16:カロリーバー
青い天蓋のあちこちに設けられた噴出孔から、音もなく霧が発生してドーム内部を白く包み込む。噴霧の始まりだ。
カフェ壁面にはめ込まれた窓を振り返り、リーが繊細な顔立ちをしかめっ面に変える。
「噴霧の日は困る」
「あら、どうして?」
カティが問えば、リーは己の短い黒髪をかき上げる仕草をした。
「湿度が高くなると、髪がクリンクリンになってしまうのだ」
深刻そのものの声音に、カティはつい笑ってしまう。
「リー兄ちゃん、癖っ毛だもんね」
「そうなんだよ! だから、非常に困ってしまうのだ」
何気ない会話は、事故前と変わらぬようであるが。
しかしリーの眼前には、山盛りのフライドポテトにハンバーグ、ほうれん草とベーコンのキッシュが鎮座していた。
せっかく「鏡の女王亭」に来たのだから、と朝ごはんを所望したのだ。朝ごはんの量を遥かに凌駕しているが。
キッシュとスープのセットを注文していたセナも、しげしげとそれを眺めている。
「リーさん、大食いになったんすね」
「食わねば脳が稼働しなくなるからな、死活問題なのだ!」
「ええ……エンゲル係数やばそうっすね……」
強面から注がれる同情の眼差しを、リーは軽快に受け流した。
「案ずるな。機械人には食事手当が支給される!」
ぐっと親指を立てつつ、リーはポテトを頬張る。
へえ、と相槌を打って、エーコも会話に参戦。
「統治局様も、案外考えてくれてるのね」
「ああ。それに、カロリー補給用の栄養バーも支給されている」
肥満児が大喜びしそうな彼の皿を眺め、カティがチクリと刺した。
「なら、そのバーを食べればいいのに」
「そうしたいのは山々なのだが、酷くまずいのだ!」
「そう、なんだ……」
キリッといい顔で、まずいと断言されれば、それ以上小言は出てこない。
「なるほど。統治局らしい、詰めの甘さだね」
エーコがヒッヒと笑う。彼女はとりあえず、上の者に噛みつきたがる性格なのだ。
カモミールティーを飲み終わったアルコが、ひげを整えつつ主を見た。
「リー。今度、皆に分けてあげれば? どうせ余ってるんでしょう?」
アルコの提案に、リーの琥珀色の瞳が輝く。
ぐっ、とこぶしを握り締めて叫んだ。
「それはいい考えだ! 病院から大量に送られて、困っているんだ!」
でも、とためらいがちに、セナが手を挙げる。
「機械人用の、カロリー補給バーなんすよね? どんだけハイカロリーなんすか」
「一本で、成人男性三日分のカロリーが摂取できるらしい!」
成人男性、三日分。何千キロカロリーになるんだ。
リーの言葉に、女性二人が青ざめる。
「私たちが食べたら、おデブさん待ったなしじゃない」
「不味い上にデブ製造機とか、最凶だな……でも、やっぱちょっと食べてみたいかも」
いつも気だるそうな顔の割に、エーコは好奇心の塊でもある。ちなみに、意外にも読書家だったりする。
カティがどうやって、そんな彼女を止めようか思案していると、ドアのベルが鳴った。