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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【BL】 僕の英雄

作者: 大島Q太

 僕の英雄


 空には糸のような月が昇り。森は星々を吐き出して静かに眠っている。

 その森に埋もれるように立つ《北の塔》は近隣のものでさえその存在を知るものは少ない。

「今日からここがお前に家だ」

 少年は小突かれながら先の長い階段を上った。そこは石壁の寒々しい部屋だった。


 少年の名前はシリル。名前以外は何もかも隠された少年だった。


 それからシリルの知る世界は、この北の塔の最上階にある部屋の窓から見る景色のみとなった。

 どうしてこんな目に合うのか。それはほとんど交流のなかった母の死がきっかけだった。ここの塔を管理する兵士たちが言うには、シリルは生きていてはダメらしい。でも死ねばもっと厄介らしいということ。

 彼らが言うにはシリルは悪魔らしい。

 兵士たちは皆茶色い髪と、緑の目をしていた。しかし、シリルは水たまりみたいな濁った灰色の瞳と、老婆みたいな白い髪。生気を感じない白い肌をしていて、見ているだけで気分が悪くなるそうだ。

 兵士たちは躾という名の暴言と暴力をふるう。

 シリルが何より恐ろしいのは本当に自分が悪魔だから、こういう目に合うのではないのかと思ってしまうことだった。シリルは息をすることさえ苦しかった。




 だが塔生活も四年の月日が過ぎたある日。シリルの世界に光が差した。


 それはいつもの荷下ろしを窓の下で聞いていた時だった。

 兵士の怒号でも、獣の鳴き声でもない、音色の違う声が聞こえてきた。窓のふちから見下ろすと、荷運びをする人の中にいた子どもが大きな口を開いてその音を出していた。

 あとで知ったがあれは笑い声というものだったらしい。聞いているだけで口角が緩む不思議で楽しげな音だった。

 ついもっとよく聞こうと窓から乗り出してしまった。

 子どもはシリルの視線に気づき、驚いたように目を見開いた。

 シリルは思わず身を引いた。

 兵士たちが自分は悪魔で見るだけで不快になると言っていたから。

 シリルはひっそりと落ち込んだ。兵士たちが不快に思うのは気にならないが、あの子が嫌な気分になるのは少し申し訳ないと思ったからだ。


 まだ下では物音がしてシリルは膝に顔をうずめる。

 だが好奇心にあらがえずもう一度そろりと見下ろすと、その子どもが森のようなきれいな緑の瞳を見開いてこちらを見ていた。どうしていいかわからず手を振ると。彼は不思議な表情をした。あの表情はどういう表情なのだろう。だけど、あの子の緑の瞳には、嫌悪も恐怖もなかった。ただ、森の木漏れ日のように澄んだ光が宿っているだけだった。



 鈴が鳴ると、シリルは窓枠に着いた滑車に縄を掛け、籠を下ろす。届いた荷物はこうやって窓から最上階まで持ち上げる。下で荷が詰み終わると、兵士たちがまた鈴を鳴らす。

 シリルは両手で縄を引き、籠を最上階まで持ち上げる。箱を一つ一つおろしていると、籠の中にいつもは見ない赤い木の実が混じっていた。それを持って窓を見下ろすと、あの子どもが同じ赤い実を持って振っていた。


 あの子のきれいな木漏れに輝く森の色をした瞳はシリルの心に住み着いた。



 それからは荷物が届くのが楽しみになる。彼は荷物を運ぶ手伝いをしているようだった。シリルは兵士たちにばれないように少しだけ顔を出して窓から見下ろすと、あの子もこちらを見上げていた。

 シリルが誰にもばれないように小さく手を振ると、あの子は目を細め、口角を上げる。あの表情は心をくすぐったくさせた。


 荷物に混じるのは赤い葉っぱだったり、木の実だったり。きれいな小石だったこともある。

 シリルは荷物の中にそれを見つけると、胸に抱きしめて部屋の中をくるりと一周する。なぜそうしてしまうのかはわからないが、それをせずにはおられず。そうすると、不思議と輝く一番星を見つけたときのような。森を飛ぶ一等きれいな鳥が窓にとまったときのような嬉しさがこみあげてくる。


 それから、シリルの机の引き出しは、あの子がくれる宝物を並べる箱庭になった。

 赤い実や、鮮やかな鳥の羽。きれいな石や燃えるような色の葉っぱ。

 引き出しを開けるたび、シリルの心にはポッと明かりがともった。


 それは月のきれいな夜だった。

 窓から何個も石が飛んできた。驚いて窓の外を見ると、塔のふもとに人の影があった。その影は兵士にしては一回り小さかったために思いあたった。

 あの子かもしれない。


 見ていると小さな影は、塔のわずかな凹凸に足をかけて登ってくるではないか。シリルはあわてて滑車に縄を掛けておろすと彼はその縄を伝ってぐんぐん上ってくる。

 やがて窓からトンっと部屋に入ってきた。

「はじめまして、俺はハオラン。君は?」

 兵士よりも少し高い声で、だけど優しい音だった。

 シリルは母がいたころに習った礼の仕方で腰をかがめた。

「はじめまして、シリルと申します」

 彼は満面に顔を輝かせて、そのキラキラとした目をシリルの瞳に近づける。

「へー、男の子だったんだ」

「そういう君もね」

 シリルがすかさず言い返すと、ハオランはぷはっと大きく口を開けて、あの日聞いたのと同じ不思議な音を出した。シリルもつられて口角が上がる。


「それはなにをしているの?」

「笑ってんだよ。シリルって面白いね」


 シリルはまじまじとハオランを見た。ハオランが笑うと胸がうれしさでいっぱいになることを知った。


「ああ、でも私を見ないで、兵士たちは私を見ると気分が悪くなるというんだ」

 シリルはあわててベットに上がり、上掛けをかぶった。

「それはどうして?」

 ハオランは近づいてきて、シリルをのぞき込むように見つめてきた。

「私の目は濁った水たまりのような色で……」

「そうかな? 深い湖の色に似ているよ」


「髪は老婆のようで薄気味悪くて」

「いや、朝露に濡れる蜘蛛の糸みたいにキラキラしてる」


「肌は血が通っていない。悪魔みたいだって」

「まだ誰も踏んでいない雪みたいだよ。今は赤くなってておいしそう」


 シリルは驚いて目をしばたたかせた。

「怖くない?」

 ハオランはシリルの上掛けを強引に取り上げ。

「むしろずっと見ていたいよ」と言った。

 シリルもハオランの木漏れ日のような光をたたえた瞳をずっと見ていたいと思った。




 ハオランはそれから塔に上ってくるようになった。


 ハオランはシリルの知らない塔の外の世界の話をして、シリルはハオランに文字の書き方や数字を教えた。


「きっとシリルはどこかの偉い人の子供なんだろうな」

 ハオランは幼子をあやすようにシリルを抱きしめてそんな風に語り掛ける。

「どうだろう。兵士たちは平気で私を殴るけどね」

 シリルはそう言って、今日つけられたあざを見せる。


 ハオランはそのあざに唇をつける。これはハオランの家のおまじないだそうだ。

「これ以上痛くなりませんように、早く治りますように」

 シリルはこのおまじないをされるようになって、痛くても泣かなくなった。


 ハオランの唇はひととおりシリルのあざにおまじないをかける。

 すべて終わると最後に、シリルに口づけた。

「大好きだよ。シリル」

 ハオランの声は甘く耳の奥まで届く。

「僕も。ハオランが大好きだよ」

「僕っていうんだな……」

 からかいを含んだ声に、シリルは口を押えてハオランをにらんだ。

「普段はちゃんと、私って言っています」

「なら、俺だけの特別だな」

「……そうだね」

 そして二人はまた顔を近づけて、口づけを交わした。



 シリルはこんな日がずっと続くものと思っていた。


 だから、ハオランの決意には心から絶望した。ハオランは今年十五歳の成人を迎えていたらしい。成人すると兵士に志願できるそうだ。

「オレは戦争に行く」

 ハオランはぐっと眉を寄せてそう宣言した。


「俺が英雄になったら。シリルとずっと一緒にいられる。家族になれるんだ。だから……祈ってほしい。俺の戦果を」


 この国は森の反対側の国と戦争を始めたそうだ。シリルの世話をする兵士も、若い兵士たちから老いた兵士に変わっていた。若い兵士たちはこぞって戦場に送られているという。

 そして、戦争に向かう兵士の間にはまことしやかな噂が立っている。戦争で功績を立てれば、身分が低くても地位が与えられあらゆる望みが叶うと。


 ハオランは望みをかなえるために、シリルのために志願したそうだ。


 シリルは何も言えなかった。シリルのためと言われるのはうれしいのに。この真っ暗な塔の中で唯一の光だった彼が遠くへ行ってしまう。それが悲しくてたまらなかった。たとえそれが自分のためだと言われても。ただただ悲しかった。



 宣言をしたその日初めてハオランは朝まで塔にいてくれた。

 真っ黒だった空が藍色にそして、茜色に変わり。鳥が朝を告げてもシリルをぎゅっと抱きしめていてくれた。なのに、次いつ会えるかわからなくなるかもしれないことが、とにかく悲しくてシリルは泣いた。


「英雄になったら、迎えに来るから」


 ハオランはどうしてあんなにピカピカな笑顔ができるのだろう。ああ、シリルに笑い声を教えてくれたのもハオランだった。思い出して口角を上げると、ハオランがふっと泣きそうに眉に力を籠める。


「笑った顔が見られてうれしい」


 驚いて見つめると、ハオランも笑っていた。

 シリルは慣れない笑顔をめいっぱい作った。


 これから会えなくなる間、思い出す顔がこの最後の顔でありますようにと。


 最後の抱擁を解いてハオランは出て行った。約束だけを残して。



 ***


 ハオランが向かった戦場は苛烈なものだと聞いた。

 敵国は大型魔法陣で人を人とも思わない非人道的な攻撃をする、まるで悪魔のような人たちらしい。優しいハオランがそんな場所で、心を正しく生きていけるだろうか。

 シリルにできることは、ハオランの無事を祈ることだけだった。君が守られますように。




 約束から五年の月日が過ぎたころ。戦局はさらに厳しくなり北の塔も封鎖が決まった。シリルは頑丈な馬車に乗せられて、王都に連れていかれた。

 塔に未練はない。だが、ハオランがあの場所に迎えに来るかもしれないと、それだけが心残りだった。不思議なほどハオランは生きていると信じていた。



 シリルは地下牢に幽閉された。窓のない暗い牢では時の流れは意味を失った。

 松明が照らすのみで外の光は差さず、食事はいつ来るとも知れない。足音が近づくたび、死神の足音ではないかと息を殺した。気まぐれに振るわれる暴力は視界を絶望と恐怖に染める。


 もう誰もまじないをかけてはくれない。


 自分がまだ人であるのか、ただ暗闇にうごめく本物の悪魔に成り果てたのかさえ、わからなくなっていった。

 だから、ただひたすら祈った。

 ハオランが守られますように。彼が迎えに来ますように。




 それは、突然のことだった。

 これまでに聞き慣れた兵士の革靴の音ではない。牢の石畳を金属が打ち付ける重く鈍い響きが牢の外に響いた。激しい足音は次第に数を増し、シリルは怖くなって牢の隅へ身を寄せ、体を小さく縮めた。



「いらっしゃったぞ!」

 まばゆいたいまつが牢の中に押し付けられ、シリルは目を細める。ひときわ大きな金属の足音が牢の前で止まると、一斉にガシャンと金属の音が鳴った。


 檻の前に立つ、ひときわ体躯の大きな男は、アーメットを脱ぐと、胸の前で拳を軽く突き合わせて礼を示した。

「わたくしは、エルディアス国の将軍――ガレオン=ルクサス。シェイファン=シリル・ホウラン殿下をお迎えに参りました」

 エルディアス国はこの国の敵国だ。ということはこの将軍は敵軍の長である。


 シリルは驚いて声も出ない。

 ゆっくりと目が慣れてくると、将軍を名乗る男のその様に驚いた。なんと、彼はシリルと同じ白い髪と青灰色の目だったのだ。


「シェイファン殿下」


 将軍の青灰色の目に射すくめられてシリルは全身を震わせた。

「その名前に覚えはありません。私はただのシリルです。何者かは分かりません」

 将軍は立ち上がると、カギに向かって剣を振り下ろした。

「ですが、あなた様は母である王女殿下にそっくりですよ」

 そんなことを言われても、母の記憶はない。だが彼らが言うには、親子だと見目だけでなく魔力も似てくるという。シリルは生まれてずっと魔法など使ったことはないのだが。しかし、そのおかげでシリルは助け出された。


 かかっていたカギは簡単に外れて牢が解放された。

「シェイファン殿下。 失礼」

 将軍は牢の中に入ると、そっとシリルを抱き上げて歩き始めた。

 長く暗い廊下を出ると、どこかの中庭のような場所にたどり着いた。だが、あたりに立ち込める生臭い血の匂いにシリルは眉根を寄せる。


 将軍はシリルを抱えたまま中庭を進み、低く落ち着いた声で説明した。

「ここは王宮の中庭です。安心してください。あなたを害した者たちを処刑しました」

 遺体もないのに血の匂いが漂うほどの処刑とはどのようなものか。ふいにハオランはこのような場所で戦っていたのだろうかと思い当たった。

「そ、そうですか……」


 気持ち悪くなって口を手で押さえる。

 将軍がじっとシリルを見つめていることに気付いて身震いした。

「あなたが生きていることを聞き出すため。急ぎました」

「あの……もしかして戦争は終わったのですか?」

 将軍は大きくうなずいた。

 シリルは祈りをささげた。戦争が終わったのならハオランに会いたい。ハオランが無事でいますように、迎えに来ますように。熱心に祈った。

 その様子を将軍が冷めた瞳で見ているのも知らずに。




 シリルの環境は一変した。


 ガレオン将軍の言によれば、シリルはエルディアス国の第三王女と、この国の王との間に生まれた子だという。だが、王女はシリルが八歳の時に亡くなったため。シリルの命を狙うものが出てきた。生きていれば、人質だが死んでしまえば攻め込まれる理由になる。そのため、王の手によって身分を伏せて塔に隠されたそうだ。

 将軍に会うまで、シリル本人は自分が王の子であることなど知らなかった。



 この国の王族をことごとく粛清した今、シリルはただ一人正統な血を引く者として冠と笏が与えられ、居心地の悪い王座へと座らされることになった。

 隣には常にガレオン将軍が控えており、王としての決定をひとつひとつ確認してくる。


「あそこの領地はあの者に」

「はい」

「この鉱山の名義はあの者に」

「はい」

「この罪人は公開処刑で」

「はい」


 そのたびにシリルはただ「はい」と答えるだけで、決定の重さを理解する知恵も余裕もなかった。

 朝の儀式、領地の管理者たちとの面会、罪人の処刑の確認、外交文書への署名。

 差し出される書類はすべて将軍やエルディアスから派遣された文官たちが処理したものばかりで、シリルは形式的に署名するだけ。自らの意思で決めたことなど一つもなかった。

 己の無力さを突きつけるような現状に、胸の奥がひりつく。それでも、生きてさえいればハオランが迎えに来るかもしれない。シリルは心を閉ざすことで自分を守った。


 ハオラン。早く迎えに来て、とシリルは祈る。



 シリルの生活は常に隣に将軍が立っていた。そんな日々が続けば、王宮内ではまことしやかに二人はそういう特別な仲なのだという噂が流れた。それに合わせるように将軍の態度はどんどんシリルに甘くなっていく。他に人がいても側によれば頬を撫で、瞳の色を褒め、髪の一房に口づけを落とすこともあった。将軍が選んだものを着せられ、社交には将軍がエスコートする。

 シリルは彼が苦手だった。将軍の獲物を狙うような瞳がシリルの胸をざわつかせる。もしシリルがハオランを知らなければ、その瞳は恋する瞳だと思っただろう。だが、本当に恋する瞳というのはこのような強いものではない。

 将軍は立派な人だけれど、シリルが一途に思うのはハオランだけだ。

 どんなにハオランよりもきれいな言葉でシリルのことを褒めようとも、瞳は湖の色で、髪は朝露に濡れた蜘蛛の糸のままでいい。森の木漏れ日のような優しい瞳を胸にともしたシリルは揺るがなかった。


 そんなシリルの心に気づいてか、将軍はあからさまに口説くようになってきた。

 王宮内を移動していると、空き部屋に連れ込まれることもある。

 腕を回し、体を寄せ、熱のこもった視線でシリルを押し込むように見つめる。

「シェイファン……」

 低く響く声と共に、将軍は口づけを落とした。だが、将軍の口づけはハオランのように痛いところが治るおまじないではなかった。


「どんなにあなたが私を拒絶しようと、あなたは私のものになります」

 それは何よりも悲しい宣言だった。


 ああ、ハオラン。

 私がこんなにつらいのに君は夢にも出てきてくれない。



 ***

「お披露目の日が決まりました」と、将軍が告げた。

 シリルは顔を上げ、静かに将軍を見つめる。

 戦争の後始末も終わり、終戦宣言を行うため、シリルを正式にこの国の王として国民にお披露目することが決まったのだという。

 シリルはわずかに口角を上げた。

(国民の前に立ち、私が生きていると知れば、ハオランが迎えに来てくれるかもしれない)


 だが、指先に鋭い痛みを感じて、現実に引き戻される。

 ガレオン将軍がシリルの手を取り、指先に歯を立てていた。

「その日、あなたは私のものになるのですよ」

 シリルの王としてのお披露目に、将軍もまた王配として出ることが決まっていた。将軍の瞳はシリルの苦手な獲物を狩る獣の瞳だ。だが、はて……今日はそれになぜか嗜虐的な色がにじんでいた。

「何か……あるのですか?」

 思わず尋ねたが将軍は答えなかった。小さなとげのような引っ掛かり。将軍はぐっと身を寄せて胸にシリルを閉じ込めると。

「あなたを私だけのものにするだけです」

 そう言って髪に口づけた。



 お披露目の日。空はからりと晴れていた。


 王城前の広場にはたくさんの人が詰めかけていた。喧騒と人波が渦を巻いて恐ろしい生き物のように見えた。シリルは震える手を隠しバルコニーに立つ。手を振るとより一層の歓声が広がった。

 将軍は少し後ろに立って、シリルの様子を見ていた。


 民衆が待ち望んでいるのは、この戦争で一番多くエルディアス国の兵士を殺した男の処刑だった。処刑台には、袋をかぶせられた体格の良い男がひざまずいてその時を待っていた。


「シェイファン、よくご覧ください」

 将軍はシリルの手を取ると、甘いしぐさで指先に口づけた。


 早くこんな趣味の悪い時間終わればいいのにと処刑台を見る。彼もまたシリルの裁定で処刑が決まった名前すら知らない人の一人だ。


 男はただ神に祈るように頭を垂れていた。上半身は裸にされ、さらされた肌には幾重もの赤い傷跡が走っていて痛ましい。


「あの男は敵ながらすごい奴でね。何かの加護がかかっていたのだろうな。どんなに傷をつけても、次の日には戦場で剣を振るっていたよ。彼は『不死の英雄』 などと呼ばれていたが……我々からすれば、度し難い悪魔だ」

 将軍は忌々しげに男をにらんでいた。


 エルディアス国にとっては悪魔、だが立場が違えば英雄だった男。

 少し興味がわいて、手すりに手をかけ男を見る。

 処刑人が処刑台に上ると、観衆がひときわ声を高く上げた。処刑人は丁寧な礼をすると、かぶせていた袋を取りあげ、男の顔を民衆にさらした。


 シリルは男の顔を見て驚く。

 処刑台の男はハオランだった。

 すっかり大人の顔をしたシリルの大切な人。


 君が戦犯だなんて。

 君はひたすら英雄になろうと僕に似た人達を……幾千もの人達を殺したという。君がどんなに心を殺して敵を屠ってきたか。君の心が悲鳴を上げていた時。君が悪魔と呼ばれていた時。僕はただ祈って待っていただけだというのに。


 思わずシリルが祈ると、ハオランは白く光りを帯びた。


「あれが悪魔の証拠だ!」

 民衆はその様子が不吉に映ったのか石を投げつけ始めた。兵士たちがそれを辞めさせるために、広場はざわついた。


「ハオラン……」


 シリルがつぶやくと、それまで頭を垂れていたハオランがこちらに目を向けた。彼の木漏れ日を映した瞳は片方がつぶれ。髪がえぐられるほどの傷が顔を縦断しのどまで伸び赤く引きつっていた。

「……シリル」

 声がここまで聞こえるわけはなかった。だけど彼の口が動いてそう呼んだように見えたのだ。


 僕とした約束のためにこれから、これから君は死ぬのだろう。僕の手で……。


 処刑人はハオランを木の台に固定した。


 広場にいる人々の声が、獣の唸り声のようにとどろく。戦争の悲しみや、理不尽をその背中に乗せるように。悪意と熱気が広場に渦巻いて異様な興奮に包まれていた。




「ああ、僕は北の塔のシリル。シェイファンなんて名前じゃない」

 シリルは冠と、笏を投げ出して。マントの留め具を外した。

「……なにを?」

 将軍は薄い笑みを浮かべるシリルを見つめた。

 それは将軍が見る最初で最後のシリルの心からの笑顔だった。


「将軍、僕はどうやら迎えに行かねばなりません」



 自分はなんて愚かだったんだ。迎えに来ることばかりを願って……僕が迎えに行くべきだった。

 もう何もいらない、僕が背負うものは僕自身だけでいい。

 バルコニーのてすりに飛び乗ると、両手を広げて飛んだ。世界はあの塔から見た空と、同じ色で迎えてくれた。



 英雄の首が体から離れると同時に、シリルの体も宙を飛んだ。

 将軍の伸ばされた手は空を掴む。

 ハオランの首がぽとりと落ちる瞬間、シリルの体は石畳に打ち付けられた。


 あの赤い木の実を思い出すような、血だまりの中でシリルはかすかに動く指をハオランに向けて動かす。


(一人では死なせないからね。僕の英雄)






読んでくださりありがとうございます。

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