20 検問突破
「いやぁ面白かった」
車の中でも綺羅は上機嫌だった。
「なんとか抜け出せたから良かったけど、あのまま離してくれなかったらどうするつもりだったんですか」
運転席の中で洋一はぼやく。
「抜け出せたじゃないか。そして車も手に入れた」
軍礼服を拝借した彼らが乗ってきた将校用ベンツに、彼らは今乗っていた。服を剥ぎ取られた上に車まで奪われて、目が覚めたらあのブランドルの士官はどうするのだろうか。
「私この服で良かったんですか」
朱音は今、綺羅が来ていた赤いドレスを着ている。
「屋敷のメイドが車に乗っているってのはちょっとおかしいだろう」
どうやら将校が連れ出した女性を乗せているということらしい。
「その、サイズが合わなくて、胸が落ちそうなんですが」
綺羅に合わせてあの場で調整したのだから、小柄な朱音には大きすぎた。
「背中の辺りでつまんでおこうか」
綺羅が背中の布を引っ張る。朱音が変な声を上げるが、洋一は聞かなかったことにした。
「とりあえず南に向かいますが、どのルートで脱出しますか」
助手席に広げた地図に洋一は目を走らせる。航空用なので道路があまり詳しく乗っていないが、今の彼が頼れるのはこれしかなかった。
「街の南東、ここに向かってくれ」
いったん地図を手に取り、ペンで綺羅は印を入れた。
「アミアンに向かうんじゃないんですか?」
受け取りながら頭の中で急いで道順を考える。
「確かにブランドル将校のベンツなら検問は抜けやすいが、戦場を百㎞突破するのはどうかな」
反って違和感があるのも事実だった。それにこのベンツは街中を走るのはいいが、荒れ地には向かない。
「だから新しい乗り物を手に入れる」
そんな都合のいい場所があったっけ。洋一が考えているうちに車は郊外に出る。目標はすぐそこだった。
「ほら見えてきた、リール飛行場」
前を見る洋一の口が引きつる。
「元ノルマン空軍の基地で、今はブランドル空軍が占領している」
シュトラウスたち空軍将校が舞踏会に招かれているなら、基地はここだろう。
「ど、どうするんですか!」
基地には当然入り口があり、そこには検問所がある。もうそれは目の前だった。
「俺、ブランドル語は全くできないんですよ!」
舞踏会で若いブランドル兵に話しかけられた記憶がよみがえる。あの時も心臓が止まるかと思ったが、一日にもう一度それがやってくるとは。
「ノルマン語ならなんとかなるだろ。それで押し切れ」
なのに後ろの麗人は無茶なことを云う。
「援護するから心配するな。ほら、堂々と」
否応なしに車は詰め所の脇で停まり、目の前には縞模様の棒が進路を塞いでいる。そして詰め所から兵士がこちらに向かってやってくる。洋一は唾を飲み込んで窓を開けた。
「ぐっど いぶにんぐ。さー」
向こうは怪訝な顔をしているが、かまわず洋一は二人分の身分証を差し出す。
「でぃす いず みりたりーぱす。おーけー?」
言葉もひどいが身分証はもっとひどい。服の持ち主のものなので本物なのは確かだが、写真も何も張り替えてないのだ。
向こうは何やら云っている。莫迦にするなとかそんな意味だろう。こちらは笑ってごまかすしかない。どうにかしてくれと洋一は振り返った。
「ノルマン語を続けるんだヨハン」
よく通る声で綺羅が話しかけた。
「これからはノルマン語だよ。ノルマン美人と仲良くしたければ、よく勉強するんだ」
そう云って傍らの朱音を抱き寄せる。
「なあ、諸君もそう思うだろう」
兵士たちに見せつけるように綺羅は朱音の身体をまさぐった。将校の醜態に兵士たちも動揺しているのが伝わってきた。
「あ、あの民間人の立ち入りは」
それでもなんとか良識を総動員して立ち向かおうとする。
「何を云うか、彼女はこの地の有力者、フランダース伯の令嬢だ。占領地との友好の意味が判っておらんのか」
高圧的で、少し呂律が回っていない様に綺羅はまくし立てる。妙な押しの強さでなんとかしているが、云っていることは無茶苦茶なので向こうも譲ってはくれない。
もう一押し、なんとかしなければ。そう思った洋一の背中に、何かが押し当てられた。振り返ると朱音が何かを渡そうとしていた。それを見て洋一は頷く。この際勢いで押し切る。
洋一は受け取ったものを身分証の下に持ってくる。隠そうにも隠しきれないほどそれは大きい。
「ぷれぜんと ふぉー ゆー」
満面の作り笑いで、洋一はワインの瓶を見せた。
「あんど ゆー」
もう一人の兵士にも洋一は笑いかける。酒の力は万国共通だった。高級将校が楽しく宴に出かけているのに、寂しく不寝番をしていた彼らには心に染みる賄賂だった。
おざなりに門を開けるとさっさと車を通す。バックミラーの中で早速酒盛りを始めているのが洋一には見えた。
「もうごめんですよこんなことは。今日一日で何回死ぬかと思ったか」
心臓がいくつあっても足りない。
「でも舞踏会ではブランドルの若い人とそれっぽくしてたじゃん。手で色々やってたけどあれどういう意味?」
嫌そうに洋一は首を振った。
「意味は無い」
「え?」
「意味がありそうにしてただけだよ。俺が知っているブランドル語はあの一言だけだったんだよ」
パイロットらしさだけで誤魔化しきったのだ。
「あんなのは二度とごめんだと思ったのに、すぐにそれ以上のが来るなんて」
帰ったらブランドル語も勉強しよう。洋一はそう心に誓った。
「それにしてもワインは助かったよ朱音。調理場でちょろまかしてきたのか」
そういうことは自分のやるべきことだと思っていたのに、気が回らなかった。それができた朱音を素直に洋一は称賛した。
「うん、まあね」
少しだけ物憂げに朱音は窓の外を見た。
「役に立ったんなら、良かったんじゃないかなぁ」
闇を見ながら朱音は結局味わなかった一九二七年のワインと、持ち主の迷惑な男のことを少しだけ思い出した。本当に迷惑だった




