2.
王都。
五つの領に接する、国の中心にある都。ほぼ円形をしており、中央に王宮、王宮の中央に聖堂がある。
聖堂は大地の中心であり、祈りの中心である。
聖堂には学び舎があり、王族、公爵候補、公爵に推挙されたものが学ぶことができる。
教師は専属の教師のほか、それぞれの専門家が定期的に訪問することになっている。
リリアンも聖堂の学び舎でほぼ一日過ごす。
ブラン公の家に部屋をもらい、そこから毎日通っている。
ブラン公はとても良い人で、リリアンが困らないように世話を焼いてくれる。公の中でも高齢で、リリアンからすると祖父ほどの年齢だ。そのうちこの人が父となるというのはまだ実感がわかないが、家族のいないリリアンはブラン公も、ブラン公と過ごす時間も大好きになった。
3か月もすると、生活にもだいぶ慣れてきた。勉強は大変だがさすが聖堂のカリキュラム、だれが来ても何とかする、と言っていた通り、リリアンに合わせて進められるのでつらくはない。
ルーカスも予習復習に付き合ってくれるし、レオンもいる。レオンは同い年で、一緒に学舎に通い授業を受けている。ルーカスがいると明るい気持ちになるし、レオンがいると安心する。
ただ、苦手なことが二つできた。
「私と踊っていただけますか、お嬢さん」
公爵は公爵である、ということで、社交のためのダンスは必須。ということでダンスの授業がある。
模擬舞踏会、といった感じで、ホールで行われる。
街の収穫祭のときの踊りは楽しかったが、男性と二人組んで踊るのは、また、話が違う。
しかも、ペアに名乗りを上げるのは、この国の王子、アルフレッド殿下なのだ。
金髪碧眼、絵本に出てくる王子様そのもののものすごく整った顔でほほ笑んでいる王子に、「ええよろこんで」と手を取らなければいけない場面だ。
「え……ええ」
手が震える。顔が真っ赤である。3か月前まで田舎の教会の娘をやっていた女に、いきなり王子さまはハードルが高いと思う。もう少し、こう、手加減が欲しいのである。
そんな反応が面白いのか、さらに近づいてくる王子。なんなのだ。
(レオン~ 助けて~)
ついつい、レオンを探してしまう。一緒に授業を受けているレオンは、教室の後ろの方で(がんばれ)というように手を振っていた。
「おや、私の前でほかの男に目をやるとは。妬いてしまうね」
何なのだ、この国の王子はなんだかこんな感じだったのか。知らなかった。大丈夫なのか。
リリアンは国の行く末まで不安になってくる。
固まっているリリアンにしびれを切らしたように、アルフレッドはリリアンの手を取り、リードする。
(ひ~~~)
「ふふ、素直な子は上達が早いね」
背中に白い薔薇が咲き乱れているのが見える気がする。
アルフレッドが耳元で囁く。やたらいい声で耳が熱い。
ダンスの授業以外でも、アルフレッドはよくリリアンを揶揄う。
リリアンはなぜアルフレッドが自分を構うのかわからない。が、一つだけそのきっかけとなった心当たりがある。
+++
それは聖堂に通い始め二週間ほど経った日だった。
帰るために、門の手前でレオンを待っていた。レオンも授業を受けているので、聖堂の中では別行動している。安全な場所で1人になれる時間は貴重なので、リリアンはのんびりした気持ちだった。
「にゃー」
その時、門の近くで、か細い声が聞こえた。
しかし、周りには猫は見当たらない。
「にゃー」
上の方だ。見回すと、門の向こう側の木の上に、子猫がしがみついているのが見えた。
しかし、門の向こうには1人で出ないように言われている。
(あの塀の上からなら届くかな)
手前の木から、塀によじ登れそうだ。
(よし)
リリアンは立てかけてあった箒を手にすると、木から塀によじ登り、塀を伝って子猫のところまで行く。
田舎育ちのリリアンはこの程度朝飯前だ。
「猫ちゃん、こっちへおいで」
箒を伸ばすと、猫は最初は警戒してリリアンを見ていたが、恐る恐るといった感じで箒に乗りうつった。
「そのままじっとしてて」
リリアンは箒をうまく手元に戻す。子猫を抱き上げ、ほっと息をついた。
「危ない、何をしているんだ!?」
塀の下から突然、焦った声がした。
見るとアルフレッドがこちらを見上げている。
「どうしてそんなところに……こちらで受け止めるから、怖がらずに、さあ!」
困惑した表情で手を広げている。
「ありがとうございます!しっかり受け止めてくださいね!」
申し出をありがたく受け取り、リリアンはアルフレッドに向かって子猫を落とした。
「ええっ!?」
子猫はアルフレッドの腕の中に着地する。モゾモゾ動くと腕から抜け出し、サッサとどこかへ行ってしまった。
リリアンはその間に、スルスルと木をつたって門の前に戻った。
「ありがとうございます、抱っこして降りるの難しいなと思ってたので助かりました」
「ああ、はは、ちょっと予想と違ったけど、お役に立てて良かったよ」
この時は、我が国の王子は気さくでいい人で、これはこの国の未来も安泰だと思ったものなのだが。
その件以来妙に気に入られているのだ。
ルーカスに相談しても、レオンに相談しても、まあ王子もそういう子は周りにいなかったからね……と、曖昧に流される。やっぱり王子にはみんな強く言えないのだろうか……
と、思うのだが。
+++
「アルフレッド、ブラン候補がお気に入りのようだが、あまり慣れない事をさせるものではないよ」
唯一、アルフレッドに物申すこの人が、カイル。ノワール公の後継である。
カイルの出自はノワール公の実の甥にあたり、幼い頃からアルフレッドと交流があった。それもあって、カイルはアルフレッドにも遠慮がない。
アルフレッドの容赦ない王子光線を浴びながら、真っ赤になりつつなんとか踊りきったリリアンに助け舟を出してくれた…と、思うのだが。
「次は僕と組もう」
カイルはスマートにリリアンの手を取りアルフレッドから引き離した。
カイルもアルフレッドとは別方向の美しい顔立ちをしている。黒い髪に黒い瞳。細いフレームの眼鏡が鋭利な印象を与える。切れ長の眼差しは妖艶さも感じる。
なんだか、背中に黒い羽が散るのが見える気がする。
力強く抱き寄せされる割には、リリアンと目が合わない。カイルはやや強引に踊り出しながら、冷たい眼差しをアルフレッドに向けた。
「君の相手はもういるだろう?」
アルフレッドの横に、人形のように美しい少女が寄り添った。マグノリア。ノワール公の実の娘でカイルの義理の妹だ。アルフレッドの婚約者でもある。
アルフレッドは少しの間リリアンを見ていたが、観念したようにちょっと肩をすくめ、マグノリアの手を取った。
アルフレッドとマグノリアはとても美しく、一枚の絵画のようだ。リリアンは見惚れて、ついため息を漏らす。
「ブラン候補。君は何をしにここに来たのかな?」
カイルがリリアンにしか聞こえないように囁く。
「公爵に求められる能力を身につけるのはそんなに簡単な事ではない。ブランは優しい方だと思うが。王都の雰囲気に浮かれているのはわかるけど、男にうつつを抜かしている場合ではないと思うがね」
側から見れば、先程のアルフレッドのように何か甘い言葉を囁いているように見えるのだろうか。カイルの表情は甘く、声色も甘い。カイルの背中越しに、女生徒がひそひそと話しながらこちらを指さしているのが見えた。
しかし、リリアンを見つめる目は、氷のように冷たい。
(怖い……)
アルフレッドとカイル。この2つがリリアンの苦手である。