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 ――それから、三日後の夜。婚約者となったシドウィス様との初めてのお茶会の日の前日。私は実に久しぶりに前の生の夢を見た。

 三度めの生。目の前にぶら下がる輪っかを見ても死に対する恐怖が湧かない程度には、私はおかしくなっていた。


「これから、正妃■■■の処刑を執り行う」


 粛々とした声。私の首に縄がかけられる。

 そしてきゅう、と私の命を刈り取らんと縄がしまった。


 苦しさに僅かに喘ぎながら、下を見れば。王が妾を連れ私を嘲笑していた。その姿が眼を焼いた途端、ふつふつとした怒りが今になって沸き上がる。何故私が殺されねばならないのかという、それは純然たる憤りだった。

 十七歳の時、妾を囲っている王に嫁ぐことになった。正妃となる筈だった令嬢は、王家での扱いに心を壊し亡くなってしまったらしい。――そこで目を付けられたのが、今世では誰とも婚約する気がなく、優秀な兄がいた為に領地でのんびりと暮らしていた私。学業が優秀だったことを調べ上げられ、王命と称して結婚させられた。

 そしてそれから私は、ただ執務仕事に明け暮れる毎日だった。

 でもそれも、存外悪いモノではなかった。王や妾は私を馬鹿にしたり蔑ろにしたが、メイドや宰相などは私に親身になってくれ、その毎日は「楽しかった」と形容してもおかしくはないくらい、充実してたから。


 だけど正妃という座を利用して横領していた、と告発され、そんな毎日に終わりの鐘が鳴った。

 

「私はやっていません。なにかの間違いです!」


 必死に訴えた。証拠を提示しようとした。だけどそれら全ては聞き届けてもらえず、私は一晩牢獄で過ごした後、絞首刑に処されることとなった。

 私は真っ黒な髪をたゆたわせながら処刑場の下の広場を見渡す。そこにメイドや宰相の姿はない。それどころか、私が無実を訴えている時も、彼らはおらず、私はずっと一人だった。

 処刑の日は寒くて。だけど私は不釣り合いな程生地の薄いドレスで。短くされた髪と薄汚れた白いドレスの裾を、冬の乾いた空気に揺らしながら上を見上げる。


「神様。私は精一杯頑張って、今日まで生きてきました。それなのに、どうして私は今から死ぬのでしょうか」


 虚ろな目に映る空は、白く歪んでる。きっと、一刻も経たずに雪が降るだろう。私を連れて行くように。


「……痛い」


 胸が、その奥にある心臓が、本質である心が、悲鳴を上げる。

 どうして、こんなにも痛いのだろう。脳にズキズキと鈍い音が響いて、クラリと目眩がして。そして、気がついた。

 いつだって私は、誰かを信じていたのだと。

 一度目は愛する人を。二度目は婚約者を。そして三度目は仲間を。


 ……ああ、そっか。それなら仕方ないね。

 赤くなった鼻をズビリと鳴らせば、ホトホトと頬を熱いものが転がった。冬の寒さでも凍てつくことはない、私の涙。


「今度こそは、とまだ何処かで期待してたのね」


 裏切られても、また手を伸ばしてしまった。信じていた、愛していたから、こんなにも苦しいんだ。


「それなら、いらない」


 もう誰も、信じたりしない。



 ――目が、覚めた。 

 ボンヤリしたまま、体を起こす。カーテンの隙間から差し込んだ僅かな朝日が、私の蒼白い顔を照らした。

 手を握りしめた。数度瞬きをして、背筋を伸ばす。

 三日前出会った婚約者の顔が脳裏をよぎり、振りほどくように頭を緩く振れば、ようやく混濁していた意識がはっきりとしてくる。


「ええ、そうよ。もう私は、誰にも心を許さない」


 口に出せば余計に意識は鮮明になり、私はベッドから足を下ろした。



「いい天気だね、メルフェナ嬢」


 着飾り、我が家の庭にあるガゼボで薔薇や蔦の石膏があしらわれた真っ白なガーデンチェアに腰掛けているとシドウィス様が現れた。

 私は、そこでようやく空を見上げて。目を細め夏の陽射しを一身に浴びる。


「ええ、本当にいい天気です」


 冬のような、雲と空の境目がボヤケている曖昧な空ではなく。澄み渡る空にもったりと雲が乗っかっている。


「……それで、今日は我が家の庭を散策したい、でしたっけ?」

「はい、見事な庭だと聞き及んでいますから」


 私は飲んでいた紅茶を置いて立ち上がる。そして大きなツバがついた白い帽子をかぶった。サテン生地でツヤツヤした青色のリボンが結ばれたこの帽子はお気に入りで、ついかぶってしまう。

 今日は少し風が強く、私は帽子を押さえながらシドウィス様の隣まで歩く。


「では、お手をどうぞ」


 手を差し出す彼から、ぷいと顔を背けた。


「結構です。自分の足で歩けます」

「そうでしたか、それは残念ですね」


 ポツリと「足がなければ……」とかなんとか呟いているのが聞こえて、冗談なのか分からないから聞き流すことにし、私は花々に囲まれた道に足を踏み入れた。

 何故か残念そうなシドウィス様に庭の花を説明する。

 子供の爪のように小ちゃな花弁が、丸っこくなるように重なったダリア。

 夜空で煌めく星のように、真っ白な花弁に濃い青色の星が描かれたペチュニア。

 ホロホロと触ったらすぐに崩れてしまう真っ白な雪によく似た花を咲かせるカスミソウ。

 一つ一つなぞっていくように説明すれば、時折相槌を打ちながらシドウィス様は微睡む猫のように目を細め咲きこぼれる花々を見ている。


「どうですか? 我が家の庭は」

「とても素晴らしいですね。それに、メルフェナ嬢がこの庭を愛していることも、伝わってきます」


 彼の言葉に反発心で「別に好きではない」と言おうとして、けれどそこで一際強い風が吹き私の意識は違う方へと向く。

 かぶっていた白い帽子が、ふんわりと舞い上がる。風の行く先には噴水があり、私は必死に手を伸ばす。


 だけど手は空を切り、それだけでは飽き足らないのか私の体が噴水に飛び込むような体勢になった。

 あ、と思って。全てがスローモーションに見えながら私は落ちていく。


 しかしシドウィス様が、私に手を伸ばした。


「メルフェナ嬢!」


 彼の手が、私に伸びる。骨張った手が、四角い爪が、ゆっくりゆっくり目に焼き付く。その様が、ピタリと嵌まるように昔私の顔を殴った彼と重なった。


 いやだ、やめて。わたしに、さわらないで。なぐらないで。やめて、やめて。


「いや……っ」


 噴水に落ちる瞬間、最後に見たのは伸ばした手を叩かれ目を見開いているシドウィス様の姿だった。



 その後、シドウィス様が呼んだメイドによって私は風呂に入れられ、今はベッドの上にいる。

 こちらを心配そうに窺うメイドに紅茶を渡され、体が温まった私は、シドウィス様が何処にいるのか尋ねた。


「もう少しでいらっしゃると思います」


 それは答えとは言えないのでは? と訝しみながら紅茶を飲む。夏といえど噴水に落ちれば当然寒い為、紅茶の温かさが嬉しい。

 メイドは一礼し、部屋から出ていった。一人になれば、考える時間も出来る。もう一口紅茶を飲めば、喉を温かいモノが滑った。


 ――寒さが落ち着けば、心を占めるのは帽子の行方とシドウィス様のこと。

 ふう、とため息が漏れてしまった。シドウィス様が、私に嫌なことをしたことはない。そんなことは分かってる。理解しているつもりだ。

 ……でも、体は彼を拒絶した。それが雄弁に、私の本心を語っていた。


「どうしたらいいの……」


 やっぱり婚約などやめるべきだった。そうすればシドウィス様も、そして私も傷つけずに済んだ。

 ギュ、と体を抱きしめる。俯けば、長めの前髪がカーテンのように私の視界を隠した。

 

 瞬間、私の部屋の扉がノックされた。メイドがなにか持って来たのだろうか、と考え「どうぞ」と声をかけると「失礼します」と――メイドではない人の声がした。


「体調はいかがでしょうか?」


 その人は、何故かすぐにはドアノブを捻らず扉越しに話しかけてくる。

 あいも変わらず、変な人だ。


「大袈裟です。もう十分平気ですよ」

「本当ですか?」


 カチャリ。ドアノブが回る。

 部屋に足を踏み入れたシドウィス様は、所々服を土で汚していた。


 だけどそれとは対照的に、汚れ一つなく真っ白な帽子を大事そうに持っていた。

 呼吸が止まる。


「それ……」

「大事なモノなんですよね? どうやら木に引っかかっていたようで。濡れていなくて良かったです」


 ニコリと微笑みかけた彼は、側に控えていたメイドに帽子を渡した。そのメイドによって、私の手元に帽子が帰って来る。

 赤くなった顔を隠すように、私は帽子を抱きしめた。


「ありがとうございます」

「はい」


 そこで、はたと気づく。私はシドウィス様を盗み見るように小さく顔を上げた。


「あの、何故そんなにも遠いのですか?」

「そうですか? 別におかしくない距離感かと」


 笑って誤魔化された。ムッとしてしまう。


「……私が、手を振りほどいたせいですか?」

「違います」


 短いが、その言葉には迫力があった。思わず帽子から顔を離しシドウィス様を見つめれば「土で汚れていて、近づくのが忍びないだけです」と微笑まれた。


「帽子を取ってきてくれた人を『土で汚れているから』と足蹴にするような女だと言いたいのですか」

「大切な貴女には、綺麗で居て欲しいだけです」


 嘘だ。だって彼はさっきから、手を後ろで組んで私から隠すようにしている。


 ……私は貴方を愛する気はない。大切だと思う気もない。だけれど、優しくされた時、とても心臓がムズムズする。

 優しくされたのに、優しい嘘をつかせたのに、それを笑って享受出来る程私は真っ直ぐな性格じゃない。


「……深いことは言えませんが」

「はい……?」

「その、私、婚約者となった方の手が怖いんです。ダンスなどで触れるのも、極力避けたいくらい。だから、貴方を嫌っているわけではありません。……でも、本当にごめんなさい。貴方をきっと、深く傷つけました」


 必死に、星屑を集めるように言葉を紡ぐ。彼からの返答は得られない。言葉の途中から私の頭は下がってしまい、今は最初と同じように俯いた姿勢でシドウィス様の表情は分からない。

 やはり、傷つけてしまったのだろう。それならば、謝ろうもう一度。そう顔を上げた私は、「えっ」と声を漏らした。


 シドウィス様は、私から僅かに顔を背けていた。そして顔を覆い隠すように手が当てられていて、その隙間からは真っ赤になった頬が覗いている。

 よく見ると口元も緩んでいた。


「いえ……僕のことをちゃんと婚約者として認識していてくれたのだと、嬉しくなってしまいまして」

「あ、当たり前です!」


 事実、三度目の生の時だって、宰相などは平気だったが夫となった王の手は怖かったのだから。

 だから、必要なのは『婚約者や配偶者』という肩書きだけで、シドウィス様だけが特別じゃない。けれどシドウィス様があまりにも恥ずかしそうで、こちらまで恥ずかしくなり私の耳が熱くなった。 


 照れたように頬をシドウィス様がかく。なんだかむず痒い雰囲気が流れてる気がする。

 目が合えば、彼はゆっくり目を細めた。


「ちゃんと婚約者として意識してもらっているのであれば、これからは遠慮しないで行きますね」

「はい?」


 目を輝かせながら、シドウィス様がズンズン歩いてくる。


「ちょ、一体私になにを⁉」


 焦る私を無視し、シドウィス様がゆっくり口を開いた。


「メルフェナ嬢ではなく、『メルフェナ』と呼んでも良いですか?」


 私の顔が真っ赤になって爆発した。


「お好きになさってください……」


 ドッと力が抜けベッドに突っ伏せば、シドウィス様が嬉しそうに「メルフェナ」と呟いている。

 本当に、変な人。そう口の中で言えば、私に馴染むように溶けていった。


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