雷神参上
桜町の小学校の裏山には、頂上近くに大きな神社がある。参拝客も多く、参道の両脇にはずらりと店がならび、正月の初詣だけではなく、一年中いつも賑わっている。
その山の裏手側、裾の方の林の中にひっそりと小さな小さなお社がある。木々の間に溶け込んで埋もれてしまいそうな板葺き屋根の社。
そこには人見知りの神様が住んでいる。名は文月。白兎の姿をした神使と女性の姿をした神使と3人で社を守っている。
文月は時折、山の上の神様から手伝いに呼ばれる。力の強い神様には人が集まってくる。だから時期によっては、山の上の神社には大量の願い事が持ち込まれるので、整理を手伝うためだ。
人々が社に詣でて願うと、願いは願い札の形で神様の元に集まってくる。さすがの桜町の大神様は集まる札も大量で、いつも山積みになってしまう。願いを叶えるのは大神様1人なので、少しでもスピードをあげるため、願いの種類ごとに札を振り分けておくのだ。
「悪いねぇ。お社持ってる神様に手伝いさせてしまって」
「いえ。うちみたいな弱小に来る願いは数も知れていますから」
まだ経験の浅い文月はわからないことも多い。大神様の社で見聞きすることは何かと身になった。素直に教えを請い、勉強させていただきますとぺこりと頭を下げる文月のことが大神様は可愛く何かと気にかけてくれる。
「これ全部、聞き届けるのですか?」
大神様は困り顔で
「無理じゃな。出来るだけ叶えてやりたいが」
「どうやって叶える願いを決めるんでしょうか」
「ようく見てごらん。札の山の中でも浮き上がって見えるものがある」
じっと見つめると仄かに光り、ほんの気持ちほど浮いた札がある。
「叶えたいという想いが強いんじゃ。叶えるために行動を起こす程、はっきり見える。叶うといいな、と思ってるだけじゃこうはならん。
その中から願いの書式が揃っているものが優先的に取り扱われるな」
「書式?」
「そう。誰の願いだとか、具体的にどうなりたいとか、願いの内容がはっきりしとらんものが結構ある。想いが先走ってて、心の中の望みが整理されておらんと、わしもどうしていいかわからん」
なるほど。さすがに神様でも何も言わないのに全て分かれなんて無理に違いない。
大きな社だけに大勢の神使達を抱えていて、さまざまな仕事を担っている。いったい何人いるのか、文月は何度もこの社に訪れているが、いまだ全員の顔を覚えられないでいる。
広い板の間に広がって何人もの神使が願い札の振り分けを行っているのを手伝うべく、板の間の端っこに居を構えた。
若輩とはいえ、まがりなりにも神様であるから、神使よりは力が強く、やれることが多い。さらに根が真面目だから根気強く作業に取り組む。まだ若く地味でおとなしく見える文月は、神様なのに神使達に多少軽んじられ、面倒な仕事が回されがちだった。
「すみませーん。これ、お願いいたしますー」
「え、……それは。あ、おん」
半分程に減った目の前の山が、また高く積み上げられた。要領の良いもの達に余分な作業を押し付けられることもよくある。小さなため息がこぼれたが、黙って黙々と作業を進める。
気が進まなくても、結局引き受けることになる。引き受けたからには責任を感じるので、一生懸命やってくれることもばれている。いつも手一杯に仕事を抱えてしまうのだった。
スラッとしたやたら足の長いスタイルの良い男が、周囲にニコニコ笑顔を振り撒きながら文月のもとへやって来た。この神社にお仕えする神使の1人だ。当然のように文月の隣、肩がふれそうな程近くに腰を下ろし、札を手に取った。
見目が良く、物腰柔らかく、笑顔の耐えないこの男は顔も広い。仲の良い神使、神様も多く、いつも周りに人が絶えない。取っつきにくく、人あたりがいいとは言えない文月にも、自然に近づいてくる。
「文月お疲れ様。今回も来てくれたんだね、ありがとう。あっちの仕事終わったから僕もやるよー、ってここ多くない?」
目の前に積み上がった札の山に目を丸くする。
「……うん。久しぶり、柳雪」
眉尻を下げながら黙々と手を動かす文月の横で大きな声でひとしきり騒いで、手伝って?と笑顔と甘い声で作業の終わりかけた神使を捕まえていく。急に場が明るくなる。柳雪自身は手よりも口のほうが数倍動いているのだけれど、人気者の柳雪が盛り上げてくれるから、皆ニコニコと楽しげに作業をしている。お陰で順調に札が片付いていった。
「ふいーっ。これで最後っと。やっと終わったぁ」
柳雪が大きく延びをした。疲れた口調でもニコニコした表情は変わらない。
「さ、一息いれようよ」
せっせとお茶の支度をする柳雪。仕事中もそれくらいきびきび動けないものかなと、少し思う。文月の前にエクレアとコーヒーの乗ったお盆をいそいそと運んできた。
「今日はありがとうね。手伝いに来てくれて。さあさあ、食べて。僕のとっておきのエクレアなのよ。最近のお気に入りなの」
「いや、あの、甘いものはそんなに……」
満面の笑みで差し出してきた柳雪の顔が曇り、悲しげに覗き込んで来るから、断りの言葉が最後まで言えなかった。
「文月、チョコはわりと食べてたよね。これはくどくない甘さで美味しいのよ?僕、ここんとこ毎日食べているの」
ね、ね?と見つめられる。観念して一口かぶりつく。途端に嬉しそうな顔になる。これはどこの店で買ったの、素材がどうだの、神使より菓子屋の方が向いてるんじゃないのかってぐらい熱く話している。半分くらいは意味がわからないけど、柳雪が楽しそうなのは、なんだか嬉しい。
境内の方から、わあっと言う歓声が聞こえた。おや?なんだろうねと思っていると、タン・タン・タンと軽快な足音が近づいてきた。
「よ!久しぶり。あ、柳雪、俺もコーヒー」
入ってきた男は、立ち上がった柳雪の椅子を奪い取るように、どっかりと腰を下ろした。
「雷ちゃん、そこ僕の席なのにー」
ぶーぶー言いながらも新たな客のためにコーヒーをいれてやる柳雪は優しい。
男の名は雷華。雷神だ。季節ごとにあちこちを巡っている。雷様らしく、がっしりとたくましい体躯に金色に光る髪。派手で華やかな空気をまとっている。
「うまぁー」
満足そうな雷華を見て、座れるかどうか怪しい位の空いたほんの小さなスペースに腰を落ち着け、それでも柳雪はニコニコしている。
「今年は戻ってくるの遅かったね」
「あー、西の方で多めに雨を降らせることになってさ。一つ一つゆっくり目で進んできたから。ま、この後は例年通りだから。この辺は静かなもんよ」
「どうやって雨降らしのスケジュールが決まるの?雷ちゃんが決めるの?」
「んー。年始めに雷神衆の打ち合わせで決めるのよ。空も海も繋がってるからね。勝手をすると、いろいろ問題があるからさ。連携しないと。俺だってちゃんと大人の仕事してんのよ?」
雷神は名の通り雷を操る気象の神様だ。大抵、風神と2人セットで活動することが多い。雷華にも相方となる風神がいた。いた、と過去形になってしまうのは、先頃この風神が神様やーめたと言って脱走してしまったからだ。
雷華は長く雷神になるための修行をしていたが、なかなか一人前の神様と認められなかった。相方となる風神もつかず、先輩の神様の手伝いをしながらせっせと自分を磨いてきた。だから、雷神となった時はとても嬉しかった。コンビを組むことになった風神は、年下のまだあどけなさの残る顔をした男の子だった。一面識もない相手に戸惑ったが、これから永く共に過ごす相方ができたことに感謝して、しっかり助け合っていかなくてはと心に誓った。
若くしてトントン拍子に神様になった後輩は、他の神様の姿をじっくりと観察し学ぶ時間が少なく、今一つ神様というものの理解が足りてないように見えた。そのため、本人には悪気はないのかもしれないが、小さなものから大きなものまで日々さまざまなトラブルを起こしていた。その度、雷華は風神をかばって頭を下げ、いろいろと心遣いをしていた。雷華の真面目な働きぶりを知っている他の神様達は、雷華に免じて話を納めてくれた。
雷華が説教する声が良く響いていた。風神の危うさに心配のあまりのことであったが、やはり本質は雷神だから口調も荒っぽい。日に日に口うるさくなっていく雷華から風神は距離を取りはじめた。
そしてある日風神は脱走した。
雷華が今日の仕事を確認しに雷神の詰所に行くと、詰所の職員達がバタバタとしている。
「あ、雷華。ちょっとこっち来て」
雷華の姿を見つけた詰所の職長が腕をつかんで引きずるように引っ張っていく。戸惑いながら辺りを見回すと、皆気の毒そうな顔をして雷華を見ている。ああ、また風神がなんかやったのかと思いながら奥の職長室に入った。
「すみません。また、何かありましたか」
この部屋で自動的に頭を下げることにも、もはや慣れてしまった。
「風神が脱走した」
「は?」
ばねが跳ね起きるように頭を上げると、職長の顔を見つめた。
「うそでしょ?なんで。何も聞いてない」
いっぱい怒ったし、喧嘩もした。でも2人で楽しいことも嬉しいこともいっぱいあった。雷華なりに大切にしてきたつもりだった。いろいろあっても、お互いに信頼ができていると思っていた。でも脱走するまで俺には何も言ってくれなかった。相談されることもなかった。他の人から風神が決定したことを聞かされただけ。風神は1人で決めて1人で去っていった。
俺はあいつの何だったんだ。
ひどく虚しかった。怒りより悲しみより、ただ虚しかった。一緒に重ねてきた年月を想って少し泣いた。
言葉が足りなかったのかな。想ってても、形にしないと本当のことなんてわからないよな。言わなくても行動で示しているつもりだった。でも伝わらなきゃ意味ないよな。俺の一人相撲。また、1人になってしまった。
それでも日々は続く。風神の分も働き、方々に頭を下げる雷華。仕事量が激増して、ひどく疲れていたけれど、責任感の強い雷華は休むことなく仕事に励んだ。
仕方ないと状況を受け入れている雷華だが、心身の疲労は否めない。明るくいつも通りに振る舞うけれど、段々痩せ細って行く姿に周囲の心配は増していた。
壁にもたれて座り込み、空をぼーっと見つめる雷華の姿が度々見かけられるようになった。その姿が誰の目にもつくようになった頃には、雷華の顔から笑顔が消えていた。しかし仕事はますます忙しくなり、表情のないまま黙々と日々の仕事をこなしていた。
無表情の雷華は迫力と凄味を身体に纏わせていて、誰も気軽に声をかけられずにいた。皆はらはらしながら遠巻きに見守ることしかできなかった。
いつでも誰にでもぐいぐい距離を詰めて、すぐに仲良くなってしまう雷華が、話していても遠慮がちに引いてしまうようになった。
「あ、うん。……じゃないかな。わかんないけど」
すぐに俯いて会話から遠ざかろうとする。意見を出すことを怖がっているようにも見えた。
空き時間に雑談の場に顔を出すことが減り、1人で過ごすことが増えたある日、予定表に従って今日の仕事に出かけ、予定どおりの雨を降らせた。その日は雨量が多めの予定だった。
つつがなく仕事をして帰ろうとした時、雷華の背で大きな音を立てて崖が崩れた。はっとして振り返った時には、大雨に流された土が勢い良く麓へと走り、 あっという間にいくつかの民家を飲み込んで押し流していた。
その地域は数日前の地震で地盤が弱くなっていた。いつもなら他の神様との雑談の間に情報が耳に入っているのだが、人のいる場を避けがちになっていた雷華はその事に気づいていなかった。
気づかないまま大雨を降らせて、惨事を招いてしまった。
ミスではない。雷華は雷華の仕事をしたまでだ。
だが、目の前の状況に、もう少し心配りすることは出来たのではないだろうかと思ってしまった。自分の行動が引き金を引いたことに目の前が真っ暗になった。