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9 強敵銀騎士

 引き金を引いた左手をスロットルから離し、洋一は拳を握りしめた。何か叫んでいたような気もする。

 さあもう一機もだ。即座に洋一は視線を右側に転じた。残るフォッカーはそちらにいるはずだ。

 確かにフォッカーはそこにいた。予想と少し違っていたのは、うっすら煙を引きながら降下していたことだった。快速っぷりを見せながらそのフォッカーは遙か下方に逃げていった。

「小暮二飛曹、こっちに来てたんですか」

 すぐそばを、もう一機の十式艦戦が飛んでいた。

「新米一人を行かせるかよ。ずっと援護の位置にいたんだが、気づかなかったのか」

 気づいていなかった。ずっと独りで闘っているつもりだった。

「にしてもフォッカーやっぱり硬いな。防弾板があるって話本当かもな」

 煙を吹いていたからそれなりに命中弾があったらしいが、それでも逃げ切ってしまった。立場が逆だったらまったく防弾設備のない十式艦戦は火達磨になって墜ちていただろう。

「十式はあっさり火が着くからなぁ。見てると割と簡単に燃えてるな」

 たしかに今の戦闘でも爆撃機の旋回機銃の反撃で火が出ていた機体があった。脱出できていれば良いのだが。

「あれ、でも二十㎜ならフォッカー燃やせますよ」

 実際洋一はそれで一機撃墜できた。

「うるせぇな、切り替え忘れたんだよ」

 失敗をごまかすべく小暮二飛曹は声を荒げる。

「まあでもいい立ち回りだったぞ。成瀬さんの真似、うまくいったじゃないか」

 とはいえ褒めることも忘れない。これが地上だったら肩の一つも叩いたかもしれない。

「さあ次行くぞ、成瀬さんも片付けた頃合いだろ。まだまだ敵は」

 そこまで云って、小暮機はいきなり翼を翻した。

「よけろ!」

 無線の叫びに、洋一も反射的に操縦桿を左に倒した。何事かと思って見た瞬間、隼のごとき影が二機の間を駆け抜けた。

「あっぶねぇ、やられたかと思ったぞ」

 向こうで小暮が悪態をついていたが命拾いしたのは洋一も同じだった。恐怖心と怒りが同時にこみ上げてくる。位置的には自分の方が近い。洋一は回避して傾けたまま相手を追った。

 急降下して逃げるかと思ったら緩やかな降下旋回でこちらの様子をうかがっている。何様のつもりだ。洋一は相手をにらみつける。機首が黄色いのはいつものことだったが、垂直尾翼が黒く塗られていた。その中央に白、いや銀で何か描かれている。西洋鎧の兜だろうか。

 わずかに距離が詰まった。もうちょい近づければ。そう思った瞬間に相手が横転して大地に向かって機首を引く。急降下して逃げるか。洋一も後を追おうとしたが、操縦桿が岩のように重い。

 高速時にエルロンが重くなる。十式艦戦の数少ない欠点だった。

 渾身の力を込めてなんとかひっくり返すと、相手はすでに上昇に転じていた。こいつ、十式艦戦の欠点を知っている。嫌な感じが洋一の背中を走った。

 だが旋回戦に持ち込めば。ようやく引き起こしながら洋一は相手を目で追った。この高度でなら十式艦戦の方が上昇力は上だ。いずれ追いつく。向こうは旋回するしかないはずだ。

 そう考えた瞬間、こちらの想定よりも早くフォッカーは翼を翻した。洋一もその後に続こうとしたが、相手はラダーを効かせると信じられない旋回半径で回った。

 一つ気をつけろ。半旋回だけなら、フォッカーはこちら並みの急旋回ができる。

 綺羅の言葉が洋一の脳裏をよぎった。その半回転を、ここで使ってきた。ほんのわずかな隙を見逃さずに、一気にこちらの背後に回る。

 ぞわりと背中が寒くなる。まずい。これは喰われる。慌てて操縦桿を傾けて左に逃げようとするがその頭上をいくつもの火箸のようなものが抜けていく。機銃で撃たれた。そして嫌なことに気づく。機銃の曳光弾のうちに、非常に太いものが混じっていた。

 あいつ、二十㎜を持っている。

 フォッカーの武装は機首の七・九二㎜二丁だけと聞いていたが、中には主翼に二十㎜を搭載したのが混じっているらしいと噂になっていた。重くなって操縦が難しいらしいが、それをあれだけ操るとは。相当な手練れだ。

 反射的に操縦桿を突いてしまうが、次の瞬間エンジンが咳き込む。機体を引っ張っていたプロペラが重荷になってしまう。まずい、葛葉エンジンはマイナスGをかけたら燃料供給が止まってしまうのを忘れていた。

 慌てて操縦桿を戻したらエンジンは戻ったが、一気に距離を詰められてしまう。真っ直ぐ加速して逃げるしかないが、速度はフォッカーが、あいつが上だ。進退窮まった。寒気が、洋一の全身を走った。次にフォッカーの銃口が光った瞬間、自分は終わる。

 いっそ眼を瞑りたかった。だがそれはできない。敵ながら見事な動きから目が離せない。最後の瞬間まで、それは見なければ。

 自分が撃つなら、今。そう思った瞬間にフォッカーの機首が右にずれた。

 何事かと思うと代わりに細い機首、十式艦戦が現れた。信じがたいことに、十式艦戦の右の主翼でフォッカーの胴体を押しのけていた。

 まさかと思い、そしてその尾翼を見た。垂直に切り立って断面しか見えないが、それは確かに紅かった。

「洋一君、今のうちに離れた方がいい」

 凜とした綺羅の声が心地よい。左に軽く傾けてから洋一は上昇して二機の前から離れることができた。

 斜め上についてから改めて二機を見る。フォッカーが何やら押し返そうとしているが、十式艦戦の方が主翼は長い。届かない拳を振り回している子供のようだった。

 そしてあろうことか、紅宮綺羅は相手に向かって手を振っていた。

 奇妙な二機編隊は十秒ほどだっただろうか。フォッカーがぱっと離れると今度は蛇行して相手を前に出そうとする。綺羅も蛇行飛行でそれに合わせる。

 黒と紅の糸が空を縫う。ついつい洋一は見とれてしまう。繰り返し横転する蛇行飛行は十式艦戦にとって苦手なのは先ほどよく味わった。なのに綺羅はそれを感じさせない鮮やかな動きで渡り合っている。

 いつまでも見ていたかったがなにやら無線が聞こえてきたので我に返った洋一は周囲を急いで見回す。雲を曳いて激しく絡み合う十式艦戦とフォッカーにゴータ爆撃機。そして。

「こちらアカツキ三番。隊長、増援です。増援が来ました」

 南の空に影が六つ。液冷機らしい長い機首は味方のはずだ。そして先ほどからかすかながらノルマン語の無線が聞こえてきていた。

「Scarlet squadron, this is Red leader, respond」

 秋津人らしくない流ちょうなノルマン語だ。とするとあれはノルマン空軍なのだろうか。ふと見ると綺羅と闘っていたフォッカーが翼を翻し、今度こそ急降下して離脱していった。気がつくと他のブランドル軍機も去っていた。

「Red leader,this is Scarlet squadron leader, thank you welcome」

 綺羅が無線で応じている。こうして聞くと彼女の発音もノルマン人に遜色ない。集まってきた十式艦戦のそばにノルマンの編隊が並ぶ。

 なかなか綺麗な機体だった。優美な楕円翼にファストバックの細い胴体。少し盛り上がった天蓋がアクセントになっている。そして倒立V型らしい少し下がった機首が、獲物を狙う狐のような鋭さも見せている。あれがソッピーズ・シルバーフォックスか。

 ノルマン機と並んだ綺羅はしばらく話していた。向こうは駆けつけたら敵が去って行ったので少し不満そうではあったが、こちらとしては大いに助かった。

 ようやく話し終えたのか、シルバーフォックスの編隊は翼を振って自分の基地に戻っていった.

「諸君お待たせ。やあなかなか話し好きでな。パリのカフェについていろいろ教えて貰ったよ」

 多分それは誘っていたのだと思う。声の主が女性と気づいてからやけにしつこかったのはノルマン語が得意でない洋一にも判った。

「念願の墓参りもできたし、ゴータも一機墜とせた。大きいのは二十㎜の撃ちがいがあるなぁ。今日はなかなかいい日だった」

 この惨状を見てもそう云える綺羅の神経がある意味うらやましかった。

「そういえば隊長、さっきのフォッカー、お知り合いですか」

 戦闘中に手を振っていたのが洋一には気になっていた。

「ああ銀騎士さまか」

「銀騎士?」

「ほら、尾翼に銀で西洋兜が描かれていただろ」

 そう云われてみればそうだった。

「ウェルター・フォン・シュトラウス。世界で二番目に速い男さ」

 そう云って綺羅はもう一度去って行ったフォッカーの方を見た。


 空襲は去ったが基地はひどいことになっていた。

 まず滑走路は爆弾の破口のおかげで三分の一が使えなくなっていた。十式艦戦は艦上機なのであまり困らなかったが、降りてみるとあちこちから煙が上がっていた。

「お疲れ、はいこっちに並べて」

 朱音が降りてきた洋一たちの機を誘導していた。狭いところに押し込められてずいぶんと窮屈になった。

「無事だったのか朱音」

「なんとかね」

 その口ぶりは幾分疲れていた。

「駐機場は半分ぐらいやられたの。出撃してたおかげで機材の被害はほとんど無かったんだけどね」

 それでも一機の十式艦戦らしきものが燃えていた。

「ああ俺の機体……」

 燃えている傍らで松岡が立ちすくんでいた。元々不時着して壊れていて部品もいろいろ取られた機体ではあったが、いつか直ると彼は信じていたらしい。

「まあ見た目ほど被害は大したこと無かったんだけどね。整備科もけが人だけで済んだし、整備資材も概ね大丈夫だし。結構外れてくれたの」

 何のかんの云って第二中隊の奮戦のおかげなのかもしれない。向こうは大分損害を出していたようだったが大丈夫だろうか。

「あそこで派手に燃えているのは?」

 小屋の一つが現在進行形で炎を吹いていた。

「ジャガイモ小屋」

「ならいっか」

 毎日ジャガイモばかり食べさせられてうんざりしているところだった。

「いいわけあるか莫迦者」

 そう云って洋一の頭がはたかれる。

「げ、留さん」

 第一中隊の炊事班を束ねる沼田留吉兵曹だった。洋一も厨房で度々世話になっている。

「芋がなくなったら代わりのものが出てくるとでも思ったのか」 

 洋一のみならず他の兵たちも一様に困った顔を浮かべた。芋の顔を見るのも嫌だが、空腹はもっと困る。そうしてみると中隊の損害は思っていたよりも大きいのかもしれない。

「今まで基地は狙われたことはなかったのに」

「何か前線で動きがあったんじゃないのか?」

 搭乗員たちは不安げに様々な憶測を語り合う。

「ああ諸君、残念な事態だ」

 いつの間にか司令部に行って戻ってきた紅宮綺羅が、部下たちの前に立った。

「今日の昼間、カレーにブランドル軍が上陸したそうだ」

 洋一たちの表情が引きつったものになる。それは非常にまずいことになるのでは。


 実際まずいことになった。

 ノルマン海の制海権は有力な秋津海軍が優位ではあったが、ブランドル海軍のロシア合衆国より購入した四隻の空母を恐れて、ルーアンより北方での積極的な活動を控えていた。そこを突いてブランドルは漁船までかき集めてアントワープを拠点とした三個師団の上陸を成功させた。

 さらにそのうちの一個師団はブランドル陸軍の最精鋭機甲師団であった。第七機甲師団はベルギー国境に沿っているノルマン軍主力の後方を駆け抜け、指揮、補給線を寸断していった。呼応して開始されたブランドル軍の攻勢に、ノルマン北方方面軍は急速に崩壊していった。

 遣欧秋津軍が欧州戦線を見切ったのは上陸から三日目だった。元々ここ二ヶ月のベルギーでの戦闘で、陸ではブランドルに劣ることを思い知らされていた。ノルマン軍の陸軍主力が崩壊しつつある中、うかうかしていては孤立して身動きがとれなくなる。陸上戦力をアルデンヌからパリまで後退させ、翔覽航空隊はシェルブールへの移動を命じられた。そのまま翔覽へ、そして本土まで戻ることになるだろう。航空隊の隊員たちはそうささやきあっていた。


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