19:定休日
「鏡の女王亭」の定休日が来た。
その日はカティも朝寝坊をする、と心に決めているのだ。
狭いながらもふかふかのベッドに身を沈めたまま、うつらうつらと眠りを堪能する。
意識の外側のごく一部は、人工太陽が徐々に昇るのを、スモークがかけられた窓越しに知覚していた。
それでも惰眠を貪ろうとする娘の、シーツから覗く後頭部をエダが小突いた。
「ちょっと。そろそろ起きなさいな、お寝坊さん」
「んー……」
かすれた声をかすかに上げて、カティが寝返りを打つ。その拍子に胸がぽよん、と揺れた。
仰向けになっても崩れない、ある意味では鉄壁過ぎる娘の胸を、エダが感心したように見下ろす。
「わが娘ながら、なんという巨乳なのかしら」
「遺伝だからね、これ」
うっすら目を開けたカティが、エダを指さしつつ身を起こす。正確には、寄せて上げなくても谷間くっきりな彼女の胸を。
そしてふわあ、と間抜けなあくびを一つ。
娘にしっかり受け継がれた大きな胸を軽く反らし、エダは妖艶に微笑んだ。
「今日はわたしが作ってあげたわよ、朝ごはん」
得意げな母に、カティも微笑む。
「わあ、大盤振る舞いね。ありがとう」
カフェで働いていることもあり、カティは料理が好きだった。また、色気の代わりに器用さを失ったと評されるエダの代わりに、普段はカティが炊事担当でもある。
とはいえ、誰かが作ってくれたご飯を食べるのは、カティも好きだった。
たとえそれが、スクランブルエッグという名の焼き過ぎた炒り卵と、焦げ過ぎたパンであったとしても。
また、サラダのトマトも大きさが不揃いであった。まあ、これはこれで、味があるというもの。
台所には他にも、母の苦心の歴史が刻まれていたため、カティは苦笑交じりに肩をすくめた。後片付けが大変かもしれないな、と。
「これはまた、随分と頑張ってくださったようで」
エダも同じように肩をすくめる。
「ふわとろスクランブルエッグを目指したんだけど、ポロポロの卵ボウロみたいになっちゃったのよ。あれってどうするの?」
母の乞うような視線に、カティは微笑む。
「牛乳入れて、お鍋で作るの。もちろん弱火でね。慣れれば簡単よ」
腕を回してかき混ぜるジェスチャーをするカティへ、エダは半眼になった。
「そりゃあ、料理上手なカティちゃんには簡単でしょうけど……」
唇を尖らせる母は、色っぽい上に可愛げがある。
これはずるい、と実母のあざとさに戦慄するカティであった。
そんな娘の慄きにも気づかず、そうだ、とエダは何かを思いつく。
「せっかくだから、リー君も呼んじゃいましょうよ」
またとんでもないことを、言いだした。
「どうして」
キッとカティが身構える。
途端に臨戦態勢となった娘に、母は苦笑。
「ちょっと前だったら、大急ぎでおめかしして、隣にすっ飛んで行ったくせに。素直なリー君も、ちょっとおバカで可愛いじゃない?」
「ちょっと? あれの? どこが?」
カティの口調は、珍しくとげとげしい。
「この前だって、お店でやりたい放題して……私、迷惑してるの」
鼻息も荒々しく「迷惑」と言い切り、カティは視線をそらした。
「あなたへの愛故でしょ、許してあげなさいよ」
そう言ってエダは、カティの腕をさする。
母の手を取り、カティはうなだれた。
「許したいよ、そりゃ……昔のリー兄ちゃんのままなら、きっと、笑って許せた。でも、今はどうすればいいのか、分からないの」
「うーん、そうねぇ……」
「自分の気持ちも、正直言ってよく分からなくて」
「そうだったのね……結婚もまともにしていない母さんにとっては、なかなかの難問ね」
少しおどけて笑ったエダは、カティの両頬を手で包み込む。そして、自分によく似た顔を覗き込んだ。
「でも少なくとも、今のリー君も嫌いじゃないんでしょう?」
じっと母と見つめ合い、カティは十数秒迷った末に、一つ首肯した。
「嫌じゃない、とは思う……すごく困ってるけど。というか、嫌じゃないからこそ、困ってるんだけど」
恨めし気な娘の頬を軽く引っ張り、エダは快活に笑った。
「そんなに難しく考えないで。とりあえず嫌いじゃない、からの再スタートでもいいじゃない。ね?」
そしてカティの頬から手を放し、彼女を洗面所へ押し出す。
「ほら、リー君とアルコちゃんの分も母さんが作るから。あなたは呼んできてあげて」
「……はいはい」
言い出したら聞かない母に、再度肩をすくめつつカティは歩き出した。