第三章 進君と舞香の関係 1
本日2話目の投稿です。
進君の奴隷生活の始まりです。
進が見てはいけない者を見てしまった翌日の朝、登校する時も進の頭の中は昨日の出来事でいっぱいだった。
あれだけの事が目の前で起こったのだから当然と言えば当然の反応なのだが、それでも進はどこか現実感に欠けた感覚を持っていたらしい。
――あれは夢だったんだ。そうだ、夢に違いない。だから、忘れてしまおう。
日中、進はそう考えるようにして現実逃避に走っていた。
だが、放課後、授業が終わった後になって昨日の出来事が真実起きた事であると思い知る事になった。
「ちょっと、ついてきな」
生徒会の用事が終わっていざ帰ろうとした進を玄関で待っていた舞香が呼び止めると、ついて来いと無理矢理進の体を引っ張って行ったのだった。
進が舞香に連れて行かれたのは学長室の二つ隣にある理事長室という表札がかけられた部屋だった。理事長室は二十畳くらいの広い部屋で、部屋の隅には本棚、部屋の奥には理事長専用の立派な机と椅子、部屋の中央には来客用のソファーとガラスのテーブルが置かれていた。舞香はそのうちのソファーに腰を降ろすと、進を手招きした。
ちなみに、学長室と理事長室の間には理事会室があり、たまに理事会が開催されている模様である。
「ここね。おじいちゃん専用の部屋だから誰も入って来ないの。だから、舞香たち、おじいちゃんに合鍵を預かっていて、たまにここを使っているのよ」
進を自分の前に座らせた舞香は進にそう自分たちの理事長の孫特権について説明した。
「それで、何のために僕をここへ呼んだんだい?」
「何のためって……家来がご主人様に呼ばれたら特に呼ばれた理由に心当たりがなくても、なにを放り捨ててでも駆けつけるのが当然でしょ」
「つまりは、特に何の用も無いと」
「そんなわけないわよ。あるに決まっているでしょ。家来の分際で主人の意向をあれこれ詮索するんじゃないわよ」
「そうなのかい?というか、家来って……昨日の事は本気なのかい?」
恐る恐る聞く進に舞香は如何にも主人らしい尊大な態度で答えた。
「当たり前じゃない。あんたを舞香の家来にしなかったら、お兄ちゃん、あんたのことを本気で始末していたわよ。だから、あんた、一生舞香に感謝し続けなさいよ。それともなに?男が一度言った事を反故にするって言うの。男らしくないわね」
「いや、別にそんなつもりはない」
自分も一味のくせに舞香はすごく恩着せがましかった。おまけに、
「でも、あんた助かってよかったわね。言っておくけど、あくまでお兄ちゃんがあんたを家来にすることに反対していたら、舞香、お兄ちゃんの言うことには逆らわない子だから、あんたの処分にそれ以上反対していなかったから」
とのたまった日には、進はこいつの事は嫌いになろうとおもわず思ったのであった。
「まあ、それをともかくとして、今日ここに呼び出したのはあんたに仕事を教えるためよ」
「仕事?」
「そう。仕事。家来である以上、ウチではただ飯食らいは許していないからね。ちゃんと働いてもらいます」
「はあ」
――ただ飯もクソも給料何か一銭も貰っていないのだが。
そう進は思ったが、それを口にすると舞香がブチ切れそうな気がしたので、その点を追及するのは止める事にした。
「それじゃあ、早速なんだけど、まず、あんた。これから二人きりの時は、舞香の事を姫様と呼びなさい」
「姫様?」
「そうよ」
姫様。その言葉は進にはすごく古風な感じがして、目の前の派手な女には似つかわしくないと進は思った。だから、聞いてみた。
「姫様でいいの?お嬢様とかじゃなくて。何で?」
「なんで、って。そりゃ家でそう呼ばれているから、その呼び方が、舞香にとっては、一番しっくりくる呼び方なのよね」
どうやら姫様という呼称に深い意味はないようだった。
「左様ですか」
舞香に対する呼称を受け入れた進は、何となく気に食わなかったので、折角だし、目の前の女の子にちょっとだけ意地悪してみる事にした。
「それで、姫様と呼ぶのは二人きりの時だけでいいの?皆の前では呼んじゃダメなの?」
「バッカじゃないの!」
進の質問を聞いた舞香の顔がたちまち真っ赤になった。その顔は、既に進が抱いている悪印象を吹き飛ばすほどではないが、進にはちょっとだけ可愛らしく見えた。
「いいわけがないでしょ。他の人の前でなんて。恥ずかし過ぎて、舞香が生きていられないわよ」
「そうですか。了解しました」
――一応、この女にも羞恥心とかそういうのはあるんだな。
舞香の真っ赤な顔を見て鬱憤の晴れた思いがした進はこの件に関しては矛を収めることにした。
だが、次に舞香が言い出した事は、この件の仕返しという訳ではないのだろうが、進にとってはとんでもないことだった。
「何か引っかかるけど、まあ、いいわ。それよりも、舞香、あんたの事はイスムって呼ぶことにするから」
「イスムだって」
――そんな変な名前は御免被る!
「そんなどこから付けたか分からない名前は嫌だ」
名前が気に入らなかった進は抗議したが、舞香はそんな進の抗議などどこ吹く風だった。
「そんなことないわよ。イワシミズススムのはじめのイと、終わりのスムでイスムよ。なんだかイズム(主義)みたいでカッコいいでしょ」
イズム何て難しい言葉をどこで覚えて来たのか。そんな風に名前の由来の解説までした。
その舞香の表情に一切の茶目っ気は無く真剣そのものだったので、こいつは本気だと進は感じたが、進にもそんな変な名前をみすみす受け入れる気はなかった。
「そんな変な名前には断固抗議する!」
そう言って進は舞香にあくまでも抵抗したが、それならばと舞香が示した妥協案はイスムよりももっと酷いものだった。
「あら、イスムが気に食わないの?それじゃあ、名字と名前のはじめのイとスを取って、イスの方が良かったかしら。もっとも、その場合、その名の通り舞香が命令したらどこでもはいつくばって舞香の椅子になってもらうけど」
「もう、イスムでいいです」
真顔で更に酷い事を平気で言う舞香に対して何だか抵抗する気の萎えた進はこれ以上無駄な抵抗をする事を止めた。
こうして進は舞香にイスムと呼ばれる事になった。
お互いの呼び方がこのようにして決まると、舞香は進の仕事について説明を始めた。
「それじゃあ、具体的な仕事の説明に入るわね。まず、あんたにとって一番大切な仕事は学校内の見回りね。これは昼休みと放課二回行う事」
「見回り?」
自分の仕事が見回りと聞いて進は怪訝そうな表情をした。というのも、某市学院では警備員が一定時間ごとに校内を巡回しており、今さら進一人が見回りに出た所で校内の治安が上がる訳が無く、進には無意味に思えたのだ。
「それは何か意味があるのかい?僕にはあまり意味が無い様に思えるけど。今だって警備……」
「警備員がいるって言いたいんでしょ」
舞香は進の発言に口を挟んでくると、
「確かにもう警備員はいるわ。でも、あんたに見回りで見つけてもらいたいのは泥棒や変質者じゃないのよ。もっと別の者なの」
進の見回りの真の意図について説明しだした。
「昨日、あんたも見たんでしょ。オオカミ男や吸血鬼みたいな怪物」
「ああ」
あんな怪物たちなどに進はできれば生涯関わりたくなかったが、見てしまったものは仕方がないし、見てしまったからこそ彼は今ここに居る。今更見てない事にする事はできなかった。
「魍魎って言うの。ああいう怪物たちの事。舞香たちの世界では」
「もうりょう?」
「そう。魍魎はね、人間になにか悪さをする存在なの。昨日の奴らだってうちの初等部の生徒を襲ったのよ。襲われて驚いて石段から転げ落ちてケガしたの」
「えっ、そうだったのか」
進は、学校内に実際に魍魎による被害者が居た事を知り愕然とした。
「表向きは夕陽が目に入ってまぶしくてが転んだことになっているけどね。まあ、だからこそ、舞香たちがおじいちゃんに頼まれて魍魎を始末したんだよ」
「成程、つまりは僕の仕事は校内に居るかもしれない魍魎を見つけて倒す事だと」
「ううん。倒せとまでは言わないわ。なんの修業もしていないど素人にそこまでさせるつもりは舞香たちにもないわ」
舞香は進の発言をきっぱりと否定した。
「ただ、なにか変わったことがあったら舞香たちに報告してほしいの。あんたの報告を受けたら舞香たちが調査して、必要があったら魍魎を始末しちゃうから」
そこまで舞香の話を聞いて進の頭の中に浮かんできたのは、見回りの仕事はいいがその仕事って今までどうして来ていたんだろうという疑問である。
――まさか、こいつが今までしてきた仕事を僕に押し付けているだけ何じゃ。
それが進の結論である。しかも、魍魎の出現を許しているという点から考えてサボタージュしていたに違いなかった。
なぜ進がこんな下衆の勘繰りをしたかというと、それは進が舞香に対して既にかなりの悪感情を抱いているからである。つまり、進は舞香に対して相当不満を感じていて、そのせいで舞香の発言を否定的にしか捉えられなくなってきているのだ。ここまでの経緯で進が舞香に対して抱いた悪感情はそれほど深刻なものであった。
進は自分でも、醜いな、素直にこいつの言う事を信じてやればいいのに、と思うのだが、一旦そう考えてしまうとその考えを頭から排除するのは容易ではない。
「生徒会役員として校内の安全を守ることができるなんてすばらしいと思わないの」
――確かにその理想は素晴らしいが、この場合、単にお前がサボりたいだけだろ。
だから、真実を見抜かれていると気付かない舞香が、あまりいい顔をしない進を見て満面の笑みでそうおだてて来ても、進はその笑顔の下に隠れている真の理由を詮索せざるを得ないのであった。それでも、舞香がやってきた仕事を押し付けられるのだろうが何だろうが、仕事だという以上は断るわけにはいかない。
「はい、分かりました。見回りをすればいいんですね」
進は嫌々ながらも了承した。
「それから、あんたの仕事はこれだけじゃないからね。その他にも色々と雑用もしてもらうからね」
「はい、はい」
「じゃあ、これで説明は終わり。明日の昼休みからちゃんと見回りして舞香に報告してね。それじゃ、舞香はもう帰るわ」
そう言って部屋から出て行こうとした舞香だったが、入口の扉に手を掛けた時、ふと何かを思い出したらしく、突然踵を返すと、進の元へ戻って来た。
「そうそう。舞香とした事が肝心なことをあんたに言うのを忘れていたわ」
「肝心な事?まだ何かあるのかい」
「うん。あんたにかかっている呪について説明していなかったわ」
「じゅ?」
呪という聞き慣れない単語を聞いた進は首を捻った。
「呪って言うのは、呪いと書くんだけど、相手の行動をしばるおまじないの事よ。あんた、ちょっと服を脱いでみなさい」
「えっ」
服を脱げと言われて、進は女の子の前で服を脱ぐなんてと躊躇したが、中々脱ごうとしない進を見て舞香はイライラしたのか、
「男のくせに、さっさとしなさい」
と、無理矢理服を引っぺがしに来た。
「うわっ。何をするんだよ」
進は抵抗したが、舞香はまず上着を脱がし、次にカッターシャツのボタンを半分ほど外して、最後に右肩の部分を無理矢理捲った。
「これがあんたにかかっている呪よ」
舞香は進の肩を指し示しながらそう言った。進が自分の肩の指し示された部分を見ると、
「これは、何だ?」
いつの間にか右肩の所に幾何学文様をあしらった紋章が刻まれていた。
「呪がかかっているという証拠の紋章よ」
進の質問に舞香はそう答えた。
「今でこそ紋章は単なる飾りとして彫って墨を入れて作るものになっているけど、本来はこうして呪がかかっている証拠として体に浮かび上がる印だったのよ」
そう紋章の起源を説明する舞香の声は低く暗い感じで、進にはとても恐ろしく聞こえた。
「あんたの呪はね。あんたがある行動をすると発動するタイプのものよ」
「ある行動って?」
「それは、あんたが、『舞香たちの秘密を誰かに漏らすか舞香の命令に逆らう事』」
「発動する内容は?」
「発動する内容は、『街外れのマンションを通っている高速道路へ行き、そこで飛び降り自殺をする』以上よ」
尚、舞香の言う『街外れのマンションを通っている高速道路』は、『自殺の名所』として有名な場所である。
舞香の話を聞いた進はしばし呆然とした。当たり前である。自分がそんな厄介な呪いに掛かっているなんて誰だって信じたくない。だから、黙り込んでしまったのだ。
進はそのまま数分間黙り込んでいたのだが、数分後、我に返るといきなり叫び出した。
「嘘だ!」
「嘘じゃないわよ。本当よ」
「こんなバカなことができるわけがない。非科学的だ!」
「確かに、世の中に出回っている科学知識ではこの現象は説明できないけど、あんた見たんでしょう」
舞香は進の肩の紋章をポンポンと二回叩いた。
「舞香たちの戦いぶりを」
「うっ」
――そうだった。あの戦いを見ている以上、できないなんて言い切れないじゃないか。
進は昨日の出来事を思い出し、目の前が真っ暗になる感覚を覚えた。
「しかし、呪いだなんて……あの怪物たちとの戦いと言い、一体、君は何者なんだい」
「あたしの名前は平舞香。平流と源流の伝統を受け継ぐ法術使いよ」
そう言う舞香の声は自信に満ち溢れていた。あまりに舞香が堂々としていたので、ようやく舞香が本気だと分かった進はまたもや黙り込んでしまった。
黙り込んだ進に、舞香はトドメのクリティカルヒットを放った。
「まあ、どうしても試してみたいんなら試してみればいいわよ」
そう話す舞香の目は冷たく、目を見た進が思わず背筋をぞっと凍らせるほどであった。
「試してみて、しまったと思った時にはもう遅いんだからね。一度発動したら、止めるのはほぼ不可能なんだからね」
それだけ言うと、舞香は項垂れる進を無視して部屋から出て行こうとした。出て行こうとドアノブに手を掛けて扉を押そうとした時、舞香は進の方を振り返りもせずに、一つ忠告してくれた。
「あ、それからその紋章はいじったりするんじゃないわよ。一応紋章を上手くいじる事で呪を解除する方法があるんだけど、素人がやると大抵もっとひどいことになるんだからね」
言いながら舞香は扉を開け、体を出して最後に扉を閉める時、
「絶対にいじるなよ」
と、今度は顔だけ向けて進を見ながらダメ押しの一言を言い残して去って行った。
後にはショックで項垂れている進だけが残された。
本日あと1話投稿予定です。
19時ごろの予定です。