2 フォッカー109見参
知らせを受けて迎撃機が上がってきたか。
「速いな、多分フォッカーだ。追いつかれるぞ、戦闘機隊迎撃準備」
艦爆隊を護るべく、六機の十式艦戦が反転した。
「どうしよう丹羽、さっきので二十㎜撃ち尽くしちまった」
「六十発しかないんだから節約しろって云われただろ」
二十㎜機関砲は威力は大きいが、弾数はドラム弾倉の六十発だけである。調子に乗って撃つとすぐ無くなってしまう。
反転してすぐに洋一の前を飛ぶ成瀬一飛曹機が翼を振って機関銃を一連射する。敵発見の合図だった。それを見て洋一は無線を入れる。
「アカツキ一番が敵を発見」
成瀬一飛曹はスペイン内戦にも参加した古参搭乗員だが、とにかく無線を使ってくれない。無線でおしゃべりをするのも良くないが、使わないのももったいないと洋一は考えていた。
「位置は十一時方向の、あ、見えた」
「どこだよ教えろよ」
とはいえ松岡はうるさすぎると思う。
「いわし雲の前から三匹目の頭の方」
白い雲に黒い点がいくつも見える。
「頭ってどっちだよ」
「丸い方に決まってるだろ」
「君たち」
そんなことをいっているうちに相手が迫ってくる。あの様子だと、向こうもこちらを発見している。一番機が増槽を切り離した。洋一も燃料コックを主翼タンクに切り替えてレバーを引く。わずかに浮き上がり、機体が軽くなった。
敵の数は八。弾丸に翼を生やしたように見える小ぶりな機体だ。そしてかなり速い。あれがこの欧州の空を暴れ回っているブランドル帝国の新鋭戦闘機、フォッカーFo109か。
先の大戦で数々の名機を生み出してきたフォッカー航空機製造が、新時代を切り開くべく開発した新型戦闘機。一〇五〇馬力の空冷星形十四気筒ドラグーンDB601A発動機を必要最小限の小さな機体に詰め込み、短い翼で空を切り裂くように飛ぶ。最高速度は五四〇㎞/hを誇り、六式艦戦では一方的に振り回されるだけだった。
しかし今自分たちが乗っているのは十式艦戦なのだ。こいつならほぼ同等の速度を持つ。充分に渡り合える。洋一はそう確信していた。
戦闘の準備を整えながら洋一は天蓋を閉める。隊の中には常に開けておく派もいるが、洋一は空戦時に閉めるようにしている。索敵の時に窓枠が邪魔になるという意見もあるが、閉めた方が少し速くなる。成瀬一飛曹辺りは風切り音で速度が判るそうだが、自分は音が小さい方が集中できる。代わりに飛行眼鏡を額に上げると洋一は敵を見た。
向こうは四機四機に分かれて、一隊が洋一たちのアカツキ小隊に向かう。翼を傾けて大きく旋回してくる。無線が飛び交い役割分担するとこちらも合わせるように翼を傾ける。大きな円の向こうとこっちで輪になって回る。そして渦のように円が徐々に小さくなっていく。渦に吸い込まれるのはどっちだ。操縦桿を握る手に力がこもる。
フォッカーのプロペラに陽の光が反射した。そう思った瞬間に一番機が動いた。上昇しつつ急旋回で敵に襲いかかる。洋一も慌ててそれに追従した。
空を蹴るように急激に向きを変えると一気に敵の背後に回り込んだ。真後ろで見ていてもよく判らない、すごい動きだった。さすが成瀬一飛曹、中隊で一番腕が立つと云われるだけのことはある。洋一は遅れてついて行くだけで精一杯だった。
相手のフォッカーFo109も急旋回に入っていたが、どうにも切れがない。旋回が得意ではないと聞いてはいたがどうもそれだけではない気がした。
もしかして、こちらを見失っているのだろうか。
そして十式艦戦は易々と背後につく。フォッカー109は空気抵抗の少ないファストバックと呼ばれる胴体だが、残念ながらそれと引き換えに後方視界が悪い。成瀬機は後方五〇mにつくと発砲した。
一撃で右主翼が引きちぎられた。二つになった塊が炎を上げながら木の葉のように回りながら落ちていく。そして二番機の小暮二飛曹ももう一機のフォッカーに射撃を加えていた。こちらも煙を上げながら降下していった。
さあ今度は自分の番だ。洋一は残ったうちの一機に狙いをつける。OPL照準器にフォッカーを入れる。こうしてみるとやはり小さい。翼幅が外から二番目の輪とそう変わらない。これはもう少し接近しないと。洋一はスロットルを全開にした。
だがそこでフォッカーが気づいた。ぐんと機首を下げると全開で加速を始める。わずかに遅れた洋一も後を追うが、どんどん離されて小さくなっていく。
これはだめだ。諦めて洋一は翼を翻す。深追いして囲まれたら目も当てられない。未練はあるが仲間の編隊に戻ることにした。
にしてもやっぱり速い。洋一は彼方へ逃げるフォッカーを振り返った。数字の上では最高速度は大差ないはずなのだが、降下しての加速は向こうの方が良い。おまけにこちらは三百四十ノット(六百三十㎞/h)以上出すと壊れると云われている。逃げを打たれると手が出せない。
もう一つ、松岡のいるサキガケ小隊はどうだろうか。そう考えて見回した途端叫び声が聞こえてきた。
「助けてくれぇ!」
松岡の情けない声が電波に乗って届く。聞こえてきた方、とは行かないが自分の記憶の範囲でいそうな方向に目を向ける。案の定松岡とおぼしき十式艦戦がフォッカーに撃たれて逃げ回っていた。撃っているフォッカーを二機の十式艦戦が攻撃しようとしているが、更にその後ろにフォッカーが迫りつつあった。
これはまずい。洋一が合流先の成瀬機を見ると、すでに翼を翻して救援に向かおうとしている。だがそれでも間に合わない。まずい、このままでは松岡も、サキガケ小隊も全滅してしまう。
紅い風が、欧州の空に吹いたのはその時だった。
「サキガケ一番、左旋回」
凜とした声が耳に届くと同時に、上空から十式艦戦が降りてきた。真紅の尾翼も鮮やかに空を駆けると、最後尾のフォッカーに飛びかかった。たった一連射。それでフォッカーFo109は盛大な炎を上げた。
後顧の憂いがなくなったサキガケ一番、熊木一飛曹は松岡機を攻撃していたフォッカーに銃撃を浴びせる。黒煙を吐き出しながらフォッカーは高度を下げ、やがて地面に激突した。
「こちらサキガケ一番。助かりました隊長」
「どういたしまして、概ね無事で良かった」
彼ら第一戦闘機中隊の頂点に立つクレナイ一番、紅宮綺羅の声はいつ聞いても頼もしく、麗しかった。
「長居は無用だ。引き上げよう」
中隊各機は指揮官の下に集まり、編隊を組み直す。松岡機は煙を噴いているし、熊木機も撃たれたらしい。だが出発時と同じ八機が揃っている。ここは地獄の一丁目、戦乱と陰謀渦巻く情け容赦の無い欧州の空。そんな場所でも、この人の下でならやれる。丹羽洋一はそう確信していた。