『猫と男』【掌編・文学】
『猫と男』作:山田文公社
とあるマンションのとある一室に、猫と暮らす一人の男がいた。その男は大変に猫を溺愛し、猫に服を着せ、三食を自動で与える機械を置き、とにかく考えられる猫の為の環境を構築していた。男の名前は田村徹今年で45になる独身貴族。何よりも猫を偏愛し、人間づきあいというものは就職してからほとんど辞めてしまい、もっぱら自室に引きこもり愛猫と幸せに暮らしていた。田村は家で猫と戯れてる時だけ大変良く喋り、会社に行けばへの字口でほとんど口を開かない、でも頭の中は猫でいっぱいと、そんな年中無愛想な男が田村徹。
田村は仕事が終わり、歩きながら携帯を操作した、それは設置したリモートカメラで愛猫のサラサを見るためだった。携帯の画面が切り替わり自宅のライブカメラと接続し、愛猫サラサの姿が写しだされた。
「サラサ~」
携帯の画面を撫でて呼びかける姿を見て、周囲の何人かは自然と田村から離れていく。普通の感覚なら田村の行動は実に怖い行動である。しかし田村からすれば、ただ愛猫を愛でているだけなのだ。
一方愛猫のサラサは、着せられた服を脱ぐ事を考えていた。わざわざ寒いから格好を温かくして冬毛に切り替えたのに、その上から毛糸のセーターを着せられたので、暑くてしかたがなかった。少なくとも食事の心配は無いので良いのだが、たまには外に出て散歩でもしてみたいが、どうにもあの男はそんな気は無いらしい。
田村は自宅はマンションの5階だが、エレベーターを待たずに階段を駆け足で登って自宅へと戻った。玄関を空けると愛猫が出迎えてくれた。無論愛猫サラサはそんなつもりは毛頭ない。何か物音が聞こえたから玄関へと向かっただけで、たまたまそれがこの家の主人だっただけ、ただそれだけの話なのだ。しかし田村はそんなサラサの事情など知らない。むしろ出迎えてくれたのだと、大喜びしてサラサを抱きかかえてキスを繰り返すのだった。当然サラサからすれば不快極まりない行動で、主人の顔を叩くのだがあまり効果は見られず、仕方なく身をよじらせて束縛から逃れるのだった。
概ね田村とサラサの関係はこういったものだ。
ある時、田村が会社でいつもの如くうだつの上がらない仕事をしていると、総務の女性から内線が入った。
「事務課の田村徹さんですか?」
田村は緊張しながら答えた。
「ええ、そうですが……」
田村は一瞬で色々と想像を張り巡らせた。例えばデートの申し込みだとか、あるいは家族に不幸があったとか、もしくは何か問題があってリストラを言い渡されるとか、出来る限りの想像をしたのだが、答えは拍子抜けするものだった。
「田村さんのマンションの管理人さんから外線5番にお電話です」
田村は一瞬事情が飲み込めずに、返答が遅れた。
「ああ、ええと、大家さんから電話?」
間抜けな田村の質問に総務の女性は少し笑いながら、再度答えた。
「ええ、大家さんから外線5番です」
それを聞いた田村は総務の女性に礼を良い、待機中を示すランプのついた外線の5番を押した。
「はい田村です」
そう答えると中年の女性の声が受話器のスピーカーを通して轟いた。
「大変よ! マンション火事なの!!」
田村はあまりの声の大きさに聞き取れず、受話器から少し耳を離して再度聞き返した。
「どうされたんですか?」
「だからマンションが火事なの!」
その言葉を聞き田村は血の気が引いた。
「え、マンションが火事?!」
「そうなのよ、一応ねマンションの住人全員に連絡をいれてるの」
「すぐ、行きます!」
田村はすぐさま受話器を置いた。そして立ち上がり部長の机の前に行き告げた。
「部長、家が火事なので、今日は帰ります!」
そう告げて、田村は荷物をまとめて駆け足で会社を後にした。田村は駅に掛ける道で携帯でライブカメラを開いた。そこにはサラサの無事な姿が映し出されていた。
「サラサ、今助けに戻るからな!!」
駆け足で駅に向かうなか、田村は携帯に写るサラサへとキスをした。
駅から自宅へと駆けて行く中で田村はサラサと過ごした日々を走馬燈のように思い出していた。初めて出会ったペットショップから、少しずつ成長していく姿を幾度と無く写真に写して残した。どれもかけがえのない日々だったと田村は振り返っていた。
自宅へと向かう道で田村は一瞬立ち止まった。それは自宅であるマンションから白い煙がもうもうと立ちこめているのが見えたからだ。
「サラサー!!」
田村は叫んだ。通りを行く人々が田村を驚いて見たが、田村は気にもとめずにマンションへと猛然と駆けだした。それは恐らく田村の人生においては全力疾走と呼べるものだった。
マンションの下には消防車や警察の車が止まっていた。そこへ田村は突っ込んで行った。警察や消防の静止する声が聞こえたが田村は無視して自宅の部屋へと猛然と駆け抜けて行った。
自宅の玄関を空けると、いつも同じように愛猫サラサが出迎えたのを見て、田村は安心してその場へ座りこんでしまった。そして近付いてきた愛猫サラサを捕まえて、キスを繰り返し、いつもと同じように猫パンチを食らわされて、逃げられるのだった。
「サラサ!」
突然の叫び声にサラサは驚いて振り向いた。すぐにまた捕まった。逃げようと思ったがいつもよりも強く捕まえられているのか、逃げ出せなかった。すぐに田村は自宅のマンションから飛び出して一階へと駆けだして行った。
警官や消防隊員は田村を非難したが、田村は猫に頬ずりするばかりで聞いてる様子はなかった。
「良かったなサラサ、本当に心配したんだぞ」
そんな田村の言葉に、マンションから煙が気持ち上がる程度の様子を見たサラサは言うのだった。
「まったく大袈裟だな」
しかしサラサの言葉はただ田村の耳にはこのようにしか聞こえなかった。
「にゃあ」
田村は曲解して喜んだ。サラサは迷惑そうな顔をして、頬ずりされていた。耐えられなくなったサラサは身をよじり田村の腕から逃げ出すと、辺りを散歩する事に決めた。田村が追ってくる前にサラサは逃げ出した。
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