表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8


 愛する人がいた。

 物心ついた時から婚約者で、初めて出会った瞬間から芽生えた恋は、少しずつ大きく膨らんでいった。


「■■■■■」


 私の名前を呼んでくれる貴方が好きだった。

 いつ如何なる時も、王太子らしく真っ直ぐ前を見据えている貴方を、支えたいと思った。

 勉学に疲れている貴方が、それでも私との茶会で見せてくれる笑顔が好きだった。


 ――でも、貴方はきっと私を愛してなどいなかった。


 だからあのような仕打ちを、私にしたのだろう。


 その日は、王城でお茶会の日だった。定刻通りに訪れれば、王妃様と貴方が待っていて。王妃様は笑いながら私に「お茶を淹れてくださらない?」と言った。

 戸惑いながらも、私は淹れた。真心を込めて、大切な二人の為に紅茶を淹れて。

 そうして淹れ終わった紅茶を差し出せば、王妃様がシュガーポットから一粒角砂糖を取り出しポチャリと入れる。くるくる銀スプーンで水面をかき混ぜ始めた。


 そして、叫んだ。


「■■■■■! なんなの、これは⁉ スプーンが錆びたじゃない!」


 ……え?


「まさか、毒を盛ったというのか⁉」


 え?


 思考が、定まらない。堂々巡りを繰り返す。


「私が、毒を? ……神に誓って、そんなことっ」

「では、■■■■■が今淹れたこれを飲んでみろ」


 言われるがまま、私はティーカップに手を伸ばす。手が震えるせいで何度もカチャカチャと音を立てながら、なんとか持ち上げた。

 本来透き通っている筈の紅茶は、今は濁っている。私は汗をポタポタ流しながら、紅茶を流し込んだ。


 ――口の中が甘ったるいモノでいっぱいになった。砂糖でもない、吐き出してしまいそうな程の甘さが私の脳を占拠する。

 喉がカッと熱を持った。鮮烈なまでの痛みが全身に走った。手で口を覆えば、その手が真っ赤に染まる。


「こいつは大罪人だ! 連れて行け!」


 貴方の怒声が響き。私は乱暴に掴まれた。そして血を床に零しながら、私は連れて行かれる。掴まれた肩は痛くて、身体中が熱で煎られた石を投げ入れられたように熱い。お腹の底から溶けてしまいそうだった。


 でも今私が涙を流しているのに、それらは関係ない。


「ど……し、て」


 貴方と王妃様が、唇を吊り上げながら私を見下ろしている。私が毒を飲むのを望んでいるように。

 その答えを探している間に、私は牢屋へと連れて行かれた。苔が生えたタイルに、ベシャリと乱暴に置かれる。 

 私はその拍子に血をまた吐きながら、意識を飛ばした。



 強い痛みで、意識が戻された。薄く目を開ければ、貴方が立っていた。


「お前は明日の朝、王族を殺害しようとした罪で処刑されることになった」


 愉悦に歪んだ声だった。


「っなんで、ですか……」


 声は掠れて、一音一音話すだけでも苦しい。


「なん、で……わたしを」

「隣国の王女と結婚する為だよ」


 簡潔に返された言葉が、私を絶望の底に落とすのは一瞬だった。


「この間の外交の時に、お互いに恋に落ちてね。国同士の繋がりとしても好ましい。……だけど■■■■■。君がいると全てが狂うんだ」


 誰なのだろう、この人は。私の愛する貴方は、もっと、もっと陽だまりのように優しい人で――


「君の父上を敵に回すのも嫌だからね。だから、君を罪人にすればいいと気づいたんだ! 君の父上は、君が僕たちに毒を盛ったと伝えたら随分と良い条約を結んでくれたよ」


 じゃあ、私は毒を、盛ってなんか!


「死んでくれ■■■■■。君が罪人として死んでくれれば、全てが丸く収まるんだ」


 いや、嫌だ。私は、こんな風に死にたくて、今まで息をしていたわけじゃない。

 貴方と、幸せに生きたいから生きてきたのに。


「あ、ああっ」


 貴方の脚に縋り付けば、思いっきりお腹を蹴られた。ゲホッと血の混じった胃液を吐く私に、貴方が馬乗りになる。

 そして、私を殴り始めた。


「ずっと、ずっとっ。お前が大嫌いだったんだ! 優秀だからと調子に乗りやがって!」

「や、めっ」


 身を捩るが、上に乗られているせいで逃げることは出来ず、顔を殴られ続ける。痛みで意識が朦朧とする。

 そして、鼻を殴られなにかが曲がる音がした後、私は意識を失った。



 ――それからは、全てがボンヤリしている。目が覚めた私は、すぐに断頭台に立たされて。石を投げられながら首を切られた。腫れ上がった顔では前もよく見えなくて。だけど、寄り添う男女が目についた。

 貴方と、隣国の王女だった。


 そして私は、最初の生に幕を下ろした。



「……っは」


 短い声を上げながら起き上がる。うなされていたようで、背中がじっとりと汗で湿っていた。

 どうしてこんな夢を見たのか。その理由に見当はついている。


 ついに、今世でも現れたのだ。私の婚約者と恋に落ちる少女が。

 今度の少女は、男爵令嬢。ヴィオレット•マーシャリー。

 最近、シドウィス様との距離が近い人。


 ――どうか、今世こそは。この恋だけは。絶対に守ってみせる。


◇◇◇


 学園に入学し、三ヶ月経った頃。私が十七歳の誕生日を迎えて少し経った頃に、いつものお茶会でシドウィス様は私に告げた。


「メルフェナ、僕を信じてくれますか?」

「……なんですか、急に」

 

 問いかければ、下を向いていたシドウィス様は苦しそうに顔を歪ませた。


「理由を言うことは、出来ません。だけど、僕を信じて欲しいんです」


 その言葉に既視感を覚えてから、私だ、と納得する。帽子を探してきてもらった私も、確か同じようなことを彼に言った。

 そして貴方は、すぐに信じてくれた。だから――


「信じますよ、いくらでも。貴方がそうしてくれたように、私も」


 躊躇いもなく言えば、シドウィス様はボンヤリとした顔をした。それから、頬を緩める。


「僕も、メルフェナが好きです」

「『も』とはなんですか。私は貴方が好きとは一言も言ってませんけど」


 シドウィス様が唐突に言い出すからドキドキしながら言い返せば困ったように笑った。


「それもそうですね。……ですが、メルフェナが僕を信じると言ってくれたことが、とても嬉しいんです」

「そ、うですか」


 好き。ただそう思う。


 そして、三日後。図書室から出た私は。


 ――とある男爵令嬢と仲睦まじい様子のシドウィス様を見てしまった。


 可愛らしい顔立ちの彼女は、名をヴィオレットと言うらしい。レモンイエローの髪をふわふわと揺らし、孤児院から引き取られたという特殊さ故か貴族にはない天真爛漫さを振りまいている。

 シドウィス様がそんな彼女に侍る様子は、絵画のように美しい。

 そしてこの頃、私とのお茶会にシドウィス様が断りの連絡を入れることが多くなった。お父様によると、その日はヴィオレット様と一緒にいたのだとか。


 お父様も、お母様も。私を沢山心配してくれた。だけどそれら全てに、私は大丈夫よと返す。

 花の蕾が開くように、雲が地平線の彼方へと流れていくように、そんな風に当たり前のことのように、私はシドウィス様を、信じているから。



 窓硝子の向こうで、霧雨が降っている。私は靴音を響かせながら、廊下を歩いていた。ずっしりと重い本を一冊抱えながら、図書室を目指す。真っ白な空は、燃えて灰になった骨のような色をしていた。

 そこから零れ落ちる雪が、地面をその色に染め上げる。


 その景色を見た十分後。私はそんな雪の寒さから切り離された学園の中で、周りから冷たい目を向けられていた。

 私の目の前でしおらしく座り込んでいる少女は、目に涙を浮かべながら「メルフェナ様に階段から突き落とされましたぁ」と喚いている。

 

「酷いですぅ。いくら私がシドウィス様と仲良くしているからって、突き落とすなんて!」


 騒ぎで集まってきた生徒も、私に不審な目を向ける。それもそうか、と私は嘆息する。

 ヴィオレット様は、これまでも数々の噂を流した。

 曰く、私が彼女の教科書を破いた。曰く、制服を汚した。曰く、平民上がりだと馬鹿にした。

 最初は信じる人は少なかったが、それも繰り返されれば「どれか一つは本物なのでは?」と周囲に思わせる。そしてその感情は伝播する。

 だからこうして、メルフェナ•レジュリーは『悪』となり、ヴィオレット•マーシャリーが『善』となる舞台が出来上がった。

 どうしようか、と悩む。残念ながら、今疑われている私がなにを言ったとて、周りの人は信じないだろう。

 思い出して。三度の人生で学んだことを。……そうだ、まずは私が重い本を持っていて、物理的に不可能なことから。そこから、彼女が流した噂が、時間帯的に私は違う場所にいて嘘だという証拠を突き出して――


 そうやって考えを巡らしている間に、王太子殿下とシドウィス様がやってきた。人波をかき分け、私たちの下へと息を切らせながら来る。


「メルフェナ、どうしたんですか!」


 私は思考を止め、深呼吸をした。はやる心を落ち着かせる。


 今まで、私を信じてくれる婚約者はいなかった。私を振り払い、悪しきように扱った。

 そして、シドウィス様と出会った時、思ったことは「今世はどうやって殺されるのだろう」だった。だってそうでしょう? 割り切っておかなければ、いつだって傷つくのは私なのだから。

 だから、今回も私がなにかやったと言われ処刑されるかもしれない。それを回避する為に、私は幾つもの言葉を使わなくてはいけない。


 ――だけど。

 シドウィス様はいつだって、私の突拍子もない言葉を信じてくれた。どうすればいいのかを考えてくれた。

 それが、なによりも嬉しくて。私は恋に落ちた。どうしようもない程に、惹かれてしまった。


「シドウィス様」


 私ね、真っ直ぐに私の目を見つめてくれる貴方が好き。その後浮かべる柔らかい笑顔も大好き。

 甘いモノを食べる時に、生クリームが口の端に付いているような可愛らしい所も好き。

 勉学に励んで、剣の稽古も一日だって欠かさないような、真面目な所が好き。私ももっと頑張りたい、貴方を支えたいって、頑張る貴方を見た時強く思うの。

 私を想ってくれる所が好き。それ故に私を叱ってくれる、貴方が好き。

 私の為、と辛いことをなんでもないようにこなしてしまう貴方が、憎たらしいくらいに好き。無理はしないで、とずっと願ってる。だけどそれと同じくらい、私に真剣になってくれる貴方が、涙が出るくらい大好きなの。


 ああ、大丈夫。シドウィス様に伝えるべき言葉は、一言で十分。


「――私はなにも、やってません」

「分かってます」


 涙が、グッとせり上がった。シドウィス様からの簡潔な答えが、胸に染み込んでいく。


 それから私を庇うように前に立つシドウィス様に、ヴィオレット様が悲鳴を上げた。


「なんでメルフェナ様の方にいるんですか! その人は私を突き落としたんですよ⁉ 早く、私の方に来て慰めてください!」

「それはしません、僕はメルフェナの婚約者だからです。そして貴方は『魅了』という遥か昔に禁忌とされた魔術(・・)の一つを使った大罪人です」


 聞き慣れない言葉に、私は耳を傾げる。


「……魔術?」


 そんな皆が思ったであろう疑問を解消するように、王太子殿下が声を張り上げた。


「魔術とは、およそ人の身では余る力のことだ。その力の強大さ故に多くの魔術は消えていった。だが、秘密裏に継承されていく魔術があるのも確か。『魅了』はその一つで、特定の人物の好意を自分に寄せるようにするモノだ」

「彼女の屋敷に招かれた際、魔術を行使した跡と魔術が書かれた本が発見されました。もう言い逃れは出来ません」


 いつの間にか、衛兵がヴィオレット様を押さえつけていた。髪を振り乱す彼女は、今までの可愛らしい容姿はみる影もなくなっている。


「ヴィオレット。マーシャリー男爵に魅了をかけ養子に納まり、その後シドウィスにも魅了をかけた。禁忌の魔術を行使した大罪人である君はこれから、北にある塔に収容される。魅了を使った者は例外なく悪夢に心を掻きむしられると聞いている。終わらない悪夢で、罪を嘆くといい」

「なんでっ、なんでよ⁉ だって、シドウィス様には確かに『魅了』がかかって……!」


 シドウィス様は、上着を脱ぎボタンを外した。筋肉質な腕があらわになる。

 そしてそこには、血が滲んだ包帯が巻かれていた。痛々しさに、息を呑む。


「貴女が魅了の魔術を使えることは最初から分かっていたので、貴女が魔術を行使する度に、腕を切ってきました。だから正気だけは保っていられました。それに『魅了』はもう本が焼却され効力を失っています」


 血の香りが漂う腕を近づけられえずきながらヴィオレットが「なんでそこまですんのよっ!」と叫べば、シドウィス様は端的に答えた。


「メルフェナの信頼に、背を向けるようなことはしたくなかったからです。メルフェナを助けられない日々はもどかしくて、いっそ貴女を殺してしまいたい程でした」

「ヒッ……」


 怯えた声を漏らしたヴィオレット様は、力なくうなだれる。

 そのまま、ヴィオレットは観衆の中で衛兵に引きずられていった。


◇◇◇


 私は、「一旦外に出て呼吸を落ち着かせましょう」というシドウィス様の言葉に甘えることにして外に出ていた。

 気づけば雪はもう止んでいて、雲の隙間から白い光が差している。


「すみませんでした、メルフェナ」


 振り向けば、シドウィス様が頭を下げていた。


「殿下から箝口令がしかれていて、なにも伝えることが出来ず、メルフェナを不安にさせました」


 私は目をパチクリとさせる。

 それから、どうしようもない程に笑みが零れた。


「不安に思ったことはない、そんな嘘を言うつもりはありません。だけど、」


 私はシドウィス様の手を取る。透き通った空気の中で、私の髪がたなびく。シドウィス様の吐き出した息が揺れる。


「貴方が『信じて待って欲しい』と言ったから、私は待てました」


 こんな私を、貴方が育んでくれた。


「シドウィス様が、私を大切にしてくれたから。……信じてくれたからっ、私、いつの間にかシドウィス様を大好きになっていたんです!」

「……え」


 冬の寒さを感じさせない程、シドウィス様の頬が赤く染まる。

 きっと私の頬もそうなってる……と恥ずかしく思いながらも、溢れる想いは止まらない。


「シドウィス様が、好きです。貴方がくれる眼差しを、温かい手を、私の話を聞いてくれる所を、貴方が選ぶ優しい言葉を、それら全てを、……好きに、なってしまったんです」


 熱いものが込み上げ、ボロリと涙が私の顎から滴った。止め処無いそれは、繋いだ手に零れていく。


 この人に、話したくなった。誰にも話したことのない、秘密を。私の辛かったこと、そんな生活の中でも幸せはあったこと、裏切られたこと、信じてもらえなかったこと。途方もない痛みを、絶望を。

 それから、シドウィス様の作るチーズクッキーをまた食べたいこと。また二人でデートに行きたいこと。ダンスをしたいこと。これからも、一緒に生きていたいこと。


「私っ、シドウィス様に話したいことが、沢山、あって……!」


 涙のせいで声は裏返り、しゃくりあげるせいで全然喋れない。

 慌てて涙を拭う。嗚咽を押し殺しながら手で拭っていれば、ふわりと柔らかい感触がした。目を見開けば、シドウィス様のハンカチーフが濡れた頬に当てられている。


 ふっと、呼吸が楽になった気がした。鼻を一回啜ってから、シドウィス様の瞳を見つめる。

 

「……私の話、聞いてくれますか?」

「メルフェナが話してくれることなら、なんでも聞かせてください。……なんでも、聞きたいんです」


 真っ直ぐな言葉。

 その言葉一つで私は救われた気がして、赤子のように、もう一度。


 強く強く、いつかの私に届けるように、声を上げて泣いた。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

少しでも面白いと思ったら★★★★★の評価をしていただけると嬉しいです。ブックマーク、感想、いいねなども嬉しいです。


この作品は、おまけ話(シドウィス視点など)を足して文学フリマ東京39で販売する予定です。

ご興味引かれた方は、活動報告に細かい内容を書いておりますのでそちらからお願いします。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ