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 この国では十六の年にデビュタントが行われる。そのデビュタントまで、残り一ヶ月を切っていた。


 そんな、世の令嬢たちが浮き足立っている中、私も例に漏れず少しだけそのデビュタントを楽しみにしている。そう、今までの私では考えもしなかったことを言ってしまう程。


「前髪、切ろうかな」


 私の目を隠してくれる、長い前髪。それはとても便利なモノだったけど、今は少しだけ悩んでしまう。

 ……でも、あのザクリという音が耳に響くのが嫌いで、少しだけ芽生えた勇気はすぐにしぼんでしまった。


「メルフェナ、どうかしましたか?」


 目の前を歩いていた彼が振り返り、私を心配したように見つめるので、私は軽く頭を振りまた彼の背を追いかけ始めた。



 秋の始まり。空気が乾き空が薄水色であることに気づいた頃。シドウィス様の誕生日はやって来る。

 去年と一昨年は適当に贈り物を選んでしまったが、今年は私もちゃんとしたモノを贈りたかった。


「……というわけで、なにか欲しいモノはありませんか?」

「メルフェナから貰えるモノならなんでも嬉しいんですけどね」


 確かに、シドウィス様は私が長年使って壊れてしまった硝子ペンでも嬉しいと言いそうだ。むしろそれを所望されたらどうしよう。

 贈り物を考えるのはこんなにも難しいのかと、私はため息をついた。


「では、好きなモノは?」

「メルフェナですね」


 即答だった。聞いた自分が馬鹿だったと思ってしまう程に。

 だが、その言葉で一つ思いついた。


「あの、でしたら一日出かけませんか? シドウィス様の行きたい所に」

「それは、もしや所謂……新婚旅行ですか?」


 どちらかと言うとデート。


 私は無言で首を縦に動かした後、何処に行きたいかを尋ね、街にあるカフェに行くことになった。


「意外ですね、カフェなんて」

「はい、ここにある『春の香り漂うふわふわリボンケーキ』を食べてみたいんです」

「……今は、秋では?」


 大真面目な顔のシドウィス様が発したケーキの名前を考えたのは、一体誰なのだろう。そして誰か止めてくれる人はいなかったのだろうか。というよりそれを真顔で言えるシドウィス様も凄い。

 その後、苺がふんだんに載っているという『春の香り漂うふわふわリボンケーキ』の話を聞き、お茶会はお開きとなった。

 彼が帰った後私は両親にシドウィス様と出掛けることを話し、護衛を二人とメイドを連れて行くことを条件に街に行く許可をもらった。

 

 そして、デートの日。私たちは街の近くで馬車から降り、木々に囲まれた道を歩く。

 無言の中、私はそれに耐えきれなくなり、隣で歩く普段よりも軽装なシドウィス様の裾を引いた。


「あのっ」

「なんですか、メルフェナ」


 黄色へと姿を移ろえた葉が、周りに散らばっている。その葉が、木からハラハラと舞い落ちる中、私はシドウィス様から少し離れてくるりと一周回って見せた。


「今日の格好、変ではありませんか?」


 あまり目立つ服でもいけないので、メイドに選んでもらったレースがあしらわれた白いブラウスと紺色のリボン、茶色のチェックのスカートを選んだ。

 普段より地味になるが、いつも私の格好を『可愛い、綺麗だ』と言ってくれる彼なら褒めてくれると思ったのが、予想とは反してなにも言ってくれない。だから意を決して聞いてみれば、シドウィス様は真顔のままで顔を反らした。


「やっぱり似合っていませんか?」

「いえ……普段とは違うメルフェナもとても綺麗です」


 だったら何故? と首を傾ければ「僕が提案しておいてアレですが。そんなにも可愛いメルフェナを誰にも見せたくない、そう思って実行してしまいそうな自分を今必死で抑えてるんです」と言われた。よく見れば目が本気だった。ちょっと怖い。

 

「……呆れた人」


 私は彼の側に寄った。二つの赤い実が寄り添いあったチェリーのように。


「私が誰に見られても、どんな感情を抱かれても、私の婚約者は貴方だけ、でしょう? 早くデートに行きましょうよ」


 私の言葉に思いっきり破顔した彼は、「好きです好きです」と言いながら付いてくる。私も口では「静かにしてください」と言いつつも、彼のくれる言葉に口元が思いっきり緩んでしまった。


 私たちはそのまま街を観光しながら、カフェの場所まで歩く。

 髪飾り等が売っている雑貨屋、花束のように色鮮やかな果物が載ったケーキを売るお菓子屋。商人が家にやって来て買い物する方法しか私は知らないから、見るだけでもとても新鮮だった。

 キョロキョロ視線を彷徨わせながら歩く。そうしていると、ふと一軒の店を前に足が止まった。


「散髪屋、かあ……」


 自分の前髪をちょいと触る。長くて私の瞳を覆い隠す長さの前髪は、私にとってとても都合の良いモノだった。

 だけど、ほんの少しだけ、その髪を切ってみたい気持ちがある。前に、一歩だけでも良いから進んでみたくなった。


「前髪、切ろうかな」


 だが、その瞬間嫌な光景がフラッシュバックする。首をはねる為に、火刑に処す為に、首に縄をかける為に、と私の髪が短く切られる思い出。淑女の命である髪が切られてくのが耐えれなくて、私が泣きながら止めてと懇願しても、手は止まらずザクリザクリと切り落とされた。

 地に落ちた髪を見つめながら、頭とはこんなにも軽いのかと茫然としながら考えた記憶がある。


「メルフェナ、どうかしましたか?」


 シドウィス様の声に思考の縁から引っ張り出された私は、少し先を行くシドウィス様の背を慌てて追いかけた。

 もう少し、その決断は後で良いと考えながら。


 ――だけどそんな私の想いとは裏腹に。その時は呆気ない程に早く訪れた。


◇◇◇


 もうしばらく足を動かせば、ようやく目当てのカフェが現れた。シドウィス様が慣れたように私をエスコートし、「『春の香り漂うふわふわリボンケーキ』ください」と淀みなく真っ直ぐ、可愛らしい格好をした店員の人に注文とやらをしていた。

 私も、事前にシドウィス様に教えてもらっていた通り、メニュー表を読みその中から頼みたい物を選び店員に告げる。


 店員が一礼して去った後、私はなんとなく小声でシドウィス様に話しかけた。


「なんだかふわふわした内観ですね。それに男女で来店している人が多いような気もしますけど」

「ああ、皆さんも僕たちと同じようにデートしているんですよ。この店で食べ物を分け合った男女は、一生幸せでいられるというジンクスがあるんです」


 『僕たちと同じように』の部分に何故か圧を感じながら、私はなるほど、と思った。確かに見渡せば、皆甘いモノを分け合って食べている。

 私もした方が良いのかな、でも甘いモノ嫌だな。という視線を送れば、彼は首を横にふるふると振った。


「僕たちが一生幸せなのは当たり前のことなので、今更ジンクスに頼る必要はありません」

「凄い強気」


 ジンクスの驚いていてる顔が目に浮かぶよう。

 呆れながらため息をつけば、紅茶が運ばれてきた。二つの丸いティーポットとカップが、カートの上に載っている。


「林檎の紅茶のお客様」

「あ、はい私ですっ」


 初めてのことで戸惑ってしまい小さく手を上げながらアピールすれば、隣で彼が声を殺しながら笑った。

 

「初めてなのだから、仕方ないではありませんか」

「いえ、すみません。なんだか愛らしくて」


 そう言ってまだ笑っている彼の前にもティーポットとカップが置かれる。そして最後にシュガーポットを横に添え、店員はカートを押し店の奥へと消えていった。

 私は笑いが収まらない様子のシドウィス様を放っておき、ティーポットを手に取る。

 冬の寒さに備えふっくらと丸くなった鳥のような形をしたティーポットを傾ければ、甘い林檎の香りが微かに漂う。

 それが隣で同じようにシドウィス様が淹れたマスカットの紅茶の香りと混じって、深呼吸すれば肺いっぱいに秋が広がった。コクリと飲めば、心が和らぐ。


 そこで例のケーキも運ばれてきた。


「いただきます」


 ちょんと手を合わせてから、シドウィス様はフォークを取った。銀色に輝くフォークは真っ直ぐと艶々と真っ赤なルビーのように眩い苺へと伸び、ジュワリと果肉を刺した。

 真っ白でふわふわしたクリームを下辺りに纏った苺が、彼の口へと吸い込まれていく。


「美味しい」


 感動したように呟いている。甘いモノが嫌いな私からしたら、なんとも想像しにくい感想だ。


 ……でも、理解してみたい気がした。


「わ、私にも一口くださりませんか?」

 

 シドウィス様が固まり、カツーンと金属が打つかりあう音を立てフォークが皿の上に落ちる。彼の頬は、少し赤らんでいた。


「えっと、それは僕とジンクスをしたいという訳ですか? 同じケーキを分け合うなんて、少し恥ずかしいなあ」


 そこでようやく自分の失態に気づいた。


「違います! そうじゃなくて、甘いのが苦手なのを克服したいだけですっ」

「ああ、そういうことでしたか」


 残念そうな顔をしたシドウィス様は、ケーキに拾い上げたフォークを入れた。そしてそれを、私の口元に運ぶ。


「では、あーん」


 いくらこの店に桃色の空気が流れていようと、『あーん』は流石に恥ずかしい。

 その意を込めてフォークに手を伸ばしたが、スルリと躱された。もう一度手を伸ばすが、それもスルリスルリと。


「はいどうぞ?」


 どうやら『あーん』を完遂させる気のようだ。誰だ、「ジンクスに頼る必要はない」とか言ってた人。

 口にグイグイと、真っ白な生クリームとふわふわなスポンジが押し付けられる。


 思い切って口を開けてみれば、甘い塊が放り込まれた。


「……うっ」


 吐き気が込み上げ、眦に涙が溜まる。今すぐ口から出してしまいたい気持ちを必死に堪え、大きく喉を鳴らして飲み込み紅茶を飲めば、ようやく落ち着いた。


「出来た、出来ました。ようやく甘いモノが食べれました」


 嬉しくてニコニコ笑いながら彼に目を向ければ、シドウィス様は存外真剣な顔つきをしていた。


「……あの?」


 紅茶を飲みながら彼の顔を覗けば、シドウィス様はとってつけたように笑みを作った。


「いえ、なんでも」


 その笑顔には気を留めず、私は話し続ける。


「私、少しずつだけど前に進めていますよね? この調子で行けば、前髪を切ることだって――」

「……? 前髪を伸ばすのにも理由があったのですか?」


 シドウィス様の問いかけに、私は我に返った。


「……はい。私は髪を切られる感触とか、視界が開けているのが苦手で。だから伸ばしていたんです」


 目を見開く彼に私は笑う。


「でも、今だって出来ましたから! 無理矢理にでもやってしまえば……!」


 そう意気込む私を、シドウィス様が複雑そうな目で見つめていることには気づかなかった。


 そこから、残りのケーキをシドウィス様が食べきり人心地ついた所で、私たちはカフェから出た。

 乾いた空気が、ブラウスの上から私の肌を撫でる。少し身を震わせれば、シドウィス様が羽織っていた上着を私の肩にかけてくれた。


「ありがとうございます」

「メルフェナが風邪を引いたら嫌ですから」


 その言葉で顔に熱が集まる。私は風が吹き前髪が上がって赤くなった顔がバレないように、そっと前髪を手で押さえた。

 空はこっくり煮込まれたマーマーレードのように鮮やかな橙へと色を移ろえていて、息をすれば肺の中を冷たい空気が満たした。


「帰りましょう、メルフェナ」

「そうですね」


 コクリと頷き、私たちは歩き出す。しばらく歩けば、ふとシドウィス様の歩みが止まった。



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