迷子がたどり着く社
桜町の小学校の裏山には、頂上近くに大きな神社がある。御祭神には力の強い神様がいるので、建物も大きく立派でカラフル、遠くからも観光バスに乗って集まってくるほど参拝客も多い。参道の両脇にはずらりと店がならび、正月の初詣だけではなく、一年中いつも賑わっている。
その山の裏手側、裾の方の林の中にひっそりと小さな地味なお社がある。木々の間に溶け込んで埋もれてしまいそうな板葺き屋根の社。観音開きの扉を開けると、板の間に敷かれた小さな座布団の上に、気の抜けた緩い顔をした素朴な木像が1つあるきりで飾り気もない。かろうじて子供が1人膝を抱えて座り込める程度の広さの狭い社だ。
昼間の明るい内は道を違えそうな感じは全くないのだが、日が落ちると真の闇に包まれる。人気のない林の中、右も左もわからないその中で、何故か社だけはいつでも月の光に照らされているかのような仄かな光に包まれていて、昔から迷子がたどり着くことがよくあった。雨で月のない夜などお社の中にもぐりこんで、べそをかきながら眠る子供が見つかることが度々あった。そのため、小さなお社ながら子供のいる地域住民にはその存在はよく知られていた。
そしてそこには人見知りの神様が住んでいる。
ある晩も子供を探しにきた親が、ほっとした顔で社に手を合わせていた。子供の手を引いて帰っていく背中を見て、神様もほうっと長く息を吐きだす。
「俺、役に立てたよね。ちゃんと出来たよね?」
神様の足元で手のひらに乗りそうな小さな白兎が言った。
「大丈夫ですよ。手を合わせて感謝していたじゃないですか」
神使の兎に確認して、やっと安心する。いつも一生懸命で、でも自信がもてなくて。
「俺なんかの事、信仰してくれる人、いるのかな?」
ついつい不安になっては、うずくまって三角座りをした膝に顔を埋めてぶつぶつと独り言を言ってしまう。すぐに1人の世界に入ってしまう神様は、兎に背中をポンポンされて励まして貰う日々を送っている。
神様は文月といった。見た目は青年で、標準より背が高いくらい。そこそこ筋肉のついた均整のとれた体つきをしているにも関わらず、影が薄くぼんやりとした印象を与える。ふわふわした緩い巻き髪は目が隠れる程伸びていて、表情が読みづらい。そもそも目を合わせて話すのが苦手で前髪の隙間から窺うように見るのが、弱々しく薄い印象の原因かもしれない。
人付き合いのいいほうではないが、別に人嫌いではない。ただ1人でも楽しめてしまうタイプなため、回りに人がいれば話すけれど、いなきゃいないでやりたいことがたくさんあるので積極的に交遊関係を広げる必要性を感じていないだけだ。困っている人を見かければ、手を差しのべるのはやぶさかではない。
社には共に住む白兎の姿の神使を1羽従えている。名は音羽。従えているというよりは、お世話をされている。文月は器用だし、わりと真面目でマメな性格なので、大抵の事は自分でやってのける。だから、ちびで非力な白兎にお世話などされていないと思っておいでだ。しかし、なかなか大雑把な性格でぽろぽろと細かい取りこぼしや、雑な片付けで散らかしていることがままあって、白兎はなかなかに忙しい。
社の大きさでもわかるように、文月の力はそんなに強くはないので、大きなお願いをされても正直困ってしまう。その分、出来る限りのことは全力で頑張ろうと心掛けていた。強い神様になれたらみんなのお願い叶えられるのに、俺は大したこと出来ないしと日々へこむ文月だったが、実は小さなお願い事はわりとよく叶うと、密かに地元の子供達に愛されていた。
ある日のこと、ランドセルを背負った女の子がお社を訪れた。俯いたままの女の子が願ったのは、
「嫌いなあの子と違うクラスにして下さい」
母親同士が仲が良いため、気がついた頃には一緒に過ごす事が度々あったあの子。しかし、気が合わなくて一緒に居たくなかったが、相手の女の子も母親達も何かと一緒に行動しようとする。週末も夏休みなどの長期休暇も、あの子と過ごす事は憂鬱。母親達はおしゃべりに夢中で、私は、ずっとあの子の相手をしなきゃならない。
母親の横にぺったりくっついてここを離れないぞって示してみる。そして静かに1人で絵本を読もうとしても、本を引っ張って邪魔してくる。私はあの子と遊びたくないのに。だけど母親達は、2人は仲良しだという。私が嫌がっても気づかないのか、気づきたくないのか2人で遊んでおいでと追い立てる。あの子は、何か思いどおりにならないことがあるとすぐにわあわあ泣くから、みんな私に我慢することを押し付けてくる。私はあの子と居たくない。
夏祭りの日、私がくじ引きで当てたかわいいウサギの縫いぐるみ。嬉しくて胸にぎゅっと抱き締めた。名前は何にしようか、今日から一緒に眠ろうかとあれこれ考えていたのに、あれが欲しいとあの子が泣きわめくと、みんなあの子じゃなくて、私を説得してくる。結局あの子の引いたかえるのおもちゃと取り替えさせられた。楽しかったお祭りが、急に色褪せてどうでもよくなった。
地域の児童館イベントで、近所で人気者の舞ちゃんが声をかけてくれたときもそうだった。2人ずつ組んで参加する遊びに、舞ちゃんと手を繋いで列に並び、大好きなアニメの話で盛り上がって嬉しかった。仲良くなれそうだったのに、また大きな泣き声がきこえてあの子が私のスカートを引っ張った。世話役の大人は、あなたの事が好きなのねえと、微笑ましいものでも見るかのように笑顔であの子の手をとるように私に迫った。舞ちゃんは困った顔をして、しょうがないねと離れていった。
さっきまでの涙はどこへ行ったのか、あの子は楽しげに笑いながら1人でしゃべり続けてる。その横で私は、せっかく繋がれたのにほどかれてしまった左手を握りしめ、舞ちゃんが去っていったほうをずっと見ていた。
小学校にあがると、幼稚園より人数が増えるから、きっと新しい友達がたくさんできるはずとわくわくしていた。それなのに、入学してみたら同じクラスにあの子がいて、当然のようにまた私にくっついてきた。気がつくと私はあの子のお世話係のようにさせられていて、
「あなたはしっかりしているから。助かるわ、ありがとう」
なんて先生に言われて身動きが取れなくなっていた。
私はあの子じゃない他の子達と楽しく過ごしたかったのに。あの子がいつもついてくるから、すぐに泣くあの子を敬遠して、他の子達に少し距離を置かれてしまう。みんなと仲は悪くないけれど、今一つ親しくなれずにいた。
「もうすぐ2年生になります。今度は違うクラスにしてください。普通のお友達が欲しいんです」
お願いします、お願いしますとずいぶん長い時間拝んで、泣きそうな顔で走って帰っていった。
「小さいのに、大人の都合に振り回されて可哀想に」
とりあえず、状況を確認してみるため学校に忍び込むことにした。夜の学校は誰もいない、真っ暗闇だ。でも神様には夜の闇もどうということはない。いつもと変わらない足取りで職員室を目指す。1年生の担当の机を探して、クラス替えの資料を探す。
「来年度のクラス分けの資料は……あ、あった」
確認すると、2人は同じクラスの予定になってしまっている。困った子を指導するより、話の通じる子を言いくるめたほうが楽だもんな。これではまたお世話係になってしまう。文月は一覧表に手をかざし念じると、ふわっと2人の名前が浮かび上がり、資料の端と反対側の端へと離れていった。
それからしばらくたったある日の夕方、あの女の子が息せききって社の前にやってきた。
「クラス替え、発表したよ!」
私は1組、あの子は8組。隣のクラスじゃないから、体育も一緒にならない。他の誰かと2人組になったり、遊んだりできるんだよ。下校だってみんなとおしゃべりしながら帰れるんだよ。凄いんだよ。
おやつのキットカットを持って、お礼にやってきた女の子は興奮した口調でクラス替えの様子を教えてくれた。これから仲良くなれそうな新しい友達もできたらしい。本当に嬉しそうに何度もお礼を言って帰っていった。
誰もいなくなった社の前で文月は御供えを手に取った。
「甘いの得意じゃないんだけど」
お菓子を手の中で玩ぶ文月に音羽が言った。
「神力をつけるのには、気持ちを受けとるのも大事ですよ」
「……ん」
ポリポリと音を立てて小さな菓子をかじった。ポウッと蛍火のような光が一瞬灯り、文月に吸い込まれていった。
「綺麗な光でしたね」
「うん。喜んでくれて良かった」
楽しく学校に通えるといい。
新しい子供がやってきた。幼い顔立ちの割に体が大きく、ランドセルが窮屈そうに背中に乗っかっている。あまり見かけたことがない子供だな。普段、神様とか考えたこともないタイプかな。ノシノシと歩いてきて、社前でどかっと座り込んだ。パンパンと大きな音を立てて柏手を打つと大声で叫ぶように言った。
「明日の遠足、晴れますように!」
勉強は苦手で、体を動かすことが大好き。体育と給食が楽しみで学校に通っている。今年の遠足は町から少し遠くにある森林公園にバスで出掛ける予定だ。大きなアスレチック施設が公園中に作られていて、前からずっと行ってみたかった。家は商売をしてるから両親は土日も仕事だ。車が無ければ行けない公園にお休みの日に連れていって貰うこともできなかった。前からずっと楽しみにしてたのに、ここ数日テレビの天気予報が怪しい気配をだしている。雨が降って中止になったらどうしようと気が気じゃなくなって、子供達の間で噂に聞いたことがある優しい神様にお願いする気になったらしい。
「中止で学校で授業とかつまんないよ。勉強わかんないし。本当に遠足を待ってたんだよ」
だから、お願い、お願い、お願い!とまた大きな音を立てて柏手をならして念じて帰っていった。
「なんか切羽詰まってる感じね。遠足を楽しみに毎日いろいろ頑張ってるのかしらね」
実際、明日の天気はどうだったか調べてみることにする。お社の中に入り、木の像に両手を向けてゴニョゴニョと何事か念じる。すると木像の後ろに天の国へと続く光の扉が現れた。扉をくぐって天の国へはいる。扉が現れた広場を中心にして、大きな建物がいくつも立っている。
その中の1つ、下界のいろいろを調整、管理している建物へ向かい、明日のスケジュールを確認する。明日の桜町周辺は大きな神社の神様が雨を降らせるつもりらしい。
「うわぁ、ちょっと偉い神様だよ。話聞いて貰えるかな」
明日の雨を予定しているのは、古くからいらっしゃる農業とか気象に関連する神様。長くお勤めされている神様で声が大きく強面、真面目。ちょっと取っつきにくい神様だ。面識もない神様で気後れする。でもあの子の必死な顔を思い出して心を奮い立たせる。ぎゅっと強く目を瞑ると顔を挙げて神様の部屋の扉をノックした。
「お邪魔しますぅ」
ドアを丁寧に開けて部屋の中を覗き込む。文机に山積みの書類の前で忙しく書き物をしている大神様。顔もあげずに
「誰だ。何の用だ」
割れ鐘のような大きく響く声。思わず部屋から逃げ出しそうになる。なんとか踏みとどまる。腰が引けたまま、声を絞り出した。
「桜町の小社の者ですぅ。お願いがあってきましたぁ」
一瞬目だけこちらに向けた大神様が
「忙しい。前置きは要らん。用件だけ言え」
では、
「どうにか明日は晴れにして貰えませんか」
「駄目だ。百姓達から雨を乞われているんだ」
にべもない。でも引き下がるわけにもいかない。
「1日ぐらいずらしても」
「駄目なものは駄目だ。もう決めたのだ」
大きな声で返されると怖い。でも頑張れ、俺。
「そこをなんとか。昼間だけで良いんです。譲ってください。お願いしますう~」
「駄目、帰れ」
大神さまの袴の裾にすがり付いて泣き落としにかかる。上目遣いにうるうるした目で見上げる。小首をかしげて心底困った様子でねだる。
「子供が待ってるんです。子供に遠足は一大事なんですよぅ」
つかんだ服の裾を小刻みに揺らしながらかき口説く。涙が1粒零れた。
「あーあー、もう!わかったから。時間ずらせばいいんだろ。昼過ぎから曇り始めて夕方には降り始めるからな」
「ありがとうございます!あ、お昼のお弁当の時間まではよろしくお願いいたしますー」
なにとぞ、なにとぞ……とぺこぺこ頭を下げる文月に大神さまは軽く払うように手を振って
「わかったって。もう、行けって」
遠足の次の日も雨だったが、下校時刻にあの子がやってきた。
「ありがとう、スッゴく楽しかったよ!」
これ一番好きなやつ食べずに持って帰ってきたんだ。神様にあげる、と小さな袋をおいて帰っていった。
「あ、ビックカツ。これ好きだわー」
かじりつくと、パッと花火のように光が弾けた。
「ああ、相当嬉しかったんですねえ。御供えに喜びがいっぱい乗っかってましたねえ」
「うんまいよ、これ」