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14 脱出できると思ったのに

「で、たしかに私は良いアイデアと認めたよ。君があまりに自信に満ちあふれていたからね」

「……はい」

 綺羅の言葉に洋一は神妙に正座をして聞いていた。

「あの時の君はまさしく輝いていた。窮地を脱する起死回生の策を思いつき、冴えに冴え渡っていた。ああ、それなのにそれなのに」

 大げさに天を仰いでから綺羅はすっと顔を洋一に近づけた。

「どうして上りと下りを間違えるかねぇ」

 天国に向かうはずの列車の中で、洋一は針のむしろに座らされていた。

「今我々がいるのはリールという街だ。ベルギーに半ば突き出した国境の街。そして」

 声をひそめて綺羅は貨車の外を示した。そこには人の歩く気配がある。規則正しい兵士らしい足音。

「九日ほど前から、ブランドルの占領下だ」

 虎口から逃れるつもりが、自ら飛び込んでしまった。どうやら寝ている間にブランドルによって列車ごと接収されてしまったらしい。そうでなければリールまで運行しないだろう。

「で、でも隊長だって気づかなかった……」

 下手に口答えしても理不尽な含み笑いで返されるだけだった。

「はい、あの時乗る列車を間違えたのは?」

 助けを求めるべく朱音の方を見るが、巻き込まれたくないと視線を外されてしまった。疲れて寝てしまったのはみんな同じなのに。

 もはや観念するしかない。

「じ、自分です。自分のせいです……」

 絞り出すように洋一は言葉を発した。なのにそれを聞いた綺羅は対照的に明るい顔になった。

「よし、これで悪いのは私だけじゃなくなった」

 妙に嬉しそうな声で綺羅は云った。もしかしてブランドル兵を撃って「くろがね」が壊れたことを気にしていた。いや正確にはあの時難詰したことを根に持っていたのだろうか。

「どうします。荷物を降ろそうとしてますよ。このまま隠れている訳にもいかないですよ」

 外の様子をうかがっていた朱音が云う。

「警備はそんなにしっかりしていないから、降りるなら今のうちだな」

 ここに留まっていても、この列車がアミアンに折り返してくれることはなさそうだった。

「でも我々の格好でブランドルの前に出るわけには」

 洋一は自分たちの姿を見る。秋津の茶色い飛行服はブランドルと言い張るには無理があった。

「それこそあの教会で拝借した服の出番ではないかね」

「そういやそうでした」

 まさか本当に役に立つとは。

「ようし、あの兵士が向こうに行ったら降りよう。諸君、リールへようこそ」

 歩哨が三つ隣の貨車に入った時を見計らって、三人は地面に降り立った。

「どうせだ、市街地に向かうぞ」

 夕闇が濃くなってきたリールの街に三人は向かった。


 秋津人の洋一たちがブランドル占領下のリールを歩くにはかなりの勇気がいる。しかし綺羅の足取りはそんなことなど歯牙にもかけない堂々たるものだった。

「よく平気に歩けますね」

「こういったものはおびえている方がかえってめだつ。堂々としていれば気づかれないものさ」

 洋一はそこまで開き直れない。

「それにこの格好は案外都合がいいな」

 綺羅が来ているのは普通の服ではなかった。黒衣の修道服に、ベールという修道女の姿だった。何しろ教会で入手した服なのである。上からかぶるだけで修道女になれる便利な服だった。

「綺羅様素敵、すごい似合います」

 後ろで見ている朱音がうっとりとした声でその姿を称える。まるで美術館に飾られている絵画の中から出てきた聖女の様であった。

「そういう君もかわいいよ朱音ちゃん」

 綺羅が振り返ると朱音もまた同じ服装であった。小柄である分、彼女は修道女見習いのようである。

「えへへ、そんな。かわいいなんてそんなぁ」

 まんざらでもなく朱音は笑っている。そんな様子も愛くるしくはあった。

「あのう」

 その後ろから洋一も追いかける。

「ほら離れないで。遅れてるよ」

 朱音の声が返ってくるが、そうも云ってられない事情がある。

「あの、本当にこれしかなかったの?」

「仕方ないでしょ。あそこ修道院だったんだから」

「はぐれたら大変なことになるぞ」

 先頭の綺羅が振り返って、物陰に隠れようとしている洋一の様子を眺めた。

「意外といけるなその格好」

 云われると更に物陰から出られなくなる。何しろ洋一もまた、修道女の格好をさせられているのだ。

「でしょう綺羅様。前からあいつはやるやつだと思っていたんですよ」

 朱音がまた余計なことを云っている。

「中学ぐらいまではかわいい服の方が似合ってたんですよ。背丈も小さかったし、うちの母さんといっしょに色々着せたなぁ」

 できれば穴を掘って埋めたい過去を、よりによって綺羅様に云うとは。朱音の口を塞げないのが洋一には残念でならなかった。

「大丈夫大丈夫。この格好はまず修道女という印象が強すぎて、顔の方など覚えていないさ。私にしろ、朱音ちゃんにしろ」

 そこで綺羅は洋一を見て、クスクスと笑い出す。

「そう、君であろうとも」

 本当に勘弁してほしかった。


 リールの市街地は思っていたよりも平穏だった。たまに砲弾か爆弾かで崩れた家はあったが、激しい市街戦は起こらなかったらしい。街の人々も瓦礫を片付けて日常を取り戻そうとしている。それでも空気が重苦しいのは、ブランドルの兵士たちがそこかしこを歩き回っているからだった。

 そんな中でも綺羅の周りだけは華やかな空気が漂っていた。修道服で隠しきれない輝きに、街の住民の中には拝むものすらいた。

「こんばんは。どなたかいらっしゃいませんか」

 堂々と朗らかな笑みで綺羅はパン屋とおぼしき店の一つに声をかける。

「まあまあ、貴方はもしや聖母様」

 中から出てきた老婆もまた綺羅を見て拝む。

「お顔を上げてください。戦禍から逃れてきた一介の修道士です。日々の糧を分けていただけないでしょうか」

「まあ気が利かずに、この戦災ではお困りでしょう。今すぐに」

 そう云うと奥からパンだけでなくハムまで出してくる。

「いえ、日々の糧だけで充分ですから」

 綺羅は長いパンを一つ受け取って朱音に渡す。

「ほら、貴方からもお礼を云いなさい」

 いきなり振られた朱音は眼をぱちくりさせたが意を決して姿勢を正す。

「えっと、天にまします我らが主よ。日々の糧を与えてくださり……」

「それは頂きますの言葉でしょう」

「かの優しき人に天のみち、みち……」

「導きを、与えたたまえ」

 勢いと勘で喋っているだけだが、そのたどたどしさが意外とらしさを出していた。

「アーメン」

 最後だけ洋一が引きつった声で喋る。

「ふふ、修道院に来たばっかりなんですよ」

「まあ可愛らしい」

 かしこまっている二人を見て綺羅と老婆は笑い合った。

「この辺りはどうですか。戦禍は大きな試練を残したようですが」

 世間話をしながら綺羅は街の様子を尋ねた。

「前の戦に比べれば、大したこと無く済みましたよ。また主人が変わるのは不安ですが、わたしらはしがみついてでも生きていくしかないのです」

「心強きものこそ、主は観ておられます。貴方に祝福を」

 そう云って祈る様は本当に聖女のようで、洋一ですら拝みたくなってしまうほどだった。

「そういえばフランダース伯はいかがなされたのでしょうか」

 突然出てきた名前に洋一は心の中で首をひねる。老婆はその名に小さく笑った。

「サマセット様ねぇ。あの家はこんな時ほど生き生きとしてきますからねぇ、もう」

 誇りとも呆れともつかない、妙な云い方だった。

「今日早速お城で舞踏会ですよ。随分と食料を買い込んでらして」

「するとお客様は」

「ブランドルですよ。まったく流石の変わり身ですわ」

 老婆は声をひそめた。

「将校さんと、それとなんといったかしら、飛行機乗る人たち」

「パイロット」

「そう、パイロットな将校さんたちが花なんか買っていたり。そんなんでもてるわけでもないでしょうに」

 随分噂噺の好きな老婆だった。そんな彼らの前を、ブランドルの兵が乗るトラックが横切った。

「なるほど、JG二七ね」

 綺羅のつぶやいた声は、老婆の耳には入らなかった。

「そんなわけで今日は街もどこか浮ついているのですよ。まあ悪いことばかりじゃありませんわ。こういったときはサマセット様は決まってお下がりを配られますから」

「それはそれは、では貴方と、そしてフランダース伯に幸あらんことを」

 お祈りしてから三人は老婆の店を後にした。

「なかなか面白い話を聞けた」

 何やら綺羅の頭の中で閃くものがあったらしい。

「どうするんですかこれから」

 食料が多少調達できたとはいえどうこうできる目処は立っていない。

「フランダース伯の所へ行く」

 よく知った足取りで綺羅は先頭を歩く。

「娘が同級でね、何回か遊びに行ったことがある。同級だったメアリーはカンパーラント伯の所に嫁いだが、三つ下のエリザベスはまだいるはずだ」

「で、でもさっきの話ではブランドルのパーティがあるとか」

 いくら知り合いのところとは云え、うかうか行ったら敵の中に飛び込むことになってしまう。

「だからこそだよ。面白いことになりそうだ」

 なのに綺羅はそれすら楽しんでいるようだった。

「綺羅様って、面白いの範囲が広いのね」

 小さい声で朱音が囁いた。面白いで済ませていいのだろうか。しかし洋一たちにはほかに縋るものはない。綺羅に振り回されながら付いていくしかなかった


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