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『ソフィアの書架:アルハンブラの幻影』  作者: 雨宮余白
第2章:白い回廊にて

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9/11

Part 4:記録は変わる

概要:

ソフィアは再び書架へ向かい、以前記した紙片に“変化”が生じていることに気づく。

それは読み手の存在を示す応答であり、記録そのものが“書かれたとおりではなくなっている”という異変。

回廊に残るファーティマの気配が完全に消えるのを、ソフィアは柱の影でじっと待っていた。

音もなく、匂いも残さず、彼女は去った。けれどその言葉と視線の余韻だけが、空気に膜のように残っていた。


「……帳簿に紛れた紙。」


誰かが何かに近づいている――それはもはや予感ではなく、確信に近い。

それでも今は、それを追うことはできなかった。


彼女の胸の奥には、別の緊張があった。

あの紙片――書架に戻された、あの応答。


誰が“読んだ”のか。

その読者は、どこからアクセスしたのか。

そして、それは未来か、それともここにいる誰かなのか。


ソフィアはふたたび、扉の奥へと足を踏み入れた。


書架は沈黙していた。

だがその沈黙は、まるで息をひそめた生き物のように、生々しい。


巻紙を収めている棚を開く。そこには、彼女の過去の記録が、折り重なるように束ねられていた。

墨の色も、紙の質も、それぞれ違う。だがすべて、彼女の手から生まれた言葉たちだ。


その中から、一枚の紙片を取り出した。


たしかに、自分で書いたものだった。

けれど、違っていた。


記憶と文字の並びが、一致しなかった。


彼女が書いたはずの文――


「書かれる言葉は、沈黙の中でひとり歩き出す」


そう記した記憶がある。たしかにそうだった。

だが今、紙に書かれていたのはこうだ。


「沈黙が歩き出すとき、書かれる言葉は遅れてついてくる」


意味は似ている。だが構造が違う。

読み手によって読み替えられたような、そんな感触。


筆跡は間違いなく自分のものだ。

だが、どこかが違う。

筆圧、文字の角度、インクの乾き方――すべてが微妙に“後書き”を思わせた。


ページを裏返す。

そこにはさらにもう一文、記憶にない言葉が書かれていた。


「おまえの記録は、わたしに届いている。だが、私が誰であるかは、おまえが書き終えるまで知られない。」


ソフィアは言葉を失った。


これは夢ではない。

幻想でも、幻覚でもない。

この記録は、生きている。読む者に応答して、書き換えられていく。


この現象を、彼女は知識として知っていたわけではない。

だが、感じた。

書架が“読む存在”を受け入れ、その読み方に応じて、記録の構造を微かに変化させる。


記録とは、封じられたものではない。

書かれた瞬間から、読み手との“往復”が始まる。


「……これが、ナディームの言っていた意味……?」


以前、夢の中で語られた言葉が蘇る。


――読む者がいなければ、書かれたものはまだ未完成だ。


彼女は震える手で、筆を取った。

紙片の余白に、そっと言葉を書き添える。


「あなたは、すでに読んでいる。ならば私は、まだ書ける。」


それは記録であり、返信でもあった。


棚にその紙片を戻した瞬間、わずかに空気が揺れた。


彼女ははっきりとは見なかった。だが、紙片がしまわれた瞬間に、その文字がわずかに“位置をずらした”ように見えた。


読まれた記録は、変わる。

変わることによって、また新たに書かれる場所が生まれる。


書くこととは、いつも遅れてやってくる呼吸を追いかけること。

そうナディームは語っていた気がした。

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