まおうじょうとすらいむの、ひみつ。
俺としたことが、頭に血が上りすぎたらしい。卓に積んだ円形の木札と手に持った五種類の絵柄の描かれた紙片――五行札、そして、幾枚か積み重ねられた二組の卓上の五行札を見比べる。
卓に積んだ木札はつまるところ掛金。手元に残してある分も加えて換金すれば、一週間は困らないで暮らせるだろう。だが、そのうちの半分が卓に積まれている現状はたいへん宜しくない。
そして、卓上の五行札の内、低い山は次に出す札の決定を左右するもので、絵柄を表にしている。高い山は伏せて置かれている。
ゲームのルールは至って簡単。表にされた場札に対応する札を手持ちの札から重ねていき、先に手札をなくしたほうが勝ちだ。対応する札は三種。同じ絵柄、そして、二種の札だ。ただし、このゲームが賭け事として成り立つのにはワケがある。同じ絵柄なら何も起こらない。しかし、他の二種が曲者だ。一つは相生と呼ばれる対応関係。五行は木火土金水から成り立ち、相生はそれぞれの属性の後のものである。つまり、木の札に対しては火が対応し、水に対しては一周して木が対応する。この関係で札を場に出した場合、次に札を出す者に掛金の上乗せを強制する。
もう一つの関係が相克。相生が円の循環でつながる関係なら、相克は星型の線を引くことができる。関係は木剋土・土剋水・水剋火・火剋金・金剋木となり、土に対して木を、木に対して金を出すことができる。ただし、この関係で札を出す場合、自分の掛金を上乗せする必要がある。
そして、目前の卓に積まれた掛金はそうして出来上がったものである。
「熱くなりすぎた……」
手札から出せない場合、もしくは出したくない場合、山札から一枚引いて手札に加えることによって、次の者に順番を回すことができる。今回のゲームの場合、ツキがなかったのか、ことごとく相克関係でしか札を出すことができず、かと言って山札からも引きたくなかったため、ひたすらに掛金が増え続けたという訳だ。
「ほほっ、先の見通しが甘いの!」
そう嗤うのは目が一つしかない初老の男。隻眼、というわけではなく、人外で、顔の中央に大きな目玉が一つあるだけの奴だ。
出会った当初こそ、驚きと警戒が入り混じった感情を抱いていたが、四年も経った今では、この風景の溶け込んだ一人の人間でしかない。俺に限らず、誰もがそう思ってるだろうし、それも、相手がこの人外に限ったことでもない。今はなくなってしまったが、魔王城に出入りしていた魔族のほとんどがこの街に繰り出して、友好的な態度で接してくれているおかげで、以前より経済的に潤っているとも言える。
「うっせぇよ、負けなきゃいいんだからな」
「いいや、ワシが先に上がるもんね!」
「へん、オレたちがいることも忘れんじゃねぇぞ?」
他の参加者たちも色めき、そして、視線を俺に寄越す。早く出せってか?
「じゃあ、ウルゴ。お前に少し痛い目を見てもらおう」
俺は不敵な笑みを浮かべると、場に出された火の札の上に土の札を重ねた。
「まったく、イヤなガキだなお前は……」
渋々、といった体で掛金を卓に載せ、手札からは土の札を。続く男も土を重ね、一つ目の番になる。
「そういえばさ、あんたの名前を今の今まで聞いたことがないことに気づいたんだが」
「ん? 名乗ってなかったかの?」
白いあご髭をさすりながら首を傾げる。俺も含めて四人が頷くと、一つ目は呵呵と笑い、
「ユーニスじゃよ」
そう名乗った。
「ユーニス? へえ、案外まともな名前なんだな? てっきり、ゴブ夫とか、スラ吉みたいな名前かと思ってた」
「失敬な! というか、種族からして違っておろうに!」
「気のせいだろ。生きて意志があるのがヒトだ。俺はそこに区別なんか付けないぜ?」
「お前のその考えは特殊すぎるだろう……まあいい、ワシの番だったな」
そう言って、木の札と掛金を卓に放り投げる。
「へえ、そろそろ手札が苦しくなってきた? 山から引いてもいいんだぜ」
「馬鹿言うな。お前と違ってちゃんと考えておるわい」
「そうかよ……」
事実、考えなしに相克関係ばかりで札を出しまくっていたので、言い返す言葉がなかった。
一つ目、ユーニスの次の男は手札にいいのがなかったのか、無難に山から一枚引いた。
「…………」
手札は残り少ないのも事実。選択が物を言うだろう。運が回ってきたのか、全ての関係で札を出すことが可能だ。ただし、一つ順番を間違えれば、他の手札が少ない参加者が上がる可能性もある。五人参加者がいるが、総取りルールにしているために、一番に上がらない限り掛金は没収だ。逆に言えば、一位になりさえすれば、場にある掛金すべてを頂くことも可能。さらに、場に出した掛金に応じてボーナスも手に入る。
勝負どころだ。考えろ、俺。
「…………」
いや、無駄か? なら、俺の性分としてここで切る手は決まってる。
「相克で上乗せだな」
金の札と掛金を卓に叩きつけるように置く。
「お前らしいな。だが、吉と出るか凶と出るかはわからんぞ?」
ユーニスの言葉に俺は取り合わず、勝負の行方を見守った。
結果から言えば惨敗もいいところだった。だが、それまでの貯金のおかげで、総合的には特をしたと言えた。
「のう、クレア。少し寄ってかんか?」
「どこに?」
「黙って付いて来い」
そう誘われて足を運んだ先は、魔王城があったはずの場所。
「そういや、俺の目の前で消えたんだったな」
「そうじゃの。中で少し、ごたごたがあっての」
「ボクが気を利かせて、巻き込まれないようしてやろうと思ったら、この色ボケ爺、女の子を見に行くとかぬかしたな……そういえば、あの時の罰がまだだったのを思い出した」
そよ風になびく、絹のような赤髪。血の色を湛えた瞳がやや嗜虐的な光を帯びてユーニスを捉える。
「フィアか」
「その名前で呼ぶな!」
「いいじゃんかよ、そっちの方が可愛いし」
「ッ!」
顔までもが髪と同色の色に染まる。
「そんなに怒るこたないだろ? それよりも、どうしてこんなところに?」
「ん? ああ……」
歯切れ悪く彼女は唸り、視線を魔王城があった筈の場所に移す。
「そろそろかと思ってな」
「まあ、確かに頃合ではありますな」
「なにがだよ」
「まあ、見ておれ」
曖昧な言葉に苛立つも、ユーニスに促され、魔王に次いで視線を送った矢先、
――ボコッ!
地面が急激に隆起し、そしてあっという間に俺の身長を超え、さらに上へと伸びる。その長さも身長の五倍程度に達すると、そこで伸びるのが止まった。
「これは……魔王城か?」
そう、ただ隆起しただけではなかった。黒色の岩を荒く削り出したような壁材を積み上げて作った、見るものに威圧感と畏怖を与える城塞の姿。ただし、大きさは以前ここにあったものと比べ物にならないほど小さい。
「魔王城の心臓部ともいうべきものだな。案内してやる、入れ」
「え? ああ、わかったよ」
魔王が近づくとひとりでに開く扉。彼女に続いて中に入った俺はそこに不可解なものを見た。
「地下空間、か……?」
そう、魔王城の面積そのものの広さの地下空間が、しかし、地上にせり出した魔王城の高さよりもはるかに深くそこにあった。
「魔王城の本来的な機能はすべて地下にある。地上にせり出した『城』の部分は半ばお飾り。居住空間として、便宜的に拡張しているにすぎん」
「で、そのさっきから言ってる心臓部だか、本来的な機能ってのは、なんなんだ?」
すっと、フィアは地下空間の中心を指差した。
闇色の結晶が鳥かごのようなものに閉じ込められ、そして、その四方に色鮮やかな液体を満たしたガラス瓶がある。鳥かごとガラス瓶はなにやらパイプのようなものでつながっており、闇色の結晶から染み出した何かは中途で色を薄めながらガラス瓶の中に沈み、そしてその下部から色の付いた粘性の液体となって滴る。
滴った液体は長いベルト状の装置の上でプルプルと震えながら運ばれ、そして、大きな箱に投げ込まれる。
「…………」
俺はその、粘性の液体に見覚えがあることに気がつき、そしてその正体を薄らと察した。
「詰まるところ、スライム製造工場なのか? 魔王城は」
「別にスライムメインな訳ではないがな。土地の汚れを吸い集め、浄化してから形を与えているにすぎん。スライムにしているのは、自律的に動くから効率がいいというだけの話でな」
「動くことのメリットがわからん……そもそも、あれを魔族の一員として捉えていた俺たち人間はなんだったんだ?」
「簡単な話だ。浄化された汚れは力の塊であり、スライムは自律的に移動し、世界の各地で弾ける。人為的に壊されることもあれば、体を保てなくなって自壊する場合もある。だが、壊れることで、力は大地へと還り、新たな循環となって世界を潤す」
それに、と魔王は言い、
「魔族として認識されることによってこそ、人為的に破壊され、人里に近いところで力を放出することができるのだ。勇者にとっても手近な練習台が豊富にあり、それがなおかつ世界を潤すというのだから、一石二鳥だろう?」
「そういうもんかね?」
「ホホッ、そういうもんじゃよ」
歩き出した魔王たちに着いて歩きつつも、増産されていく色鮮やかなスライムに目をやる。
「そういや、お前とあった時に、あれを口に含んだんだが、平気なのか?」
「ん? 平気だぞ。むしろ、あれを口にしたのなら、それから数日ほとんど腹も空かなかっただろ」
「言われてみれば確かに……」
「人が食べても大丈夫なように、あの液体があるのだからな。まあ、少々色はどぎついが」
最下層に降り立ち、魔王は手近なベルトから青色のスライムを掴み、その頭部へと無慈悲に棒のようなものを差し込んだ。その際、「ぷぎゅるっ」といった何やら悲鳴じみた声が聞こえたが、俺は何も聞かなかったことにした。
差し出されたそれを受け取ると、棒を吸うように勧められる。一度ならず、二度までも、しかも、今回は自発的にスライムを口にすることになるとは……
意を決するまでもなく、なかば投げやりな気持ちで口を付けたのだが、
「ッ!?」
口に広がった不思議な感覚にものすごく驚く羽目になった。甘酸っぱいような味は以前口にしたスライムと似たものだ。だが、口に含んだ時に感じた弾けるような感覚は未知のものだ。
「これは?」
「炭酸、というものだな。水に溶けたとある物体が水から抜け出るときに発生する泡がある。その泡の弾ける様を楽しむ飲み物で、魔族の中ではごく一般的なものだ」
「タンサン……」
もしかしたら、魔族は人が思うよりもはるかに発達していているのではないだろうか? しかも、このタンサンという代物は、
「商売になりそうだな……」
「ほお、面白いことを申すな、小僧」
「いや、俺だって前までならそんなこと考えもしなかっただろうがな。だが、この魔族が日常に溶け込んだ島なら、そういうことも出来るんじゃないか、ってな。もちろん、商売にする以上はスライム除外だがな!」
「……まあ、確かにな。不本意ながら、この島ではもはや魔族は畏怖され、滅される存在ではない。であれば、新たな関係性が必要か。それに商売を用いる、と」
思案顔の魔王。幼くも見えるが、背負った年月は長く、しかもそれは人間との争いだった筈だ。
「面白いことになるやもしれませんの」
ユーニスの口添えもあってか、フィアはにやりと不敵に笑い、
「宣戦布告と行こうか!」
そう、声高らかに吠えた。
なんだか知らないが、とりあえず歴史は新たなページを刻みだした。そんな予感を抱いたクレアであった。