12 朱音救出作戦
成り行きとはいえ奇妙なの道中となってしまった。
「あの、ありがとうございます隊長」
突発的な勢いだけで行こうとした洋一の計画はなぜかこうして実行に移されてしまった。
「気にするな。あそこでノルマン事情に一番詳しいのは私だ。何しろ三年ほどこちらに留学していたからな」
そういう身分の人だった。改めて洋一は隣の人物との身分の差を思い知らされた。
「元々はお祖父様からの縁でな。子供の時からちょくちょく来てたんだ」
この場合の「お祖父様」は先の帝、大華天皇を指すから油断がならない。
「お祖父様は孫の口から云うのも何だが遊び人でな、まあ三番目だから好き勝手できると思っていたらしかったが、まあノルマン留学中に色々浮名を流してね」
返答に困る生々しい話が始まってしまった。
「ヴィッカースのご令嬢といい仲になってしまって、うっかり子供まで作ってしまった。当時は随分と騒がれたらしいな。何しろ両方結婚もしていなかったから」
「まあ、聞いたことは、ありますが」
生まれる遙か前のことなので洋一も詳しくは知らないが、醜聞になったらしいことは伝わってきている。
「ただまあ秋津もノルマンも仲良くしたかった時期なので大事にせずに収まった。そうして生まれた子供は秋津に引き取られたわけだが、どうにも微妙な立場となった。何しろ嫡出でない長男だからな」
継承順位は下がるが、担ぎ上げようとするには適当な存在であった。
「その辺を察してさっさと紅宮に養子に入ったのが我が父上なのだ。一方お祖母様はマールバラ公に嫁がれて今も息災だ。今度の派遣で一度はお逢いしたかったのだが、忙しくてな」
明正天皇の后マルガリーテ妃も含めるなら紅宮綺羅に流れる血のうち、八分の三は異国の血と云うことになる。それもあって、彼女の容貌はいささか秋津人離れしているところがあった。
「こっちはうるさいこと云うのが少なくて楽しかったよ。飛行機の免許も取れたから飛行学生の課程は省略できたんだ」
「ちょっと待ってください、留学って確か兵学校入る前ですよね。一体いくつで飛んでたんですか」
「十二だよ。毎年六十時間ぐらいは飛んでいたかな」
恐ろしいことを聞いてしまった気がする。
「そんな訳でノルマンについては任せてくれ。この辺だって何回か遊びに来たことはあるはずだ。多分」
まるでピクニックに行くかのような気楽さだった。この先に待っているのはブランドルの戦車だというのに。
「そんなことでついてきたんですか」
「それだけではない。まあ日頃の菓子の礼もあるし、それに」
そこで綺羅はふっと笑った。
「君がいるからだよ少年」
予想だにしなかった発言に、洋一は思わず綺羅の顔を見た。
「最初に会った時はロシアの空母がやってきた。今度は敵地に単独潜入ときた。君がいるとなんだか面白いことが起こる」
あれが面白いことなのだろうか。
「そんな楽しそうなこと、私がやらなくてどうする。もったいない」
全く理解できない。洋一は首を振るしかなかった。
「そうそう、そういえば」
しょうがないので話題を変えることにする。
「ベルリンに行った時のあのフォッカー。あれも留学の時のお知り合いですか。なんとかシュトラウスとかいう」
敵だというのに妙に親しげだったのが、気にはなっていた。
「ああウェルター・フォン・シュトラウスね。あれは去年の知り合いだ」
去年というと彼女はもう兵学校を出て任官している時期のはずだった。
「ブランドルが国威発揚のために世界速度記録に挑戦する大会を開いたんだ」
洋一の脳裏に何かが閃いた。
「シュナイダー・グレートレース!」
「そう、八年前にノルマンの勝利で終わった水上機レースの名を冠した、世界最速を決めるレースだ」
「確か菱崎の「電光」で隊長が出たんですよね。それで」
「そう、私が勝った」
実にうれしそうに綺羅がうなずいた。
「シュトラウスはその時のブランドルのパイロットさ。フォッカーFo209だったかな。フォッカー109にDBを二段重ねにした四列二八気筒だったな。そんな無茶苦茶な機体だった」
当時飛科練にいた洋一もその新聞は鮮明に覚えている。秋津が世界記録を作ったと号外まで出ていた。
「二番になったとき、平静を装おうとして悔しさが隠しきれてなくてな、いや面白かった。握手したとき手が震えてるんだこれが」
相手の立場を考えると少々居たたまれなくなる。国を背負って、それなりに勝算もあったであろうに、異国の女性に負けるとは。
「フォンが付くことから判るように、彼は貴族さまなんだ。やんごとなきご身分ってわけだ」
それを皇族の綺羅が云っても嫌みにしか聞こえない。
「ちなみに尾翼の銀騎士の模様はシュトラウス家の紋様だそうだ。規則に煩いブランドルであれだけ大きく描いてるから、よほど誇りなのだろう」
確かに他で見た範囲だと、パーソナルマークは操縦席脇にもう少し小さく描かれていることが多い。
「広いようで意外と空は狭い。再会の日は近いかもしれないな」
綺羅にとっての因縁はともかく、洋一にとっては恐ろしく腕の立つ相手だった。できれば金輪際逢いたくなかった。
「まあそれより朱音に逢う方が先決ですがね」
「そうだった。危うく目的を忘れるところだった」
ピクニックとでも思ったのだろうか。いやまあ、本当にそうだったら天にも昇る心地なのだが。洋一は少しばかり余計なことを考えてしまう。
「朱音君と合流する目端はついているのかね。アラスの南方すぐといっても広いぞ」
闇雲に探しても逢えるものではない。何しろお互いに敵に見つかるわけには行かないのだから。
「淡い可能性ですが、一応は。あいつが覚えていればですが」
口ではいつも悪く云ってしまうが、朱音の記憶力を洋一は信用していた。というより、お互いにそこに賭けるしかないはずだった。