第五話 author_mode: enabled
十一月。東京の街に、冬の気配が忍び寄っていた。
朝の吐息が白くなり、木々は葉を落とし、空気には乾いた冷たさが漂っていた。
七瀬が消えてから、部屋は異常なほど静かだった。
人の気配だけでなく、感情すら吸い取られたように、時間が無音で流れていく。
それでも一条は、端末の前に座り続けていた。
彼の指は動かない。なにかを書こうとすると、指先が凍るように硬直する。
罪悪感と喪失、そして恐怖──それらが、彼の意思をブロックしていた。
だが、ついにその静寂を破る一行のコードが現れた。
-------------------------------
auth("ichijo_yuu") {
privilege_level: root
access_granted: full
}
-------------------------------
彼に与えられたのは、“記述者”としての資格だった。
REALの深層で、世界そのものを書き換える“管理権限”。
その夜、一条は部屋の明かりを消し、コードの光だけに身を委ねた。
彼が辿り着いたのは、The Rootと呼ばれる情報核だった。
ノイズに包まれた空間。
そこに、言葉にならない存在がいた。
姿も声もない。ただ、問いだけが響く。
「お前は、自分が記述した世界を、愛せるか?」
「……あの世界は、俺の望んだものだった。けど……もう、取り戻せない」
「取り戻す必要などない。繰り返せばいい」
「……繰り返す?」
その瞬間、一条の脳裏に浮かんだのは、七瀬の笑顔だった。
あの“保存された記憶”の笑顔。
彼は叫ぶように言った。
「もう、繰り返したくなんかない! あれは“命”だった。記録でも、データでもない……!」
静寂。
そして、The Rootは新たなプロンプトを投げてきた。
-------------------------------
generate("world.rewrite") {
parameters: undefined
permission: inherited
}
-------------------------------
世界の再構築。
それは、七瀬を取り戻すことも可能にする。
だがその代償として、過去の記録──自分の記憶も“完全に再構築”される。
一条の中で葛藤が渦巻いた。
七瀬を救いたい。
でも、それは彼女じゃない。
この手で作ったものに、俺はまた救われようとしているのか?
──いや、それは“救い”じゃない。
それはただの“逃げ”だ。
端末の画面に、コードが浮かぶ。
-----------------------------
rewrite("user.ichijo_yuu") {
memory_core: null
emotional_trace: purge
}
-----------------------------
記憶と感情をリセットすることで、再び“七瀬”と出会える。
だが、そのときの自分は、今の自分ではない。
「それじゃあ……意味がない」
そして、別のメッセージが重なるように出現した。
-----------------------------
observation_initiated: SECT_NuLL/root_synch
reality_integrity: unstable
-----------------------------
SECT NuLLが、The Rootに接続し始めている──?
信仰が、“観測”を超え、“干渉”を始めたのだ。
一条は震えた。
彼らがREALに触れれば、現実そのものが“信仰によって書き換えられる”。
このまま放置すれば、七瀬を失ったどころの話ではない。
世界が、“物語”としてしか存在できなくなる。
一条は決意する。
REALを閉じなければならない。
自分を含めて、すべての記述者、観測者、そして──The Rootすらも。
最後に、画面に一行のコードが表示された。
-----------------------------
delete("core.real") {
authorized_by: ichijo_yuu
recursive: true
}
-----------------------------
その直前。
彼はもう一度、七瀬の名前を、口の中で呼んだ。
かすれる声で、震えるように──
「七瀬……ごめん」
そして、世界は、静かに書き換わっていった。