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歴史とDNA

日本人の県別DNAデータ

作者: とびうお君

 韓は帯方郡の南に在り、東西は海で尽き、南は倭と接する。


 魏志倭人伝の位置に関する文章である。これをどう解釈するか?はいろいろと議論がある。ただ倭人の地域と言うのは半島南部も含まれていると解釈はできる。


 最近ずっと書いてるのはこの手の話になる。弥生期の渡来とは玉突き式に半島から追い出された倭人の事じゃないか?と言うのが私の説で、半島北部から南下してきた弥生土器の元になる土器を伴った集団は別集団と私は述べている。これは多分ものすごく異説だと思う。稲作集団が半島北部から土器を伴って南下してきたというのが定説になってる。


 混血は間違いなくあっただろうが、それは境界線の部分だけで、倭人は基本縄文時代から変化してないと見ている。稲作を含めた弥生文化を倭人が吸収したと書いてる。あまり異説じゃないか?と言うとそうでもなくて、支石墓の分布に南北で型が違う点があるのと、日本には支石墓がかなり少ない点でおかしいのは以前から指摘されてる。


 もう1つ定説と違うのは、日本列島で弥生人と縄文人が徐々に混血して日本人が出来がったという説に対して違うと書いてる。日本人は半島で混血して出来上がり、その後日本列島において縄文人との混血の影響が強かったのはせいぜい東北ぐらいだと書いてる。混血は無かったじゃない、縄文人の数が少なすぎて影響がほぼなかったと書いてる。


 この事に対して実はちょっと問題がある。基本的に東北、近畿以外日本人の県別の遺伝子に大きな差はない。ただある成分だけに着目すると明確な南北勾配が見られる。よく似たものとしてはインド欧州中国がこうなってる。そこでよく似たものとして弥生と縄文?と見るのだが、特定成分以外はそういった明確な勾配は見られない。


 大雑把に見ると均一な遺伝集団だが、ごく一部の成分だけ見ると南北勾配がある。これは弥生と縄文のものじゃない。おそらく縄文の中で南北勾配があったとみられる。


 とてもややこしい話なのだが、これは大雑把に見た場合はまず発見できない些細な遺伝子の差で、個人差レベルの差でしかない。だがある成分だけで見るとすごく分かりやすい南北勾配になっている。はっきり言えば私はこれどう解釈して良いか?分からない。言葉の上では、日本本土は基本均一な遺伝集団だと言える。その例外が近畿と東北なのだが、ある成分だけ見ると南北勾配が見られる。


 このことを解釈すると、おそらくかなり些細な遺伝子の差だと見ている。集団全体でその成分が占める割合が小さいんだろうと見ている。おそらく元になった特殊な集団が日本にいたと思われるがその割合が多分縄文人の中でも1割もなかったのじゃないか?と見ている。それと言うのも、縄文人の集団の起源はすでに分析されていて、中国南部系=オーストロネシア語族にの元になった集団と現在アマンダン諸島などにいる集団に近いホアビン文化集団となる。大体半々の割合で混血している。


 第3の成分があっても無視できるレベル程度でしかないと見ている。


 ただ考古学的に明らかに北海道から流入した集団の痕跡がある。日本の石器は北方系と中国系に分かれていて、中国系が半島からの流入で、北方系が北海道からの流入だと見られている。その担い手は誰だったのか?


 ある成分で見た場合の南北勾配はこの集団が作り出した可能性が高いと見ている。おそらくこの集団は現在アムール川などにいるエヴァン機などのツングース語族や独自の言語の少数民族の集団ではないか?と考えている。


 日中韓の集団とこの集団は顔を見ると分かるがよく似ているが、それなりに違いがあり、アメリカ先住民に近い集団になっている。じゃアメリカ先住民の成分なのか?というと難しいのは、アメリカ先住民には西方集団のDNAが入っていて、これがかなり独自のクラスターを形成するのだが、それだけじゃない、土台となったアジア北部集団も黄河文明人とは微妙にずれていて、北部にむかって南北勾配がある。間となる遼河辺りで中間の混血集団となってるためこれは西方集団によるものじゃない。


 アジア北部集団にはわずかだがアメリカ先住民を頂点とした南北勾配がある。日本の状況はこれに似ていると思えてくる。北部集団が来たとしても、弥生人が混ざることでそれは本来なら分からなくなってしまう。


 だが弥生人と混血後もきちんと県ごとに南北勾配が現れる。これは弥生時代に様々な地域から来たのじゃなくて、その前だと予想ができる。そしてその集団は弥生人と混血後も北部の特徴を遺伝に出してくる。それらの分析に現在のアムール川周辺の北部集団を比較対象としておけば多分解決するのだろうが、残念ながら県別の調査にそういったことはされずに中国集団との比較しなかった。


 ちなみに、近畿はもろ日本集団から外れる方向が中国集団だった。


 これに関して韓国人はエベンキがとかすぐ言われるが、確かに韓国人はあっち方面の遺伝子が混ざってるが、基本日中韓は古代黄河文明人と共通した遺伝集団が3つの国に分かれただけの似た遺伝集団である。遊牧民が関係してるが、日本に来た遊牧民地域の集団は基本中国集団に近く、それらに北部集団が混ざった形になっている。特に日本に大きな影響を与えた百済高句麗扶余の集団は遺伝的にはほぼ黄河集団と変わらない。


 中国に近いからと言って大量の中国人が入ってきたわけじゃない。秦人であっても、黄河文明人の末裔の華夏民族ではない。


 そもそも弥生時代以降に来たなら最もそれらの流入が多かった近畿が何故南北勾配の南側に位置するのか?そこから弥生前に入ってきたアメリカ先住民の元になったアジア北部集団だと思われる。


 じゃやはり、縄文人と弥生人はじわじわと混血していったのじゃないか?となるのだが、これこの成分に着目しないとほぼ日本全国で南北勾配などでない。もちろん東北は顕著に違いが出る。だが一番注目したのは近畿より南に対して、中部関東に東北よりの成分を見たからになる。


 こういった特徴がある成分に着目しないと全くでない。日本はどの地域でも基本金太郎飴みたいになる。ただし鹿児島に沖縄よりの強い違いがあるが、これについては奄美などの島を分離して鹿児島を取ると、やや沖縄に近いかな?程度でほぼ九州集団として均一なものにしか見えない。


 そもそも鹿児島と沖縄が近いのは、沖縄の弥生成分の大半が鹿児島人に偏ったものだからになる。そのため九州と沖縄で結んだ場合鹿児島が沖縄に近くならないとおかしいぐらい言える。それは縄文成分の違いじゃない。


 よって、おそらくだが、ある成分は全体では些細な差を必要以上に大きく印象付けるようになってるのじゃないか?と見ている。全く混血が起きなかったと言ってるわけじゃない。影響がなかったと言える程度しか縄文人が数居なかったからと見てる。でも0じゃない、その成分に着目してるだけじゃないか?と見ている。


 今後、縄文人がさらにデータ集まると変わってくるのじゃないか?と見ている。第3の成分としてそれなりに北部系の集団の寄与があったのじゃないか?と見ている。これには大きな問題があって、実は縄文人のデータってかなり地域が偏ってて、そのせいで、北部成分が網羅されてないのじゃないか?と見ている。


 ちなみに北海道のデータが含まれてる。ただ私はそれ偶々北部成分が無かっただけと見ている。それと言うのも本来縄文人は生データを見た人が、ばらつきの激しさがかなりだなと漏らしてるのを見たことがある。これは論文などじゃなくて、生データに対して雑談みたいな話で見た。こういった論文のデータはそういったばらつきの激しいデータが偶々何故か使われてない。


 もっとばらつきが激しいものを含めたデータで分析したら徐々に北部成分のパーセントが上がってくるのじゃないか?と見ている。1割いかなくてもそういった成分はきちんと出すのが今の他の集団のやり方なので、5%あれば確実に重要な成分として出してくると思う。

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