であいのあじは、すらいむだった。
オレことクレアは霞のように消えゆく魔王城を見上げながら、16年の人生を振り返っていた。こんなふうな出来事に遭遇するようなきっかけはなんらなかったはずである。
16年前、ここイースアイランドに生を受け、6歳の時に母が病気で没した。しかし、それまでに与えられた温もりを思いだし、父とともに慎ましく暮らしていた。
そして7歳。勇者の存在を知り、子供ながらに憧れの情を抱き、心の赴くまま武術の修行を開始。猟師であった父は獣と遭遇する機会も多く、実践的な武術を得ていたために彼から一通りのことを学んだ。
十歳になり、『勇者制度』のことを知るに至り――
『ふざけるな、この腐れ外道共』
と、悪態を付くハメになった。
というのも、この『勇者制度』というものは、金持ちのボンボンが箔をつけるための制度であり、つまるところ貴族向け。しかも、毎年少なからぬ金銭を協会に対して収めなければならないという。
名目上は各地で援助を受けるためとは言っているが、魔王の降臨が十数年、あるいは百年のスパンを置いてしかないことを鑑みると、協会が懐を温め、なおかつ“勇者もどき”が各地で威張り散らすためのものでしかないのは明白だった。
それを知ったその日から、島の中央に位置する広場に設置された勇者像に蹴りを入れることを毎日欠かさずするようになった。
最初は台座を踏みつけるように蹴っていたのだ。しかし、ある日から膝へのハイキックになり、その次は腰への飛び蹴り、そして、最終的にはおよそ3mある像の頭部へとドロップキックをかませるようになっていた。その間に魔王城がものすごく近くに降臨していたのだが、そちらに手を出そうとは思えなかった。なにより、魔族の態度が平和的すぎた。
ああ、恐るべき身体能力とか言わないで欲しい。これでも普通の平和を望む一青年なのだから。
だがまあ、頭部へのドロップキックをできるようになってから4年。さきほどポーカーで負けた腹いせにやったら、勇者像の首がもげた。毎日やり続けていたせいだろうか。いや、こんな脆い像を造ったほうが悪い。勇者にしてはいやに線が細かったのも無関係ではないだろう。きっと……
まあ、そんな風に波風起こすような生き方はしてなかったので、目の前で急に起こったこの事態には目を疑うしかない。
「どーしたものかな……」
問題は消えた魔王城そのものではない。それに付随して落っこちてきたものの方だ。いや、モノ扱いはいただけないか。なにせ人形の生き物だ。
目を凝らしてみると、頭の右横から角が生えているのが見える。魔族の一人らしいが、どうも様子がおかしい。落ちることに抵抗する素振りもなく、ただ落ちるがまま。ただまあ、まとったマントが大きく風をはらみ、落下速度を緩めているのが多少の救いなのかも知れないが、
「落ちたら痛いことに変わりはないか。しかも、生きてる保証もないし」
魔族と言えども、高所から落下して生きてる保証はない。頑丈なのも多いが、生物であることもまた確かなのだから。
「さてー……」
独り言が多いが気にするな。考えるときの癖なんだ。
見回すと、なぜだか大量のスライムが落下してきている。紡錘形のためか、空気抵抗をあまり受けないようで、落下速度が早い。地上に到達しかけているのもある。
「うん、そうですよねぇ」
考えはまとまった。スライムはゼリー質の体だ。衝撃を受け止める力もあるだろう。これを地面に敷き詰めておけばクッションの代わりにはなる。ということで、
「よっとッ!」
地面を蹴り、一番低い位置にいるスライムを蹴ってある一点に送り込む。そして、オレ自身はその勢いを利用し、更に一段上のスライムへと。それもさきほどの場所に蹴り込み、またもや上へ。
そうしてスライムを階段のように利用し、蹴って一点に集めながら上を目指す。9年間欠かさず鍛えてきた足腰だ。このくらいは余裕と言えよう。しかし、問題は加速度の付いた人の体を受け止めきれるかどうか。
「あ、そっか」
なにも、そのままの勢いにしておくことはない。オレは下に集まったスライムの層の厚さを見て、ある程度に達していることを確かめる。そして、今まで下へ向かって蹴っていたスライムを、今度は上へと。ただ、上に行くことも忘れてはいけないので、上下一回ずつ。上へ行く時は更に勢いをつけて跳ぶ。蹴り上げたスライムは小柄な片角の腰にぶつかり、
「くふ――」
と妙な空気の漏れるような音を聞いたが気にしない。ついでに、軋むような音も聞こえた気がしたが、まあ、気のせいだろう。
時間にして一分足らず。集中することによって加速した体感時間的には数分の時間が経過。間近に迫った小柄な体を抱きとめ、足下に一匹のスライムを踏みつけて自由落下。
地面までは十秒もなかっただろう。足裏のスライムが断末魔の悲鳴のような、
「ぷぎゅッ!」
という悲鳴が上がったが、それがどのスライムのものだったのかはわからない。なにせ、地面にいたスライムはオレと腕のなかの人物の重さのせいでほとんどが衝撃を受け止めきれずに弾け飛んだからだ。
連鎖する悲鳴と破裂音が耳に痛いが、足腰への衝撃はさほどでもなかった。さすがスライム。クッション性能は抜群のようだ。体液まみれで凄まじいことになってるし、なんか口の中が酸っぱい感じするのだが。
「さてー……」
腕の中でぐったりしている片角を見る。抱きしめた時にも感じたが、随分と華奢だ。しかも、背も低いし。で、なんか体が柔らかい。
「柔らかい?」
空中だったのでよく考えずに抱きとめたのだが、気づけば胸元を掴んでいることに気がついた。
てっきり、小柄だが男だと思い込んでいたのだが(というのも、魔族に女性を見たことがなかったため)、どうやらこの片角、少女らしかった。
うん、気づいてみればまつげ長いし、ほっぺたぷにぷにしてるし、胸柔らかいし、腰もほっそり――
「あ……」
なにしてるんだろ、オレ。気絶してるし、魔族とは言え女の子。無遠慮に胸触りまくってんじゃん。
顔から静かに血の気が引いて行き、恐る恐る彼女の顔を見ると、
にっこり。
目が笑ってない。そして、華奢な体躯に似合わず、凄まじく鋭い拳が繰り出された。
クレア16歳。魔王との出会いはスライム味がした。