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3:機械化手術

 中にいたのは、白髪の女性医師だった。カティも風邪をこじらせた際に、お世話になった覚えのある女性だ。

「カティさん、お越しいただいてありがとうございます。どうぞ、こちらへおかけになってください」

 医師は自分の座る、ひじ掛け付き椅子の前に置かれた、丸椅子をカティへ勧める。


 その顔は笑みを作ろうとして、失敗していた。余計にこわばりの目立つ表情となっており、カティの心をざわつかせる不安が、いっそう大きくなった。


 それでもおとなしく丸椅子に座ったカティは、重ねた指を組み替えつつ、医師を伺う。

「あのう……呼び出しの理由は、えっと、一体……?」

「先ほど発生した、ドーム外での雪崩事故についてはご存じですか?」

 問いかけに問いかけを返され、カティは一瞬面食らった。母親によく似た、たれ気味の優しい目が丸くなる。


 ためらいつつ、直近の記憶を手繰(たぐ)りつつ、彼女は一つうなずいた。

「ええ、はい。出かけに、ニュースで聞きましたけれど……」

 カティのうなずきを見つめ、次いで医師は視線を落とす。落ち着きなく、足を組み替えた。

「その事故による負傷者は、幸いと申せばよろしいのでしょうか……一人だけでした。ただ、貴女にとっては、必ずしも幸いとは言えないかもしれません」

 医師の言葉にぎくり、とカティの身が強張る。


 子供たちが通う基礎学校では、一週間後にドーム外での校外学習が控えている。

 そして、その基礎学校で教員をしている幼馴染が、一人いるのだ。

 もしも彼が何らかの理由──たとえば校外学習の準備で、外に出ていたとしたら?


 彼の名前は──

「唯一の負傷者はリークリース・ペイジさん。あなたのお隣に住んでいる方で、間違いないですね」

 こちらを(いた)わるような、穏やかな医師の声と眼差しが、怪我の具合を想起させる。ぎゅ、とカティは自身のズボンを握った。次いで上ずった声と共に、身を乗り出す。

「リー兄ちゃ──リークリースさんは、大丈夫なんですかっ?」

 焦るあまり、いつもの愛称で呼びそうになるのを、寸前で止めた。


 ああ、どうして自分は病院へ行くのを渋っていたのだろう、と冷えた背筋に後悔がのしかかるのも感じる。


 持ち上がっていた医師の視線が、再び落ちた。

「リークリースさんの容態は……脳への損傷が酷く、予断を許さない状況です」

 そんな、とかすれた声が遠くから聞こえた。

 自分の声なのだ、とカティは遅れて気づく。


 と、同時に疑問も芽生えた。

 リーとは悲しいかな、単なる幼馴染の間柄であり、血縁関係はない。

 彼の負傷で、なぜ自分が呼び出されたのだろうか、と。

 こちらに芽生えた疑問に気付いたのか、医師も一つ身を乗り出す。

「リークリースさんは以前から、貴女を同意人(どういにん)に選んでいました」

「同意、人……ですか?」

 聞き慣れぬ言葉だ。


 ええ、と医師はうなずいて続ける。

「病気や怪我で意識不明になった際、身体の機械化を行うか否かの、その決定権を貴女に委ねているんですよ」


 機械化。

 文字通り、身体の一部あるいはほとんど全てを、機械へ置き換える手術であり、技術のことだ。

 文明が進み、ロボットに頼る生活をしているというのに──あるいは身近にあり過ぎるためだろうか──機械化への抵抗を持つ人間は、未だ多い。

 その決定権を、リーはカティへ一任したのだ。


 当然、カティは混乱した。頬に両手を当て、そのまま砂色のショートボブをかき回す。

「どうして」

 無意識に、そんな問いが意識と言葉にまろび出る。

 組んでいた足をほどいた医師は、柔らかく笑った。今までで、一番優しげな笑みだ。

「貴女が大切な人で、一番信頼できるから、と記録にはありました」


 思わずカティは、口元を手で覆った。泣き出しそうな顔を隠しつつ、嗚咽(おえつ)(こら)えるためだ。

 彼女の華奢な腕を、医師がそっと撫でる。

「カティさん。貴女にとっても、リークリースさんは大切な人、ですね?」

「……はい」

 涙と共に、震え声が出た。同時にこくこく、とカティは何度もうなずく。


 気が付いた時から、彼へほのかな恋心を抱いていた。

 長じてそれは初恋という実に変わり、今も彼女の心の、一番柔らかい部分に宿っている。

 そして何となく、本当に何となくの直感であるが、リーも同じく彼女を特別視してくれているのではないか、という思いもあった。


 身寄りのない彼は、よくカティの家へ遊びに来てくれている。それはお互いが社会人になった今も続いており、時折、温かな視線を注がれることもあった。

 眼鏡越しの、熱い瞳をありありと思い描いた瞬間、カティの心は決まった。


「……機械化手術をどうか、どうかお願いします」

 声の震えを押し殺し、そう言った。

 笑みを静かにほどいて、医師は至極真面目な視線をカティへ向けた。

「本当に、よろしいですか? 生体には戻れませんよ? それに、副作用や手術の失敗が皆無とも言い切れません」

 機械化手術へのリスクにも、心を決めたカティは揺るがなかった。

「分かってます……でも、もう一度会いたいんです、リー兄ちゃんに」


 それに訊きたかった。自分を同意人に選んだ真意を。

 そして、自分の本心も伝えたかった。

 自分を同意人に選んでくれて嬉しかった、と。

 自分にとってもリーは、ただ一人の人なんだ、と。


 それに何より。

 脳が機械になっても、リー兄ちゃんはリー兄ちゃんなのだから。穏やかで優しい彼が失われるわけじゃない。


「先生、リー兄ちゃんを、助けて下さい。お願いします」

 ぽたぽた落ちる涙をぬぐいながら、カティは頭を下げた。それに合わせて、医師も一つ頭を下げる。

「かしこまりました。私たちも、最善を尽くします」

 こうしてリークリースの脳の、機械化置換手術は始まり、四十時間後に無事終了した。


 と、思われていた。

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