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7 空からのベルリン観光

「ほら、少し右の平原がウォータールーだ、多分」

 いつの間にか二千まで高度が下がっていた。先頭の機から綺羅が頭を伸び出して下を見ているのがうかがえる。飛行帽からはみ出る亜麻色の髪が陽光を浴びて輝いているのがやけに印象的だった。

「しかしこうしてみるとただの平原だな。フーグモントはどこなんだ?」

 上から見ると周囲と同じ平原に些かの森、そして農村だけであまり他と見分けが付かない。

「こちらユウグレ一番。早く戻りましょう中隊長。陸軍に置いてかれますよ」

 上で偵察機が待っているのが見えた。

「うーん、観光名所も、行ってみるとつまらないものだな」

 勝手に結論づけるとあっさりと上昇を始めた。

「そんなわけでかつてはブランドルと同盟を結んでいたこともあったのだ。人も国も歴史ありということだ」

 再び中隊は巡航高度で翼を連ねて敵地を征く。

「秋津とブランドルは同盟の証としてそれぞれの姫を互いに嫁がせた。向こうにはフリードリヒ三世に嫁いだ和歌子様、こちらには明正帝に嫁いだマルガレーテ様」

 マルガレーテ妃は綺羅の曾祖母にあたる。

「これから行くのがその和歌子様の墓だ。まったく、戦争になると満足に親戚の墓参りもできない」

 かつてはノルマンと対抗するためにブランドルと同盟を結んだのだが、七十年の月日が敵味方を逆にしてしまった。ある意味地球で最も遠い墓になってしまった。

「さあこれからブランドル領内に入るぞ。開戦以来秋津としては初めてじゃないかな」

 下は今ベルギーとブランドルの国境だった。すでにベルギーの大半がブランドルの占領下で、国境に大した意味は無くなっていたが、それでもここから先は未知の領域だった。洋一は唾を飲み込む。まさか自分がこんな所まで来るとは。編隊は更に高度を上げた。


 できるだけ森林地帯の上を通過するように何度か針路を変えながら彼らはドイツ領内を飛行した。洋一にとっては気が気でなかったが、抵抗らしい抵抗には遭わなかった。カッセルの辺りで敵の輸送機がかなり近くまで寄ってきたが、よく見たら乗員が手を振っていた。全機で揃って翼を振ったら満足したらしく離れていった。これまでブランドル領内に戦略爆撃をかけていなかったから、侵入されると思っていないのかもしれない。あるいはただ運が良いだけなのかもしれない。

 ゲッティンゲンを過ぎた辺りで、洋一は本格的に腹がへってきているのを感じた。食事をするならベルリンに着く前にしたい。椅子の下に置いておいた袋を取り出すと、洋一は早めの昼食にする。

 考えてみれば飛行機に乗って食事をするのはこれが初めてだった。膝で操縦桿を抱えながらなのであまり落ち着かない。

 弁当を取り出してみると竹の皮の包みが出てきた。握り飯だ。洋一は思いっきりかぶりついた。

 咀嚼しながら洋一の口が微妙に歪んだ。自分が握っているものを上げたり下げたりして子細に観察した。

 ジャガイモの塩ゆでに、海苔が巻いてあった。

 食べられないわけではない。だがこれは違うだろう。しかも半分に割って梅干しが入っているのがかえって腹立たしい。様々な不満を、洋一はお茶で流し込んだ。まあ腹が膨れたのは事実だった。

 食べ終わって見回すと周りも食事を慌ただしく終えたらしい。忙しく頭が動いて見回している。先導する一〇式偵察機が翼を振った。高度を下げ始めるので編隊はそれに続く。いよいよ目標が近づいてきたらしい。

「クレナイ一番より各機、まもなくポツダム、第一目標だ」

 高度を下げると今度は編隊を組み直す。三つの山形が並んだ形を、大きな山形に変えた。まるで空に大きな翼を広げたようだ。三小隊三番機の洋一はその端に位置する。

 中央を進むのは真紅の尾翼。もちろん紅宮綺羅だ。

 視線を大地に転ずれば、そこには広大な庭園が広がっていた。

「あれが無憂宮(サンスーシー)、ブランドル皇帝の夏の離宮であり、歴代皇帝の墓所でもある。秋津で云えば清洲離宮みたいなものだな」

 ブランドルらしい正確さで庭園が造られ、その中央奥に建物が見える。

「クレナイ一番より各機。秘密兵器用意、半分だけだからな」

 椅子の下から洋一はそれを取り出す。秘密兵器と云っても大したものではない。何しろただの紙束なのだ。

 先頭の綺羅機が風防を開けるのに倣って、中隊各機も開ける。もちろん洋一も開けて、秘密兵器を持ち上げ、ナイフを準備した。

 高度は千mほどだろうか。中央のひときわ目立つ白い壁に青い屋根の建物にさしかかったところで綺羅機から白いものが舞い散った。それを合図に洋一も紐を切って、秘密兵器、ビラを外にばら撒いた。

 九機の十式艦戦が整然と編隊を組んだまま、ビラを投下する。白い紙が雪のように宮殿の空に舞った。最後に綺羅が花束を一つ投下した。

 洋一の機に影がさしかかるので見上げると、いつの間にか先導していたはずの一〇式偵察機が上空に移動していた。よく見ると後部座席から身を乗り出してこちらを撮影している。

「ようし、まずは墓参り完了。次行くぞ」

 編隊のまま彼らは右へ旋回した。洋一は操縦桿を開いて増速する。何しろ一番外側なのだ。他の機体よりも余計に回らなければいけない。

 眼下には河と、そして市街地が広がり始めた。いよいよベルリンだ。

 ベルリン、敵国ブランドル帝国の首都。このたびの戦いが始まって、彼らが最初に来た秋津人だった。

 憧れとともに恐れも洋一の中にはあった。ここは敵の中心なのだ。みるみるうちに市街地が広がっていく。だが不思議なことに街は静かなものだった。

 対空砲火による歓迎もなければ阻塞気球も上がっていない。本当にまったく警戒してないのだろうか。

「ブランデンブルグ門からベルリン宮の間で撒く。ベルリン市民が見ているぞ、編隊を整えろ」

 何しろこれは見せつけるための編隊なのだ。秋津海軍の誉れが掛かっている。

 さすが首都だけあって見渡す限りの街が広がっている。秋津の街並みとは違って石と煉瓦でできているために、重厚な空気が漂っている。そんな中を、秋津の飛行機が堂々とした編隊で飛ぶ。

「あれがブランデンブルグ門だ。上から見ると小さいな」

 ベルリンと云えばここという印象が強いブランデンブルグ門。ついに自分がここに、しかも上を飛ぶ日が来ようとは。

「ようし投下」

 綺羅の合図とともに彼らは残ったビラを空中に放った。ベルリンの空に、季節外れの白い雪が舞った。ちょうど最後の束を投げたところで、目の前にベルリン宮が迫った。ドーム状の屋根が、ひどく印象に残った。

 操縦桿を軽く引き、彼らは王宮上空を通過した。

「さあこれで楽しいベルリン観光終了だ。本当はもっと色々回りたかったのだが、こちらも忙しい身だ。仕方ない」

 戦時中に敵国を観光するなぞ、普通は考えもしない。それこそ孫子の代まで語り継げるだろう。洋一は一枚だけ残しておいたビラを見た。

「こちらアカツキ三番。隊長、これなんて書いてあるんですか」

 ビラはブランドル語で書かれていて、当然ながら洋一には全く読めなかった。

「親愛なるブランドル=オーストリア=ハンガリー三重皇帝ヴィルヘルム二世陛下へ。豊秋津皇国、先の帝にてポルトガル国王大華天皇が一子紅宮綾仁が娘、紅宮綺羅。わが先祖和歌子の墓参りに参上仕りました。取り急ぎ頭上より失礼します。急なこと故大した土産も持参できず相済まぬこと平にお詫び申し上げます。いずれ近いうちに改めて沢山の土産を持って参りますのでその時はよろしくお願いします。こんな感じかな」

 綺羅はすらすらとブランドル語を翻訳してくれた。

「要するに次は爆撃するから覚悟しておけってことだな」

 外交的な修辞語句を、綺羅はあっさり剥ぎ取って見せた。

「だったら本当に爆撃しても良かったのでは。陸攻隊ならできるでしょうに」

 十式艦戦は戦闘機故に爆弾らしい爆弾は搭載できないが、双発の六式陸上攻撃機なら五百㎏の爆弾を積んで五百海里(九百二十六km)以上を往復できる。

「今回はそれができるってことを見せつけるのが目的だよ」

 今度は池永中尉が解説してくれた。

「まあ六式陸攻はあんまり速くないから、敵の勢力圏を飛ぶのは難しいんだけどね。戦闘機と司偵だけだからこんな無茶ができる」

 最高速度二百二ノット(三百七十四㎞/h)の陸攻ではフォッカーに見つかったらひとたまりも無い。多くの護衛をつければなんとかなるだろうが、そんな余力は秋津にもノルマンにもない。

「むしろ単座戦闘機でこんな距離を飛べる方が向こうにとって脅威のはずだよ。少なくともフォッカーにこんなまねはできない」

 十式艦戦最大の特徴が、この長大な航続力だった。腹の下の増槽を含めれば五百海里を往復することができる。フォッカーはおそらく一百海里(百八十五㎞)が関の山だろう。

「ま、誰も最初に戦略爆撃はやりたがらないんだよ」

 綺羅は自分たちが破壊しなかった街を振り返った。

「開戦から十ヶ月、ベルギー侵攻から二ヶ月経ってもノルマンもブランドルも相手の首都を爆撃していない。まあお互い護衛なしで突っ込ませれば全滅しそうな機体しか持っていないんだけど。やったら同じことをやり返されるのでは。その恐れが躊躇させているのだろうね。今回我々も、ベルリンでの銃撃は固く禁じられていただろう」

 出撃前の打ち合わせでも、迎撃があった場合以外の戦闘は禁じられていた。

「まあ、今回は私の墓参りだ。綺麗に済むならそれに越したことはない。諸君も今日のところは麗しい戦争を楽しんでくれ」

 次はどうだか判らないが、今日はちょっと小粋な冗談ですむ。洋一は大きく振り返って去りゆくベルリンを眺めた。


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