な果実の残骸だ。
「ほーれ、目薬だぞぉ」
そう言い、ユーニスの一つ目に果実の絞り汁を垂らそうとするクレア。ユーニスは暴れて逃げそうとしているが、固定された首はぴくりとも動かず、手足だけが無様に振り回される。
「お、お助けを――!?」
許しを請う声も虚しく、大きな一つ目に雫が滴った。声にならない悲鳴。クレアが拘束を解いた途端、猛烈な勢いで走り去り、井戸の水で目を洗う。
「クハハハハハハハッ!」
実に楽しそうに笑う。ああ、どうしてやろうか、この小僧。握り締めた拳に炎が灯る。
「せや」
気の抜けた声と力みの見えない体勢から投げたとは思えないほどの速度で硬い殻をもつ果実が投げつけられ、避ける余裕もないまま額に直撃。
一瞬だけ意識が遠くなったが、踏みとどまってクレアを睨む。
「き~さ~ま~!」
叫び、お返しとばかりに手近にあった果実を投げつけようとして、
――グサ
「グサ?」
手にトゲが刺さった。
「誰がこんなもの買ってきたッ?」
「も、申し訳ありません。ワシです!」
井戸から戻ってきたユーニスが地面に頭を擦りつける。その後頭部にトゲ付きのやつを叩きつけた。
「プギョルッ!?」
到底人が発したとは思えない声がユーニスの喉から漏れ、そしてそれきり動かなくなった。
「変なとこに刺さったんじゃない?」
流石にクレアも心配になったのか、そっと覗き込み、そして、果実を引き抜く。
「ハッ……ここは?」
すると、パッチリと目を見開き、あたりを怪訝そうに見回すユーニス。その視線がボクを捉え、
「えーっと、魔王様? いったい、ワシは一体なにを……」
「し、知らん。気がついたら倒れていた」
目をそらし、目線でクレアにトゲ付きのやつを隠すように伝える。彼もそのことがわかってかは知らないが、何食わぬ顔で踏み潰すことによって証拠隠滅。その際、少なからぬ揺れが発生した。
「おい、ユーニス。炭酸に合いそうな果実はどれだ?」
自分で踏み外したまくった軌道を修正する。
そう、本来は炭酸水に混ぜて美味しい果実の選定をしていたはずが、クレアの悪ふざけによって、このような果実の残骸が飛び散るような光景へと変わり果てたのだ。
「…………」
ユーニスも何か言いたげな視線を送るが、意に介した風もないクレアの態度に諦めを感じたのか、残った果実を選り分ける。
「こっちにあるのなら、なんでもいいんじゃないかの……」
気疲れしたのか、肩を落として椅子に座る。
「まあ、妥当かな……おっと?」
クレアがなにかに気づいたように扉の方に視線を送る。ボクも何者かの気配を察知して目を向けると同時に、ゆっくりと扉が開かれた。
「ご機嫌よう、クレア」
目に入ったのは少女。それも、レースを随所にあしらった豪華かつ可愛らしい薄桃色のドレスを身にまとった少女。髪の色も柔らかな花弁を思わせる淡紅色。長さは肩ほどまでで、左右の高い位置で飾り紐を使って結び垂らしている。雪のように白い肌。手や腰はほっそりとしているが、胸は同年代の少女と比べて発育のいい方であろう。ボクは思わず自身の胸を見下ろしてため息をついた。
目を弓にして笑いかけるその顔にボクは人形のようだ、という感想を抱いた。無機質、という意味ではない。その完成された均衡と可愛らしさゆえに。同性のボクから見てもそうなのだ。はたしてクレアは、と思って彼を見ると、
「あー……ちーす」
気のない様子で頭を掻いている。「相変わらずですね」、と少女は笑いながら部屋の参上も気に止めない様子で足を踏み入れてくる。その後ろに続くのは妙齢の女性で、やや目を伏せながらこれまた気にした様子もなく歩いてくる。
「何をしていらしたのですか?」
小首を傾げる姿すら見惚れるほど。
「なにって……」
クレアはやや困ったように言いよどみ、しかし、言うよりは実物を見せたほうが早いと感じたのか、グラスに果汁を絞り、そこにボクが持ち込んだ容器から透明な液体を注ぐ。液体の正体は冷やした炭酸水だ。
パチパチと弾ける果汁に少しだけ目を丸くしてから、臆する様子もなくグラスを受け取って上品に口に運ぶ。
「これは……不思議なものですね。貴女も」
背後の女性に手渡し、その女性も液体を口に含む。
「ええ、ただの果汁ではないようですね。この口の中で弾ける感覚はなかなか爽快感のあるものです。欲を言えば、もう少し味が濃いほうがいいかと」
「ええ、まあ、それはたしかにそうですね。果汁にその容器の液体を加えてましたから当然といえば当然ですが」
して、と彼女の視線がようやくボクに向く。
「貴女が魔王ですね? わたしはこのイースアイランドの領主・レティシアと申します。よろしければ、シアとお呼びくださいね」
スカートを摘み、優雅に一礼する。
「こ、これはどうもでございます、姫様! ワシはしがない魔王の部下をやっております、ユーニスでありますです」
カチカチに硬くなった一つ目がぎくしゃくと、油を差し忘れた機械のような動きで前に出る。
「ユーニスさんですか。よろしくお願いしますね」
花のような笑み。差し出された手を怖々と握り返すユーニスは耳まで真っ赤だった。
「ボクは魔王。デルフィアという名があるが、魔王と呼んでくれ」
手を差し出すでもなく、ボクは壁に背を預けたまま名乗った。それにしても、この少女が島を収める領主だったとは。ということは、以前クレアの話に出ていた迷子になった姫様、というのもこの少女で間違いないだろう。
「で、いきなりなんなんだよ。いつもは城に呼び寄せるじゃねぇか」
「それはクレアに会う場合。今回は魔王様に会いに来たのですから、やはりこちらから足を運ぶべきでしょう?」
「律儀なことだねぇ……」
肩をすくめる。領主ということは貴族以上の地位であろうに、この小僧はそれを気にした様子もない。一方の姫もクスクスと笑っており、地位の差に対する口の利き方を咎めることもない上、お付きと覚しき背後の女性もなにも言わないばかりか少々口元が緩んでいる。
ということは、この領主一行にとって、クレアはかなり心を許せる存在だということだろう。
「しかし、会いに来てどうするつもりだったのだ? 停戦の申し入れか、はたまた退去を命じるか」
「どちらでもないですよ? 友達になりに来ただけですから」
あっけらかんと、そう口にした。ボクは真意を測りかね、探るような視線を向けるが、それは全くの無意味であることを悟った。裏なんてない。そうでなければ、従者一人のみをつれて魔王の前に現れることなんかしないだろう。周囲の気配を探ってみるが、時折一般人が通りすぎるだけで、兵士のような緊迫した気を持つ者はいない。
「どうしてこうも――」
邪気もなく人に相対できるのだろうか。そう口にしかけて、途中で言葉を切る。それこそ無意味だ。この4年間が証明している。彼らは敵意さえ向けなければ、すべてを等しく隣人として、友人として迎えるだろう。強者の余裕もあるだろう。英雄グレンとその息子。この姫様にしたところで、一級の魔法使いであることはすぐに見て取れる。それも実戦派の、だ。戦争は無理かもしれないが、戦闘程度であれば、こなして見せるだろう。
「……すぐに友人となれと言われてもボクも困る。だが――」
手を差し出す。姫はそれを少し目を丸くしてから、握り返す。それへボクは、
「害意を持たないことを約束するし、友好的な関係を築くことも吝かではないと言っておく」
魔王が、魔族がただ恐れられるだけの時代は終わるかもしれない。ただ、役目の問題を胸に抱えつつ、この島では心安らかに暮らそうと、そう思えた。