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1 欧州戦線異常なし?

萬和(ばんな)十年(一九四〇年)七月二十日


 眼下に広がるは白耳義(ベルギー)なり。実り豊かな沃野と聞き候も、たなびけるは戦塵なりか。遠からん者は音にも聞け。呼ばわれども己が声すら聞こえぬ有様。なれど秋津男子の心意気、今こそ欧州人の青き眼に見せつけん。


 秋津海軍三等飛曹、丹羽洋一は子供の頃愛読した「遣欧滋野義勇飛行隊演義」の一節を思い出していた。あのとき本の中に広がっていた欧州が、今目の前にある。ここはベルギー、コルトレイク上空。

 欧州大戦で描かれた世界は何年もの塹壕戦で草木も無い様子であったが、こうしてみると緑は広がっている。時折家らしきものも見える。その中にある尖塔は教会だろうか。だがのんびりと空の観光を楽しめるわけでもない。何しろこの辺りは敵、ブランドル帝国軍の占領地域なのだから。

 去年の九月に開戦して、ブランドル帝国はわずか一月でワルシャワ公国を下した。今年の五月から矛先を西側に転じて、今や戦線はベルギーとノルマンの国境辺りである。国境から向こうはもう敵側である。

 落ちたら捕虜になるしかないが、秋津人の扱いはよくないと聞く。それはできれば避けたい。洋一は左右上下を見回した。天蓋(キャノピー)は開けたままにしてあるので実にいい眺めである。ただし巻き込む風は当然ながら冷たい。今が七月だから良いが、これが冬だと天蓋(キャノピー)は開けたくなくなるだろう。

 幸いにして敵の姿は今のところは見えない。戦場の空は意外と広いらしい。敵と出会わないのが幸いのような惜しいような、そんなはっきりしない気持ちが洋一の中で渦巻いている。

 正直に云えば死ぬのは怖い。二ヶ月前にそれは嫌というほど味合わされた。だがそれとは別に自分と、自分の愛機がどこまで通用するか、天下にそれを示してみたい気持ちも確かにあった。

 十式艦上戦闘機。秋津海軍期待の新型戦闘機。全金属の流麗な翼は成長著しい航空界の先頭を切り開いていると洋一は確信していた。

挿絵(By みてみん)

 これまでの海軍の主力戦闘機であった六式艦上戦闘機や、陸軍の七式戦闘機では敵ブランドルの戦闘機相手では分が悪い。そのために機種改変したばかりの洋一たち翔鸞航空団第一戦闘機中隊がこの欧州に派遣されたのだった。

 機体も新しければ洋一も新しい。何しろ飛行科訓練生、いわゆる飛科練の課程を四ヶ月も短縮して部隊配置されたかと思えば即実戦である。十八の少年にとって、空も欧州も、何もかもが刺激的すぎる。

 編隊の先頭を飛ぶ九式艦爆六機が翼を傾ける。標的が見えてきたらしい。今日の目標はレイエ川にかかる橋。補給の動脈である橋を壊せば、少しはブランドル軍の進撃を遅らせられるだろうか。

 爆撃体勢に入る艦爆に合わせて、洋一たちの戦闘機隊も高度を下げ始める。こっちはこっちで大事な仕事はある。洋一は忙しく地上に視線を走らせる。ちらりと視界の端に鉄橋が入った。こちらではありふれた形の鉄骨組のトラス橋。だけどそのありふれた橋に敵も味方も引き寄せられている。

 九式艦爆が大きく機首を下げる。急降下爆撃の体勢だ。まっすぐ飛んで落とす水平爆撃ではどこに落ちるか判らずばらまくしかないが、急降下爆撃なら橋のような目標に精密に当てられる。

 九式艦爆がこれ見よがしに高度を上げると、その後方で大きな綿毛が咲いた。本当に綿毛なら良い眺めだが、あれはそんなほのぼのとしたものではない。高射砲だ。さらに地上からいくつかの光が駆け上がってきた。

 くそ、やっぱりだ。洋一は光の出所を急いで探す。木々に覆われてはっきりしないが、土手のようになっている裏辺りからのようだった。しかも川の両岸から伸びている。橋を爆撃しに来るのを待ち構えていた対空部隊らしい。一昨日ノルマンの軽爆隊が手ひどくやられたのはこいつらか。洋一の前を飛ぶ一番機が即座に翼を振って合図すると、火線の根元に機首を向けた。

 洋一も続いて敵とおぼしき方向に狙いをつける。偽装が巧みなのか姿は見えないが、対空機関砲らしき発射炎が見える。照準を合わせると洋一は銃把を握りこんだ。機首上の二丁の七.七㎜機関銃が軽快な音を立てた。

 正直当たっているとは思えない。何しろ草むらに隠れてよく見えない相手に撃っているのだ。だがこちらが撃ち込んでから向こうの対空砲は沈黙したようである。機材に当たらなくても、人間は無事では済まない。最低でも伏せてくれればこちらの思惑通りだ。

 視線を走らせると土手の向こうに別のものが見えた。草むらで隠せないほど大きい。高射砲だ。わずかに針路を変えて、親指でボタンを切り替える。

 軽く息を吸い、腹に力を込める。先ほどよりわずかに力を込めて引き金を握りしめた。心臓を貫くような衝撃。七,七㎜に加えてプロペラ軸の二十㎜機関砲が吠えた。高射砲周辺にひときわ大きな土煙が上がった。

 強烈すぎて心地よい衝撃をいつまでも味わっていたいが、洋一は一連射で我慢する。高射砲に大きな火花が上がったのが見えた。どこか壊せただろう、多分。

 銃撃を終えて洋一は機首を上げる。前を飛ぶ小隊長機を追いながら洋一は一瞬だけ振り返った。反対岸でひときわ大きな炎が上がる。

「やった、吹っ飛ばした!」

 若い声が無線の向こうから聞こえてきた。振り返ると確かに大きめの機関銃らしきものが宙を舞っていた。

「丹羽、見たか。俺がやったんだぞ!」

 洋一の同期、松岡大介の声だった。

「こっちだって高射砲に当てたぞ。あれはどっか壊れたなぁ」

「爆発が派手な方がすごいだろ。二十㎜ってすげぇな! もうどかんどかんだ!」

 おそらく弾倉か何かに当たったのだろう。にしてもはしゃぎすぎだろう。そう思った瞬間、空が暗くなった。

 見上げると何かが頭の上を遮り、そして迫ってきた。思わず洋一は首を縮こませる。

「ガキども。いつまでも無線をおしゃべりで使うな」

 いつの間にか二番機の小暮二飛曹機が翼端で洋一機の天蓋(キャノピー)を叩いていた。向こうで松岡も同じ目に遭っていた。

 ほら見ろ怒られたじゃないか。洋一は恐る恐る首を戻す。松岡にとって初めてのまともな戦果なのは判るが。

 若者がはしゃいでいるのはともかく、十式艦戦の小隊がレイエ川の両岸をそれぞれ制圧して、対空砲火はおとなしくすることができた。

 一列に並んで九式艦爆が降下してくる。まず先頭の三機が腹に抱えた分身、二十五番(二百五十㎏)爆弾を一つずつ切り離していく。九式艦爆は橋の上で引き起こす。その辺りで投下した爆弾が炸裂した。

 一つは橋脚のすぐ脇に落ちる。巨大な水柱が上がり、橋を完全に覆い尽くす。二発目は二十mほど下流に、三発目は更に百mぐらい離れて着弾した。

「こちらイナズマ。風は下流側に五マイルぐらい」

 投下した一番機が後続の小隊に伝える。

「ありがとうイナズマ。イカズチ各機、上流に二目盛半ずらせ」

 残りの三機が降下に入る。息を吹き返した対空砲が撃ち始めるがもう遅い。切り離された爆弾は、今度こそ橋に向かって吸い込まれた。

 一発がちょうど橋の真ん中に突き刺さり、爆発する。橋板がいくつも舞い上がり、大穴が開く。だが橋桁はかろうじて残っている。首を伸ばして確認していた洋一は、大きく揺さぶられる橋を眺めた。あれなら修理できてしまうのでは。自分がブランドルの兵士だったら胸をなで下ろしているだろうか。

 もう一発が橋脚に当たったのはそのすぐ後だった。橋全体が更に大きく揺れる。それはどんどんと大きくなり、遂には橋脚が倒れた。わずかに残った橋板も、橋桁も、引きちぎられるようにレイエ川の中に落ちていった。

「よっしゃ、いただき!」

 うれしそうなイカズチの声が無線から聞こえてきた。とにかく目的は果たした。浮かれながらも各機編隊を組み直し、針路を南にとる。艦爆のうち二機はうっすらと燃料らしきものを曳いている。対空砲を食らったのだろうか。あまり長居はしたくない。

「こちらクレナイ一番」

 凜とした声が耳に飛び込んできた。

「北東に機影複数確認、こちらに向かってくる」



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