おまけ
本作品はこれで終了となります。
進君と舞香が出会う前、舞香の日常を描いたお話です。
実は本編よりも前に短編として書いた作品なので、多少本編と矛盾店などが存在する可能性もありますが、そこはご容赦ください。
読んで楽しんでくださると幸いです。
1
ある春先の夜の一幕である。
「お父さん、養成所所長への昇進おめでとう」
東京近郊の某街の住宅街の一角で家族だけのささやかなパーティーが開かれていた。家の主人の昇進を祝うパーティーである。
主人が籍を置く会社はJKK(日本完全完璧警備)というこの街に本社を置く日本で一、二を争う警備会社で、主人はそこの警備員養成施設の所長へと昇進したのであった。養成所は本社と同じこの街にあり、ここの所長は本社の執行役員と同じクラスの地位であったから元々部長だった主人にしてみれば栄転であった。
パーティーは終始良い雰囲気で執り行われ主人もいい気分に酔っていたのだが、パーティー終盤になってその酔いが一気に醒める事態が起こった。
きっかけは娘の一言であった。なぜ娘がめでたい席でそんな事を言ったのかといえば、
「お父さん、すごいだろ」
「お父さん、優秀だろ」
「お父さん、最高だろ」
と父親が何度も自慢してくるので、いい加減父親の事が鬱陶しくなったからである。
「お父さんが出世したのは必ずしもお父さんの力だけじゃないんだよ」
娘は父親にそうぶちまけた。めでたい席でそんな事を言われ気分を害した父親は当然、娘に聞いた。
「どういうことだ?」
「お父さんが出世したのは、私が頑張って舞香様のお友達でいるからなんだからね」
「ま、舞香様?」
父親には聞いた事がない名前だった。必死に思い出そうとするが果たせず、しまいには顔をボケッとさせた。そんなボケっとしている父親を見かねて母親が説明してやる。
「舞香様というのはこの子のお友達で、JKKの副社長の娘さんですよ」
「えっ、そうなのか」
父親は脳裏に鬼より怖いと噂される副社長の顔を思い浮かべた。
「そうよ。舞香様の家はものすごいのよ。お母様はJKKの副社長だし、叔父様は社長だし、御爺様は会長なのよ。だから、うちの学校でJKKグループの社員の子は絶対に舞香様に逆らわないのよ」
「そうなのか」
「そうよ。舞香様はね、うちの高校の女王様なんだからね」
「それは知らなかった」
父親は娘の学校に会長一家の子息が在籍している事を初めて知りとても驚いた。
「それで、それがお父さんの出世とどういう関係が……」
「あるに決まっているじゃない。舞香様のお友達には親がJKKの社員だって人も多いんだけど、皆出世が早いんだからね。例えば……」
娘は指を折りながら、例を挙げ始めた。
「山岡さんのお父さんは今度取締役になったし、村田さんのお父さんも総務部長になったし、お父さんだって所長になったでしょ」
「お父さんが所長になれたのも、その……舞香様のおかげなのかい?」
「そうよ」
娘ははっきりと肯定した。
「私が舞香様から聞いた話だと、お父さんの他にも所長候補が何人かいたそうだけど、それを知った舞香様がその事について相談している御爺様とお母様に言ってくれたそうよ」
父親はごくりと唾を飲み込んだ。その手は汗でびっしょりと濡れていた。
「何て言ってくれたんだい?」
「『この人の娘さん、舞香のお友達なんだよ』って」
「……」
「それを聞いたお母様は、『あら、そうなの。じゃあ、次の所長はこの人にしましょうかね』って、言ってくれたそうよ」
父親には衝撃の事実だった。
父親は娘の話を聞いた後でも、自分に実力が無いとは思っていない。現に所長の最終候補の中に最初から入っていたのだから、父親に実力があるのは事実である。
しかし、最後の決め手となったのが“娘が副社長の娘の友達である”という事が、何だかプライドを傷つけられたようで、軽くショックだったのである。
しばらくの間父親は放心状態だったが、やがて立ち直ると娘に聞いた。
「それで、お前はその舞香様と、仲はいいのかい?」
「当然じゃない。さもないと、舞香様がお母様にお父さんの事言ってくれるわけないでしょ」
「そりゃ、そうだな」
聞くまでもない事であった。
「ただね」
「ただ?」
「舞香様と仲良くやるには、それなりの努力がいるの。だから、お父さんのために私も頑張っている事をお父さんにも分かってほしいの」
「ふーん、それはどんな努力なんだい」
娘は人目を憚るかのように辺りを見回すと、言うより先に父親に口止めした。
「言っておくけど、これから話すことは口外しちゃダメよ。さもないと私だけじゃなく、お父さんもどんな目に遭うか分からないよ」
「うっ、分かった」
娘は父親が了承したのを確認すると、父親の耳元に口を近づけ囁いた。
2
「退屈ね」
舞香は家で暇を持て余していた。
机の上に置かれている時計は午後六時を指していた。中途半端な時間である。
晩飯まではまだ時間はあるがかといって何か新しい事を始めるには少々足りず、さりとて勉強する気にもなれず、テレビを見ようとしてもニュース番組ばかりで見る気にはなれなかった。
この春高校一年生になったばかりの舞香はすっかり大人びた容姿になっていた。
母親似の薄い紅茶色の髪の毛はしっかり手入れされていて艶やかである。舞香はその髪を肩甲骨まで伸ばし、毎朝クルッと巻いてから学校へ行く。胸も、これまた母親に似て、大きく実っていて若い血をたぎらせる同級生たちを虜にしていた。
背の高さはぼちぼちだが、スタイルには気を使いほっそりとしているので、実際よりも長身に見えた。
校内の批評家によるとSS+++(エスエストリプルプラス)という最高ランクの評価らしい。彼の中での評価がどんな基準で行われているのか彼以外の誰も知らなかったが。
さて、こういう風に家で暇を持て余している時、舞香は決まって兄の部屋へ行く。兄は物知りで話をするととても楽しい人間なのだ。
舞香が兄の部屋へ行くと、中から話し声が聞こえてきた。嫌な予感がした舞香だったが、ノックもせず、バタッと一気に兄の部屋の扉を開ける。
「げっ。綾香」
「あ、舞香ちゃん」
予想通り、兄の部屋には先客がいた。
柳綾香。舞香の従姉妹である。それもかなり血の濃い従姉妹だ。
綾香の父親は舞香の母親の弟である。そして綾香の母親は舞香の父親の妹である。つまり父方、母方、どちらから見ても舞香と綾香は従姉妹同士という関係なのである。
この複雑な人間関係を他人に話すと大抵混乱するので、舞香はいつも説明に苦労するのであった。
龍之介はベッドに寝そべって本を読んでいた。龍之介が読んでいたのは多分学校で借りてきたのであろう英字タイトルの本で、パッと見て舞香には何て書いてあるのか分からなかった。
綾香はその龍之介の右側で龍之介に密着するように寝そべり、しきりに龍之介に何かを話し掛けていた。龍之介は本を読みながらもその綾香の話に付き合ってやっているようで、ふんふんと適当な返事をする合間に、気が向いたら何がしか話してやっていた。
その二人の足元では、すっかり老けて老描となったニャン太が丸まってゴロンとしていた。時々綾香が足をバタバタさせてそれがニャン太にあたったりしているのだが、それでも起きずに、迷惑だと言わんばかりに瞼をピクピクさせわずかに体を逸らすと、そのまま惰眠を貪り続けていた。
「お兄ちゃん、ちょっと寄ってよ」
舞香は兄を強引にどかすと、兄の左側に陣取った。彼女もかなり兄に密着している。そして、綾香と同じく兄に向けてしきりと話し掛け始めた。それはもう口から言葉の洪水が噴き出ているかのようであった。
舞香がそんな風に話しだすと、綾香の方も矢継ぎ早に龍之介に話しだした。
「龍君、今日学校でね……」
「お兄ちゃん、あのね……」
二人は競い合うかのように次々に龍之介に話題を振って来た。
最初はふんふんと変わらず返事をしていた龍之介だったが、だんだん処理し切れなくなってくると、
「お前ら、もうちょっとゆっくり喋れ」
少しキレ気味に叱りつけた。
「はーい」
龍之介のお叱りを受けた舞香と綾香はちょっとだけ反省して少しだけペースを落とすが、それも束の間の事で、またすぐに元に戻るのである。そして、再び龍之介に叱られるとペースを落とす。そんなことを食事の時間まで繰り返すのである。
龍之介にしてみれば迷惑な話だが、いつもの事なので彼も慣れてしまってそんなには気にしていなかった。
それにしても……なぜ舞香はこんな風に綾香に対抗して兄に執拗に話しかけるのか。
それは、舞香が兄の事を愛しているからだ。
しかもその愛は兄妹としての愛ではなく、女としての愛である。だから、兄の気を引くためにこうして兄の部屋にやって来ては兄と話そうとするのだが、龍之介がその思いに気付くことはない。
それは龍之介が鈍いというわけではなく、現に龍之介は女の子に気を使える人間でモテモテなのである、単に龍之介の中に妹を恋人として意識するという感性が欠如しているだけの話だ。
兄に女として相手にされていない事が、舞香にとっては、一番悲しく辛い事であった。
そんな舞香の目下のライバルが目の前の綾香であった。
綾香は小学五年生。今のところそんなに背は高くなかったが、まだまだ成長期でこれから大きくなるはずであった。腰まであるストレートの黒髪を普段はポニーテールにまとめている。前髪も長く伸ばしていて、そのポニーテールに一緒にまとめている。ただ最近バスケットボールを始めて長い髪が邪魔になって来たので、間もなくバッサリとショートカットにする予定であった。
まだまだ体は子供の綾香ではあったが、仕草とか気遣いとかそういうちょっとした女の子らしい事ができる子であった。だから、龍之介は綾香のそういう点を気に入り、可愛がっていた。
どちらかというとガサツな舞香はそういうのが苦手であり、自然にそういう事ができる綾香を羨ましく思っていた。
そういうちょっとした点で綾香に負けている舞香が綾香に勝てる点があるとすると、体の発育が良いという事である。
兄はどうやら発育の良い女の子が好みらしく、たまに発育の良い舞香の事もそういう目でじっと見ていたりする。そんな時、舞香は興奮して体が熱くなるのを抑える事ができなかった。もちろん舞香が体を見つめられて嬉しいのは兄に対してだけで、他の男共に見られるのはおぞましくて寒気がするのだった。
だが、この点に関して舞香が綾香に比してずっと有利とは限らない。もしかしたら、あと数年したら綾香も舞香並に発育が良くなるかもしれず、何せ二人は従姉妹でありそうなる可能性は高いのだ、油断はできないのであった。
それに綾香に対して舞香が絶対的に不利な点がある。何と言っても龍之介と綾香は親同士が決めた許嫁なのである。例え、今日明日、龍之介が綾香に手を出しそれが親にばれたとしても、
「ちょっと早いけど、まあ、許嫁同士なんだからしょうがないわね。でも、子供だけは作っちゃダメよ」
と、両方の親が許してしまうに違いが無いのであった。もっとも、舞香から見て、龍之介は分を弁えている奴なので自分から小学生に手を出す可能性は低かった。ただ、綾香の方から積極的に誘ってきた場合、龍之介だって男である、どうなるか予断を許さなかった。
「龍君。私の事抱いてくれる?」
綾香には突拍子もない事を突然言い出す癖があって、ある日突然本当にそう言い出しかねないのである。その点だけが舞香にとって心配事であった。
ちなみに、もし同じパタ-ンで龍之介の相手が舞香だったりしたら、
「あんたって子は!兄妹で一体何をしているの!」
確実に二人とも母親に引っ叩かれるはずであった。いや、引っ叩かれるくらいで済むわけがない。龍之介と舞香の母の現は子供たちに対して厳しいのだ。二人の頭を丸めて寺へ放り込むくらいの事はやりかねなかった。
舞香にとってこの恋は危険な道のりなのだ。
それでも舞香は健気に兄の事を思い続け、何とかしようと足掻くのである。
3
舞香の朝はお弁当づくりから始まる。
朝起きると部屋着に着替えエプロンを羽織って台所へ入る。途中、いつも朝から庭で柳流忍術、平流と源流の法術の修業にいそしむ兄の姿を見る。舞香もそして綾香もそれらの修行はしているのだが、朝からではなく夕食の後に一、二時間するのが日課になっている。
台所へ行くと、大抵、舞香より早起きである綾香が先に弁当を作り始めている。
「綾香、おはよう」
「あ、舞香ちゃん、おはよう」
挨拶もそこそこにして、舞香も綾香が弁当を作っているのに加わる。舞香は自分の分と龍之介のお弁当を綾香は龍之介のお弁当を作る。龍之介の分の弁当は共同で作るのではなく、それぞれ一個ずつ、合計二個作るのである。しかも二つともかなりのドカ弁だ。
これを、身長百九十センチという長身で大飯喰らいの龍之介は、一個を午前中の休み時間にもう一個を昼休みに食べる。すごい食欲であった。尚、彼の場合それでも足りない時があるらしく、その時は放課後近くのコンビニでパンか何かを買って食うのであった。
二人が毎朝お弁当を作る様になったきっかけは龍之介が中学二年生になった時に小学二年生になった綾香が、
「龍君のお弁当は私が作る」
と言い始めた事であった。龍之介、舞香、綾香は三人の祖父の聡一朗が理事長を勤める小中高一貫の“日本栄光学園”という学校へ通っている。この学校では小学校の間は給食をやっているのだが、中学校からはお弁当なのである。
当時、既に綾香の料理の腕はかなりのものであった。だから、
「お兄ちゃんいいな。綾香、舞香の分もついでに作ってよ」
綾香が龍之介の弁当を作ると聞いた舞香がそう言って自分の分の弁当も綾香に作ってもらおうとした時、母親の現がものぐさな娘にブチギレた。
「このバカ娘が!年下の従姉妹にお弁当作りを頼むなんて恥を知りなさい。あんたも女の子なんだから、綾香ちゃんを見習って、自分の弁当くらい自分で作りなさい」
現は娘にそう命令するとお手伝いの亀岡さんに、それまで龍之介と舞香の弁当は亀岡さんが作っていた、これからは舞香の弁当を作るなと命令した。
完全な藪蛇であったが、こうして舞香は毎朝自分でお弁当を作ることになったのである。
お弁当作りが終わると舞香と綾香は急いで身支度して朝食を食べる。この朝食は弁当と朝食でおかずが一緒なのでは栄養が偏ると言うので亀岡さんが作っている。
その後、舞香は離れの仏間へ行き父親の位牌に線香をあげる。
「死んだお父さんにお祈りもできないような子はうちの子じゃないからね」
そう母親に厳しく躾けられているので、舞香は(ついでに龍之介も)毎朝父へのお祈りを欠かしたことがなかった。
亡き父へのお祈りが終わると舞香は裏口に回り、とっくに支度を済ませている龍之介や綾香と合流し三人一緒に学校へと向かう。
「ねえ、龍君」
「ねえ、お兄ちゃん」
通学中、そんな風に舞香も綾香も常に龍之介に話しかけていて、傍から見ていると大型の台風が通り過ぎているみたいで、とにかく五月蝿かった。
「おはよう」
クラスへ入った舞香がそう声を掛けるとわらわらと舞香の周囲に人が集まって来る。
「舞香様、今日もきれいですね」
「その髪留め可愛いですね」
周囲に集まってくる人間はそう口々に舞香の事を褒めるが、二人だけ、
「今日は宿題ちゃんとやって来たか?言っておくけど、写させないからな」
「舞香ちゃん、また顔が膨れてるぅ。さては夜更かししたな」
舞香に対して悪態をついてくるのがいる。
自分の周りに集まってくる人間の事を手下だとしか思っていない舞香が唯一親友だと思っているこの二人こそ、けいちゃん(喜多村恵子・きたむらけいこ)とゆりちゃん(沢田百合子・さわだゆりこ)である。
舞香とけいちゃん、ゆりちゃんの三人は小学生の時から仲が良く、遊びに行ったり買い物をしたりする時もずっと三人一緒だった。親兄弟以外ではこの三人で共に過ごした時間が最も長いのだった。
他の子が舞香の悪口を言うなど許される事ではなかったが、この二人だけは例外で、互いに好きな事を言い合える仲であり周囲もそれを許容しているのだった。
「うっせえ。お前らだってたまに宿題やって無かったり夜更かししたりするだろ」
舞香も負けじと二人に言い返す。その顔がおかしかったのでクスクスと二人が笑うと、それで御許しが出たと思ったのか周囲もつられて笑うのである。
舞香の周りがそうやって笑いの渦に包まれているうちに始業のチャイムが鳴り、一時間目の授業が始まると、皆自分の席へ戻る。
ここから午前の授業中昼休みまでは舞香も大人しく過ごす。舞香がその女王様としての本領を発揮するのは昼休みになってからである。
「それで、今日お兄ちゃんへ近づくバカな女はいたの」
「いや、今日はいないみたいですよ」
食事を摂っている最中に手下の女の子からそう報告を受けた舞香は、ホッと胸を撫で下ろした。
「また、舞香のブラコンが出たよ」
「本当。舞香ちゃん、お兄ちゃんの事になると見境なくなるからね」
一緒に食事をしていたけいちゃんとゆりちゃんが舞香のブラコンぶりを揶揄しからかう。
揶揄はするが……他の子が舞香への兄への思いに引き気味になる中、この二人だけが舞香の兄への思いを理解して秘かに応援してくれているのであった。
大体二人は舞香がこんな筋金入りのブラコンになったのは兄の龍之介が全て悪いと思っている。
勉強ができスポーツ万能で長身かつ顔もよく、その上高等部の生徒会長でおまけに家が金持ちの龍之介は小学生の時から非常にもてた。
「一応俺婚約者がいるからさ。君と付き合うとしてもそれは遊びになるよ。それでもいいのなら付き合ってもいい」
言い寄って来る女の子に龍之介はそうやって断りを入れるのだが、それでも構わないという女の子が後を絶たず、龍之介はいつも両手に華の状態である。多分、そのうちの何人かの女の子とは寝ているはずである。もちろんこの場合の“寝る”は、sleepの意味ではない。
そんな女の子を見つける度に舞香はきっちり女の子に報復し、別れさすようにしていた。舞香の母の現も(更には綾香の母で舞香の叔母の節菜も)かつて舞香の父親である武玄に近寄って来る女の子に対して同じ事をしていたから、似た者親子と言える。
ただ、舞香の復讐は現たちよりひどかった。現たちは自分で行動を起こして二度と近寄らない様に脅していただけだが、舞香の場合、手下の女の子を使ってぐうの音も出ないくらいまで相手を痛めつけるのである。精神的に。冒頭、所長の娘が言っていたのはこの事で、彼女も舞香の復讐の手伝いをさせられたのである。
その甲斐があってか龍之介に近付くとひどい目に遭うという噂が広まり、最近では龍之介に近付く女の子もずいぶん減った。しかし、それでも龍之介に近付こうとする女の子は少なからずいる。龍之介は本当にそのくらいもてるのだ。
舞香はそういう女の子を手下の女の子を使って今もずっと監視し続けている。舞香の中で兄に近付いていい女の子は舞香自身と綾香しかいないのである。それ以外の兄に近付こうとする女の子はみんな敵なのだ。
けいちゃんとゆりちゃんはそんな舞香の事を健気で可哀想だと思っていた。龍之介が女の子に対してこんなにだらしない事さえしなければ、舞香だって嫉妬の炎を燃やす事も無くもっと普通に過ごせたはずなのにと龍之介の事を憎むとまではいかないまでも、舞香に代わって恨んでいた。
そんな風に主に兄の女関係の事に昼休みを費やし残りの授業も終えると、舞香はけいちゃんとゆかりちゃん(この二人は必ず)と、その他手下の中から何人か引き連れて学校の帰りに街へと繰り出す。
「今日は、駅前のカフェにしようか」
「うん、賛成」
「いいね」
舞香とけいちゃん、ゆりちゃんの三人で行き先を決めると、このグループの中で行き先を決める権利を持っているのはこの三人だけである、他の女の子と共にそこへ行く。
「あたし、アイスカフェラテ」
「キャラメルラテ」
「ココア」
それぞれが好きなものを頼んで席へ着くと一、二時間談笑して時間を潰してから各々帰宅する。これを毎日やる。
高校生なのに毎日こんな事をやっていてお小遣いが持つのかと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、そもそも日本栄光学園は私立の進学校でそれなりに経済力のある家庭の子しか通えない学校であり、お小遣いをたくさんもらっている子が多かったし、もらえないような子はそもそも舞香のグループに入れてもらえないのである。
現にけいちゃんにしてもゆりちゃんにしても家は自営業であり裕福であった。
放課後の寄り道の時間を終えて家に帰ると、舞香は夕食までの時間を家で過ごすことになる。勉強をすることもあったが、よく兄の部屋へ行っているのは既に書いた通りである。
食事が終わると、龍之介と舞香と綾香の三人で修行に汗を流す。その後風呂へ入りしっかり体を洗った後、髪の毛とお肌の手入れを念入りにする。
その後は部屋で勉強したり本を読んだりテレビを見たりして過ごし、十二時過ぎに寝た。
これが舞香の日常である。
4
綾香の事をめちゃくちゃにしてやりたい。
「舞香ちゃん、今から髪の毛を切りに行くんだけど、ついて来てくれないかなあ」
「いいわよ」
髪の毛を短くするのが不安で一人で美容室に行く気になれなかった綾香の頼みを、舞香が二つ返事で了承したのはそんな邪な動機からである。
「短いの似合うかなあ。どういう風にしようかなあ」
「大丈夫だって。きっと短いのも似合うよ。どう注文すればいいのか分からないんだったら、舞香がしてあげるよ」
そううまく誘導して、舞香は自分が美容師に髪型を注文するように仕向けた。
カットクロスを掛けられて緊張している綾香の後ろで舞香が美容師に、
「この子、バスケやっていて髪の毛が邪魔なんで、バッサリと短めのベリーショートにしちゃってください」
まずそう大雑把に注文してから、その後細かく注文する。顔だけは従姉妹の事を思いやっているように見せかけて笑顔だが、腹の中は真っ黒だった。
美容師は綾香の長い髪を首の所で一つにくくると、それを鋏で一気に切った。記念に髪の毛を持ち帰りたいという綾香の希望に沿うようにするためだ。まとめていた髪を切ると残りの髪がぱっと広がり、舞香の頭がザンバラになった。
その後は速かった。
美容師は髪の毛の根元五センチくらいの所から一気に鋏を入れて行った。あれよあれよという間に綾香の頭の上から髪の毛が無くなり、男の子みたいになった。
「何か短い」
これだけでも綾香はものすごく不安そうだったが、舞香に何か言われた美容師はバリカンを取り出した。
「これって……」
「大丈夫。野球やっていた舞香の経験では、汗を掻いた時に髪の毛が耳に当たるとすごく鬱陶しいんだよ。だから、ね」
舞香はそう言って綾香を黙らすと、美容師に続きをするよう促した。舞香に促された美容師は綾香の髪の毛を刈り出した。
「うわっ、くすぐったい」
綾香はバリカンのくすぐったい感触に身を悶えたが、バリカンはそんな綾香の感傷を無視してヴインヴインと唸りを上げる。綾香のこめかみの部分から下の髪の毛が落ちて行き、後ろもそのラインで刈られた。綾香のサイドとバックの髪が芝刈り機で刈られた芝生の様になった。
バリカンを鋏に持ち替えた美容師はトップの髪の毛を更に一、二センチ短くした。
前髪も短く切られた。顔が完全に隠れるくらいの長さだったのが、額丸見え、生え際ぎりぎりまで短くされた。
最後に梳きバサミで髪の毛をごっそりと梳き、トリマーでモミアゲと襟足を整えて、ヘアカットは終わった。
こうして綾香は一人のバスケ戦士になった。
「大丈夫だって。似合っているって。綾香は美人だから、すっきりと短い髪型の方が顔立ちがはっきりとして、より美人に見えるよ」
髪の毛が短くなりすぎた事が悲しくて泣いている従姉妹を舞香はそうやって慰めたが、内心では計画が上手く行ったことに対してほくそ笑んでいた。
これでお兄ちゃんと綾香の仲が進展するのをしばらくの間阻止できる。
そう喜んだ。兄は女の子らしい可愛らしい女の子が好きである。男の子っぽくなったからといって龍之介が綾香の事を嫌うことは無いにしても、何せ髪の毛が伸びるまでには時間がかかる。小学生の頃野球をしていて男の子顔負けの短いスポーツ刈りだった舞香が今の長さにするのにだって二年くらいかかったのだ。だから、しばらくの間兄が舞香の事を恋愛の対象として見ることはないだろうと舞香は考え安心した。
ところが舞香のこの策略は裏目に出る。
「あら、ショートカットも似合っているじゃない。可愛いわよ」
「そうだぞ。すごく可愛いぞ」
そうやって綾香の母や父を始めとして家族中が綾香の新しい髪型を可愛いと褒めているうちに、どうやら兄もショートカットの綾香の事を可愛いと思うようになったみたいであった。
「長いのもよかったけど、短いのも綾香らしくていいな。可愛いよ。バスケもやっているんだし、しばらくその髪型でもいいんじゃないか」
いつものように部屋へ遊びに来た綾香の頭を撫でながら、龍之介はそう新しい髪型の事を褒めた。
「本当?龍君がショートの女の子が好みなんだったら、私、すぐにまた髪の毛伸ばそうと思っていたけど、止めてずっと髪の毛短いままでいる」
褒められた綾香は嬉しさのあまり龍之介に飛びつき、飛びつかれた龍之介はますます綾香の事を可愛がるのであった。
この事件後、綾香は少しでも髪の毛が伸びたら美容室へ行くようになった。バリカンで髪の毛を刈られるのは嫌だったが、好きな人のために我慢し、美容室に行く度にヴインヴインとバリカンで髪を刈り上げられている。
そんな二人の光景は、傍で見ていた舞香の目からは、二人の仲が随分と進展したように見え、とても悔しかった。
舞香もお兄ちゃんにあんな風にされたい。
そう思っても兄に対して奥手な舞香にはそんな事を兄に頼む度胸はどこにもなかった。
「舞香ちゃん、ありがとう。おかげで龍君に褒められちゃった」
綾香にそうお礼を言われた事で舞香の悔しさは倍増した。完全に“策士策に溺れる”というやつであった。これでは舞香は完全にピエロである。
きぃー。
舞香は心の中で渦巻く嫉妬の炎を抑えきれず、その晩ベッドの中で一晩中ウサギのヌイグルミを殴り続けた。
翌日、登校した舞香の顔色は良くなかった。どこか青白くやつれているように見えた。けいちゃんとゆりちゃんがそんな舞香の事を心配して声を掛けてきた。
「どうしたのさ」
「このままだとお兄ちゃんが綾香のものになっちゃう」
普通は逆だろとけいちゃんは思ったが、そこは問い詰めず、ゆりちゃんと二人で舞香をトイレに連れて行くと、事情を聞いた。
「ふーん、つまりお兄ちゃんと綾香ちゃんの関係をおかしくしようと画策したら、逆に仲良くなってしまったでござると」
「そうなの」
「自業自得じゃないか」
けいちゃんは口が悪く、言うことも手厳しかった。しかもその内容は事実であり、舞香は全く反論できなかった。
「だってえ」
「だってじゃねええよ。そんな姑息なことするから罰があたったんだよ」
「ううぅ」
罰とズバリ言われて落ち込む舞香にけいちゃんが更に追い打ちをかけた。
「これで、もう舞香がお兄ちゃんとくっつく隙は無くなったかもな」
「そんなぁ」
けいちゃんに止めの一撃を受けた舞香はガクッと崩れ落ちてしまった。その目には涙が溜まり今にも泣き出しそうに見えた。
しかし、けいちゃんの意見に対してゆりちゃんが異を唱えた。
「うーん、そうとも限らないんじゃないかな」
「ゆり様ぁ、何か考えがあるんですか」
藁にもすがりたい思いの舞香は、顔色をちょっとだけ回復させるとゆりちゃんに擦り寄って来た。そんな舞香にゆりちゃんは己の考えを述べる。それはかなり大胆なアドバイスであった。
「舞香ちゃんのお兄ちゃんって、舞香ちゃんの事を妹としか思っていないよね。だったら、まずその意識を変える事から始めなきゃいけないんじゃないかな」
「お兄ちゃんの意識を変える?」
「そうだよ。お兄ちゃんに舞香ちゃんを女として意識させなきゃ、お兄ちゃん、絶対舞香ちゃんに振り向いてくれないよ」
「でもお兄ちゃん、舞香の事なんかこれっぽっちも女だとは思っていないんだよ。どうすればいいのよ」
「それには覚悟を決めて積極的に攻めるしかないんじゃないかなあ」
「それって……」
「つまりは、お兄ちゃんに女にしてもらうしかないってことか」
最後はけいちゃんが口を挟んできた。
「まあ、確かに舞香が逆転しようと思ったら、そのぐらいの荒療治は必要だな」
けいちゃんはゆりちゃんの意見に全面的に賛同のようであった。
「お、女って。無理だよ。舞香、そんなことお兄ちゃんとできないよ」
「やるしかねえだろ。お兄ちゃんを綾香ちゃんに取られたくないんだったらな」
「ううっ。でも、具体的にはどうすればいいのよ」
顔を赤くしてはにかむ舞香に、ゆりちゃんが的確なアドバイスを始めた。
「ポイントは舞香ちゃんのお兄ちゃんが、女の子に迫られると拒まない男だってことだよ」
***
尚、誤解の無い様に書いておくと、けいちゃんとゆりちゃんが舞香にこの様な事を勧めたのは別に舞香と龍之介にくっついて欲しいからではない。
寧ろ、失敗して舞香が兄にフられることを期待して、けいちゃんたちの考えでは龍之介は舞香の事を女として意識していないからまず間違いなく失敗するはずなのである、勧めたのである。
なぜ彼女たちが親友を悲しい目に遭わせるような事を勧めたのか。
それは龍之介に舞香をきっぱりとフッてもらう事で舞香に兄の事を完全に諦めてもらいたかったからなのだ。
このままお兄ちゃんに執着していては、舞香はダメになるばかりだ。それならば、いっそのこと、お兄ちゃんにフッてもらった方が舞香も諦めがつき、新しい人生を歩みやすくなる。兄の事さえ諦めれば、容姿はいい舞香の事だ、別の恋も見つけられていい人生を送ることができる。
そう舞香の事を想っているからこそ、けいちゃんとゆりちゃんは敢えてこのような事を舞香に勧めたのである。
5
その日の夜中の事である。
舞香は下着が透けて見える大胆なネグリジェを着て龍之介の部屋の前で佇んでいた。
このネグリジェは今日学校の帰りにデパートに、けいちゃん、ゆりちゃんと三人で行って買って来た物だ。ネグリジェの下に来ている下着も一緒に買って来た。この下着も慎重に選んで兄が好みそうな可愛らしいのにした。髪も体もいつもに増して念入りに洗ったし、大人びた香りのコロンもつけた。
準備は万端だ。
スーッと深呼吸をすると、舞香は意を決し、兄の部屋の扉を開けた。
さし足忍び足で中へ入ると、兄のベッドを覗き込んだ。龍之介はすやすやと寝息を立てながら寝ていた。舞香は兄のベッドの側に座ると、兄を揺すり起こした。
「ねえ、お兄ちゃん、起きてよ」
「うーん、何だ舞香か」
無理矢理起こされた兄は、眠たそうに眼を擦りながらも体を起こすと、妹に話しかけてきた。
「どうしたんだ。こんな夜中に」
「あのね、舞香一人じゃ寂しくて寝られないの。だから……一緒に寝てよ」
「別にいいぞ」
龍之介はあっさりと舞香の願いを聞き入れた。
やったあ。上手く行った。
舞香は兄貴の事を案外ちょろいんだなと思った。ゆりちゃんが言っていた通り、やっぱり兄貴は女の子に誘われると弱かったのだ。
龍之介はちょっと体を動かすと、舞香のためにスペースを空けてやった。
舞香はウキウキしながらそのスペースに入っていった。そこに寝転ぶと兄の体温が残っており、ほんのりと温かかった。その温かさが舞香に伝わって来て心臓の鼓動が速くなり出し、ついにはバクバクが止まらなくなった。
舞香は兄にギュッと抱きつきその胸に顔を埋めた。男らしい兄の汗の匂いが舞香の鼻腔を刺激し心地よかった。
横になった舞香に龍之介の手が伸びて来た。いよいよお兄ちゃんと結ばれるのね。舞香は期待と初めてへの不安で身を固くして兄の事を待った。
だが、当然舞香の体を触って来るものだと思っていた兄の手は体の方へは行かず、舞香の頭を触ると撫で撫でし出した。
「それにしても、舞香はいつまで経っても子供だな。暗いのが怖くて一人で寝られないなんて。幼稚園の頃からちっとも進歩していないな」
えっとぉ。確かに幼稚園の頃、舞香は一人で寝るのが怖かったからよくお兄ちゃんの布団へ潜り込んでいたけど……どうやら、舞香と龍之介の間にはかなり認識に差があるようであった。
舞香の認識では、“こんな恥ずかしい恰好をした女の子が「一緒に寝て」と言う”≠“Sleep with me!”だったのであるが、龍之介の認識では、“妹が「一緒に寝て」と言う”=“Sleep with me!”であったのだ。
そうやって兄の認識が自分とは全く違っていた事に一旦気付いてしまうと、自分が勘違いしてはしゃいでいた事が舞香は何だか恥ずかしく感じられてしまった。
だから、舞香は固まって動けなくなってしまった。それでも、しばらくしてその呪縛から解放されると、お兄ちゃんはきちんと自分の気持ちを伝えないと分かってくれないと考え、清水の舞台から飛び降りる気持ちで兄に言った。
「お兄ちゃん違うの。舞香が寝るって言ったのは、その、舞香の事をめちゃくちゃにして欲しいって意味だったの」
とうとう言ってしまった。これでもう元の兄妹の関係には戻れないと舞香は思った。
だが、龍之介は、
「ぐーぐー」
とっくの昔に寝てしまっていた。龍之介を起こしてもう一度言おうかと舞香は思ったが、あんな事を言えるのは一度きり。再び彼女に同じ事を言う勇気は残されていなかった。
その後、悶々としているうちに昨日あまり寝ていなかったせいもあり舞香も知らない内に寝てしまっていた。
朝起きると龍之介の姿は既にベッドの中には無く、
「えいや」
という修行に明け暮れる兄の声が庭から聞こえてきた。
兄は布団から出る時に舞香にちゃんと布団を掛け直してくれたみたいで、寝冷えして体調を崩しているとかもなさそうであった。
ふう。舞香は溜息をついた。自分の秘策が上手くいなかったことは残念だが、よく考えるとこれでよかったのかもしれないと思った。
確かに、綾香に勝とうと思ったらこのやり口が一番効果があるし、お兄ちゃんの性格を考えるとけいちゃんやゆりちゃんの作戦は目的達成に合致したものだった。でも、もしもだ。もし、昨日の自分の発言を兄に聞かれそれが兄に拒絶されていたらと考えると、自分はもう少しで取り返しのつかない間違いを犯していたかもしれないと考えたからである。
それに逆にもし成功していたらと考えるともっと恐ろしかった。龍之介のあの太い腕に抱かれる自分を想像すると恥ずかしくて死にたくなる舞香なのである。
だから、これでよかったのだ。今は。
あっ、お弁当作らなきゃ。
舞香は慌てて布団から出ると自分の部屋へ向かった。これから部屋で着替え、既に綾香がいるであろう台所へ向かわなければならないのだ。
「ちょっと、あんた、何て恰好してんのよ」
部屋へ帰る途中に行き合った母親の現が舞香の透け透けのネグリジェ姿を見て素っ頓狂な声をあげ、それが屋敷中に響き渡った。
ソファーの上で丸くなっていたニャン太がそれを聞いて起き、ふわあ~と欠伸をした。
本作品はこれで終了となります。
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