【第三話】心
心愛が、ボーッと空を見つめていた時、先程までオレンジ色だった太陽が突然、虹色に輝き始めた。
「なっ、何?!空が急に虹色に…!」
心愛同様に周りもどよめき始める。
しかし、黒木と白崎はあの現象に見覚えがあった。
そう、あれは自分達がこの世界に来る時と起こった現象と、同じ物である。
いち早く白崎が、ぐい、と心愛の手を引っ張り、抱き寄せると、危ないからと背後に移動させた。
心愛の安全を確保したことを確認すると、二人は同時に宝具から武器を取り出して身構える。
空から降って来たそれは、降って来るなり銀色で輝く刀で斬りかかって来た。
二人はギリギリで避けて、武器を構え直し、黒木が弾丸を撃ち抜こうとしたが、白崎に制されてしまった。
「止めろ!黒木!銃を引け!」
白崎が大声で叫ぶ。
「何を言ってる!こいつは明らかに化け物、自分達が倒すべき相手だろ!」
その隙をついて、化け物が黒木の懐に飛び込み、心臓を目掛けて攻撃を繰り出すと、赤黒い鮮血が滝のように飛び散る。
「黒木!」
白崎は流石に黒木を危惧して、近寄ろうとしたが、背後に化け物の気配を感じてすぐに阻まれる。
ヒュッ、と空を斬る音を立てながら、刀を振り下ろされ、白崎を俊敏にそれを受け止める。
ニヤリと怪しく笑みを浮かべながら、その人物は口を開いた。
「久しぶりだなぁ、白崎。
お前がいつまでも帰って来ないから、代わりに来てやったぞ」
白崎の名前を知っているなんて、この人は何者なのだろうか?
物陰から傍観していた心愛が疑問を抱いていると、腰まで伸びる長い髪、丁寧な装飾があしらわれた赤い着物、それはまるでお姫様のように見える。
「姫…っ!」
劣勢に立たされている白崎が、喉奥から絞り出すような声で呟く。
やっぱりお姫様なんだ!心愛は確信をつく。
姫と呼ばれた人物は、刀を弾き距離を取ったかと思えば、滑空するように再び走りだし、刃を振り下ろす。
ガィン、と鈍い音を立てながら激しい火花を散らして、刀が交差する。
元々姫の護衛であった白崎の方が強い筈なのだが、ルビーハートを失い化け物となった姫の力は、鍛え上げられたどんな屈強な男よりも、遥かに強くなっていた。
ルビーハートを失う前は、米俵一つ抱えるのさえ、やっとだったと言うのに。
強烈な打撃に耐えられず、白崎の刃は儚くも折れ、折れた刃先がキィン、と金属音を立てながら地面に落ちた。
トドメだと言わんばかりに、姫の刃が白崎の身を引き裂かんとした時、黒木がこれ以上は見てられないと、引き金を引きかけたその時、
「止めて!!」
そう心愛が大声を張り上げた刹那、姫は寸手のところで刀を止めた。
(本当に、止まった…?)
そう思っていると、姫は踵を返し、心愛の元へと矛先を変えた。
「危ない!!」
黒木が銃口を姫に向け直したが、目を疑った。
姫は握っていた刀を腰に納めると、ふわりと優しく心愛の頬を包み込んだ。
心愛は困惑して、ただ目を見開いている。
「そなたが、赤羽心愛か。
話しは全て白崎から聞いている。
さぁ、私にそのルビーハートを渡して貰おうか」
全く理解ができず、呆然と立ち尽くしていると、唇に柔らかい感触が伝わった。
何が起こったのか、混乱しているのは心愛だけではなく、白崎と黒木も同様だった。
だが、数秒立ってもルビーハートが現れることはなかった。
◇◆◇
漸く唇が離れると、何も起こらないことを確認した姫が、鋭い形相で心愛を睨みつける。
「何故だ!何故ルビーハートが現れないというのだ!
口づけをすれば、現れると聞いた筈なのに!」
心愛同様に暫く放心状態だった白崎と黒木が、やっと正気に戻る。
だが正気に戻ったところで、姫を説得させる術など持ち合わせている訳もなかったが、黒木が、
「女性同士はノーカウントと言うことなのだろう」
と言った。
二人は、とんでもないことをする姫様だと、半ば呆れを通り越して感嘆していたが、内心安堵していた。
「お前の国の姫様って、凄い人なのだな」
冷静に言われて白崎は、返す言葉もなく、ただただ苦笑いを浮かべていた。
それはルビーハートが失ったからか、これが姫の本当の性格なのかは、計り知れなかった。
◇◆◇
姫と黒木は対等な立場であった。
境遇は違えど、自らルビーハートを失った者同士なのには代わりなかった。
だが、女性同士では、例え口づけしたとしても、ルビーハートを手に入れる条件からは除外されたのである。
心愛は、不意打ちとは言えファーストキスをこんな形で奪われてしまったと言う事実にショックで、その場に倒れ込んでしまった。
そんな心愛を抱き抱え、二人は漸く自分達の住むアパートに帰宅したのである。
「すまなかった…。
事情がどうであれ、無理矢理唇を奪ってしまって…」
ベッドの中で蒸し暑いと言うのに、布団を頭まで被り込んでいる心愛に、姫は謝罪の念を告げる。
しかし、返事はない。
どうしたものかと、考えあぐねている姫を見かねて、白崎がこっちに来るようにと、姫を手招きした。
「お久し振りでございます、姫様。
お元気そうで何よりです」
相も変わらぬ挨拶をする白崎に、姫はため息をつく。
「そんなにかしこまらずとも良い。
事情は全てわかっておる。
それで、お前達はこれからどうするのだ?」
改めて聞かれて、二人は言葉を詰まらせる。
暫し沈黙があって、口を開いたのは黒木の方である。
「どうするもこうするも、俺はただルビーハートを手に入れる為に、心愛に好きになって貰う努力をする、ただそれだけだ」
全く以て簡潔で淀みのない目的に、姫は感嘆のため息を漏らす。
「俺も黒木と一緒です。
姫様に人間に戻って貰う為に、心愛に好きになって貰う努力を続けます」
なるほどな、と姫はつい、と自分の顎を撫でる。
しかし、ここで新たな問題が発生したことに、姫は気が付いた。
「それはいいのだが、帰ろうにも帰り方が分からないのだ」
言われてやっと気付いた白崎が、姫の意を汲み取ったかのように続ける。
「もしかして、姫様…」
白崎が言う前に、姫は満面の笑みを浮かべて、
「私もここで一緒に暮らそうと思ってるのだ」
と言った。
◇◆◇
布団の中で狸寝入りを決め込んでいた心愛は、堪らなくなってガバッと勢い良く布団から飛び起きた。
「おや、起きていたのか、心愛!」
パッと姫が嬉しそうな顔をする。
「ちょっと待ってよ!
この部屋何人用だと思ってるの?
ただでさえ狭いのに、四人なんて無理に決まってるでしょう!!」
(問題はそこなのか)
と、三人は同様に心中で突っ込みを入れる。
すると、黒木が心愛に歩み寄り、優しく抱き締めた。
「すまない、心愛、迷惑ばかりかけてしまって。
お前が俺を選べば、もうあんなうるさい連中に付き合うこともなくなる」
どんどん事が大きくなり、もういっそ黒木にルビーハートを渡してしまおうか、そう考えていた時、顔に白崎と姫のクロスカウンターが飛んで来る。
「だから、いつも唐突すぎるんだよ、テメェは!!」
「お前が口づけをしたら、私はどうやって元に戻ればいいのだ!」
と、次々に罵声が心愛の頭上を行き交う。
耐えかねて大声を張り上げそうになった時、今度は白崎が激しく抱き締めて来る。
「こんな奴にルビーハートなんか渡したらダメだ!
俺だったら…。俺だったら絶対、ルビーハートを失っても、心愛を化け物になんかさせねぇから!」
白崎のまるで誓いのような言葉に、反応する。
ルビーハートを失っても、化け物にならないこともあるの…?
心愛が一瞬、心を動かされそうになった時、突然外で化け物の咆哮が轟くと同時に、女性の甲高い悲鳴が響いた。
人が襲われてる!
先程までベッドの中にいた心愛が、部屋を飛び出した。
「どうする気だ?!」
「決まってるでしょ、助けるのよ!」
当然のように言ってのける心愛に、黒木は一瞬たじろいだ。
助けるって言ったって、化け物の瘴気に当てられて何もできないだろうに!
そんなことを考えてる黒木の横を、白崎が追いかけて行く。
遅れを取って、やっとのこと黒木も後を追いかける。
外に出ると、案の定、心愛が全身に激痛が走り、よろめく。
しかし、その体を自ら支え、よろめきながらも、女性の元に駆け寄ると、化け物に襲われたのだろう、道端で倒れて身を震わせている女性に近寄った。
白崎は、前戦で化け物と戦っている。
「あなた、大丈夫?!怪我はない?」
「だっ、大丈夫…!」
その時、女性がニヤリと不適に笑ったことを、黒木は見逃さなかった。
すかさず銃を取り出すと、銃口を女性に向けた。
「無心くん、何するの?!化け物はこの人じゃ…!」
言いかけて、心愛は目を疑った。
今まで人間の姿だった女性が、化け物に変わり自分を目掛けて攻撃したのだ。
その刹那、黒木が引き金をを引いた。
ドサリ、と自分に覆い被さる化け物を、心愛は訳も分からず呆然と見ているだけだった。
「だから、言わんこっちゃない」
黒木が呆れたように言うと、倒れている化け物を剥がして、心愛の前で跪き、優しく頭を撫でた。
「化け物など俺と白崎がいればなんとかなる。
お前は何もせず、ただ寝ていれば…」
全部を言いきる前に、心愛は遮った。
「危険な目に遭ってる人が目の前にいても、ただ寝てろって言うの?」
黒木は一瞬目を見張った。心愛の目が潤んでいる。
「そりゃあこんなご時世だし、こんな体質だし、あたしなんかが何もできないかも知れないけど、でもだからってただ黙って見てるなんてできない!
そんな人間にだけはなりたくない!」
黒木はズキン、と胸が痛くなるのを感じた。
ルビーハートがない今、そんなことある訳ないのに。
黒木が思慮していると、白崎の叫び声が、響き渡った。
振り返ると、先程まで優勢だと思われていた白崎が、窮地に立たされている。
化け物の腕が、白崎の体を、上空で締め上げているのだ。
黒木は舌打ちをして、銃を構え直し、化け物を撃ち抜く。
化け物は悲痛な叫びを上げると同時に、白崎が地面に落下する。
咄嗟に受け身を取れず、地面に激突した。
「心君!」
心愛が白崎の元へと駆け寄り、肩を抱き止めると、身体中血塗れになっている。
「酷い怪我…!」
「大丈夫だ、こんなん!
それよりも、心愛は大丈夫なのかよ?」
「う、うん…」
歯切れ悪い返事だったが、白崎は無邪気な笑みを向ける。
「そっか!なら大丈夫だな!
心愛の身に何かあっちゃ、元も子もねぇもんな!」
その言葉は、自分自身に向けた物なのだろうか?
それとも、自分がルビーハートを持っているからで、もし持っていなくても、同じことを言ってくれるのだろうか?
心愛は、そんな感情に苛まれた。
「これで借りは帰したぞ」
銃を構え直した黒木が、得意気に言った。
白崎は呆れたような顔をして、
「こんな時にそんな話かよ。
忘れてたわ、そんなこと」
深く溜め息をついて悪態をつき、立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かず、その場にしゃがみ込んでしまう。
「ダメ、こんなに怪我してるんだから、無理しないで」
白崎は、ハッと息を飲む。
心愛の目が潤んでいる。
白崎は、悪戯っぽい笑みを浮かべて、顔を近づける。
「そんなに心配なら、キスしてくれる?」
その言葉で、心愛は目が覚めた。
「…結局、ルビーハートが目的なんだ…」
そう呟くと心愛は、違う意味で涙を流し、その場にうずくまった。