考え中
“光堕ち”は『転生』を意味している。
変化魔法“スガタカエラレル”を取得したケティール=ベルガモットはそうだと、気づいた。
──あなたに掛けられた悪い魔法が邪魔をしていたーー。
──あたし、こう見えてもーー。
──時代が変わったのね。変えたのは、あなたのお父さんであるハバネロがーー。
はじめからそうだった。カモミールの、意味ありげになるところが妙に引っ掛かった。しかし、今日に至った自分を支えるカモミールを探るのはあってはならない、してはいけない。
ただ、傍にいて欲しいのだ。例えるなら、家族のようにーー。
***
わーお、わーお、わおーんっ!
月に向かって、魔犬〈ボバンガボボン〉が吠えていた。
ケティール=ベルガモットは我が家を目指して夜道を全速力で駆けていた。飛翔魔法“ソラトンジャウヨ”を使えばあっという間に帰宅だっただろう。しかし、是にはちゃんとした理由がある。
魔法発動は連続で出来ない、特に変化魔法“スガタカエラレル”は身体に負荷する。
解りにくい説明になってしまったが、要するにケティール=ベルガモットはカモミールからの魔法発動に関しての注意事項をくそ真面目に守ったのであった。
話を戻そう。ケティール=ベルガモットは魔界の住宅街に入った。ぱかぱかと瞬く街灯を仰ぎ、民家から漂う美味そうな匂いで鼻腔をくすぐる。
帰って来た。ケティール=ベルガモットは、自宅を目のあたりにしていた。駆けるを止め、一歩、二歩と、ケティール=ベルガモットは自宅の門へと近づいた。
家の中が、灯されている。さっと門戸を開きたいが、錠が掛かっていた。開くにはパスワードがいるのは覚えていたが、ケティール=ベルガモットは少し考えて呼鈴を押す。
てってけ、てててん、てんてんっ。
バラエティー番組のテーマ曲を彷彿させる呼鈴のメロディーに腰が砕ける。
「やあ、ケティール。おかえり」
「まあ、ケティール。おかえりなさい」
「ただいま。父上、母上」
淡々と、優しく。ケティール=ベルガモットは両親の迎え方に「ほっ」と、胸をなでおろす。
「さあ、おあがり。ケティール」
「ご飯は作り立てが美味しいの。だから、ケティールが食べたい献立を教えて」
「うんっ、父上。母上、とんかつが食べたいな。ロース、ヒレ、梅肉巻きのかつを食べたいなっ!」
ケティール=ベルガモットは、元気いっぱいに両親へと受け答えをしたーー。
***
“顔を見るだけ”と、言ったものの、両親への感情は正直だった。家に入り、父親が入浴している間に夕食の支度を経て、食卓を囲む。
普通の日常が尊い。一方、ケティール=ベルガモットはふと思い出した。
“光堕ち”に至った経緯を遡ると、この我が家が始まりだった。父、ハバネロは敵対関係の勇者を魔界城から持ち帰った。事もあろうに、勇者はもてなされた。感情は勇者への嫉妬心で埋め尽くされ、堪らず荒らげな態度をした。そして、父親はその態度を叱った。哀しみが押し寄せ、突発に家を出てしまった。
ケティール=ベルガモットの箸の動きが遅くなる。美味しいはずの夕食の味が不味くなっていく。
「ケティール。泣くほどお腹いっぱいになったのなら、無理して食べなくていいわ」
母親の促しに、ケティール=ベルガモットは「はっ」と、我に返る。頬に手を添えると濡れている、無意識に涙を溢していた。
「あはは、母上。とんかつにからしを付けすぎて、目と鼻が凄いことになったの。まだまだ食べるよ、もう一枚とんかつを食べたいな」
噓も方便だ。と、ケティール=ベルガモットは涙の理由を母親に合わせて誤魔化す。
「はいはい。お肉はたくさんあるから、うんと食べなさい」
母親は、キッチンに向かう。しばらくして「じゅわっ」と、油で衣があがる音が聞こえてきたーー。
***
寝床、最高。空調設備、万歳。
すっかり我が家でくつろぐケティール=ベルガモットだった。自室に備え付けてるエアコンの温度設定は26℃の冷房。ぼふっとベッドの上に身体を乗っけて、いざ、就寝。
かちこち、こっち、こち。
カーテンの隙間から注がれる月明かりを寝あかり代わりにして。ところが壁掛け時計の秒針が刻まれる音が不快だ。
畜生。
がふがふと欠伸をするばかりで微睡む兆しは一向にない。要するにケティール=ベルガモットは寝付けていなかった。それだけではない、数分間隔で身体のあちこちが矢鱈と脈打っている。身体の中に別の生き物がいるのかと思うくらいの疼きが恨めしい。
──魔法の効きは今から明け方までーー。
もしかすると、ひょっとすると。カモミールが言っていた“魔法制限時間”が迫っている兆候だとすれば……。そういえば、うっすらと空が明るくなっている。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。
ケティール=ベルガモットは焦った。今すぐ我が家から出ようと、25秒で身支度を整える。
そろり、そろりと両親がいる寝室を横切り、階段では危うく踏み外してしまうところだったが下りきって、玄関にたどり着く。
「ばたん」と、うっかり玄関の戸口を激しく閉めてしまった。これでは両親が驚いて起きてしまう、絶対に起きる。と、心配するケティール=ベルガモットだったが物音がしなかったのに安堵すると弾丸のように屋外へと走り去った。
あーさーっ!!
ケティール=ベルガモットは気になる大樹に到着した。すると、魔鶏〈ウインドクラッシャー〉がけたたましく鳴くのが聞こえた。
「ぼんっ」と、ケティール=ベルガモットの身体が黄緑色の煙に巻かれる。そう、変化魔法“スガタカエラレル”の効きが無くなったのだ。
「……。仕事に行く準備しよう。ねえ、カモミール。おーい、カモミール」
……。やべ、カモミールを此処にUターン途中で落としちゃった?
……。
……。
……。
「でも、カモミールは飛べてた。うん、カモミールは方向音痴ではない。でもでも、うんうん……。」
ケティール=ベルガモットは、手でぱたぱたと服を叩くをしてカモミールがいないことに気付く。
一方、その頃。ケティール=ベルガモットの両親は早朝であったにもかかわらず、訪問者を迎い入れていた。
「母上、その話は真なのですか?」
ハバネロが相手するのは、初老で落ち着いたさまの女性。このやり取りで伺えるのは、実母なのだろう。
「……。(親子揃って同じような口を突く)ハバネロ、何か頭にくる言い方をしたわね。あ、すぐにおいとまするから。そんなに気を使わないでね、カプチーノさん」
「いえいえ、お母様は朝早くに。しかも遠くからお越しいただいたのですよ。それなのに……。」
「どうしたの? カプチーノさん」
「ケティール、早起きして出かけてしまったのです。ケティールの顔を真っ先にみせてあげられなくてごめんなさい」
「……。(それ、魔法の効きが無くなりかけたからだよ)ケティール? ああ、そういえばケティールの顔を見たのはいつだったかな?」
「母上、嫌味にもほどがあります。それと、先程のーー」
「ケチをつけたから教えない。ではでは、おじゃましました」
ケティール、ごめんね。あなたの“今”を伝えようとしたのに、こじれさせちゃった。あ、ケティールが蛇行しながらこっちに来ている。たぶん、あたしがいないことに気付いたのね。待って、待って。ケティール、まだこっちを見ないで……。
「カモミールぅうう、落としてごめんなさあぁああいぃいい」
『泣かないで、ケティール。あたし、元気いっぱいだから』
朝日を浴びながらべそべそと泣き崩れるケティール=ベルガモットを、カモミールは雑草の葉と泥まみれになりながら懸命に宥めたーー。




