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そして、季節は流れる。秋が深まり、葉は色を黄色へと移ろわせ落ちていく。
私たちは今日、デビュタントを迎える。
私をエスコートしに来たシドウィス様は、私の姿を見て頬を赤らめた。「綺麗です」と絞り出すように言われ、私の頬も熱くなる。
今日の私は、深緑色の淡いレースが幾重にも重なったドレスで、刺繍に金の糸が使われている。
そして、髪留めにはシドウィス様から貰ったモノを。ドレスにもパールが散らされていて、髪留めを付けても違和感がない。
シドウィス様の服には白縹色が使われていて、袖口に私の瞳の色と同じルビーが使われたカフスボタンが輝いている。
「では、行きましょうか」
「はい」
ゆっくり彼が手を差し伸べてくれた。その手を見て、ふいに気づく。そう言えば、いつから私はエスコートの為にシドウィス様が差し出す手に、怯えなくなったのだろう。
じんわり、心に温かいモノが染み込んだ。
まだシドウィス様の手を怖いと感じる時もあるけれど、私はちゃんと前に進めている。それがとても嬉しかった。
そっと、私は手を乗せる。硬い手は温かくて、私の指先から熱が広がった。
◇
会場は、色とりどりの花が咲き誇ったように色で溢れていた。令嬢たちは美しいドレスをなびかせ、令息たちは穏やかに談笑している。
シャンデリアの金色の光がヴェールのように会場に差し込み、その光に反射し宝石が煌めきを放ち、会場は光の粒が舞っているように眩い。
「凄く、綺麗……」
今までも何度も、数え切れないくらいに夜会に参加した。だけどこんなにも綺麗に写ったのは、これが初めてかもしれない。
――いや、正しくは久しぶりか、そう我に返る。本当に最初、私がまだ前世の記憶を持たない頃。その頃の私も、夜会を心待ちにしていた気がする。だって隣には彼がいたから。
綺麗なドレスに心を躍らせて。甘いケーキを頬張って。好きな貴方とダンスをして。
「…………」
「メルフェナ、深呼吸をしてください」
その声に背を押されるように、自分が今呼吸をしていなかったことに気づいた。
「ありがとうございます」
ほ、と息を吐きながらお礼を言えば、ニコリと笑いかけられた。
「誰かを想っているような顔をしていたので」
笑みが、深くなる。
「僕以外の人のことをメルフェナが想っていると考えると、気が狂いそうになるので。もうどうか考えないでくださいね」
気づいた。これ、口角は上がってるけれど目は全く笑ってない。
「はい」
でも今の私にはなんだかこの言葉がありがたくて。喜んで彼のことは記憶の彼方に追いやることにした。
なんとなく周りを見渡していると、音楽が流れ始める。
「踊りますか?」
見上げれば、満点の星をいっしょくたに煮詰めたような眩しい金色の瞳が私を優しく見下ろしている。私に選択を委ねる、温かい眼差し。
「少しだけ試してみても、いいですか?」
「喜んで」
腰をしっかりとした手で掴まれ、グッと体が近づく。吐息すら聞こえそうなくらいに、シドウィス様が目の前にいる。
頭がクラクラして、目の前が上手く見えなくなった。
シドウィス様の体をやんわりと押す。
「……ごめんなさい。やっぱり無理みたいです」
申し訳なくて、チラリと顔を上げれば、そこには存外嬉しそうな顔をしたシドウィス様がいた。……やはり、彼の考えることは分からない。
「なんでそんなに嬉しそうなんですか」
「メルフェナが、可愛くて」
こちらは頑張ってるのに失礼な人、と小突けばより嬉しそうに彼は笑った。やっぱりとても変な人。
彼の上に乗せた手が、握りしめられる。
「飲み物を取りに行きましょうか」
「はい」
引かれるように、私は歩き出す。ホールを見れば花が風にたゆたうようにふんわりとドレスの裾を揺らし、皆が踊っている。
それはとても綺麗で。少しだけ、羨ましい。
でも、シドウィス様がいれば何処でも楽しい。そんな気がする。
使用人からグラスを受け取って、二人で壁に沿うように立つ。暫く取り留めのないことを話していると、「やあ」という言葉と共に誰かが前に立った。
それが誰なのか認識した途端、私は慌ててカーテシーをした。
「王太子殿下、ご挨拶申し上げます。レジュリー侯爵家が長女、メルフェナです」
「ああ、堅苦しい挨拶はいいよ。それよりも、君の婚約者を借りてもいいかな?」
その言葉に僅かに首を傾げれば、王太子殿下がにっこり微笑んだ。
「今ね、君の婚約者を口説いている最中なんだ」
「……えっ」
「――殿下、『側近への勧誘』という言葉が抜けています」
慌てたのも束の間、冷たい声のシドウィス様によって王太子殿下の言葉はすぐに否定された。
なるほど、と頷けば少しつまんなそうな顔を王太子殿下から向けられる。
「そんなすぐに答え合わせしたら面白くないだろ。分かってないな、シドウィスは」
「メルフェナが不安な想いをする方が嫌なので」
王太子殿下、というよりただの少年に近い顔で不貞腐れた顔をした彼は、でもまたすぐに柔和な笑みを浮かべた。
「でも側近になって欲しいのは本当だよ。優秀な側近が欲しいんだ。是非とも考え直してくれ」
「お断りします。学園に通うようになっても、メルフェナの側にずっといたいので」
私たちは来年の春から学園に三年間通うようになる。その時に側で仕えてくれる――ゆくゆくは王となった自分を支えてくれる人材を、王太子殿下は探しているということか。
確かに、大きな力を持つ我がレジュリー家の当主となる優秀なシドウィス様を自分の味方につけるというのは強い。
でも、それにしても。
「側近に勧誘されるなんて、凄いですね」
そう呟けば、シドウィス様の動きが止まった。
「……かっこいいと、思いますか?」
「はい、とても」
素直に頷けば、唐突にシドウィス様が眉間にシワを寄せた。
そして、ため息をつく。
「殿下、少し話をさせてください」
「ああ、勿論だ」
私に向き直ったシドウィス様は、私の手に口づけてから「少し出ます」と告げた。
「分かりました。バルコニーで待っていますね」
手を振れば名残惜しそうな顔をして、王太子殿下に連れられて行った。
その姿を見届けてから、私はバルコニーへと向かう。
バルコニーに出れば、窓硝子が一枚あるからかホールの音は小さくなり、肌寒さが訪れると同時に宝石の煌めきの代わりに星が瞬いているのが分かる。
グラスを傾け、いつシドウィス様は帰ってくるのかと考えながら星を見ていると、声をかけられた。
私と同じで今日デビュタントを迎えたばかりであろう青年が、少し声を弾ませながら話しかけてくる。
「メルフェナ嬢、俺と一緒に踊りませんか?」
「いえ、結構です。婚約者を待っていますので」
家名でもなく馴れ馴れしく名前を呼んでくる青年に不快感が湧く。だから眉を微かに寄せながら断ったが、彼はあろうことか私の手を握った。
婚約者以外の男性には、手の恐怖心はないはずなのにブワリと触れられた所から鳥肌が立つ。
「……っ、やめてください!」
「いいじゃないですか。婚約者は貴女とダンスもせず何処かへ行ってしまったのでしょう? それなら俺と貴女がなにをしても文句なんか言えませんよ!」
違う。シドウィス様は私とダンスをしたくないから何処かへ行ったわけじゃない。私の心を、尊重してくれただけ。貴方とは似ても似つかない、素敵な人。
「私は、確かにシドウィス様とダンスをしていません」
「ですが」と区切ってから目の前の青年を見据える。
「貴方と踊りたいとは、到底思えません」
その言葉を放った瞬間、男の目の色が変わる。
「おい、なんなんだ! 下手に出れば調子に乗りやがって!」
手が力いっぱい掴まれて顔が歪む。小さく声を漏らせば、気を良くしたように男は唇を気持ち悪く持ち上げ、私の腕を引っ張った。
たたらを踏みながら抵抗するが、そんなの関係ないかのように引きずられる。床で擦れあったヒールの音が小さく響いた。
何処に連れて行かれるのかは考えたくもない。このまま連れて行かれるようなことだけは阻止しなくては。そう思い足を踏ん張れば、舌打ちをしながらより強い手で引っ張られる。
自分の無力さに歯痒くなる。もう抵抗する力は少ししかなくて。だけどこのまま連れて行かれたくはなくて。
「助けて……」
私は彼へ、助けを呼んだ。
そして貴方は来てくれた。
私の腰が引かれ、掴まれていた手がスルリと離れる。
「遅れてすみません、メルフェナ」
私を慮るように眉尻を下げるシドウィス様が現れた瞬間、涙がジワリと滲んだ。彼にしがみつき、ホッと安心する。
涙を拭って周りを見れば、王太子殿下が男を問い詰めていた。
「――こんな狼藉を働こうとする者がいるなんて、王太子としても、一人の紳士としても見逃せないね。後で君の家族には今回の件は報告させてもらうよ」
「そ、それだけはっ。少し、話をしていただけで」
男が言い訳を述べる。ヘラヘラ笑っている男を、シドウィス様は冷たく見つめている。私に顔を見られていることに気づいたのか、一瞬頬を緩めてから顔を前に戻し、シドウィス様は言葉を紡いだ。
「ただ話をしただけで、メルフェナの腕が赤くなり涙を流す訳ありません。それがまかり通るとは思わないでください。後日正式に罰が与えられます」
そこから、男は罵詈雑言を私たちに投げつけてきたが、私たちはそれを無視し衛兵と王太子殿下に任せ帰ることにした。馬車に腰掛けた後、シドウィス様が「すみませんでした」と口にする。
「メルフェナを一人にしたからあんな輩が。本当に申し訳ありません」
「……ええ、そうですね」
私は、向かい側に座るシドウィス様の裾を掴む。
「もう二度と、私から離れないでください。……だから、少し我が家でお茶を飲んでから帰りませんか?」
私の言葉に、シドウィス様の金色の瞳が真ん丸くなる。
その瞳を見つめて、思った。
私を抱き寄せてくれたシドウィス様に、どうしようもなく安心して。
ほんの少しだけわがままを言いたくなって。
咲き乱れるように気持ちが抑えきれない。
――ああ、きっと私恋をしてる。あんなにも後悔した感情を、また抱いている。
「はい、是非」
柔らかい笑顔に、涙が出るくらい愛おしさが込み上げる。
ホールから漏れた光が、シドウィス様の持つ緑色の髪に金の光を差す。キラキラして、どんな宝石よりも綺麗で。
ふいに手が伸びた。触れた手は癖のないサラリとした髪に触れる。
馬車が出るまでの僅かな間。私は彼の髪に触れ続け、シドウィス様もゆったりと目を細めていた。
その微睡む猫のような表情にも、好きという感情が湧き上がる。
ギュッと目と目の間が熱くなり、私は唇を噛み締めた。
――男爵令嬢が現れるのは目と鼻の先。
最終話は15日の3時半頃に投稿予定です。