第四章 進君と嘘の噂話の関係 3
本日最後の投稿です。
読者の皆様に楽しんでいただけると幸いです。
「あなたが岩清水君?」
部屋に入った進にそう声を掛けて来たのは見知らぬ女性だった。
「はい、そうですが」
「初めまして、私は龍之介と舞香の母親の平現と申します。よろしく」
「えっ」
――ちょっと、会長。聞いていないですよ。
いきなり舞香の母親と対面する事になり、すっかり慌てふためいてしまった進は龍之介の事を恨んだ。もっとも、最初からこの事を言われていたら進はそもそもここへ来なかったはずなので、龍之介の行動にも致し方ない部分はあるのだった。
「どうも、初めまして。岩清水と申します。会長や平さんにはいつもお世話になっております」
ともあれ、挨拶をされた以上挨拶を返さない訳にはいかなかったので、進は慌てて頭を下げながら挨拶した。
挨拶を交わした後で、失礼にならない程度に進は現の事を観察してみた。
現は舞香にそっくりだった。いや、舞香の方がこの人に似ているというべきだろう。意思の強そうな眉を有する目鼻立ちのはっきりした顔に短めのショートヘアよく似合うかなりの美人である。胸の大きさを始めスタイルが良い点も舞香と同じだった。
ただ、全身から放たれるオーラと言うか雰囲気と言うかから溢れ出ている凄みが強烈な人で、単にこうして向き合って相対しているだけなのに、進は精神的に押されている気がしてならないのであった。
後で聞いた話では彼女はJKKの副社長だという事だ。なるほど、何万人もの人間に命令を下すんだから、の位の迫力は必要何だな。と、話を聞いた進は納得したものだった。
「こちらへどうぞ」
現は進を客間の奥へ案内した。客間の奥の壁は全面ガラス張りとなっており、そこからは屋敷の日本庭園がよく見えた。ガラスの壁の手前には来客用のソファーと大理石の立派なテーブルがあり、進と現はそこへ座った。ソファーには先に舞香が座っていた。
今日の舞香はいつもと違っていた。服装が、である。
舞香は白を基調としその上には花やら蝶やらが刺繍された振袖を着ていた。進には着物についての知識は無かったがかなり高価な品物である事は、実際舞香が着ていた振袖は某人間国宝が製作した逸品であった、直感で分かった。
長い髪も綺麗に結いあげられていて、アクセントとして着けている花の髪飾りが可愛らしかったし、初めて見る舞香の白いうなじは艶っぽく色気があった。
化粧もいつものような派手な感じのではなく、ほんのりとした薄化粧であり清楚な印象を進に与えた。
――女の子って、服装や髪形を変えただけでこんなに印象が変わるものなんだ。
進がそう驚き思わず動揺する位、舞香は普段と違っていた。それは進の理想とする女の子そのものの姿であり、普段の傍若無人な舞香を知っている進でも、顔を赤くし、心臓がドキドキするのを止める事ができないでいた。そんな進を見て、現は、
「岩清水君はこういうお淑やかな感じの女の子が好みだって龍之介から聞いたから、こんな恰好をさせてみたんだけど……どうやら気に入ってくれたみたいでよかったわ」
そう言うとニコリと笑った。それに対して横の娘の方はブスッとした顔をしていたが。
現は、「どうぞ」とお手伝いさんが運んで来た紅茶を進に勧め、自らも一口口に含むと、遣り手の経営者らしくいきなり本題に入った。
「岩清水君、あなた娘と交際しているんですってね。しかも、もうかなり仲がいいそうじゃないの。龍之介からそう聞いたわ」
「えっ」
――会長、今日この事態を招いたのはあなただったのですか。というか、さっきの『すまん』にはこの事に対する謝罪も含まれていたのか。
「この子、父親を早くに亡くしましてね。それで皆不憫に思ったのか、この子の事を甘やかしてしまって、あたしも仕事で忙しくて中々構ってやれなくて、それでこんな我儘な子に育っちゃってね」
「はあ」
「このままだと、将来、お嫁にもらってくれる人がいないんじゃないかとずっと心配していたのよね。だから、こうしてもらってくれそうな人が見つかって良かったわ」
「えっとぉ」
「お母さん!」
そこまで現が言った所で舞香が立ち上がった。立ち上がったのまでは良かったのだが、
「急になに言い出すのよ。岩清水君、困っているじゃないの」
「お前は黙っていなさい。今話しているのはお母さんと岩清水君なのよ。お前は口を挟むんじゃない。それとも、お前は親に逆らう様な親不幸な娘なのか」
母親にきつい口調でそうピシャリと言われた舞香は、プルプルと肩を震わせながら蚊が鳴く様な声で「はい」と短く返事をすると、それっきり黙ってしまった。
――舞香のあの普段の傍若無人な振る舞いは一体どこへ行ってしまったのだろうか。というか、舞香を一発で黙らせるなんて、とんでもないお方だ。
進は舞香の普段とのギャップと、そういえば舞香は進がここへ入って来た時から借りてきた猫の様に大人しかった、母親の有無を言わせぬ迫力のせいで自分が恐ろしい事に巻き込まれているんじゃないかという錯覚を覚えた。
「それでね、岩清水君」
「はい」完全に舞香母に呑まれていた進は、思わず力強く返事をした。
「この子にもね、何度か許嫁を決めようとした事もあったんだけどね。皆、この子の我儘ぶりとじゃじゃ馬ぶりを見て、向こうから断られてきたのよね」
「そうなんですか」
「だから、誰か好い人にもらってもらえればとずっと思っていたのだけど」
現はテーブルから身を乗り出すと、進の両肩をがっしりと掴んだ。
「あなた、娘が見初めただけあって、あたしが見る所、ものすごく見込みがありそうね。やっぱり男の子は、家柄なんかよりも能力と将来性のありそうな子を選んで結婚しなきゃね。あたしが昔主人を選んだ時みたいに」
「お母さん!」
ここで再び舞香が口を挟んできたが、
「うっ」
今度は言葉すら交える事なく、母親にじっと睨みつけられただけで舞香は黙り込んだ。
恐るべし!舞香母。
娘が黙ると、現は話を再開した。
「娘と結婚するんなら、当然、婿養子に来てくれるわよね」
「養子ですか」
「ええ。今、あたしの母の実家の源家ね。家名を継ぐ人がいない状態なのよ。一応この子のひいお祖父さんがいるんだけど、ひいお祖父さん婿養子だから、その事を非常に気にしているの。だから、この子に婿を取って家名を継がせたいのよね」
突然現に婿養子になれと言われた進は、どう返事すればよいか迷い困った顔をした。
――そう言われても、なあ。そんな将来の事を言われても面食らうだけでどう反応すればいいのか分からないし、そもそも僕たちつき合ってすらないんですが。……いっそのこと、それをここでぶちまけてしまおうか。でも、それを言っちゃうとこの人の怒りを買っちゃいそうで、それはそれで恐いんだよな。弱ったな。
その進の困った顔を見た現は、進がこう考えているとは露思わず、進が養子になる事を躊躇しているのだろうと思いこみ、
「岩清水君は長男だから、婿養子とか中々なりたくないのは分かるけど、弟さんも居らっしゃるみたいだし、岩清水家の方は弟さんに継がせればいいじゃない」
と、進から見れば随分的外れな事を言い出した。
「その代わりと言っては何だけど、岩清水君にも長男としての責任というものがあるだろうから、岩清水君の四人の妹さんたちの大学までの学費はウチで出させてもらうわ。岩清水君家は家計が苦しいみたいだから、随分助かるんじゃないの」
「えっ」
――この人は何を言っているんだ。というか、なぜ我が家の家計が苦しい事を知っているんだ。
進の表情を見ただけで進の思いを汲み取った現は、進の疑問に答えた。
「悪いけど、岩清水君の家庭事情は調べさせてもらったわ。五人も兄妹がいて、食べさせるだけでも精一杯らしいわね。岩清水君も特待生で学費免除でなければウチの学校へ進学するのが難しかったらしいじゃない」
――さっきから、えらくうちの事情に詳しいと思っていたら調査済みだった訳か。それにしても短期間でここまで詳しく調べるなんて……そう言えば、舞香が忍者の一族だとか何とか言っていたな。調べ物は得意という事か。……この人は敵に回すべきじゃないな。
進は舞香母の用意の周到さを見て、何だか自分が罠にかかった獣であるかのように思えて来て空恐ろしくなった。
「まあ、堅苦しい話はこの位にしておきましょうか。ただ、将来の事は今からしっかりと考えておかなければダメよ」
進の気持ちを慮ったのか、この件に関してこれ以上現は何も言わなかった。
この後は世間話だとか進の学校生活だとかそういう当たり障りの無い話をして過ごした。そのうちに結構な時間が経った。
――そろそろ帰ろうかな。
そう進が思い始めた時だった。
明日からしばらく2話ずつの投稿となります。
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