迷い道
一度狂った歯車は、なかなかもとには戻らず、むしろ悪化していく一方だった。
「俺は役立たずだ。何一つうまく出来ねえ」
何したらいいのか、どうやったらいいのか。全てに自信がなくなり、今まで出来ていたことが出来ない。自分で自分のことが信じられなくなった。
途方にくれた顔で立ちつくす姿ばかり見せるようになった。迷路の出口を見失ってしまったみたいに。
いつも自信にあふれてた雷華。文月にとって、兄貴分のような頼りがいがあって、きらきらした少し眩しい存在だった。
背を丸め、深いため息をつく姿は胸が痛んだ。
「最近教えてもらったんだけどさ、いいお布団があるんだよ。すっごく熟睡できるの。雷華もどう?良く眠れてる?」
壁際にぼーっと座りこんだ雷華の隣に、ちょこんと三角座りをした文月が話しかける。
「お鍋しようと思うんだけどさ、雷華も一緒に食べない?」
鍋は人数多い方がいいじゃない?と小首を傾げて顔を覗き込む。
「肉団子、たくさん入れるよ?」
どんよりした目が、ゆっくりと文月の方を向いた
「餃子は?」
「いいね、入れるよ。雷華、餃子好き?」
「……好きぃ」
1日の仕事が終わり、文月の社の小さな扉を開いた。温かな湯気となんだか落ち着く優しい香りが立ちこめている。
中に入ると包丁片手に料理姿の文月が迎えてくれる。
「あれ?お前1人なのか。ちび兎達はいないのかあ?」
文月が手拭いで手を拭きながら部屋の中央にやってくる。
「俺、山の上に手伝いにいってたから、今日は2人にはお使い頼んだんだー」
ふーん、と答えた時、柳雪が袋片手に入ってきた。
「お疲れさま。飲み物持ってきたよ」
「ありがとう。座って」
言いながら、重そうな鍋を運んできた。蓋を取るとうまそうな香りが立ち上がる。
「やった。うまそう!早く食おうぜ」
うまい、うまいと言いながらあっという間に鍋の具は雷華の腹に消えていく。
「もう、全部いれちゃおうぜ」
手当たり次第、次々と材料をぶちこむ雷華の手をびしっと大きな音を立てて文月がひっぱたいた。
「美しくない!」
鍋は煮えにくいものから入れる!だの、具材全部ぐちゃぐちゃにいれないで!とか文月の普段の倍くらい大きな声が響いた。
矢継ぎ早に指示を出しながらしゃべり続ける姿に唖然とする2人を置いて、文月はてきぱきと鍋の世話をする。
くつくつと鍋が美味しそうな音をたてる。そっと鍋に箸をのばすと
同じ具ばっかり食べないの!
まだ煮えてないから!
文月鍋奉行の厳しい指導に雷華と柳雪は、怒られてしゅんとしてしまった。
それでも温かい物が腹に入ると、険しい心も円くなって、次第に座もほぐれていった。
お腹がふくれて人心地つくと、ようやく社の中をみる余裕が出てきた。雷華の目に社のすみにまとめられた願い札がとまった。何の気なしに札を数枚手に取り読んでみる。何だかささやかな願いが多くて微笑ましい。思わず頬に笑みが浮かぶ。
「お前の扱う願いってちっちぇー。つまんなくね?けけけ」
いいんだよ、と笑いながら文月が答える。
「そういう小さいことが繰り返し積み重なって、心削られていくんだよ。取り返しのつかなくなるまで誰にも気づかれないまま。自分自身にすら気づかれないままね」
ちょっぴり気が楽になってくれれば、上出来なんだ、うちはそれでいいんだと言う文月の穏やかな顔に雷華は肩の力が抜けていく気がした。
それからも文月は、なにかと雷華にくっついてまわった。いつもよりこまめに詰所に顔を出しては雷華の姿を探す。あまり対人スキルの高くない文月では、見つけてもたわいもないことを話すくらいしか出来ないのをもどかしく思っていた。
相変わらず自信なさげな物言いの雷華に、
「わかんなくないよ。雷華の思ってる方のがいいと思うよ」
言葉足らずの雷華の話を、相槌打ったり、補足したりしながら根気よく付き合い、ちゃんと理解してくれる文月の存在が、雷華は嬉しかった。
「最近、雷ちゃんとばっかりね」
山の上の大神様のお使いで詰所に顔を出した柳雪とお茶を飲んでいる時に、柳雪が言い出した。
「僕だって、最近の雷ちゃんは心配よ?でも……」
鍋の日以来、ぜんぜん会ってないよ、文月としゃべるのすごく久しぶりじゃん、とふくれっ面を見せる。
「……そう、だったかな?」
とまどう文月をよそに、柳雪は雷華に対して嫉妬心めいた言葉を言い続けた。文月は対応に困って、うんうんと話を聞くしか出来ない。そこに戸口に金の頭が覗いた。
「あ、文月ぃ」
ここにいた、と嬉しそうな顔で近づく雷華の様子に柳雪のふくれっ面はますますひどくなった。2人の間に座ろうとする雷華に、柳雪の目がややつり上がった。
「ちょっと!今僕が文月と話してるの!」
なんで間にはいるの、とぷりぷりする柳雪に対して、雷華は明らかに面白がっている。
「じゃ、次は俺が文月と話す番ね。柳雪、お疲れ」
にやにやしながら雷華が文月の肩に腕を回した。
「文月は雷ちゃんのじゃないのよ!僕のが付き合い長いんだから!」
「でも文月は俺の一番の理解者だから」
明らかに柳雪をからかっている雷華に、文月は困った視線を向けるけど、それすらも楽しくなった雷華はますます文月にべったりになった。
「もー、2人とも仲良くしてー」
僕も悪いの?なんで?ときゃんきゃん騒ぐ柳雪に悪いな、と思いながらも、久し振りに本当に楽しそうな顔を見せる雷華に、腕を振り払えなかった。
表に感情が出るほうではなくて、他の人に気持ちが伝わりづらい文月だが、一生懸命思いやっていることに長い付き合いの雷華と柳雪はちゃんと気づいていた。2人は不器用な文月が可愛くて仕方がない。人付き合いが苦手な文月が、自分が受け入れられてると感じている2人に対してだけは、時々甘えた顔やちょっとした我が儘を見せる。それがまた可愛くて、ついつい文月に甘くなってしまうのだった。
不意に喚いていた柳雪の言葉が止まる。急に心配そうな顔をした柳雪を見て、文月は隣の雷華の顔を見た。笑顔のまま涙を流していた。
「あの、ね。本当に怒ってるわけじゃないのよ」
慌てる柳雪と、そっと背中に手を添えてくれる文月の顔を見て、雷華はあわてて自分の顔に触れた。知らぬまに濡れていた頬に驚いたが、身体が楽になっていくのを感じた。
「俺、ずっと2人と一緒がいいなあ」
自然と零れた言葉に、ちょっと気恥ずかしくなって誤魔化そうかと思った。けれど、一瞬びっくりした顔をした柳雪が、すぐにものすごく嬉しそうに笑った。
「可愛いこというやん。ずっと一緒ね!」
そうっと隣に顔を向けると、文月も優しく笑っていた。この2人なら、俺とずっといてくれるかもしれないと思えた。