第九章 進君と紋章の関係 2
本日の投稿です。
よろしくお願いします。
「見て、見て、イスム。あの子、可愛いわね」
それは、河川敷公園にて散歩する親子連れを見て言った舞香の感想である。更に舞香は、
「舞香もいつか、子供を連れて親子三人であんな風に散歩してみたいな」
とも言い、親子連れが公園から去っていくまでじっと見つめているのだった。
親子連れの姿が見えなくなりようやく話し掛けられる雰囲気になると、進は舞香に話し掛けた。
「それで、今日はどうしたの?やっと、お兄さんの事を諦める決心がついて僕に話をしようとしたの?」
「ううん、違うよ」
舞香はあっさりと否定した。
「あんたにはああ言われたけど、舞香、まだお兄ちゃんの事諦めきれないの。だって、まだお兄ちゃんを落とす為に試していない事が多いんだもの。お兄ちゃんの事を諦めるのはそれらを全部試してからにしたいの。だから、返事はもう少し待ってくれないかな」
「分かった。それじゃあ、もう少しだけ待つ事にするよ」
「それと、ね」
「うん?」
「それと、イスム。あんたにこんな事を言うのはおこがましいのかもしれないけど、舞香がお兄ちゃんの事を諦められるまで、お兄ちゃんを落とすのに協力してくれないかな」
――こいつがこんな事を言い出すって事は、舞香も少しはお兄さんから距離を取る事ができるようになったのかな。
進は自分の思惑通りに物事が進みそうな事に満足した。
――まあ、最終的に諦めてくれたら。尚、いいんだけど。
だが、舞香は子供の頃から数えるともうかれこれ十年以上兄の事を思い続けている。だから心の整理が中々つかないという事も進には理解できた。進はその舞香の純粋な気持ちを一蹴できる程情けのない人間ではなかった。
――幾らなんでもすぐに別れろというのは気持ち的にも無理だろうから、諦めが付くまで手伝ってやるか。
優しい進は、それで舞香が救われるのならば、と手伝ってやる事にした。
「いいよ。それで、姫様の気が済むのなら」
「ありがとう」
舞香はペコリと頭を下げ進にお礼を言った。そう言えば、舞香が進にきちんとお礼を言うのも初めての事だった。彼女も確実に良い方向へ変化している様だった。
「それで、これからが話の本番なんだけど」
「そうそう、一体何なんだい?」
「あんたの呪を解除してあげようと思って、ここに呼んだの」
「呪?」
――そう言えば、すっかり忘れていたけどそんな厄介なものが、この体には掛かっていたんだっけ。
進は自分の肩に刻まれている紋章について思い出した。思い出してゾッとした。
自分が恐ろしい時限爆弾を抱えていた事に改めて気付き、恐怖し、そして、安堵した。
――でも、その爆弾ともようやくおさらばできるのか。
「このこと、お兄ちゃんにはまだ言っていないけど、お兄ちゃんもあんたのことをもう赤の他人だとは思っていないようだから、事後報告でも文句は言わないと思う。あんた、今更秘密を漏らしたりしないでしょ」
「もちろんだよ」
「そう。それじゃあ、今から解除するわね」
そう開始を宣言すると、舞香は進の額に手をかざし、
「イスム、目を閉じて」
進に命令した。無論、進は大人しく命令に従った。
ポワーンと舞香の手が淡い光りに包まれ、その光が進の全身を覆った。そして、その光が消えると同時に、舞香が手をかざすのを止めた。意外と簡単な解呪の儀式だった。
「終了。これで、あんたの呪は……あれ?」
儀式を終えた舞香が首を捻った。
「変ねえ。あんたの呪、解けていないわ。それどころか、これは……勝手に発動している?」
「えっ」
体内の時限爆弾が作動していると聞いた進は驚き戸惑ったが、舞香は冷静だった。
「そう言えば、今になると思い当たる節があるわね」
「思い当たる節って?」
「あんた、今まで度々舞香に逆らうような言動をしてきたのに、全然呪が発動しなかったじゃない。あれはあんたが舞香に逆らおうとしていたとしても、それは舞香の為を思って言ってくれているから、かな?なんて舞香は思っていたんだけど、まさか」
舞香は進の体を掴むと、すごい勢いでガシガシ揺らした。
「まさか、あんた紋章を勝手にいじったりしなかったでしょうね」
「すいません。いじりました」
進は素直に白状し謝った。今更、隠す事はできないし、隠せば被害が大きくなるだけだからである。それに対して舞香は当然怒った。
「このバカ!あんた、何てことをしてくれたのよ。あれだけ、『絶対いじるな』って言っておいたでしょ」
「すんません」
そう言われてもやってしまったものは仕方がなかった。こうなると、進にできる事はひたすら謝る事だけである。
「ちょっと、紋章を見せてみなさい」
「はい」
舞香は進に上着を脱がせると、カッターシャツの肩の部分をめくり、進に刻まれている紋章をさらけ出して、じっくりと観察した。
「これは!」
紋章を観察した舞香の顔が蒼くなった。
「紋章の意味が書き換わっちゃっている」
「書き換わった?どう言う事?」
「つまり、あんたが余計な事をして紋章をいじっているうちに紋章の意味が書き換わってしまったってわけ。しかも大幅にね」
「大幅に?」
「そうよ。あんたにかけた呪って、割と複雑なパターンの呪だったから、ほんのちょっといじるだけで大幅に意味が書き換わってしまうわけよ」
舞香の説明を聞いた進は何だか嫌な予感がしてきた。
「それでどういう内容に書き換わったの?」
「え~と、ね。『呪を解除しようとすると呪が発動する。呪の発動後、一時間後にあんたは死ぬ。そして、あんたが死ぬと同時にあんたをエネルギー源として地脈が動き、大規模な天災が起こる』って事になっているわね」
「えっ」
「まあ、この場合、天災って言うよりは人災と言った方が正しいかも、ね」
嫌な予感が的中して慌てた進は、舞香に聞いてきた。
「災害って?どのくらいの規模の?」
「関東大震災クラスかな」
舞香はしれっと言った。余りにもしれっと言ったものだから、最初進は舞香が何と言ったか分からなかったが、時間が経って意味が分かると、オウム返しの様に叫び返していた。
「関東大震災クラス?だって?」
「うん」
――関東大震災クラスの災害だって?何という事だ。
進は天国から地獄へ墜とされた様な気分になったが、その進に対して舞香は更にトドメを刺す様な事を言った。
ボソッと、小さな声で、「最高の結果で」と言ったのだ。
本当なら聞き逃してもおかしくないくらい舞香の声は小さかったのだが、神経が敏感になっている進は聞き逃す事ができなかった。慌てて、舞香に聞き返す。
「今、『最高の結果で』って言ったよね。それって最低限関東大震災クラスの災害が起こるっていう意味だよね」
「そうだよ」
「それじゃあ、最悪の場合は?」
「イエローストーン国立公園がカルデラ噴火を起こした時くらいかな」
知らない人が大半であると思うので書いて置くと、イエローストーン国立公園とはアメリカにある国立公園の事で、北米大陸で最も火山活動が活発な事で知られている場所である。ここの火山がカルデラ噴火を起こすと人類滅亡規模の災害になると試算されている。
尚、カルデラ噴火とは、カルデラ破局噴火とも呼ばれるカルデラの形成を伴う大規模な噴火の事である。日本でも阿蘇山がカルデラ噴火を起こす可能性が指摘されていて、その場合、半径数十キロが灰塵に帰し北半球が壊滅するという試算が出ているから、カルデラ噴火とはとにかく被害の大きい噴火なのである。
ちなみに、阿蘇山は数万年から十数万年周期でカルデラ噴火を繰り返しており、前回起きたのが九万年前だからそろそろ次の噴火が起きてもおかしくない状況だと言われている。
舞香の話を聞いた進の顔は真っ蒼になった。進は荒川の影響でイエローストーン国立公園の事については知っていた。
――僕がそんな巨大災害の震源地になるなんて真っ平だ。
舞香の説明を聞いた進は心底震えた。
「イエローストーンって。それじゃあ、某市どころか関東地方、いや、日本。いや、いや、世界が滅亡するかもしれないじゃないか」
「その通りよ。あんたが余計なことをしたせいで下手をすると何億人もの人間が死ぬ事になるわね」
――そう他人事の様に言われても、そもそも呪を僕に掛けたのはお前だろう。
進は舞香に対してある種の無責任さを感じたものだったが、すぐに舞香が他人事の様に言った理由が分かった。それはそうしないと、舞香自身、これから迫られるであろう二者択一に対して平静でいられないからだった。
「それで、暴走した呪を止める方法ってないの?」
「ある事にはあるわよ」
進の問いかけに対して、舞香は言いにくそうな顔で答えた。
「暴走した呪を止める方法は二つ程あるわよ。一つは、あんたの肩の紋章を破壊する事。これは舞香一人だけでは無理ね。お兄ちゃんか綾香がいれば簡単だけど、この時間二人とも中々連絡がつかないのよね」
舞香は携帯を開くと、パチパチッと操作した。
「一応、今特製のアプリを使って緊急の連絡を入れたけど、すぐに気がつくかどうかは分からないわね」
「もう一つは?」
その質問を聞いた舞香は眉間に皺を寄せた。それを見ただけでも相当言いにくそうだと分かるが、それでも何とか舞香は言った。
「もう一つは、あんたが呪に殺される前にあんたが死ぬ事ね。そうすれば呪が動作不良を起こして止まるわね」
「僕が死ねば止まるって?……ええええええええええ!!」
驚き大声で叫ぶ進に対して、舞香の顔は真剣そのものだった。
「あんた、人類の為に犠牲になる気はある?その場合、一応、一番楽な方法でやってあげるけど」
「嫌に決まっているだろう」
「それじゃあ、紋章をぶっ壊すしかないわね」
そこまで言った舞香は携帯電話を開くと龍之介と綾香から返信がないか確認したが、もちろん都合よく返信など来ていなかった。
「仕方ないわね」
舞香はそう言いつつ二人に電話を掛けてみたが、二人はやはり出なかった。
「しょうがないか。舞香だけでやってみる」
舞香は進の紋章の上に手をかざすと、目を閉じ、何やらぶつぶつ唱え始めた。たちまち舞香の手と紋章が共鳴を起こし、不気味な音とともに光りはじめた。
元々、舞香はこういう細かい作業が得意な法術使いである。その実力は確かなもので、並の術者が掛けた呪ならば簡単に壊してしまうだけの実力を備えていた。
しかし、これが自分の掛けた呪となると話は別だった。何せ、並ではない(良い意味で)術者である舞香が掛けた呪なのだ。滅茶苦茶頑丈だった。その頑丈さは掛けた舞香本人でさえも簡単に破れない程だった。
だから、この時も、
「ダメだ。全然壊れないよお。破壊するだけの力が足りないわ」
やはり壊す事ができなかった。
「仕方ない。こうなったら」
舞香は覚悟を決めた。カバンの中から短刀を取り出すと、これは前に舞香が自分を刺せと進に渡したあの短刀である、それを握ったまま進に力を掛けて地面に押し倒し、そのまま進の上に馬乗りになった。
「人類を魍魎から守って来た一族の末裔として、あたしが施した呪のせいで人類を滅亡させる訳にはいかないの。だから、一思いに殺してあげる」
そう言う舞香の口調だけは冷静だったが、短刀を持つ手はプルプルと震えていた。それだけでも舞香の本心は丸分かりだったが、更に舞香は名残惜しむかのように進の事を見つめたまま固まってしまった。
その舞香の固まりっぷりは見事なもので、本当に眉毛一本動かさず、古代ギリシャの女神像の様に進の上に鎮座していた。
そんな舞香を見かねたのか、
「姫様」
そう言って、進を殺す事に躊躇している舞香の前に現れたのは蛍火だった。
蛍火は、二人のやり取りを聞いていたのか、どういう事情でこういう状況になっているのか知っているみたいで、
「姫様ができないのであれば、この私めが、やってみせます」
短くそう提案した。だが、舞香は、
「別にいい。こいつの始末は舞香が着けなきゃならないから。あなたは下がっていなさい」
「畏まりました」
そう言って蛍火を下がらせた。蛍火と会話した事で舞香は改めて自分の使命を思い返したのだろう。進の上で座り直すと、進を刺し易いように短刀を握り直した。
こうなると、いよいよ、である。
「イスム、ごめんね」
そう言う舞香は顔を紅潮させていて、見た目にも興奮しているのが分かった。
そんな舞香の目頭から熱いものが進に向かって落ちて来た。落ちてきたが、舞香はそんな事には構わず、短刀を大きく振りかざした。短刀は相変わらずブルブル震えていた。
舞香はあまりにも興奮しすぎていて、「イスム、あんた一人を死なせない。あたしもすぐに後を追うから。あの世に着いたらいっぱい謝るから許してね」とボソッと言った事にも気がついていないようだったが、それを聞いた進の方は覚悟を決めた。
――最期はこいつと一緒に死ぬのか。まあ、それも悪くないか。最期はこうして可愛い女の子に殺されるわけだし。男冥利に尽きる死に様と言えばそうだし。
進は心を落ち着け、目を閉じた。それと同時に、死ぬ直前の進の頭の中で今まで生きてきた人生の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
小さい頃妖精さんに助けられた事。小中学生の時の友達との思い出。高校入試の時の事。最近の舞香との思い出あれこれ。云々。
そして、最後に思い出したのがこの前の魍魎退治の事だった。
――よく僕なんかが、まぐれとはいえ、魍魎を退治できたなあ……
感傷に浸る進だったが、それを思い出すと同時にある事に思い至り、目を見開いた。
明日も10時に投稿します。
木曜日に新作投稿しますのでそちらもお願いします。