17:ロビン氏
入店して来たのは、銀髪に青い瞳の色男だった。髪や肩が、しっとりと濡れているのも絵になる。
噴霧の日を忘れ、ついでに傘も忘れたクチらしい。
彼の名前はロビン。雑誌の編集者だ。
「いらっしゃい、記者さん」
エーコがにやりと出迎える。
ロビンを見るや否や、やべ、とセナが声を発した。
彼は自分と同じく、常連客であるロビンの来店を、自分の退店および出社合図にしているのだ。
慌ててキッシュと残りのスープを頬張る彼を、エーコが苦笑して眺める。
「だらだら喋ってるからだ。明日はちゃんと味わって食えよ?」
「……うっす」
やや赤らんだ頬でうなずき、早々に会計を済ませてセナは店を出て行った。
「いってらっしゃーい」
その広い背中を、カティとエーコが見送る。
そしてロビンも、カウンターのお気に入りの席に座る。リーから三つほど離れた席だ。
「噴霧の日って忘れがちだよね」
ジャケットから取り出したハンカチで肩や髪を拭いつつ、色男が微笑む。カティもつられて笑った。
「私もうっかり、傘忘れたんですよ」
「ほんと? じゃあ大変だね」
「あ、でも、リー兄ちゃんが持って来てくれたので」
「持つべきものは幼馴染、だね。さすがはリー君」
彼の方へと向き直り、笑顔のままロビンは目を点にする。
「……リー君? どうして僕をにらむのかな? あれ、雰囲気変わった?」
しげしげと彼を窺った後、ロビンは手を一つ打った。
「あ、髪型が変わったのか!」
たしかに以前は、少し長めの髪だった。
どう説明したものか、とカティが豊かな胸に手を当てて考えあぐねいていると、キッシュとサラダをロビンに手渡してやりながら、エーコが助け船。
「事故に遭って、人生観が変わったんだってよ」
「え、余計に気になるじゃないか。ちょっとおじさんに、話聞かせてよ」
好奇心丸出しのロビンに、ぷい、とリーはそっぽを向く。
「断る。教えたくない」
「どうしたどうした。どうして僕にそんな、塩対応なんだい」
拗ねている様子のリーの頬を、アルコが肉球で叩いた。たしなめる様は、まさしく母親である。
「リーったら。大人げない態度、取るんじゃないの!」
そして彼女は、ロビンを見る。
「ごめんなさいね、ロビン。この子、アナタのことを警戒するようになっちゃって。ほら、カティの担当編集者じゃない?」
「なるほど。しかし、今更だな。それも事故の影響かな?」
ロビンは困ったように笑うが、そこは大人の男。逆上したりはしなかった。
ただ頬に手を添えて、カティとリーを交互に見る。
「まあおじさんも、嫉妬しちゃう気持ちは分かるけどね。カティちゃんは綺麗だから」
「またお世辞を言って……」
カティは呆れ顔だったが。
本性丸出しになったリーは違った。やおら立ち上がると、カウンター越しに彼女の手首を握り、手繰り寄せる。
これにカティは慌てる。
「リー兄ちゃん! ロビンさんにお茶出せない!」
「しなくていい。店長がすればいいんだ」
怖いぐらい真剣な顔を寄せられ、カティはたじろいだ。頬も赤く染まる。こんな間近で、真剣な表情をされたことがなかったのだ。へどもどして当然であろう。
たじろぎつつも、カティは首を振る。しかし、かなり弱々しい。
「……だめっ。私の仕事なの!」
言い合う二人に、ロビンはまた笑った。
彼はアルコの言葉通り、カティの担当編集者だ。
カティは本業の傍ら、日常コラムを書いていた。パパラッチ対策としてだ。
母のように、自分の日常を飯のタネにすれば、ハイエナ共も減るはずだ、と提案してくれたのがロビンだったのだ。
当初は少々気が乗らなかったものの。ロビンの読み通り、パパラッチは減っていった。
また、文章を書くことも嫌ではないため、さほど苦でもなかった。毎月のテーマを考えるのは、少しばかり億劫ではあるが。
なおも続く、デレて欲しいリーと、絶対デレたくないカティの攻防を観察していたロビンだったが、再度手を打った。
「そうだ。次のコラムのテーマは、恋愛でどうだろう?」
どうもこうも、あったものじゃない。
「却下です!」
首まで赤くなって、カティは即断した。
「恋とか愛とか、そんなの語るなんて、恥ずかしいじゃないですか!」
「今のこの状況の方が、よっぽど恥ずかしいと思うんだけど」
「これは……っ」
ようやくリーを振り切り、カティは唇をとがらせる。
「これは……ふ、不可抗力だったので……」
それにリーが異を唱える。
「不可抗力ではない! 俺の愛の表現であり──」
しかしその顔面に、熱いおしぼりが飛んで来て張り付いた。投げたのは無論、カティである。
年長者二人は、その光景に噴き出した。
「子供の喧嘩かっ」
皿洗いをしつつ、エーコはケラケラ。
「相変わらず可愛い二人だなあ」
キッシュを一口頬張って、ロビンも緩やかに微笑む。
「カティ女史の恋愛観を語るコラム、当たると思うんだけどなあ……嫌なら仕方がないか。次の候補の、お勧めの入浴法で行こうか」
ウィンク一つ、ロビンはカティにそう提案した。
毛色の違い過ぎるテーマに、カティは眉をひそめる。
「また、ずいぶんと落差がありますね」
「無理強いしないのが、僕のモットーだからね」
「はぁ……」
つかみどころのないロビンの提案に、紅茶を淹れながらカティは脱力した。