4.
それは、些細なことから始まった。
リリアンは責任感が強く、努力家で、勉強家だ。だからブラン候補に選ばれ、聖堂で学ぶようになったからには、今の環境を最大限に生かしている。
わからなければすぐに教師に尋ねるし、周りの人にも教えを乞う。
すぐ近くにいる、大体なんでも知っている人が、アルフレッドとカイルだった。
だからリリアンは、なんでもアルフレッドやカイルに相談していた。アルフレッドは優しく、カイルは解りやすく、二人とも丁寧に教えてくれる。
しかし、事情を知らない周りから見れば、とんでもない憶測につながるのだ。
ーーアルフレッドとカイルに色目を使っているのではないか。
アルフレッドは喜んでやっているように見えるが、カイルはリリアンの後ろで良く困った顔をしている。
ーーリリアンは教師にも特別扱いを受けているのではないか。
ーーそれにはアルフレッドがかかわっているのではないか。
ーーもしやアルフレッドは将来、王家が実権を握る体制を築くために、将来のブラン公に取り入っているのでは……
ーーアルフレッドはマグノリアとの婚約を盾に、カイルも意のままに操ろうとしているのでは……
気が付けば、マグノリアはいつの間にか離れており、3人は孤立していた。
それが始まったのは、昼食の時間だった。アルフレッドとカイルは教師に呼ばれて、リリアンは一人で庭のベンチにいた。
「あなた、どういうつもりなの?」
数人の女生徒がリリアンを囲んだ。
「候補というからには、周りをよく見なければいけないのではなくて? アルフレッド様には婚約者がいるのは解っているでしょう? アルフレッド様だけではないわ。カイル様だってあなたに振り回されて。カイル様は候補として先輩だから、相手せざるを得ないんだわ」
「そんな……!私そんなつもりじゃ」
「マグノリア様がかわいそう。先ほどもお一人で、とてもつらそうにあなたたちを眺めていたわ」
「おい、君たち何をしているんだ!!」
アルフレッドとカイルが慌てた様子で走ってくる。
アルフレッドはリリアンを守るように、女生徒との間に立った。
「どうしてかばうのですか!? やっぱり、アルフレッド様の噂も……」
「噂?」
そこにカイルが割って入ってきた。女生徒を守るように、アルフレッドと対峙する。
そして女生徒を諭すように話す。
「噂は噂だ、王子に不用意なことを言って、困るのは君だ」
「で……でも、カイル様もそれでは」
「僕はいいんだ、ノワールに選ばれ国のために尽くす覚悟はあるからね。リリアン君はまだ候補になって間もない。もし何かあれば、僕が断じよう」
「カイル! リリアンに何かするつもりなのか!?」
「ほう、何かするつもりだとしたら?」
「リリアンは僕が守る」
にや、と、カイルが嗤った。
その一件依頼、リリアンとアルフレッドはさらに孤立した。
カイルは相変わらず寄ってきたが、アルフレッドが警戒して遠ざけてしまった。
リリアンはあまり良い感じではないなと思いながらも、どうしたらよいのかわからなかった。
+++
ある日、聖堂からブラン公の家に戻ると、
「リリアン、少し話がある。部屋に来てくれないか」
珍しくブラン公から声をかけられた。
ブラン公はルーカスから聞いていた通りとてもとても優しい人で、リリアンはすぐに好きになった。
いつも穏やかなブラン公が難しい顔をしている。
「ノワールの世代交代が決まった。近々、カイルがノワール公になる。リリアンや、わしたちも巻き込まれてしまう可能性が高いからね、今のうちに話しておかなければならない」
ブラン公は語る。
「聖霊にはそれぞれ特徴がある。我らブランの聖霊は、一度公を選ぶと、老いて使い物にならなくなるまで次を選ばない。そして選ばれるのは、いたって普通の人間であることが多い。しかしノワールの聖霊は反対なのだ。時には10年で代替わりすることもある。選ばれるのは公の近親者が多い……だから、ノワール家は公の近親者に幼いころから手厚い教育を施す。カイルもノワール公の甥っ子だ。幼いころからそれはそれは厳しい教育を受け、王子と並んで育ってきた。……つまり、候補者となった時点で能力に大きく差が出ている。それほどの違いがあるのに、ブランとノワールは力のバランスをとる立ち位置に居る。ノワールの暴走があれば、我々ブランが止めることになる」
ブラン公はふう、とため息をつき、自分のしわの目立つ手を見つめた。
「ブランの50年ぶりの代替わり、わしの力は衰えているが、リリアンの力はまだ育っていない。ノワールはこの機に、何か起こす気なのでは無いかと思うのだよ」
「何かって、何が起こるのですか?」
リリアンの問いに、ブラン公は首を横に振る。
「わからない。でも、バランスが崩れているのはわかる」
「バランス……」
「ブランとノワールは対の関係にある。今、ブランが弱くノワールが強い。それでもわしたちは、ノワールを止めなければならない」
+++
次の日、リリアンは聖堂の図書館に足を運んだ。創世神話、五公の伝説を詳しく調べようと思ったからだ。
(この辺りかしら)
歴史書が並ぶ一角でできるだけわかりやすそうな、でも詳しそうな物を探す。
「子供が読むような物から真実を知ろうとするとは、いささか自分の能力を高く見積もりすぎているのでは無いかな?」
後ろから低い声で囁かれ、リリアンの肩が跳ねた。
「カイルさん……」
「君と話がしたかった」
振り向くとカイルが冷たい目で見降ろしていた。獲物を狙うように、ゆっくり近づく。固まっているリリアンの顔の左右に腕を突き、追い詰める。
「君はブラン公に何か聞いているのかな? 僕に注意しろとか」
蛇に睨まれたカエルというのはこのような気分なのだろうか。
「君にはやはり、この国の歪さが見えていないのか?」
「歪…?」
リリアンは戸惑った。彼女はこれまで街の人々に愛され、幸せに育ってきた。戦争もなく、飢えも少ないこの国は、彼女にとって理想的な場所だった。
「わからないか。ブランは君のような人をあえて選んでいるのだろうな」
カイルは嘲るような笑みを浮かべる。
「そのうち君たちは僕に感謝する事になる。だから、黙って見ていろ」
覆い被さるように顔を近づけ、低い声で囁く。
恐ろしくてリリアンは目を閉じた。
「何をしている」
静かな図書館に凛とした声が響いた。
「アルフレッド様……」
そこには怒りをあらわにしたアルフレッドがいた。
カイルは身を起こしてリリアンから離れる。
カイルはアルフレッドに笑ってみせると、もう一度リリアンに顔を近づけた。
「続きはまた今度」
耳元でそう言ってリリアンの髪をさらりと撫でた。
「カイル!」
「ははっ、君もそんな顔をすることがあるのだな」
顔を赤くして怒るアルフレッドに声をあげて笑い、カイルは去っていった。
「大丈夫か!?何をされたんだ!?」
「何もされてないですが…こ、怖かったです…」
「あいつは……一体どういうつもりなんだ」
リリアンは今カイルに言われたことをアルフレッドに話した。昨日ブラン公に言われた事も。
「うん…今のノワールとブランのバランスについては、私も懸念していた」
アルフレッドは本棚から一冊の本を引き出した。
「初めに聖霊を生み出した大地は、王家となって代々血で繋がっている。要は人になってしまった。大地を護り育てるために生まれた聖霊は、聖霊のまま公…自分の使者を選ぶ型をとっているから、今も人ではない」
パラパラと本を捲り、聖霊ノワールの事が書かれたページを示す。
「ノワールは理、ブランは心。バランスを取り合う位置にいるとされている。それで牽制してきたのかもしれないね。リリアンはしばらく私と一緒にいよう」
そう言ってアルフレッドは安心させるように微笑んだ。