18 懲りない面々
「なんで一番目立っているんですかもう」
広間を出た綺羅に、ようやく追いついた洋一たちが後ろに付く。
「でもすっごく綺麗でした」
心底感嘆した声で朱音が褒め称える。
「エリザベスさんのドレスも素敵で、着付けを手伝った甲斐がありました」
「ありがとう」
ドレスの裾を掴んで足早に綺羅は歩く。
「俺たちもこんな格好で」
洋一は着慣れないオスマン風の服を見る。
「その格好なら、顔が秋津風でも目立たないだろ」
「まあそうですが」
欧州の血が八分の三ほど流れている綺羅はともかく、洋一と朱音はノルマン人と言い張るのはちょっと難しい。
「エリザベスさん、本当に服のデザイナーになれますよ。他にもかわいい服いっぱいあったし」
年が近いせいか随分と仲良くなったらしい。どれだけ綺羅様に似合う服にするかで意気投合したのだろう。
「貴族がなるには地位が低いんだそうな」
「そうなんですか。もったいない」
異国の貸本屋の娘にはよく判らない。
「でもリズがその言葉を聞いたら喜ぶと思うよ」
そんな不思議な友情が、綺羅には微笑ましいようだった。
「しかしまだ遊び足りないなぁ」
あれだけ危ない橋を渡ってまだ物足りないらしい。
「余計なこと云わないで、敷地を移動するときに乗ってきた車を借りて脱出しましょうよ」
華やかさに目がくらんでいたが、今彼らは敵中に孤立していて、その状況をどうにかするためにフランドル伯の屋敷まで来たのだ。けして舞踏会に出席するためではないはずだ。エリザベスは本宅に残っていて、この小芝居に協力してくれるのはエリザベス付の召使い一人だけである。彼女も綺羅たちが秋津の軍人であることは知らされていない。
「しかしだな、おっと」
角を曲がったところで綺羅はドレスの裾から手を離して令嬢に戻る。洋一たちも召使いらしい足取りに変えてそれに続く。
「……次が俺が踊るんだ。止めるな」
「もう帰りましょう。アムステルダムでもしくじったでしょうが。また出入り禁止になりますよ」
「なにをいうか貴様。この俺にかかれば……」
角の向こうでは酔っ払ったブランドル士官がくだを巻いていた。醜態を見かねた部下が問題を起こす前に連れ出したのだろう。よくある光景だった。
「いいことを思いついた」
綺羅が小さくつぶやいたのを、洋一は聞いてしまった。
「もし、そこのブランドルのお方」
天から響く鈴のような声が、ブランドルの士官に向けられる。振り返った彼らは、聖女を見たような眼になる。
どうするつもりなのかは知らないが、またとんでもないことに決まっている。洋一はそれだけは確信していた。
「隊長、格好良かったですよ」
帽子を持ってきたクローゼは無邪気に褒めた。
「自分もダンスを習わないと。こういうときに決められるとやっぱりもてますかね」
そう云ってクローゼはその場で独り下手なターンを決めてみせる。
「上司としては飛行の腕をもっと磨いてほしいものだがね」
「はは、それはまあそうなんですが」
屈託無く部下は笑った。
「そういえばあのご令嬢は」
見回すとあれほど注目を集めた女神はかき消すように消えていた。
「なかなか駆け引きがお上手な女性らしい。あれは手強いねクローゼ君」
そんな言葉すらクローゼには格好良くみえてしまうらしい。
気を取り直してウェルター・フォン・シュトラウスは舞踏会に臨むことにした。まだまだここには美しい女性も、縁を結びたい有力者も大勢居る。
さて誰がいいだろうか。シュトラウスはさりげなく周囲を見回す。いくつもの視線が彼に注がれているのは判っている。その中から一番得点の高いのをシュトラウスは探した。
あそこの若い二人組。片方はベルギー王室に連なる姫君で、もう一人はロイヤルダッチのケスラー家の娘だったはず。二人とも若さと美しさを兼ね備えており、間違いなくこの舞踏会の花であった。
たしか姫君の方はノルマン系貴族との婚約があったはずだが、先ほどクルップの息子と話しており、今またシュトラウスに視線を送っている。なかなか野心家でもあるらしい。
あの眼は誘っているのは確かだろう。だがそのまま真っ直ぐ行くのはよろしくない。何事にも駆け引きというものはあるのだ。まさしくここは戦場なのだから。
配膳している召使いが両者の視線を遮った瞬間に、シュトラウスは動いた。不意に消えた男を彼女たちが捜していると、不意に脇から声をかけられた。
「お好きな飲み物は、レディ」
いつの間にか必殺の間合いに詰め寄ったシュトラウスがそこに立っていた。
「ワインがいいわ、シャンパンは子供っぽすぎて」
それでも彼女たちは返してくる。
「ベルギーでしたら白がお勧めですわ、男爵」
「なるほど、君、白ワインを」
シュトラウスは配膳している召使いからグラスを受け取り、流れる様に彼女たちに渡す。
「君もだ」
ついでとばかりにクローゼにも渡す。
「では美しきフランダースと美しき姫君たちに乾杯」
そう云うと優雅にシュトラウスは杯を傾ける。
「奇襲がお得意ですのブランドルの将校は」
「古くから恋と戦争はあらゆる手段が認められると申しまして」
軽々と杯を空けるとシュトラウスはそれを召使いに渡した。
「特に美しい姫君相手でしたらなおのこと」
そう云って微笑んでみせると、彼女たちは飲み込まれたような顔になる。
女心をときめかせる甘い容貌を武器に、数多の戦場で浮名を流したフォン・シュトラウスである。年若い娘たちでは太刀打ちできない。
これは頂いたな。シュトラウスは勝利を確信した。後は金髪の姫君と黒髪の令嬢のどちらに注力するか。利害と欲と打算を頭の中で忙しく分析し始める。この贅沢な悩みが一番の楽しみであった。
さてもう一歩踏み込んで、反応を伺おう。そうしたら。
そう思った瞬間に背後から声がかけられた。
「やあ、戦友」
朗々とした響きにシュトラウスは振り返る。その表情が微笑んだまま固まった。あってはならない光景がそこにはあったのである。
「その美しい姫君たちを、僕にも紹介してくれないかな」
そこには紅宮綺羅が立っていた。どういうわけだか、ブランドル将校の礼服に身を包んで。