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これは、とある長い長い冬に白い光が差し込むまでのお話。

温かい飲み物と一緒にどうぞ。


 いくつもの時を、生を超え、私はようやく気づいた。



 私は彼を愛しました。

 私は彼に訴えかけました。

 私は彼に愛されることを諦めました。


 ――では、目の前にいる彼には、私はどうするべきなのでしょう?


「はじめまして、メルフェナ嬢。僕はシドウィス•グレイン、伯爵家の次男です」

「……わざわざ言われなくても、知っていますわ」


 私が出した答えは、冷たくあしらい、さっさと婚約を断ることだった。


 初夏、青葉の香りが鼻腔をくすぐる。ガーデンチェアに腰掛ける、私の冷めた反応に困ったような表情を浮かべているシドウィス様は、透き通った深い湖のような青緑の髪をサワサワ揺らしていた。

 夏の暑さとは程遠い、私の冷たい返事を皮切りに沈黙が流れて、彼は少し困ったように視線を四方八方に動かしだした。蜂蜜の飴があるなら、きっとこれだろうと確信できる程に綺麗な金色の瞳が忙しなく動く。

 それから、ある一点を見つめて表情が華やいだ。


「メルフェナ嬢、紅茶のおかわりはいりますか?」

「……ありがとうございます」


 どうやら見つかったのは、私の空になったティーカップらしい。特に断る理由もないのでコクリと頷けば、彼がメイドを呼び出し湯気が出ているティーポットが運ばれ、まさかの自分で紅茶を淹れ始めた。

 微かに目を見開けば、ニコリと微笑みかけてくる。それが少し気に入らなくて降参するように目をそらせば、クスクスと小さく笑った後、彼もティーカップに視線を戻した。


 トポポ……と軽やかな音と共に、庭に桃の甘くみずみずしい香りが鮮やかに広がった。その優しい香りで張り詰めていた心が、僅かに緩む。

 ほぉ、と木から落ちた木の葉が地面に触れたぐらいの、ごく小さなため息をついた。


「角砂糖は何個入れるのが好きですか?」

「……え?」


 その香りに気を取られていると、唐突にシドウィス様に話しかけられた。シドウィス様の手元を見れば、シュガートングで角砂糖を一粒摘んでいる。

 そこからもう少し視線を下ろせば、シュガーポットに入った沢山の角砂糖が、きめ細かく光を反射していた。ズクリ、と心臓が熟れて腐りかけた果実のような音を上げる。


「いえ、結構です。……甘い紅茶は、嫌いなの」

「そうなんですね」


 あっさりそう言うと、カラリと音を立て角砂糖をシュガーポットに戻して、シドウィス様は私に紅茶を渡してきた。

 少しだけ居心地が悪くて、逃げるように背を緩く丸めながら「ありがとうございます」と言えば「うん、召し上がれ」と雨上がりの空に似たカラリとした笑顔を向けられた。

 口に含めば、豊かな茶葉の香りと、微かに桃の風味が広がる。渋味はなく、どうやら彼はよっぽど紅茶を淹れるのが上手らしい。


 黄緑色の葉がいくえにも重なった木は、私たちをすっぽり覆い隠すように大きい。白い雲を流す風に引かれるようにゆったり揺れていて、シドウィス様の体に光と影を落としていた。

 私が紅茶を飲む姿を、口角を上げながら覗く彼。十五歳らしいあどけなさが残りがならも、端正な顔をしたシドウィス様は、大きくなったら女性からの人気もひとしおとなることだろう。

 今は、婚約者がまだ決まっていない王太子や爵位の高い公爵令息などに令嬢たちは目を向けるが、未来で人気が出るのはこういう人だ。爵位もそこそこで、生活も安定し、容姿が良く、物腰柔らかな人。

 ――そういえば、三人の婚約者たちも、そんな条件になにかしら当てはまる人たちだった。


 ふと、胸に角砂糖を放り込まれたように心臓が痛んだ。ティーカップを落とすようにソーサーに置く。カチャリと陶器同士が当たって音を立てる。

 その音に呼応するように、気づけば言葉が飛び出ていた。


「この婚約、なかったことにしてくれませんか?」


 ほぼ決定事項のようなものと言えど、これはあくまでお見合いの体を保っている。つまりは、願えば私の意見も反映されるだろう。そもそも、私が侯爵家彼が伯爵家と爵位が近く、また我が家が探していた優秀な婿に合致したのが彼という、政治的な意味合いは薄い婚約。それなら……


「……それで、それからメルフェナ嬢はどうするのですか? 他に婚約したい人でも、もういるのでしょうか?」


 あれ? 

 ほのかに首を傾げながら顔を上げる。すると、そこにはさっきと同じ微笑みを浮かべながらも、金が錆びたような、そんなあり得る筈のない淀んだ瞳をしている。

 私はさっきとは違う心臓の苦しさを覚えながら、はくり、と口を開く。


「……これから男児が生まれたら、その子に当主の座を渡します。それが出来なければ、養子をとって……」

「そう。それで、貴女はどこに?」

「領地で静かに暮らしたいです」

「それは随分と優しい夢ですね」


 彼へのイメージは、固く結ばれている新芽のように青々とした黄緑色だったのに、おどろおどろしい深い森のような暗い緑に変更された。それくらい、なんだか怖かった。


 やっぱり、何度生を繰り返しても、誰と出会っても、私はその人の一片も理解することなどきっと出来ない。酷く窮屈な想いに駆られる。


「では、どうすれば? どうすれば、私は救われるのです」


 どうしたらあの絶望を、熱さを、苦しみを感じずに生きることが許されるのだろう?


「貴方にとって私の言葉は唐突なことで、驚かれたでしょう。それは本当に、ごめんなさい。ですが私にとっては、唐突じゃない。ずっと前から、考え続けてきました」


 それこそ、何十年も前から。


「……そうなんですね」


 私を宥めるように頷いて。それから困ったように眉を下げ語りかけてきた。

 その姿は、神のような神聖さがあり、また悪魔のように邪悪な雰囲気を纏っている。


「でも、貴女の父親は、はたして許してくれるでしょうか。新しい婚約者が宛てがわれるのが関の山でしょう」

「それはっ」


 彼の言うことはもっともだ。だって――

 俯けば、白に透明な青を丁寧に塗り重ねたような、淡い白縹(しろはなだ)色の髪の毛が目に入った。どの人生とも違う色彩の髪。


「だから、僕と婚約しましょう」

「……っ」


 その髪を一房取り、シドウィス様が口づけた。驚きで声も出ないままでいれば、彼が話し始める。


「僕は、自慢ではないのですが優秀だと言われています。そんな僕と婚約すれば、領地に籠もることも出来ますよ?」


 その笑顔に心が揺さぶられた。

 

「……貴方にとってのメリットはなんですか?」

「大好きな貴女と婚約、ひいては結婚出来る。これ一択ですね」


「――私、は。貴方を愛することは出来ませんよ」


 居心地が悪く、モゾリと身じろぎすればシドウィス様の手から私の髪が落ちた。

 髪を切る感覚が嫌いな私の少し長めの前髪が、パサリと目にかかる。その髪が目に入るのから逃れるように下を向けば、「いいんですよ」という声が響いた。


「僕が、メルフェナ嬢を愛したいだけですから」

「変な人ですね。見返りを求めないなんて」


 本当に、変な人。私がため息をつけば、変な人はニコリと笑った。


「見返りがなければ続かない愛を、僕は愛だと思わない。ただそれだけの話です」

「……そう」


 ふいに、彼の言葉が胸に詰まった。

 彼と、今しばらくは側にいたいと思った。

 

「さっきの言葉を、撤回させてください。これから、婚約者としてお願いします」

「はい、よろしくお願いします。メルフェナ嬢」


 十五歳、婚約者が出来た。とある男爵令嬢が事件を起こすまで、後二年。

 

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