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「どうかしましたか?」

「いえ、少し気になることがあって」


 そう言う彼の視線を辿れば、そこには雑貨屋がある。


「すみません、買いたいモノが出来まして行ってきても良いですか?」

「はい、どうぞ。私はそこの噴水の前にいますね」


 噴水の縁に腰掛ければ、側で控えていたメイドと騎士が私を囲むように立った。その姿を見たシドウィス様が安心したように顔を綻ばせ、雑貨屋の方へと消えていく。


 噴水の水音を聞きながらその後ろ姿を見届ける。外はすっかり夜の帳が下りていて、星がチカチカと瞬いていた。シドウィス様がかけてくれた上着を握りしめながら私は暖かい息を吐いた。


「お嬢様!」


 騎士の鋭い声が走る。ハッと回りを見渡せば、破落戸が私たちを囲んでいた。ざっと見ても十人以上いるように見え、二人しかいない我が騎士では勝ち目は薄い。現に今、二人はかなり苦戦している。

 メイドは私を庇うように覆いかぶさっていて、微かにだが体が震えていた。


「一体なにが目的ですか」


 声を張り上げれば、破落戸たちをまとめ上げているであろう男が私を見据えた。


「お嬢様を襲う理由なんて一つしかないだろう? 良い値で売り飛ばす為だよ!」


 いっそ清々しい程に悪役然とした態度だ。だが、理由が分かったならやるべきことは出来た。


「大人しくついていきます。ですから手を出さないでください」


 ここで無闇に戦わせても、きっと殺されてしまうだけだろう。それならば、私が大人しくついて行った方が被害は最小限になる筈だ。売り飛ばすなら、すぐに殺される恐れもない。 

 そう覚悟を決めた私に「なりません!」とメイドが叫んだが、首を横に振って立ち上がる。そして下卑た笑みを浮かべる破落戸に歩き出す。


「お嬢様いけません!」


 そう叫ぶ騎士も、数人を相手にしているのでボロボロで所々血で汚れている。

 私は前を見据える。


「まずは、騎士たちに向ける剣を収めてください」


 彼らはゆっくり、ニヤニヤ笑ったまま剣を離す。


「行って」


 短く告げれば、騎士とメイドは一斉に駆け出した。

 その姿をきっかけに、私も歩みを始める。そして腕を縛られた後、麻袋を被せられそのまま担がれる。お腹に肩が当たって痛い。

 早く助けが来ますように、そう祈りながら私は何処かへと連れて行かれた。



 暫く移動した末に扉が開く音がし、体を投げられるようにして地面に置かれる。クッションの上だったからか、あまり痛くはなかった。


「いいか、妙な真似しやがったらただじゃおかねぇからなッ!」


 凄まれて、体をのけぞらせながらコクコク頷けば、彼らは去っていく。最後に、カチャリと扉の鍵が閉められる無機質な音だけが私しかいない部屋に響いた。

 浅い呼吸をしながら、心を落ち着かせる。

 四方を煤けた壁で囲まれていて、外の様子は分からない。


 そこで、扉の鍵が開く音がした。じっとりと汗が滲む。入ってきた男は、鈍く光る鋏を持っていた。


「……っ」

「前髪が長くて顔が見えないからなぁ。悪く思うなよ、お頭の命令なんだよぉ」


 少しおどおどしたように、屈強な見た目の男は私ににじり寄ってくる。私は手を動かそうとしたが、縄で結ばれている為ささくれた部分で手が痛くなるだけ。

 私の側に来た男は、乱暴に前髪を掴んだ。前髪が上げられ鮮明になった景色で、「可愛い顔してんな、さすがお嬢様だぁ」と私の顔をギョロリと覗き込む男の顔が見える。

 喉が引きつれる。恐怖で呼吸が荒くなり視界がブレる。

 ――でも。前髪がなくなれば、私も変われるかもしれない。前に、踏み出せるようになるかもしれない。あらわになった私の顔を見て、シドウィス様も喜んでくれるかもしれない。

 それなら……


 鋏が大きく開く。そして私の前髪に入った。私は今すぐにでも暴れ出したい衝動を抑えた。

『いや、止めてください!』『髪を、髪を切らないで……』『ああ、私の髪が落ちていく』

 昔の私が上げた悲鳴の言葉が、今になって脳裏をよぎる。体が震えた。

 

 その時、大きな音が響く。その音に震えるようにして男の体がグラつき、私の前髪がザクリと切られた。

 男の体が私から離れ、パサリと私の顔に前髪がかかる。でも、左側だけない。煤けた壁が、なんの障害もなく映し出される。

 男のバランスが崩れ、左側だけ切り落とされたのだと気づいた。てっきり綺麗に切れると思っていただけに、心の中に動揺が走った。

 こんな風に(いびつ)に切られては、どうしたって髪を整える為にもう一度鋏を入れる必要が出てくる。さっきの感触を思い出し頬に鳥肌が立ち、ぶるりと一瞬身が震えた。汗がパタリと床に滴る。


 「お、おい! 早く立て!」


 そこで手を引かれる。男が私の手を掴んでいた。ボンヤリと歪む視界で男が焦っているのが分かる。

 何故、と考えた所でこの部屋へと通ずる扉が爆ぜるような大きな音を立て開いた。自分を抱きしめるようにしながら、舞う煙に咳き込んでいると、隣にいた男が飛ばされる音がする。


「メルフェナに触るな」


 決して大きくはないけど、よく耳に響く声だった。そこで煙が薄れ始め視界が鮮明になれば、シドウィス様が男の首を掴み絞め上げている。


「あっ……」


 なにを言えばいいのか分からず空気が僅かに揺れる程度の声を上げる。だが、その言葉に反応するようにシドウィス様がパッとこちらを向き、男から手を離しこちらに駆けつける。

 そして私の顔を見て顔を後悔に滲ませた。


「……前髪が。メルフェナ、申し訳ありません。僕が目を離したばかりに」

「いえ、私が無茶をしたせいです。シドウィス様が謝る必要はありません。それよりも助けに来てくださって、ありがとうございます。お強いんですね」


 まだ顔はしかめているが、ポツリと言葉を返してくれる。


「強くなければ、大切な人の元に駆けつけることも叶いませんから」


 とろけた金の瞳が、私を見据えた。ヒュッと息を吸い込めば、囁くように「前髪に触れてもいいですか?」と聞かれる。耳が赤くなっているのを自覚しながら二度首を縦に動かせば、開いたばかりの花弁に触れるような、優しい手つきで触れられた。

 こそばゆくて身じろぎすれば「嫌ですか?」と尋ねられ今度は横に首を振れば、安心したような吐息が私の前髪を撫でる。顔が赤くなるのを誤魔化したくて、私はにへらと笑みを作る。……こんな時に限って上手くいかない。


「でも、私はこれで良かったと思うんです。だって、無理矢理にでも切ってもらえば、私も覚悟が決まりますから」

「――これを、望んだのですか?」

「はい」


 頷いた瞬間、大きな音が響いた。目を見開いている間に煙が薄れ、ぽっかり空いた穴が目に映る。

 穴の空いた壁の隣にはシドウィス様の握りしめた拳があり、彼が殴って空いたのだと、遅れて理解する。


「貴女はいつも勝手だ」


 苦しそうな声だった。俯いたシドウィス様の顔に手を当て上に向かせれば、泣きそうに顔をクシャリとさせているシドウィス様が私を見つめ返す。


「……帰りましょう。後のことは他の者に任せます」


 「失礼します」そう声をかけられながら横抱きにされた。そのまま歩き出す彼の首に掴まり、私は藍色の空に光る星を眺める。

 涙で景色が滲み、星の光が強くなる。今は全然、綺麗だと思えなかった。


 ――それから人気のない道を抜け、最初に停めていた馬車に辿り着く。彼は私を座らせた後、向かい側に腰を下ろした。

 ゆったりと、馬車が動き始める。

 無言が流れる。頬杖をつき窓硝子の外を眺めている彼は、顔をこちらに向けず言葉を放った。


「貴女は、自分をもっと大事にした方がいい。だからいつまで経っても、他人に振り回されるんです」


 『他人に振り回される』、その言葉は私の今までの人生を表しているようで、知らず知らずの内に頭に血が上る。


「……っでも、あのままだったら私はずっと前髪が長いままです! 前に進めなかったんです。そのきっかけ作りの為なら……」

「僕は待つつもりでしたっ」


 強い口調に、私は言葉を失った。ハラリと私の右目にかかる前髪が揺れる。


「メルフェナが恐れているなにかを、メルフェナ自身が受容でき髪を切りたいと思うその日まで、僕は待ちました」


 こちらに顔を向けた彼は、泣いていた。ポロポロ、透明なモノで頬を濡らしていた。

 私の為に、涙を零していた。目を見開く。鮮明になった視界では、なんの隔たりもなくシドウィス様の顔が私の瞳に写った。


「前髪を自分の意思で切る。貴女はその権利を、誰にも譲っては駄目だった。メルフェナがゆっくり、決めるべきことだったんだ……!」


 その言葉が心に染み込むのと同時に目頭がジンと熱くなり、ホトリと涙が頬を伝った。唇がわななく。


「ごめん、なさいっ、ごめんなさい!」


 気づけば謝罪が口から出ていた。私は嗚咽を上げながら「ごめんなさい」を繰り返す。

 シドウィス様の言いたいことがようやく腑に落ちた。彼は怒ったのだ。ケーキの時も、前髪の時も、私が無理をしていることに気づいていたから。

 私を大切に想ってくれているからこそ、怒ってくれたのだ。泣いてくれたのだ。

 涙を流す私の膝に、重みが加わる。見れば、シドウィス様が紙袋に包まれたモノを載せていた。


「……これをメルフェナに渡したかったんです」


 さっきシドウィス様が入って行った雑貨屋。なにか用があったのかと不思議に思ってはいたが、まさか私のとは。

 カサリと音を立て袋を開ければ、キラキラ輝くパールが連なり、そこに真白のフリルが付いた髪留めが出てくる。


「前髪を上げるようにして留めれば、前髪を切らずとも顔が見えるようになると思って」


 シドウィス様の温かい眼差しに、心臓が一つ音を立てた。嫌な汗が出るのではない、全身に血を送るような鼓動の音。

 私は震える手で前髪を束ね、左側に集めて髪留めを付ける。


「……私、似合っていますか?」

「はい、とても」


 いつまでも待ってくれると言うなら。その好意に甘えて、今はもう少しだけ弱い私のままでいてもいいのかもしれない。


 そして、いつか前髪を切りたいと思えたら。一番に、私を待ち続けてくれた貴方に伝えたい。


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